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177話:アタリとハズレ

 その日の夜。

 夕食を食べ終えたジルコニアは、傍らに置いておいた木箱に目を向けた。

 フタをしているので臭いは漏れていないが、ひとたび開ければしばらくはあの臭いが充満する中で過ごさねばならない。

 正直かなり気が重いが、やらないわけにもいかないのだ。

 夕食前に開けるとあの臭いの中で食事をしないといけなくなるので、今まで開けていなかった。

 ちなみに夕食は、焼き立てのパン、塩気の利いた骨付き肉、野菜たっぷりのポトフ、柑橘系の香りのお茶だった。


「……はあ、数えるか」


 陰鬱な気持ちで、フタを開ける。

 途端に、中からあの独特な泥のような臭いが湧き上がってきた。

 正直食べる気はまったくしないので、数えた後は毎晩10個ずつこっそり処分するつもりだ。


「うー……やだなあ」


 夕食の食器として出されたスプーンを使い、半分に切られたそれを1つずつ箱から取り出す。

 ぽいぽい、数えながら皿に芋虫を取り出していた時。

 ふと、それを触ったティティスの指に、べったりと付いていたものを思い出した。

 まさか。

 これは、ひょっとすると。


「……え、ちょっと私、何考えてるの。正気じゃないわ。そんなの無理に決まってるでしょ」


 もしかしたら、これらは一良が用意した、あちらの世界の芋虫なのではないか。

 これを食べて、救出の日までに剛力を付けておけということなのかもしれない。

 そんな考えが、ふいに頭に浮かんだ。

 もしそうだとしたら、自分がするべきことはひとつだ。

 この箱一杯の芋虫を、カラになるまで毎日食べなければならない。


「……ああ、もう! やるわよ、やればいいんでしょ! ていうか、何でよりによって芋虫なのよふざけないでよ!」


 不満をぶちまけながら、ぷるぷると震える指で半分に切られた芋虫を1つつまみ上げる。

 見た目はどこからどう見ても、流木虫の燻製だ。

 テーブルの上に置かれた蝋燭のほのかな灯りに照らされたその姿が、実に憎たらしい。


「も、もしそうなら、指に黒いのが付くはずよね……」


 ぎゅっ、と少しだけ、つまんでいる指に力を込めた。

 芋虫を皿に置き、指を見てみる。


「……やっぱりそうか」


 どうやら、予想は的中したようだ。

 燻製にした芋虫なら、このようにつまんだだけで指に付くはずがない。

 昼間にティティスがカイレンに「舐めます?」と言っていたことが思い起こされる。

 この芋虫を口に入れる前に、とりあえず舐めて味を確認しておこうと思った。

 どんな味にせよ、いきなり食べるよりは心理的にマシな気がする。


「うぅ……やだよう……」


 半泣きになりながらも芋虫をつまみあげ、ペロッと舌先で舐めてみた。


「……ん?」


 ほのかに感じた甘みに、怪訝な目でその芋虫を見つめる。

 舐めただけで分かるほど、甘い芋虫?

 そんなものがこの世に存在するのだろうか?

 それに、少し舐めただけなので確かではないが、箱から漂ってくるような臭みは無いような気がする。

 意を決して、思い切ってそれを口に放り込んでみた。


「っ!」


 とろけるような上品な甘さと、鼻腔をくすぐるしっとりとした甘い香り。

 思わず目を見開いて身体を跳ねさせ、きらきらとした瞳で皿に出された芋虫を見つめる。

 何だこの芋虫は。

 一良の住む世界には、これほどまでに美味しい芋虫が存在しているのか。

 もし自分が一良の住む世界に行けたなら、たとえ生きたままでも見つけ次第捕まえて、そのまま口に放り込んでしまうだろう。

 今まで大好物ランキング1位を独走していたかき氷を押さえ、芋虫チョコレートがジルコニアの好物のトップに君臨した瞬間だった。


「あー、ジルコニア殿。俺だ、カイレンだ」


 その時、トントン、と扉がノックされて、カイレンの声が響いた。

 ジルコニアは口の中のそれを飲み込み、こほん、と息をついた。


「どうぞ」


 ジルコニアが声をかけると、鎧姿のカイレンが入ってきた。

 室内にただよう流木虫の臭いに、うっ、と顔をしかめる。


「何か用?」


「あ、いや、二人きりで話しをしたことがなかったからな。一度話してみたいと思って来たんだ。それに、聞いておかないといけないこともあったし」


 カイレンはそう言いながら、皿の上に置かれた芋虫たちに目を向ける。

 来るタイミングを誤った、と顔に書いてあった。

 彼の表情からその心境を察し、ジルコニアの頭に意地悪な考えが浮かぶ。


「す、すまない。まだ食事中だったんだな。また出直してくる」


「別にいいのよ。デザートをつまんでただけだから。また来るのも面倒でしょうし、座っていきなさいな」


 にこっとかわいらしく微笑むジルコニア。

 カイレンは心底嫌そうな顔をしながらも、そう言われては断れずに席に着いた。


「あー……その、それって本当に美味いのか?」


「美味しいわよ。何なら食べてみる?」


「い、いや、結構だ。遠慮しておく」


 引きつった顔で断るカイレン。

 ジルコニアは内心「してやったり」と思いながら、皿から半分になった芋虫を1つつまみ上げた。


「そう? こんなに美味し……」


 そう言い、芋虫をつまんだ態勢のまま動きを止めるジルコニア。

 そう、彼女は気付いてしまったのだ。

 箱からは、流木虫の独特な臭みが漂っている。

 それに、昼間に1つ食べたティティスは、耐えきれずに吐いていたのだ。

 だが、先ほど食べた芋虫からは、そのような香りは一切しなかった。

 ということは。

 この中には、かなりの数の『ハズレ』が混ざっている!


「……ジルコニア殿? どうかしたか?」


 だらだらと冷や汗を掻きながら、ジルコニアは何も答えない。

 幸いなことに、室内が薄暗いおかげで、ジルコニアが汗を掻いていることはまだバレていないようだ。

 皿に芋虫を戻し、ジルコニアは自分の指をちらりと見た。

 指には、何も付着していない。

 どうやら、今のは『ハズレ』だったようだ。


「あ、別に食べながらで構わない。礼儀とかそういうのは苦手なんだ。気にしないでくれ」


「……ええ、ありがと」


 これでは食べずにいるのも不自然になってしまうと、ジルコニアは諦めて先ほどとは違う芋虫に指を伸ばした。

 祈りを込めて、選んだそれをつまむ。


「……はあ、はあ」


「……?」


 芋虫を凝視したまま小さく呼吸を整えているジルコニアに、カイレンがいぶかしんだ視線を向ける。

 それに気づき、ジルコニアは慌ててそれを口に放り込んだ。


「っ!」


 とろけるような甘さが口いっぱいに広がり、ジルコニアの表情が緩む。

 どうやら祈りは天に届いたらしい。

 ジルコニアは神など信じてはいないのだが、この時ばかりは神に感謝したい気持ちになった。


「……そんなに美味いのか?」


 『アタリ』を引いてほっとしたこととチョコレートの甘さとが相まって、ジルコニアの表情は実に幸せそうだ。

 そんな彼女を、カイレンが心底不思議そうに見つめる。


「ええ、本当に美味しいわ。ほら、あなたも1つ食べてみる?」


 そう言って、先ほど見つけた『ハズレ』の芋虫をつまみ、カイレンに差し出す。


「ほ、本当に美味いんだな?」


「美味しくなければ、あの娘みたいに今頃吐き出してるわよ」


「そ、そうだな。よし」


 カイレンはそれを受け取ると、ぽいっと口に放り込んだ。

 そして2、3回ほど咀嚼し、動きを止める。


「ぐっ……」


「あら? お口に合わなかったかしら?」


 くふふ、と心の中で笑いながら、小首を傾げるジルコニア。

 カイレンはテーブルにあったジルコニアの飲みかけのお茶をひったくるようにして取り、一気に喉に流し込んだ。

 げほげほとむせながら、涙目でジルコニアを見やる。


「あんた、こんなものを平然と食えるなんて、マジですげえよ。だてに『常勝将軍』なんて呼ばれてないな……」


「大げさね。好みが違うだけじゃない」


 うふふ、とジルコニアが微笑む。

 カイレンは息をつくと、改めて口を開いた。


「ええと、別に芋虫の味見をしに来たわけじゃないからな。せっかくだし、実りのある話をしよう」


 そう言って、テーブルに両手を載せて組み、ジルコニアを見つめる。


「預かっているジルコニア殿の鎧を見させてもらったが、なかなかいい鎧だな。俺たちのものと比べても、遜色ないくらいだ」


「それはどうも」


「しかし、そちらも鉄を発明しているとは知らなかったよ。ああ、こっちではあの金属のことを『鉄』って呼んでるんだ。そっちは?」


 そう言われ、ジルコニアは「おや?」と内心首を傾げた。

 言われてみれば、まったく別々の地域で発明された同じ金属に、それぞれの地域で同じ呼称というのはおかしな話だ。

 鉄という名称は一良から教えられてジルコニアたちも呼んでいるのだが、バルベールでも同じく鉄と呼んでいるらしい。

 どういうわけかは分からないが、ここで嘘を言っても仕方がないので素直に答えることにした。


「こっちも『鉄』って呼んでるけど?」


「……何? 新しい金属なのに、呼び名が同じだと?」


「ええ、そうよ」


 怪訝そうな顔で問うカイレンに、ジルコニアは頷く。

 そして、これは、と閃いた。

 もしかしたら、相手は勝手に鉄の情報を漏らした者が内部にいると考えてくれるかもしれない。

 自分がわざとそう言っていると考えるかもしれないが、事実、数か月前からアルカディアでも市民たちに鉄器は普及し始めているし、皆がそれを『鉄』と呼んでいる。

 彼らとて、アルカディアで鉄器が広まっているという情報は掴んでいただろう。

 だが、『鉄』という呼称がアルカディアでもなされているということを、カイレンは今まで知らなかったのかもしれない。

 『アルカディアでも鉄器が広まっている』といった報告を受けても、それは自分たちが鉄を知っているから『鉄器がある』と報告しただだけで、こちらが『鉄器』という呼称を使っているという報告にはならないからだ。

 情報伝達の落とし穴、とでも言ったところだろうか。


「……まあいい。それで、その鉄器なんだが、アルカディアでは5年前に発明されたとティティスから聞いているんだが」


「そうだけど、それがどうかした?」


「黒曜石を造れるようになったのも、同じ時期なのか?」


「……黒曜石? 黒曜石って作れるの?」


 ジルコニアが怪訝そうな顔で問い返す。

 予想外の質問に、危うく反応してしまいそうになった。

 まさか闇市に少量ずつ流している色付きガラスについてまで、彼が調べているとは思わなかったからだ。

 そんなジルコニアに、カイレンが、にっと笑う。


「いやいや、今さらとぼけなくてもいいじゃないか。そっちみたいに、こっちは綺麗な黒曜石が作れなくてな。どうやってるのかと気になってたんだ」


「何を勘違いしているのか分からないけど、黒曜石をアルカディアで作ってるなんて話は聞いたこともないわ。そんな方法、こっちが教えて欲しいくらいよ」


「んー、そうか。まあ、教えたくはないよな。しかし、天才が1人現れただけで、こうも技術が発展するとはなぁ。同じ人間だってのに、どうしてこうも頭の作りがちがうのかね」


 軽い調子で話すカイレン。

 ジルコニアは表情を変えないながらも、彼が誰のことを言っているのかといった考えが頭の中を駆け巡っていた。

 相手方にはアロンドが亡命していて、こちらの情報をすべて流しているはずだ。

 となれば、カイレンが言っているのはバレッタのことだろう。

 復興当初こそ一良が主導して道具の開発を行っていたが、大々的に道具の生産を開始してからは表立って動き回っていたのはバレッタだ。

 一良はその補佐的な立ち位置だったうえに、道具の開発ではアロンドとバレッタはよく一緒に行動していた。


「ぜひ、今度そいつを紹介して欲しいな。国同士のいがみ合いが終わった後にさ」


「……実りのある話を、とか言って、尋問みたいな真似をするのね」


 ジルコニアは頬杖をつき、顔を背けてため息をつく。

 このまままともに話していては、何かしら反応をしてしまったり、余計なことをしゃべってしまいそうだ。

 こんなことなら、捕虜になった際の対応の仕方をマクレガーあたりに講義してもらえばよかった。


「ん? そんなつもりじゃなかったんだがな。こんな綺麗なご婦人に、尋問だなんてとんでもない」


 飄々とした調子で話すカイレン。

 ジルコニアは顔をしかめ、彼に不快そうな目を向ける。


「あ、それはそうとだな。収監場所の変更の提案があるんだ。話しに来た本来の目的はこっちでな」


 機嫌悪そうにしているジルコニアに、カイレンが慌てた様子で口を開く。


「これからもずっとここで生活っていうのも、かなり辛いだろ? 砦の中央にある宿舎の一室を、ジルコニア殿のために用意したんだ。窓には格子を付けさせてもらったけどな。移るだろ?」


「いいえ、ここでいいわ」


 ジルコニアが即座に応えると、カイレンが驚いたような顔になった。


「え、いや、ここは窓もないし、臭いはこもるし風呂は使えないしで生活し辛いだろ。わざわざこんな陰鬱な場所にいなくてもいいと思うんだが」


「あなたたちバルベール人がうろつく中で生活するなんて耐えられないの。牢獄みたいに隔離されたこの場所のほうが、よっぽど落ち着くわ」


 その言葉に、カイレンが口を閉ざす。

 ジルコニアが領主夫人となった経緯はアルカディア国内では噂として意図的に流布されており、カイレンもそれは間者からの報告で知っていた。

 彼女がバルベールを憎悪していることも、もちろん承知済みである。

 彼女の態度に、ティティスの姿が脳裏に浮かんで言葉に詰まってしまった。


「この場所を動くつもりはないから」


「そ、そうか。分かった」


 顔色を変えたカイレンに、ジルコニアはいぶかしんだ視線を向ける。

 明らかに狼狽しているように、ジルコニアの目には映っていた。


「……そろそろ休みたいんだけど、もう出て行ってもらえる?」


「……ああ」


 カイレンは席を立ち、部屋を出て行った。

 ジルコニアは少しの間彼が出て行った扉を見ていたが、気を取り直すと芋虫を数える作業に戻るのだった。

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