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176話:「吐いてないです」

 数日後。

 バルベール軍の占領下にある砦の宿舎の一室に、ジルコニアの姿があった。

 ティティスと並んで椅子に腰かけ、2人とも黙って対面にいる男たちに目を向けている。

 解放された市民と兵士たちが無事にイステリアに到着したことを伝えに来たアイザックと、第10軍団との交渉の任を担ったマクレガーだ。

 部屋の壁際には、第10軍団長のカイレン、そして、にこにこと微笑むフィレクシアが控えている。

 互いの側に護衛の兵士が控えており、その数は両方とも10人ほどだ。


「……そう。全員無事にイステリアに着いたのね」


 ふう、とジルコニアがほっとしたため息をつく。


「ナルソンやリーゼたちは? イクシオスは無事なの?」


「はい。イクシオス様は重傷を負いましたが、今は快方に向かっております」


 やや緊張した声で、アイザックが答える。

 

「他の皆様は、怪我も病気もしておりません。皆様、ジルコニア様の身を案じておられました」


「そう、よかった。私は大丈夫だから、心配しないように伝えてあげて」


「かしこまりました」


 うやうやしく、アイザックが頭を下げる。

 すると、隣にいたマクレガーが壁際のカイレンへと目を向けた。


「軍団長殿、我が国は、貴国の協定違反に強く抗議いたします。今すぐジルコニア様を解放し、この砦から退去していただきたい」


 マクレガーが言うと、カイレンは表情一つ変えずに口を開いた。


「それはできない。今回の砦への攻撃は、そちらの手の者が我が国の村や隊商を襲ったことに対する報復だ。こちらは何度も抗議をしたが、一向に襲撃は止まなかった。すべての責任はアルカディア側にある」


 あまりにも無茶苦茶な言い分に、マクレガーが顔をしかめる。

 そもそも、アルカディア人がバルベールの村や隊商を襲ったという事実すら確認できていないのだ。

 村を丸ごと壊滅させることができる規模での襲撃となると、それこそ数十人では利かないほどの人員が必要になる。

 そんな数の人間が頻繁に、それも砦周辺の国境沿いという限られた範囲内で襲撃を繰り返してアルカディア国内に逃げていたのであれば、監視を強化していたアルカディア側がその者たちを捕捉できないはずがない。

 だが、ここで激高してバルベールに啖呵を切るわけにはいかない。

 マクレガーはナルソンから、アルカディアの戦意は低いような印象を与えろと指示を受けているからだ。

 相手が砦の戦力を早急に増強させるようなことにつながる可能性は、極力排除する必要がある。


「……しかしながら、軍団長殿。我が国としては、その襲撃がアルカディア人によるものだという事実は確認できておりません。それに、たとえそれが事実だったとしても、今回のこの砦への攻撃は重大な協定違反です。本来ならば、貴国はアルカディアをはじめとする全同盟国と再び戦争状態に突入するような事案なのです。ですが、我々はそれを望んでおりません」


「ああ、それは私も同意見だ。これが原因でまた戦争再開なんて、誰も望んじゃいないからな」


 真面目な顔で答えるカイレン。

 どの口が言う、とマクレガーは内心思いながらも、同意するように頷く。


「はい。ですが、今回の件はかなりの大事です。我がイステール領だけで処理しきれる問題ではありませんので、王家と意見を取りまとめた後、貴国の元老院と直接交渉する場を設けさせていただきたいのです」


「いいだろう。会談の場を設けよう。時期は追って伝えるから、そちらも準備しておいてくれ」


「はい。では、そのように。アイザック」


 マクレガーがアイザックをうながす。

 アイザックは傍らに置いておいた木箱を、ジルコニアの前へと差し出した。

 何だろう、とジルコニアが小首を傾げる。


「これは?」


「ナルソン様からの差し入れです。いつも夕食後に食べていたデザートとのことで」


「……ああ、わざわざ持ってきてくれたの。嬉しいわ。ありがとうって伝えておいて」


 にっこりと微笑むジルコニア。

 アイザックも、ぎこちないながらも笑顔を浮かべた。


「かしこまりました。それと、好きだからといって食べ過ぎないように注意しろとおっしゃられていました。食べても、一日10匹までにするようにと」


「ええ、分かったわ」


 『匹』、という単語にジルコニアは内心首を傾げたが、それは表に出さずにすぐに頷いた。

 アイザックとマクレガーは席を立ち、一礼すると護衛とともに部屋を出て行った。

 隣に座っていたティティスはそれを見届けると、ふう、と息をついた。


「ジルコニア様、これにて約束は果たされました。私の人質としての役目は、これで終わりということでよろしいでしょうか」


「……そうね」


 ジルコニアが頷くと、壁際にいた兵士の一人が鍵を手に歩み寄った。

 それぞれの手を繋げている鎖の鍵を外し、再び下がる。


「ジルコニア殿、もう剣は必要ないだろう。預からせてくれ」


「どうぞ」


 ジルコニアは腰のベルトを外し、長剣と短剣をテーブルの上に置いた。

 袖に仕込んであった小型の短剣も取り外し、それに添える。

 当然ながら捕虜になった初日に身体検査はされているので、これ以外にジルコニアが武器を所持していないことはカイレンも承知済みだ。

 兵士が歩み寄ってそれらを回収すると、カイレンは「さて」と彼女の前に置いてある木箱に目を向けた。


「食べ物が入っているとのことだが、中身を確認させてもらってもいいかな?」


「お好きにどうぞ」


 カイレンがテーブルに歩み寄る。

 すると、それにくっついてフィレクシアもトコトコと近づいてきた。

 先ほどから一言も言葉を発しないのは、先日勝手にジルコニアと話してティティスに(その後でカイレンにも)怒鳴られたからだ。

 一言もしゃべらないなら面会に同席してもいい、と言われてここにいる。

 カイレンが木箱に手をかけ、蓋を開けた。


「……ん? なんだこ……おわあっ!?」


 中身を確認した途端、カイレンは叫び声を上げて大きくのけぞった。

 一緒に中身を覗き込んだフィレクシアは、その姿勢のままで硬直している。

 かと思ったら、ばたん、とその場に倒れてしまった。

 ごん、と木の床に頭をぶつけた音が室内に響く。


「フィレクシアさんっ!?」


 ティティスが慌てて席を立ち、倒れ込んでいるフィレクシアに駆け寄った。

 フィレクシアは白目を剥いて、気絶しているようだ。


「えっ、な、なに? どうしたの?」


 何が起こっているのか分からないジルコニアだったが、箱から漂ってきた泥のような臭いに顔をしかめた。

 箱に手をかけ、中を覗き込む。


「……」


 ごっちゃりと詰め込まれた芋虫の燻製を目にし、ぴたりと動きを止めた。

 ぶわっと全身に鳥肌が立ち、さーっと顔から血の気が引いていく。


――何だこれは。


――いったい何がどういう理由で、ナルソンは自分に芋虫を送り付けてきたのか。


――まさか、この悪臭を放つものを毎日10匹食べろということなのか。

 

――そもそも、芋虫の芋という名称は、芋に似ているから芋虫ということでよいのだろうか。


――むしろ、芋という作物のほうが芋虫に似ているから芋と呼ばれるようになったのではないだろうか。


 混乱し過ぎて意味不明なことを考え始めたジルコニアの肩を、カイレンがぽんぽんと叩いた。

 ジルコニアは能面のような表情を彼に向ける。


「そ、それ、マジで食えるのか?」


「クエルワヨ」


 無表情のまま、ジルコニアが即座に答える。


「いや、その、貴国の食文化を否定する気はないんだが……それ、芋虫だよな?」


「イモムシヨ」


「マ、マジかよ……あ、いや! すまない! 失礼した!」


「イイノヨ」


 余程芋虫が苦手なのか、カイレンは口に手を当てて箱の方に目を向けないようにしている。

 ジルコニアはただ機械的に、カイレンの言葉に短く返事をしているだけだ。

 ティティスは倒れているフィレクシアの容態を診ていたが、まあ大丈夫だろうと判断すると立ち上がった。

 木箱を覗き込み、しげしげと大量の芋虫の燻製を眺める。


「これが、あの有名なアルカディアン虫なのですか?」


 女性の小指ほどの太さの、コの字に丸まった焦げ茶色をしたそれを1つ、つまみ上げる。

 ジルコニアは何とか平静を取り戻し、彼女に目を向けた。


「……いいえ、違うわ。別の虫よ」


「何という虫なのですか?」


「流木虫っていう虫の幼虫よ。水辺にある流木の中を探せば、簡単に見つかるわ」 


「そうなんですか。1つ、食べてもいいですか?」


「お、おい! 正気か!?」


 引きつった声を上げるカイレンに、ティティスはちらりと目を向ける。


「中に何か入っているかもしれないでしょう」


「だとしても、食うことはないだろ。ていうか、なおさら食うなよ」


「ジルコニア様への差し入れに、毒が入っていることはないでしょう。それに、個人的にどんな味なのか興味があります。見た目と臭いだけですべてを判断するのは早計かと」


「い、いや、しかしだな……」


 ティティスは摘まんだそれを、くるりと回して全方位から見まわしてよく確かめる。

 そして再び、ジルコニアへと目を向けた。


「ジルコニア様、いただいてよろしいでしょうか?」


「……別にいいけど」


「お、おい! やっぱりちょっと待て! まずはラタにでも食わせてから……」


「いただきます」


 カイレンが止めるのを無視し、ぱくっと口に放り込んだ。

 もぐもぐ、と二度ほど咀嚼して、ぴたりと動きを止める。


「お、おい、どうした!? 大丈夫か!?」


 カイレンが心配そうに声をかける。

 ティティスは口の動きを止めたまま、目だけを動かしてジルコニアと箱一杯の芋虫を交互に見た。

 くるりと方向を変え、スタスタと早歩きで扉へと向かい、そのまま部屋を出て行った。

 すぐさま、えずくような音が部屋の外から響き、数十秒して再び扉が開いてティティスが戻ってきた。

 目尻には涙が浮かび、ちらりと鼻水が出ているように見える。


「……非常に興味深い味でした」


「お前、今吐いてきただろ」


「吐いてません」


「いや、でもえずいて」


「吐いてないです」


 ティティスはカイレンを睨み付けると、ジルコニアへと目を向けた。


「ジルコニア様、大変申し訳ないのですが、その差し入れの入れ物は別のものと交換させていただきます」


「え、ええ。分かったわ」


 ジルコニアが頷くと、ティティスは兵士の一人に指示を出して箱を取りに向かわせた。


「それと、その芋虫の中に何か入っていないか、すべて半分に切断させていただきます」


「……いいけど、やるなら私の見てる前でやってもらえる? 他の場所でやられて、つまみ食いされたら困るし」


 誰も食わねえよ、と皆が一斉に思ったが、口に出すものはいない。

 ジルコニアがこんなことを言ったのは、先ほどアイザックが言っていた「1日10匹まで」という語句に注目していたからだ。

 おそらく、箱に入っている流木虫の数を10で割った数が、何かを意味する数字なのだろう。

 もしかしたら、自分を助けに来るまでの日数なのかもしれない。

 そうなると、ティティスたちに勝手に食べられたり捨てられたりして数が変わってしまうのはまずいのだ。

 自分の大嫌いな芋虫を差し入れとして持ってきたのは、差し入れに何かメッセージが込められていると気付かせるためだろう。

 それに、入れ物の木箱が取り上げられることはナルソンたちも予想していただろうから、この芋虫自体がメッセージだと考えて間違いない。


「カイレン様、芋虫のカットをお願いいたします」


「い、いや、俺は遠慮しておく。短剣を貸してやるから、ティティスがやれよ」


 カイレンが即座に断ると、ティティスは呆れたような視線を彼に向けた。


「そんなに虫が苦手なんですか?」


「す、すまん。そのイモイモした感じが本当にダメなんだ。ほら、これ使え」


「情けない人ですね……」


「生理的に無理なんだよ。見ただけで全身がかゆくなってくる」


 引きつった顔をしているカイレンから、ティティスがため息交じりに短剣を受け取る。

 木箱のフタをまな板代わりに、とんとん、と芋虫を半分に切り始めた。


「……なかなか臭いが強いですね」


 皆が無言で見守る中、ティティスが芋虫を切りながらぽつりと言う。

 半分になった芋虫が増えるに比例して、部屋に漂う泥のような臭いも強くなっていた。


「そ、そうね。でも、その臭みがクセがあっていいのよ。味も悪くないでしょう?」


 心にもないことを言うジルコニア。

 ティティスは芋虫に手を添えたまま動きを止め、先ほど食べた味を思い出して、うーん、と唸った。


「確かに、味と食感は悪くはないとは思うのですが……この臭いはかなり独特ですね。好みが分かれそうです」


 そのままティティスは手早く芋虫をカットし、数分ですべてを切り終えた。

 やれやれ、とポケットからハンカチを取り出そうとして、手を止めた。

 このハンカチは、『ごにょごにょ』な理由があって今は使えないのを思い出したからだ。


「カイレン様、ハンカチを貸してくださいませんか」


「お、おう」


 カイレンがハンカチを取り出し、ティティスに差し出す。

 それを受取ろうとしたティティスの手の指に、おや、と目を留めた。


「なんか、ずいぶんとべったり付いてるな。真っ黒だぞ」


「はい、何かくっついてしまって。舐めますか?」


「舐めるか!」


 ぽいっと投げられたハンカチをティティスはキャッチし、手に付いたそれを拭う。


――あれ、燻製よね。あんな風には付かないと思うんだけど……。


 ジルコニアはその様子を内心いぶかしみながら見つめる。

 そこに、新しい木箱を持った兵士が戻ってきた。

 ティティスはその箱に、カットした芋虫をザラザラと入れ、フタをした。


「ジルコニア様、大変お待たせいたしました。どうぞ」


「……」


 ことん、と置かれた芋虫入りの木箱を、ジルコニアは黙って見つめるのだった。

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