19話:異世界のショッピングモール
「カズラさん、朝ですよ。起きてください」
「ん……」
次の日の朝。
身体を揺さぶられる感触に一良が目を覚ますと、宿泊所内は格子窓から差し込んだ日の光で明るくなっており、周囲は身支度を整える者たちの喧騒に包まれていた。
まだ日が昇って間もないようで、室内の空気はひんやりとしている。
バレッタやロズルーたちも周囲の人々と同様に出発する準備を始めており、マントに包まって眠っているのは一良とミュラだけである。
時折、喧騒に混じって「荷物がない!」などといった声が聞こえてくることから、例の如く夜中に泥棒が出たようだ。
バレッタは一良が目を開けたのを見て、おはようございます、と微笑んだ。
「おはようございます……街に出るんですか?」
「はい。もう少ししたら街のお店が開き始める時間なので、持ってきた品を売りに行こうと思いまして」
持ってきた品とは、薪やアルカディアン虫のことである。
薪の価値がどれくらいなのかは判らないが、以前バレッタがアルカディアン虫は高級食材だと言っていたし、ロズルーが仕留めたアルマルの毛皮もあるので、それなりの金銭は得られそうである。
とはいっても、一良は未だにこの世界の通貨単位すら知らないので、どれくらいの価値になるのかは検討も付かない。
「へぇ、こんな朝早くからお店が開くんですか……薪とかって、買取専門のお店があるんですか?」
「いえ、薪は誰でも必要としていますから、片っ端からお店に売り込みに行くんです。アルカディアン虫は食料品店に売りに行きますし、アルマルの毛皮は衣料品を扱っているお店で売れると思います」
「ふむふむ、必要な物ならどの店でも買い取ってくれるのか」
一良とバレッタがそんな話をしている間にミュラもターナに起こされて目を覚まし、身支度を整え始めている。
眠いと言ってぐずったりなどせず、てきぱきと準備をしている様は、一良の知っている日本のお子様とは違って随分と逞しく見えた。
そんなミュラを見て一良も慌ててマントを身体に付け直すと、薪を満載した背負子を背負うのだった。
宿泊所を出発した一行は、早くも人通りが多くなってきている大通りを抜け、沢山の店舗が並んでいる区域にやってきた。
店舗のある区域の中心は大きな円状の広場となっており、広場の周囲に沿って設置されている建物は全てが何かしらの店のようである。
広場は直径が50メートルはあり、荷物を載せた幌付の荷馬車があちこちに停めてあり、中には出店を設置し始めているものもあった。
広場は既に沢山の人で賑わっており、幾つかの店には人だかりができていた。
広場内にある店もある程度は区分けされているらしく、食料品を売る店や衣料品を売る店など、大体の種類ごとに店舗は纏まっているようだった。
「では、まずは薪を売りに行きましょう。……カズラさん、どうかしましたか?」
そう一良にバレッタが声を掛けると、一良は昨日に引き続き口を半開きにして広場の光景を見つめていた。
何しろ、映画などで大昔を題材にしたものの中で見るような光景が、実際に目の前に広がっているのである。
見た事のない食べ物を売っている店や、本物の剣や槍を販売している店など、初めて尽くしの光景に一良はただただ感動していたのだ。
「えっ? あ、すいません、こんなに立派な商業区画があるなんて思っていなかったもので、見とれてしまいました……」
一良の傍らでは、ミュラが瞳を輝かせて沢山のお店にきょろきょろと視線を走らせている。
ミュラも一良と同様、初めて見る光景に感動しているようだ。
「ふふ、ここ以外にもここと同じくらいお店が沢山ある区画がいくつもありますよ。もっと街の中心に行けば、高級品を取り扱っているお店の区画もありますし」
「ふむふむ、ということは、この辺りは庶民の区画ってことですかね?」
「ええ、街の中心に行けば行くほど、裕福な人たちが住んでいる地区になりますね」
どうやらこの街の構造としては、街の中央にはお金持ちが集まり、その他の人々は中心から離れたエリアに住んでいるらしい。
確かに、イステリアに到着して門を潜った辺りに建てられていた家よりも、この辺りに建っている建物のほうが立派に見える。
「では、薪を売りに行きましょうか」
「そうですね」
持って来た薪を売るために、一番手近にある店に一行は向かう。
向かった店は石で作られた二階建ての建物で、一階にある店の入口の扉は大きく開放されており、店内には大きな一枚布や、一良たちが履いているような草編みの履物や厚手の布で作られた履物などが置いてあった。
一行が店に入ると、奥からこの店の主人と思われる中年の男が現れた。
「いらっしゃい。何か入用ですかね?」
「いえ、薪を買っていただけないかと思って立ち寄らせていただいたのですが、幾つかいかがですか?」
バレッタはそう言って一良の背負っている背負子から薪を一本抜き出して店主に手渡した。
薪を受け取った店主は手で重さを見るような仕草をすると、納得がいったのか何度か頷いた。
「ふむ……これはなかなかいい薪だ。彼が背負っている分で幾らかな?」
「80アルでどうですか?」
一良の背負っている薪を見ながら問う店主にバレッタが金額を提示すると、店主は一瞬きょとんとした表情になった後、大げさに笑い声を上げた。
「お嬢さん、幾らなんでもそりゃ高すぎだよ。これなら50アルが相場ってもんだ」
「そうですか、それでは他を当たらせてもらいますね」
バレッタがそう言ってさっさと店を出ようとすると、店主は
「待った、55アル出そう。お嬢さんは商売上手だな」
といって苦笑しながら両手を軽く挙げて降参のポーズをとった。
「安すぎです。70アルまでならまけましょう。これ以上は無理ですよ」
出口へと向かう足を止め、バレッタは振り返って顔をしかめながら10アル値引きした値段を提示する。
店主も困ったような顔をして、少し唸って考える素振りをした。
「60……いや、62アル出そう。これ以上は本当に無理だ。これでも駄目なら他を当たってくれ」
そう言う店主に、バレッタも口元に手を当てて数秒考えているようだったが、返答を決めたのか口を開いた。
「ごめんなさい、やっぱり他を当たらせてもらいます」
申し訳なさそうな表情をして謝るバレッタに、店主は
「いいよいいよ、もし他で売れなかったらまた俺のところに寄ってくれ。62アルで買わせてもらうよ。慣れなくて大変だろうが頑張りな」
と、バレッタに笑いかけた。
バレッタは店主にお礼を言って微笑むと、足を店の外へと向けるのだった。
「バレッタさん、なかなか上手でしたよ。お店の人が62アルで買ってくれると約束してくれてよかったですね」
「本当、私も見習わないといけないわ」
「はー、緊張しました……でも、少しおまけしてくれましたし、交渉に慣れていないってバレバレだったみたいですけどね」
交渉の労を労うロズルーとターナに、バレッタは苦笑しながら答えた。
一良から見れば実に堂々と値段交渉をしているように思えたのだが、商売のプロが見ると隠した緊張などは分かるものなのだろうか。
正直、一良にはバレッタと同じように値段交渉が出来るとはとても思えなかった。
もしかしたらバレッタの容姿も関係したのかもしれないが、一良は男なので先程の店ではその点でも絶望的である。
「この薪って幾らくらいが相場なんですか?」
「その量ですと、大体60アルってとこですかね。冬場はもっと値段が上がるんですが、今のような夏の季節だと大体そんなところですよ」
自分の背負っている薪を指差しながら質問する一良にロズルーはそう答えると、さてとと言って自分の背負子を背負い直した。
「それでは、私たちも薪と毛皮を売りに行ってきます。ミュラ、おいで」
「お父さん、カズラ様と一緒にいたらだめ?」
ミュラはいつの間にか口に入れたらしいドロップでほっぺたを膨らませながら、一良とロズルーを交互に見る。
既に左手は一良のマントを握っており、一緒にいる気満々のようだ。
サクマドロップや缶詰で餌付けされたのか、この短期間で随分と懐いたものである。
……一緒にいれば何か貰えるかもと思っているだけかもしれないが。
「あ、私は別に構いませんよ。はぐれないようにちゃんと見てますから」
「しかし……」
一良に遠慮しているのか、ロズルーとターナは申し訳なさそうな表情をしている。
しかし、懇願するような表情で一良のマントを掴みながら自らに視線を向けてくる娘の姿に、ロズルーは苦笑して
「では、なるべく早く戻ってくるのでそれまでお願いします」
と言って一良に娘をお願いすると、待ち合わせの場所をこの衣料品店の前と皆で決め、品物を売るべくターナと一緒に人ごみの中へと消えていった。
「では、俺達も品物を売ってきますね」
「はい、ではまた後で」
ロズルーたちに続き、他の村人たちも人ごみの中に消え、この場に残ったのはバレッタと一良、そしてミュラである。
売るものとしては薪とアルカディアン虫があるのだが、とりあえずは薪を売ろうということで、先程の店の隣の店舗へと3人は入っていくのだった。
それから1時間後。
10軒目の店を出たところで、バレッタは小さく溜め息をついた。
ミュラははぐれないようにと、一良と手を繋いでいる。
「ふぅ、やっぱり62アル以上で買ってくれるところは中々ありませんね……」
「そうですねぇ……61アルまでは出してくれる所がありましたけど、62以上は厳しいんですかね」
最初の店の時のように、バレッタは淡々と値段交渉を行ったのだが、やはり相場の60アルを超える価格で買い取ってくれる店は見つからない。
最初は楽しそうに店を見ていたミュラだったが、今は口には出さないが若干疲れた表情をしている。
結局、これ以上薪を高く買い取ってくれる店を探していたらアルカディアン虫を売ったり買い物をする時間に差し支えてしまうことから、最初の店に戻って薪を売ってしまうことにした。
距離的には僅か数十メートルしか離れていないので、最初の店にはすぐに辿り着く。
3人が再び店に戻ってくると、やっぱりな、といった表情をした店主が出迎えてくれた。
「どうだい、他の店じゃ61アルがせいぜいだったんじゃないか?」
「はい……すいませんが、62アルで買い取ってもらってもいいですか?」
バレッタが申し訳なさそうにそうお願いすると、店主は
「ああ、約束だからな。買い取らせてもらうよ」
と言って、懐から8枚の銅貨を取り出し、バレッタに手渡した。
「10アル銅貨が6枚に1アル銅貨が2枚……確かに。ありがとうございます」
一良はバレッタに手伝ってもらいなが背負子を降ろすと、薪を背負子から外して店の空いているスペースに積み上げるのだった。
「今度はアルカディアン虫を売りに行かないと。食料品のお店はあっちですね」
薪を売り終えた3人は、休む間もなく食料品店へと向かった。
食料品店が集まっている辺りは、他の店よりも多くの人で賑わっているように見える。
それぞれの店の前には板や平たい石が置いてあり、売り物の価格がそれぞれ記載してあるようだ。
一良はイステリアに来る前に、少しだけバレッタからこの世界の文字を習っていたため、数字は一応読む事が出来、文字もごく僅かなら虫食い状に読む事が出来た。
「えーと、ナツイモ1つ5アル……あれ、1つ5アル? 薪があれだけあっても60アルなのに、この芋は随分高いんですね。高級品ですか?」
「いえ、この芋はこの時期村でも採れる普通の芋です……こんなに高くなっているなんて……」
どうやら、食糧不足のために食料が高騰しているようだ。
一良が店の中を覗いてみると、その1つ5アルするという芋が木箱に入って他の食料品に混じって陳列されていた。
芋は長さが10センチくらいあるサツマイモのようなもので、太さは手の人差し指と親指で作る輪くらいでしかない。
薪を売ったお金を全て使ったとしても、僅か12本の芋しか買えないとは、かなりの高騰っぷりである。
これはアルカディアン虫などの高級食材は高く買い取ってもらえるんじゃないかと期待して店に入ったのだが、応対に出てきた女主人に提示された金額は8匹で12アルだった。
「すまないねぇ。今は小さなアルカディアン虫よりも、芋とか豆のほうが需要があるんだよ。もっと街の中心に近いところにある店なら高く買い取ってくれるかもしれないから、行ってみたらどうだい?」
「そうなんですか……わかりました、行ってみます。ありがとうございました」
折角片道2日という距離をはるばる歩いてイステリアへとやってきたのだから、高く売れるのであればその方がいい。
3人はより街の中心に近い商業区画へと向かうべく、広場を後にするのだった。