181話:とっさの判断
真っ暗な地下通路を、ペンライトの明かりを頼りにジルコニアとロズルーは速足で進む。
通路の両脇には何段にもわたって土を掘って作られた棚があり、大量の頭蓋骨がむき出しで納められていた。
棚にはそれぞれ、「身元不明者」と書かれた木板が張り付けられている。
名前も分からないままにまとめて火葬された、戦死者たちのものだ。
「先ほどの悲鳴を聞きつけられたかもしれません。急ぎましょう」
「ええ。でも、あなたどうやって砦に侵入したの? 脱出経路は?」
並ぶ遺骨を見やりながら、ジルコニアが問いかける。
「防壁上の見張りを弓で始末し、そのまま壁をよじ登って侵入しました。脱出経路は、来た道を戻るだけです」
「……え? よじ登ってって、梯子とかは?」
「使っておりません。なので、帰りは飛び降りなくては」
「ちょ、ちょっと待って。飛び降りるって、あんな高さから飛べるわけないでしょう」
にべもなく答えたロズルーに、ジルコニアがぎょっとした声を上げる。
壁の高さは10メートル近くあり、とてもではないが飛び降りることなど不可能だ。
その声に、ロズルーはちらりと彼女を振り返った。
「大丈夫です。私が先に飛び降りて、ジルコニア様を受け止めますので」
「受け止めるって……第一、あんな高さを飛び降りたら大怪我どころか、下手すれば死んじゃうでしょ。絶対無理よ」
「着地と同時に上手く転がれば大丈夫です。現に、私はここに来る前に防壁から砦内に飛び降りて怪我一つありません。任せてください」
「ええ……」
同じ人間だとは思えないような台詞を吐くロズルー。
そうして数十秒ほど進み、納骨堂の地下部分へと到達した。
広々とした地下室はひんやりとしており、名前入りの遺骨箱が収められた木製の棚が所せましと並んでいる。
部屋の隅の階段を上り、1階へと出た。
それと同時に、建屋の外から複数の怒声が微かに聞こえた。
先ほどフィレクシアが発した悲鳴を聞きつけて、誰かが様子を見に倉庫へ入ったのだろう。
「急ぎましょう。こちらです」
ロズルーは落ち着いた様子で壁際へと進み、窓を開けて外へ出た。
ジルコニアもそれに続き、静かに外へと出る。
そこは隣り合う建物との間の路地になっており、真っ暗だ。
遠くから、ジルコニアの脱走を知らせる叫び声が聞こえてくる。
ロズルーは背負っていた弓を手に持ち、矢を1本取り出した。
「離れず付いてきてください。行く手の敵を排除しつつ、防壁まで一気に走ります」
「分かった」
建物の陰に沿うようにして闇に身を隠しつつ、2人は走り出した。
ほどなくして、カンカン、という警鐘の音が辺りに響き渡る。
数秒置いて、ロズルーのイヤホンにノイズ音が走った。
『こちらバレッタ。ロズルーさん、現状を報告してください。どうぞ』
ロズルーは胸元の無線機を操作し、送信に切り替える。
「こちらロズルー。ジルコニア様と合流し、納骨堂から路地に出たところだ。まだ見つかってはいないが、脱走に気付かれてしまった。今から――」
そこまで言ったところで、ロズルーは突如として足を止め、身をかがめた。
ジルコニアも慌てて急停止し、彼に倣って姿勢を低くする。
前方に、小さく松明の灯りが見えた。
「引き返してやり過ごす?」
ジルコニアの問いに、ロズルーが首を振る。
「ここで時間を食っては命取りです。それに、床板を閉じたとはいえ、地下通路が発見されている可能性があります。戻るのは危険です」
「人数は? よく見えないんだけど」
「5人、短槍と盾を持っています。ギリギリまで引き付けて、何人かを弓で――」
「なら、先頭の1人は任せるわ。よろしくね」
言うが早いか、ジルコニアは腰の剣を抜くと駆け出した。
ロズルーは慌てて、弓を構える。
「……ん? 誰――」
先頭にいた兵士が言いかけた口に、高速で飛来した矢が突き刺さった。
衝撃で頭を大きく仰け反らせ、そのまま後方に倒れ込む。
突然の出来事に、残りの4人が驚きの声を上げて立ち止まった。
それとほぼ同時に、闇の中を迅雷のごとく迫ったジルコニアが彼らに肉迫した。
前にいた2人が、反射的に短槍と盾を構える。
ジルコニアは地面を舐めるほどに身を落とし、ヴッ、と空気を切り裂く音を響かせて、剣を横薙ぎに振り抜いた。
びちっ、という湿った鈍い音とともに、左の兵士の両足首が、その隣の兵士の片足首が両断された。
「なっ!? いた――ぐぶっ!?」
彼らの背後にいた兵士の1人が叫びかけた口を、ジルコニアが高速で突き上げた剣の切っ先が貫いた。
わずかにだが声を上げられてしまったことにジルコニアは舌打ちをしながらも、最後の1人を始末しようと剣を引き戻す。
それと同時に、彼女の頭の数センチ横を通って飛来した矢が、その兵士の眉間に突き刺さった。
足を切り落とされて呻く兵士たちの脇に、絶命した2人が倒れ込む。
「あ、危ないわね。私に当たったらどうするのよ……」
ジルコニアが冷や汗をかきながら、背後の闇を振り返る。
そして、地面で呻いている兵士たちに目を向けた。
「や、やめ――」
制止の声を上げかけた1人の首に、ジルコニアは無言で剣を突き刺した。
刃を抜かれ、鮮血を吹き出す仲間の姿に、最後に残った片足の兵士が引きつった悲鳴を漏らす。
「……よかった。何も感じない」
絶命し、痙攣している兵士を見ながら、ジルコニアがぽつりとつぶやいた。
何を、と残された兵士が疑問を頭に浮かべた瞬間、彼の喉にずぶりと刃が刺し込まれた。
一息に頸椎を貫いて止めを刺し、剣を引き抜く。
「ジルコニア様、お怪我は?」
背後から駆け寄ったロズルーが、ジルコニアに声をかける。
「ないわ。それより、最後の矢、危なかったわよ。先頭の1人だけお願いするって言ったでしょう」
返り血を浴びて全身血まみれのジルコニアが、ぎろりとロズルーを睨み付ける。
まるで戦鬼のようなその姿に、さしものロズルーも悪寒が走った。
「も、申し訳ございません」
「行きましょう。今立てた音で、人が集まってくるかもしれない」
ジルコニアが血濡れの剣を鞘にしまう。
ロズルーは頷き、再びジルコニアを先導して防壁へと向けて走り出した。
「ロズルーさん、どうしました!? 応答してください! どうぞ!」
その頃、砦を望む森の中では、バレッタが必死にロズルーに呼びかけていた。
突如として切れてしまった通信に、皆の顔に不安が浮かぶ。
数秒置き、再度バレッタが送信ボタンを押そうとした時、皆のイヤホンにノイズが走った。
『すまない。敵と鉢合わせして戦闘になっていた。今、防壁に向かっているところだ。どうぞ』
その声に、皆がほっとした息を同時に漏らす。
彼の妻のターナにおいては、その場にへたり込んでしまっている。
「分かりました。あとどれくらいで砦を出られそうですか? どうぞ」
『もう間もなく防壁だ。すぐに……なっ!』
急に言葉を止めたロズルー。
皆、固唾を飲んで言葉の続きを待つ。
『……防壁の階段付近に、兵士たちが集まってきてしまっている。ここからの脱出は無理だ。別の経路を探す。どうぞ』
バレッタは慌てて暗視スコープを取り出すと、それを使って防壁を見た。
倍率を上げ、防壁上をズームする。
それとほぼ間を置かず、松明を手にした数人の兵士が防壁上に姿を現した。
どうやら、見張りがいないことに気付いて、たった今その場に駆けつけてきたようだ。
絶命している同僚の死体を見つけたのか、何やら叫んでいる様子だ。
「……ロズルーさん、他の脱出経路を探している時間はありません。そんなことをしていたら、防壁も城門も完全に封鎖されてしまいます。こちらで合図を出しますから、その隙を突いて強行突破してください。どうぞ」
『合図? いったいどんな? どうぞ』
「防壁付近にいる人間全員が、そこに注意を向けるくらい大きな音を出します。それまで、見つからないように隠れていてください。通信終わり」
バレッタは無線機から手を離し、隣にいたにバリンに暗視スコープを押し付けた。
「お父さん、これ持ってて。私、行ってくる」
「なっ!? ま、待て、それなら私も行く!」
「何人もで行ったら敵に見つかっちゃうよ。私一人で行くから、ここで待ってて」
「バレッタ!」
引き留める父親に構わず、バレッタは砦へと向けて駆け出した。
限界まで身をかがめて闇の中を猛然と走りながら、『万が一』のためにとポケットに忍ばせておいた、小さな丸い物体を掴み出した。
以前、一良が女性陣にプレゼントしてくれた、防犯ブザーだ。
ジルコニアを救出して森へと逃げ込んだ後、もし誰かがはぐれて迷子になってしまった場合に備えて用意しておいたものだ。
無線があるとはいえ、真っ暗な森の中で合流することは至難の業である。
そんな時のためにと、一番大きな音が出るものを1つだけ持ってきておいた。
もちろんその時には追手にも音を聞かれてしまうだろうが、森の奥深くに逃げ込んだ後であれば問題ない。
身体能力が大きく向上している救出班の面々ならば、追手よりも早く森の中を駆け抜け、合流できるだろうからだ。
「(2人を助けるには、これしかない。それにもう、私たちは止まれない)」
一抹の不安を振り払うかのように、バレッタは奥歯を噛みしめた。
防壁から50メートルほどの位置で立ち止まり、防壁上を見上げる。
今いる場所は、ロズルーが侵入した地点よりも100メートルほど北に位置している。
皆、防壁に上がってきた兵士たちは死体に意識がいっているようで、今のところこちらに目を向けている者は誰もいない。
「っ!」
視界の端に、城門がゆっくりと開き始める様子が映った。
おそらく、外を捜索するために騎兵が繰り出されるのだろう。
かなり距離はあるが、はたして自分は逃げ切れるだろうか。
「(2人とも、お願い、急いで)」
バレッタは祈りを込めて、防犯ブザーのピンプラグを引き抜いた。
同時に、耳をつんざくような騒音が、防犯ブザーから鳴り響く。
防壁上の兵士たちが、ばっとこちらに顔を向けた。
バレッタはそれを目の端で捕らえながら、防犯ブザーを砦内目掛けて全力で投げ飛ばした。
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