184話:精一杯のお願い
「ナルソンさん、お疲れ様でした。名演説でしたね!」
「お父様、お疲れ様でした」
執務室に戻ってきたナルソンに、一良とリーゼがねぎらいの言葉をかける。
ナルソンはソファーにどかりと腰を下ろし、心底疲れたようなため息をついた。
「やれやれ、一時はどうなることかと思いましたが、これで後は進軍するだけですな」
ここ数日、よく眠れていないらしく、彼の顔には疲労が色濃く残っている。
ナルソンにはリーゼやエイラたちと同様に、日本産の食料を与えて身体能力を強化してある。
精油やハーブティーも与えていたのだが、精神的な負荷が大きすぎたせいか、あまり効力を発揮しなかったようだ。
「お父様、疲れの取れるハーブティーです」
「おお、すまんな。ありがとう」
リーゼが差し出すお茶を、ナルソンが笑顔で受け取る。
エイラが氷式冷蔵庫から冷やしタオルを取り出し、ナルソンの汗を拭った。
マリーは屋上で無線機の番をしており、ここにはいない。
「そういえば、さっき演説中にジルコニアさんと一緒に砦を奪還、とか言ってましたけど、ジルコニアさんに指揮を執ってもらうんですか?」
「いえ、肩と両足を負傷しているのでは、さすがに無理でしょう。兵たちを安心させるために、顔見せ程度になるかと。軍団には同行させますが」
「そうですか……。でも、あまり無理はさせられませんね。足も、もしかしたら骨折とかヒビが入ってる可能性もあるわけですし」
「確かにそうですが、そこは耐えてもらわねば。彼女がいるのといないのとでは、士気に雲泥の差がでますので」
「そんなに、ジルコニアさんがいると違うものなんですか?」
驚いた様子の一良に、ナルソンが頷く。
「はい。一般的な指揮官とは違い、彼女は将軍という立場にありながら、重装歩兵として兵と肩を並べて部隊の最前線に立つのです。軍団の最高司令官が自ら命がけで戦うので、兵士たちも一歩も引かずに死に物狂いで戦います。彼女のような指揮官は、アルカディアには他に1人もいません」
「さ、最前線って、指揮官がそれでいいんですか? 上手く指揮が執れないような……」
「はい。兵たちの戦意は各段に上がりますが、指揮など執れたものではありません。実際に軍団の指揮を執るのは、副官のマクレガーです。彼女は作戦の立案に少し口を出すくらいですな」
「なるほど、役割分担がされているんですね。でも、それって下手したら、ジルコニアさんは死にますよね……」
「ええ。ですので、何度も止めるように言ったのですが、『この手でやらなきゃ意味がない』と言って、まったく聞く耳を持ちませんでな」
「そうだったんですか……」
「お父様、一つよろしいでしょうか」
黙って話を聞いていたリーゼが、2人の会話に口を挟んだ。
「何だ?」
「先ほどの演説の中で――」
リーゼが言いかけた時、コンコン、と扉がノックされた。
ナルソンが返事をすると、警備兵が1人入ってきた。
「ナルソン様、フライス領から伝令が到着しました」
「フライス領から? 用件はなんだ?」
「正規兵の重装歩兵3個中隊と騎兵400が、5日後にイステリアに到着するとのことです。大量の食糧も同時に到着するので、好きに使って欲しいとのことです」
「……ヘイシェルのやつめ、常備兵を半数近くも送ってくるとは。しかも、こんなに早く」
ナルソンが額を撫でながら唸った。
半月ほど前、王都での各領地の使者たちによる会議にて、フライス領はイステール領に『急いで常備の兵力を送る』と宣言していた。
それを見事実行したのだが、これではフライス領は国境守備に割ける兵力がかなり減ってしまうだろう。
フライス領はイステール領と同じく、クレイラッツと国境を接している。
万が一クレイラッツが裏切り、フライス領を攻めるようなことになったら大変だ。
「カズラ殿、伝令と面会してまいります」
「分かりました」
「それと、ご同行の件は考えていただけましたかな?」
「大丈夫です。付いていきますよ」
演説の前、一良はナルソンに『ぜひとも軍団に同行してくれ』と頼まれていた。
同行させられるだろうな、とは一良も考えていたので、特段驚くようなことではない。
リーゼやバレッタ、そしてグリセア村の人々の、精神的な支えになれと言われているのだろう。
ナルソンの性格から考えれば、もしかしたらそれ以上の考えもあるかもしれない。
だが、それはそれで構わないと一良は考えている。
その時には、一言言うつもりではあるのだが。
ちなみに、リーゼはジルコニアの代わりに臨時で第2軍団長を務めることになっている。
実際に指揮を執るのは副長のマクレガーなので、彼女は形だけの軍団長だ。
留守を預かるのは、療養中のイクシオスである。
「ありがとうございます。エイラ、装備は用意してあるな?」
「はい。指揮官用のものを一式と、イステール家の家紋入りの短剣を用意してございます」
「よ、鎧ですか」
少し期待のこもった声を漏らす一良に、リーゼがくすっと笑った。
「ふふ、何だか嬉しそう。やっぱり、カズラも男の子だね」
「う……こんな時に不謹慎かもしれないけど、ああいうのって憧れがあるんだよな。初めて着るしさ」
「そっか。なら、着るのは私が手伝ってあげる。エイラ、私たちの鎧は作業部屋にお願い」
「かしこまりました」
話しがまとまったとみて、ナルソンが席を立つ。
「では、面会が終わったら私もそちらに伺いますので、待っていてください」
「分かりました。また後ほど」
「へえ、その髪型ってそうやって作るのか」
作業部屋へと戻った一良は、鏡の前で侍女に髪を結いあげられていくリーゼを眺めていた。
侍女は実に見事な手さばきで、あっという間にお団子頭を作っていく。
一良も別の侍女に手伝われながら、鎧下を着ているところだ。
「今度カズラもやってみる? 頭、貸してあげるよ?」
「いやいや、俺には無理だよ。そんなに器用じゃないからな」
「えー、いいじゃん。将来子供ができた時に、きっと役に立つよ?」
「どんだけ先の話だよ。自分が親になるなんて想像もつかないわ」
「すぐになれるって。相手はここにいるんだし」
鏡越しに、リーゼが一良に流し目を送る。
侍女たちは2人の会話に苦笑しながら、黙々と作業を続けている。
「おま、侍女さんたちの前で何てこと言うんだ。ていうか、リーゼはまだ15歳になったばかりだろ。子供だなんだって言う歳じゃないだろうに」
「え? 早い子は14歳で身籠って15歳で産んでるし、別におかしくないでしょ?」
「……え? 14歳で妊娠するのか?」
「うん。貴族じゃあんまり見ないけど、街の人たちならそこまで珍しくもないと思うよ」
「マジか……こっちじゃ、それが普通なのか……」
髪の結い上げと鎧下の着付けが終わったところで、鎧を乗せたカートを押したエイラが入ってきた。
「失礼いたします。鎧をお持ちいたしました」
「おお……」
銀色に輝く鎧の登場に、一良が思わず声を漏らす。
それを見て、リーゼがくすりと笑った。
「じゃあ、まずはカズラから着よっか」
「お、お願いします」
一良は4人がかりで鎧を着つけられながら、鏡で自分の姿を見つめる。
腰当を付け、胴鎧を装着した。
見た目はかなり重厚だが、着てみると思っていたほど重くはない。
なかなかに様になっているように見えた。
「馬子にも衣装ってやつか。我ながら、それなりに見える気がする」
「何それ、ことわざ? どういう意味?」
「立派な衣装を着れば、どんな人間でも立派に見えるって意味。見た目が貧弱な俺にはうってつけなことわざだろ」
「貧弱ってことはないでしょ。事務仕事ばっかりしてるわりには、まあまあいい身体してると思うけど? ねえ、エイラも……どうしたの?」
エイラが思いつめたような表情をしていることに気付き、リーゼが怪訝な顔を向ける。
「っ、い、いえ」
「……泣いてるの?」
その言葉に、皆の視線がエイラに向く。
その途端、エイラの瞳から涙があふれた。
「っ! も、申しわけございません!」
リーゼは少したじろいだ様子だったが、すぐにポケットからハンカチを取り出して彼女に渡した。
「あなたたちは、もう下がって」
2人の侍女を退室させ、リーゼがエイラに向き直る。
「どうしたの? 何かあった?」
「……」
「戦いのことなら、心配いらないわ。カズラだって協力してくれたんだし、絶対に負けるはずがない。きっと上手くいくから」
エイラは何も言わず、肩を震わせすすり泣いている。
その様子に、リーゼが困ったように眉をひそめた。
エイラがリーゼの前で涙を流したことなど、今までただの一度もなかったのだ。
いつも一緒にいる彼女のことなら、リーゼは何でも分かっているつもりだった。
だが、今は彼女が何を思っているのか、なぜ涙を流しているのかが、まったく分からない。
「エイラさん……」
その様子を見かねて、一良がエイラに声をかけた。
びくっ、とわずかにエイラの肩が動いた。
リーゼは一良をちらりと見上げ、視線を足元に落とす。
「……私、隣の部屋に行ってるね」
「え? お、おい、リーゼ!」
リーゼはさっさと部屋を出て行ってしまい、部屋には一良とエイラが残された。
エイラは泣き声を堪えながら、肩を震わせている。
「え、えっと……エイラさん、どうしたんですか? 何で泣いてるんですか?」
「……っ」
その声を皮切りに、エイラはその場にしゃがみ込み、しゃくりあげて泣き出してしまった。
一良はどうしていいか分からず、その場に膝をついて彼女の背に手を添えた。
「エイラさん、もしかして、俺が原因――」
「ごめんなさいっ! 私、カズラ様になんてことをっ……!」
エイラが涙でくしゃくしゃになった顔を一良に向けた。
「私だけ、我がままを言うようなことをしてっ! 皆、必死で、命がけで……! それなのに、私はっ……!」
その言葉で、彼女が何を言っているのかがようやく分かった。
1カ月ほど前、彼女の親族を軍団に編入しないよう手を回してくれと頼まれたことについて、彼女は言っているのだ。
これから軍団と共に出撃する一良の鎧姿を見て、罪悪感で一杯になってしまったのだろう。
「エイラさん、いいんですよ」
涙で濡れた瞳で見つめてくる彼女を、一良は真っ直ぐに見つめる。
「家族を危険な目に遭わせたくないと思うのは、当たり前のことです。俺がエイラさんの立場だったら、きっと同じようにしたと思います。誰でも、きっとそうしたはずです」
「っ……うぅ……」
エイラはうつむき、声を上げて泣き出してしまった。
一良は彼女を引き寄せ、抱きしめた。
ふわりと、柔らかなラベンダーの香りが彼女の髪から感じられた。
「いいんです。エイラさんは何も悪くありません。そんなふうに泣かなくても、いいんです」
「ひっぐ……カズラ……さま……っ」
カズラの胸に縋りつき、エイラは泣き続けている。
そういえば前にも似たようなことがあったな、と一良がバレッタのことを思い起こしていると、落ち着きを取り戻したエイラが顔を上げた。
「……私、分かっていたんです」
「何がです?」
一良が問い返すと、エイラは一良の鎧に添えている手を強く握った。
「ああ言えば、カズラ様なら先ほど言ってくださった言葉をかけてくれるって……ごめんなさい」
「……そっか。正解を言えてよかったです。答えを間違っていたら、今頃どうなってたんだろ」
冗談めかして言う一良に、エイラが小さく笑う。
「カズラ様」
「はい、何ですか?」
「すべてが終わってからも……お茶会に来てくださいますか?」
「お茶会? ええ、もちろん。今までどおり、毎晩行きますよ。エイラさんとお茶しないと、一日が終わった気がしないんで」
「……はい。私もです」
そう答えるエイラに、一良はほっとしたように微笑むと立ち上がった。
差し出された手を取り、エイラも立ち上がる。
「それじゃあ、リーゼのところへ行きましょうか。きっと待ちくたびれてるでしょうし」
「……はい」
扉へと向かう一良の背を、エイラはじっと見つめていた。