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188話:気付け薬

 数時間後。

 皆で遅い夕食を終えて、一良は天幕に戻ってきた。

 ベッドに座り、一息つく。

 いつも日の出とともに野営地を畳むので、明日もかなり早起きしなければならない。


「……いよいよか。何があっても、取り乱さないようにしないとな」


 自分に言い聞かせるようにつぶやき、深く深呼吸する。

 イステリアを発ってからというもの、一人になると毎日こんな調子だった。

 上着を脱ぎ、桶の水でタオルを絞る。

 風呂代わりに身体を拭いていると、天幕の入口の垂れ布が揺れた。


「カズラさん、お話したいことが……あら」


 ひょこっと、ジルコニアが顔を覗かせた。

 上半身裸の一良と目が合い、きょとんとした表情になる。


「手伝いましょうか?」


「ま、間に合ってます」


「まあまあ、そう言わずに」


 断ったにもかかわらず、スタスタと天幕に入ってくるジルコニア。

 ちょこんと、一良の隣に腰を下ろした。


「背中は拭きました?」


「い、いえ、これからです」


「じゃあ、拭きますね」


 一良からタオルをひったくり、ぐいと背中を向けさせる。

 ごしごしと、手際よく背中を拭いていく。

 何だこの状況は、と一良はキョドりながらも、されるがままにしている。


「はい、終わりです。前は拭きましたか?」


「は、はい。拭きました」


「そうですか。そしたら、下を拭きましょうか」


 ジルコニアが一良のズボンを掴む。


「えっ!? いいい、いいです! 自分で出来ますから!」


「いいじゃないですか。別に恥ずかしいことをするわけでもないんですし、優しく拭いてあげますから」


「なな、何を言ってるんですか!? もしかして、お酒でも飲んでるんですか!?


「ぷっ! あはは! 冗談です! 久々にカズラさんに会ったので、つい調子に乗っちゃって」


 慌てふためく一良を見て満足したのか、ジルコニアはけらけらと笑いながら手を放した。

 以前よりも、からかいかたが過激になっている気がする。  


「まったくもう……で、話って何ですか?」


 そそくさと服を着ながら、一良が聞く。


「え?」


「『え?』じゃないですよ。話したいことがあるんでしょう?」


 なぜかきょとんとしているジルコニアに、一良がいぶかしんだ視線を向ける。


「あ、えっと……そ、そう! 軍議の時に、動画を見せてくれるって言っていたじゃないですか。それを見にきました」


 慌てた様子で、ジルコニアが答える。

 それを見て、一良はピンときた。


「ああ、そういえばそうでしたね。ちょっと待っててください」


 隅に置いてあったボストンバッグから、ノートパソコンを引っ張り出した。

 起動して、以前ナルソンたちにも見せた『ハンドキャノン』の動画を再生した。

 動画内の日本語はこちらの世界の人間には伝わらないので、一良が台詞を繰り返す。


「……これ、すごいですね。一度にこんなにたくさん弾が出るんですか」


「ええ。といっても、細かく狙いが付けられるわけじゃないんで、どこに飛んでいくのかは分からないんですけどね」


「そうなんですか。それを補うために、たくさん弾を詰め込むわけですね。砂利とか金属屑でもいいなら弾の用意も楽ですし、いい武器ですね」


「そのとおりです。それに、動画だと分かりにくいですけど、実際に使うととんでもなく大きな音がするんです。きっと、騎兵のラタは音に驚いてパニックになると思いますよ」


「それはいいですね。ひと塊になって突撃してくる騎兵は、弓や投げ槍では後列が止まらないので。音でまとめて足を止められるなら、何とかなりそうです」


 感心した様子で、ジルコニアが頷く。


「でも、我が軍の騎兵は大丈夫なんですか? 次の戦いでは、第2騎兵隊が傍にいるはずですが」


「もちろん大丈夫です。騎兵隊の訓練してる隣で、毎日バンバン撃ちまくってたんで。ラタも兵士も慣れちゃってますよ」


「なるほど、それなら大丈夫ですね」


 動画が終わり、一良がパソコンを閉じる。


「さて、こんなところですかね。明日も早いですし、そろそろ寝ようかと思うんですが」


「え? え、えっと……も、もう少しお話ししません?」


 もじもじしながら、ジルコニアが一良を上目遣いで見る。


「話ですか?」


「はい。ほら、久々に会ったんですし、いろいろあるじゃないですか」


「んー……そうですね。じゃあ、ジルコニアさんがいない間の、訓練の話でも――」


「あ、えっと、そういうのじゃなくて……ねえ?」


 可愛らしく小首を傾げるジルコニア。

 一良は素知らぬ顔だ。


「んー? そういうのじゃないって、どういうのです?」


「……」


 ジルコニアが少し涙目になって、頬を膨らます。

 それまで何とか我慢していた一良だったが、とうとう噴き出してしまった。


「あっ!? わ、分かっててとぼけてたんですね!? 酷いですよ!!」


「くくく……ご、ごめんなさい。あまりにも面白くて」


「こ、この! 人の弱みに付け込んで! 私がこの日をどれだけ待ち望んでいたと思ってるんですか!?」


「ごめんなさい、ごめんなさい! すぐに出しますから!」


 顔を赤くしてわめくジルコニアに、一良は慌ててダンボール箱へと向かった。

 箱ごと持ち上げ、彼女の前に持ってくる。

 一抱えもある、大きなものだ。


「はい。これ、全部ジルコニアさんのものです」


「えっ」


 怒り顔から一転、ジルコニアはきょとんとした表情になった。

 一良とダンボール箱を、交互に見やる。


「あ、開けてもいいですか?」


「どうぞどうぞ」


「で、では……っ! こ、これは!!」


 ジルコニアは箱の中を見て、瞳を輝かせた。

 フルーツゼリー、チョコレート、羊羹、ビスケット、マシュマロといった様々なお菓子が、ぎっしりと敷き詰められていたからだ。

 ジルコニアにとっては、どれも初めて見るものばかりだ。

 それでも、お菓子の写真やイラストが印刷されたパッケージを見れば、それがどんなものなのかは一目で分かる。

 食べる前から、ジルコニアの心には翼が宿っていた。


「ジルコニアさんが好きそうなものを、一通り入れておきました。行軍中なんでアイスクリームはないですけど、イステリアに戻ったら食べられますから」


「こ、これ、本当に全部貰っちゃっていいんですか!?」


 ばっと一良に顔を向け、興奮した様子で言うジルコニア。


「もちろんです。俺からの、出所祝いならぬ脱出祝いですよ」


「やった! ありがとうございます!」


 がばっと、ジルコニアが一良に抱き着いた。

 完全に不意を突かれて、一良はそのままベッドに押し倒されてしまう。


「うわっ!?」


「こんなにたくさん! 嬉しいです!」


「わ、分かったから離れてください!!」


 ジルコニアの肩を掴んで引きはがそうとするが、がっしりとしがみ付かれてしまっていてびくともしない。

 そうしていると、ジルコニアが顔を少しだけ離した。

 超至近距離で、目と目が合う。


「ちょ、ちょっと、近いですって!」


「カズラさんって改めて見ると、けっこういい男ですよね」


 ジルコニアが一良の頬に手を添える。


「あの娘たちには悪いけど、抜け駆けしちゃおうかし痛い!?」


 ゴツッと側頭部に拳骨を喰らい、ジルコニアが頭を押さえて呻く。


「悪乗りしすぎです。こんなところを人に見られたら、えらいことになりますよ」


「いたた……何も殴ることないじゃないですか。ちょっとふざけただけなのに……タンコブできてないかな」


「そ、そんなに強くは叩いてないと思うんですけど」


「かなり痛かったですよ! 星が見えましたもん!」


 涙目になりながら、ジルコニアが身を起こす。

 一良もベッドに手をついて起き上がった。


「いや、本当にごめんなさい。叩いたのはダメでした……」


「まあ、私も調子に乗りすぎました。おあいこですね。ふふ」


 さすっていた頭から手を下ろし、ジルコニアが微笑む。

 痛がっていたのも含め、ふざけていただけのようだ。

 いつもに比べて、度が過ぎているようにも感じるが。


「それじゃ、これは頂きますね。すみませんが、足がこんななので、私の天幕まで運んでいただけませんか?」


「あ、はい。もちろんです。入口、開けてもらっていいですか?」


「はい。ありがとうございます」


 2人して、天幕を出る。

 ものの10秒ほどで、彼女の天幕に到着した。

 中に入り、ベッド脇にダンボール箱を下ろす。


「寝る前なんで、あまり食べ過ぎないようにしてくださいね」


「はい。明日、朝食代わりにいただきます」


「いや、朝ごはんはちゃんと食べてくださいよ」


 一良は苦笑しながら、それでは、と出口へ向かう。


「カズラさん」


「はい?」


 名前を呼ばれ、振り返る。

 ジルコニアが、にっこりと微笑んでいた。


「バレッタとはお互いに、上手く打ち明けられたみたいですね?」


「……はい。いろいろあって、バレッタさんには泣かれちゃいましたけど」


 バレッタに大泣きされた、あの時のことを思い出して一良は苦笑した。

 お互い、最初からすべて打ち明けていれさえすれば、あんなことにはならなかったのだ。


「あらあら。叱りつけるようなことをしたんですか?」


「いや、そんなことはしませんよ。ただ、俺のせいで今まで辛い思いをさせたって言ったら、そんなことないって泣いてしまって」


「そんなこと言われたら、私がバレッタの立場でも泣いちゃいますよ。最悪なかたちで傷つけたって思いますもん」


 少し苦笑して、ジルコニアが言う。


「う……返す言葉もないです。こんなことなら、早く打ち明けるようにってジルコニアさんに言われた時に、そうしておけばよかったです」


「まあ、カズラさんにだって考えがあってのことですし、仕方ないですよ。バレッタも一緒。お互い様です」


「そう……ですね」


「2人が気まずい関係になっていなくて、安心しました」


 ジルコニアが柔らかく微笑む。

 それを見て、一良は何故だか心底ほっとした。

 未だにどこか不安に思っていたものを、彼女が溶かしてくれたような気がしたからだ。


「バレッタに限らず、女心のことで悩むようなことがあったら、私でよければ相談に乗りますよ。恋愛経験なんてありませんけど、一応これでも女ですから」


「は、はい」


「それと、もし緊張して眠れないようでしたら、声をかけてください。話し相手くらいにはなれますから」


「え?」


「気が張ったり滅入ったりして眠れない時は、誰かと話しているに限ります。一人で考え込んでいると、鬱屈としてしまいますから」


「……俺、そんなに緊張して見えましたか」


 やれやれと、一良は自嘲気味にため息をついた。

 先ほどジルコニアが過剰なほどにからかってきたのは、一良の緊張をほぐそうとしてのことだったようだ。


「はい。かなり神経が擦り減ってるなって、夕方に会った時、すぐに分かりました」


「そうでしたか……確かに、ここずっと気が張りっぱなしですね」


「誰でも、最初の戦闘前はそういうものです。私でよければ、甘えてくれてもいいんですよ?」


 はい、とジルコニアが両手を広げる。


「……あの、反応に困るんで、そういうからかいかたはやめてもらえると」


「あら、ごめんなさい。ふふ」


 ジルコニアが手を下ろし、くすくすと楽しそうに笑う。

 その笑顔を見ていると、一良も自然と頬が緩んだ。


「では、戻りますね。気を使ってくれて、ありがとうございました」


「いえいえ。少しでも気が紛れたならよかったです。おやすみなさい」


 ひらひらと手を振るジルコニアに見送られ、一良は天幕を出るのだった。




 2日後の昼過ぎ。

 砦へと続く街道を、イステール領軍は進んでいた。

 街道周辺は開けた原っぱになっているが、両脇は深い森が広がっている。

 軍団は、右翼、中央部、左翼の順に、いくつかの中隊ごとまとまって進んでいる。

 この並びだと、もし敵と遭遇しても、先頭から順に横に並び直すだけで簡単に陣形が組めるからだ。

 騎兵は、荷馬車が集中している隊列中央部の両脇を守るように進んでいる。

 一良たちがいるのは、軍団の先頭部だ。

 ナルソンとジルコニアも、一良のすぐ前を進んでいる。


「カズラ、大丈夫? 顔が強張ってるよ?」


 ラタに乗って右隣を進むリーゼが、心配そうに一良に声をかけた。

 反対側にいるバレッタも、ちらちらと一良を見ている。

 一良たちの背後には、クロスボウを持った村娘たちが歩いて付いてきていた。

 皆、一良と同じように顔が緊張で引きつっている。


「わ、悪い。いよいよだって思ったら、やっぱり緊張しちゃってさ」


 斥候からの連絡で、敵軍は森の出口に陣を敷いていることが分かっている。

 本日中には、彼らと相対することになるだろう。


「リーゼは緊張しないのか?」


「してるけど、覚悟もできてるから」


 リーゼが柔らかく微笑む。

 その表情からは、緊張した様子は欠片も感じられない。


「はあ、器が違うわ……やっぱり、リーゼはすごいよ。尊敬する」


「あはは……まあ、そういう立場だからね。外見そとみだけでも、しっかりしないと」


 リーゼがそう言った時、前方から騎兵が駆けてきた。

 ナルソンの下まで駆け寄り、停止する。


「ナルソン様、このまま進むと、あと半刻ほどで敵陣が見えます」


「うむ。敵軍は1個軍団のままか?」


「はい。横列を組んで、道を塞いでいます」


「騎兵はいたか?」


「数騎しか確認できませんでした。重装歩兵を並べて、堂々と待ち構えています」


「そうか。一旦行軍を停止するよう、全軍に通達しろ。ここからは、横陣を組んで前進する」


「はっ!」


 指示された騎兵が、全軍停止と叫びながら後方へ向かっていった。

 ナルソンが振り返り、一良を見る。


「カズラ殿、間もなく戦闘に突入します」


 いつにも増して真剣なナルソンに、一良が黙って頷く。

 返事をすると、声が上ずってしまいそうだったからだ。


「軍議の時にもお話ししましたが、カズラ殿の持ち場は、軍団後方中央部、第2軍団重装歩兵第5中隊の真後ろです。戦闘終了まで、絶対にその場を離れないでください。バレッタ、カズラ殿を頼むぞ」


「はい。何かあったら、すぐに無線で連絡します」


 バレッタが落ち着いた声で答える。


「うむ。後ろの皆は大丈夫か?」


 一良の後ろを覗き込むようにして、ナルソンが村娘たちに声をかける。


「は、はいっ! 大丈夫ですっ!」


「しし、死んでもカズラ様をお守りしますっ!」


「ががが、頑張りますぅ!」


 娘たちが勢い込んで答える。

 中には、すでに涙目になっている者もいた。

 皆、緊張と恐怖でガチガチといった様子だ。

 そんな彼女たちを見ても、ナルソンは表情を変えない。


「うむ、期待している。しっかり頼むぞ」


「「「はいっ!」」」


 そうしている内に、各部隊が横陣を組むべく動き出した。


「リーゼ、行くぞ」


「はい、お父様。カズラ、バレッタ、またね」


「お、おう。またな」


 硬い表情で応える一良に、リーゼが心配そうな顔を見せながらも去っていく。


「カズラさん」


 一良も移動しようとラタを動かした時、ナルソンたちとともに離れかけたジルコニアが、ラタを走らせて戻ってきた。

 緊張で顔を強張らせている一良を見て、苦笑する。


「あらあら……口、開けてもらえます?」


「え?」


「ほら、あーんって」


 わけが分からないながらも、口を開く。

 ジルコニアが懐から布袋を取り出し、そこから何かを摘まんで一良の口に押し入れた。


「ん、何……臭っ!? ぺっぺっ! な、何食べさせたんですか!?」


「ふふ、流木虫の臭いの中で生活させてもらったお返しです。まずいでしょう?」


「持って帰ってきてたんですか!? というか、まずいって分かってるものを食べさせないでくださいよ!」


 怒鳴る一良に、ジルコニアが楽しそうに笑う。


「そうそう、その意気です。辛気臭い顔なんてしてないで、もっと元気出していきましょう。そのほうが、その娘たちも安心しますよ」


 そう言って、村娘たちに目を向ける。

 彼女たちは皆、不安そうな顔で一良を見上げていた。


「う……そ、そうですね。すみません」


「バレッタ」


 ジルコニアがバレッタに布袋を投げた。

 バレッタはそれを両手で受け取り、小首を傾げる。


「またカズラさんがガチガチになってたら、それを食べさせてあげてね」


「は、はい」


「戦いが終わったら、皆でチョコレートを食べましょう。それでは」


 ジルコニアはにこりと微笑み、ナルソンたちを追って去っていった。


「……バレッタさん、それ、1つください」


「えっ、また食べるんですか?」


「はい。さっきのは吐き出しちゃったんで、気付けに食べておきます」


「えっと……無理はしないでくださいね?」


 バレッタに差し出された流木虫(半分)を受け取り、口に入れる。

 もぐもぐと、味を香りを確かめるよう、じっくりと咀嚼して飲み込んだ。

 あまりの臭さに正直吐きそうだが、頭はすっきりした気がする。


「うっぷ……い、行きましょう」


「は、はい」


 バレッタたちを引き連れて、一良たちも持ち場へと向かうのだった。

活動報告にて、コミカライズ4巻についての記事を掲載中です。

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