174話:命の選別
その日の昼食後。
ナルソン邸の調理場に、エイラとマリーの姿があった。
目の前の調理台には、皿に載せられた色とりどりのチョコレートが山盛りになっている。
その隣には、見本として用意された小皿一杯の流木虫の燻製も置かれていた。
燻製は焦げ茶色でしわしわした見た目をしており、かなりインパクトがある。
「どうしよっか……」
「どうしましょう……」
昼食後、2人は一良からダンボール箱一杯のチョコレートを渡されて、『これを加工して流木虫の燻製とそっくりなものを作ってください』と頼まれてしまったのだ。
チョコレートの扱いについては、エイラは深夜のお茶会の際にお菓子のレシピ本を一良と読んでいたので知っていた。
何度か食べたこともあり、味や食感についても承知済みだ。
一良たちは現在は屋敷におらず、新兵器製造のために軍事区画で職人たちと打ち合わせをしている。
こちらに戻ってくるのは、夕食前になるだろうとのことだ。
「マリーちゃん、芋虫料理って作ったことある?」
「はい。ルーソン邸で働いていた頃は、よく作っていました。アロンド様の好物だったので」
「そうなんだ。流木虫も扱ったことあるの?」
「はい。燻製も作ったことがありますよ。あと、生きたまま生でお出しすることもありました」
「い、生きたままって……うぇ」
食べる様子を想像してしまったのか、エイラが口元を押さえて嫌そうな声を漏らす。
エイラは虫が大の苦手であり、正直言って調理されたものですら触りたくないほどなのだ。
マリーは幼い頃から仕事で扱っているので、生きているものでも抵抗はない。
鳥やネズミのような小動物の解体から魚の捌き方まで、何でもござれだ。
「私、虫って苦手なんだよね……ぞわぞわってしちゃって」
「そ、そうなんですか……あの、それなら私が一人でやりますから」
「……ううん。大丈夫、頑張るよ。せっかくカズラ様が任せてくれたんだし」
むん、とエイラが両手で握りこぶしを作って気合いを入れた。
2人とも作業の目的は聞かされており、ことの重要性についても理解している。
苦手だとか文句を言っている場合ではないのだ。
「そうですか? では、まずは見本を切ってみましょうか」
マリーが流木虫の燻製を1つ取り、まな板に載せて包丁を添える。
とんっという音とともに半分になった流木虫の断面は、灰色がかった炭のような見た目だ。
それまでほのかに漂っていた泥のような臭いが、少し強くなった。
「……これ、見た目だけじゃなくて触り心地も同じにしないといけないんだよね?」
「『できるだけ似た感じに』とカズラ様はおっしゃっていたので、まったく同じではなくてもいいんじゃないですか?」
「んー、そっか。それなら何とかなるかな……臭いについては何も言われてないけど、どうしよっか」
「そうですね……でも、バルベールの人たちにチョコレートだとばれないようにしてジルコニア様に渡すことが目的ですから、わざわざチョコレートにまでこの臭いを付けなくてもいいんじゃないでしょうか」
「あ、それもそっか。これだけ臭うなら、チョコレートの香りも上書きされちゃうよね」
エイラがチョコレートを1つつまみ、くんくんと香りを嗅ぐ。
近くに持ってくれば甘い香りはするが、この程度ならばれないだろう。
「じゃあ、問題は外見と中身だね」
「はい。中身ですが、焦がしたクッキーを砕いて溶かしたチョコレートと混ぜてみてはどうでしょうか」
「うん、私もそれ思った。表面は少し焦げ茶色にしないといけないから、黒いチョコレートに少しだけ白いチョコを混ぜたのを塗ってみよっか」
「問題は頭の部分ですね……質感をどう表現すればいいんでしょうか」
「マメを炒ったものに茶色のチョコレートを薄く塗ってみたらどうかな?」
「あ、それならいいかもしれないですね! あと、芋虫の形にするのに型も用意しないと」
わいわいと言葉を交わしながら、芋虫チョコ作りに精を出す。
熱湯を注いだ木のボウルの上に銅のボウルを浮かべ、チョコレートを入れてゆっくりと溶かす。
「明後日の朝までに150個以上……間に合うでしょうか」
溶けていくチョコレートを見つめながら、マリーがつぶやく。
ジルコニアには1日に10粒食べさせたいとのことで、可能な限りたくさん作るようにと言われていた。
同時に本物の流木虫も食べることになるので、かなりの量の芋虫型食品を毎日食べることになるはずだ。
「そうだね……でも、私たちで何とかしないと」
バレッタと一良は、職人たちへの指示が終わり次第グリセア村へと出発する予定である。
目的はもちろん、村にある兵器の回収と村人たちへの協力依頼、そして日本での道具と物資の調達だ。
エイラとマリーはチョコ作り優先ということで、同行しないことになっている。
「カズラ様にお願いしないといけないことがあったら、今日中にしないとですね。今回はいつもより戻ってくるのが遅くなるかもっておっしゃってましたし」
「……」
「エイラさん?」
返事をしないエイラに、マリーは顔を向けた。
エイラは何やら考え込んでいるようで、じっとボウルのチョコレートを見つめている。
「そうだね。今日中に……言わないと」
「は、はい」
思いつめたように答えるエイラを、マリーは怪訝そうに見つめる。
「エイラさん、あの、どうし……」
「ごめん。私、ちょっとカズラ様のとこ行ってくる」
マリーの言葉を遮ってエイラはそう言うと、ぱたぱたと調理場を出て行ってしまった。
数日後の午後。
一良はバレッタとともに、グリセア村へと戻ってきていた。
村にある兵器をすべて持ち出すということになっているため、大量の荷馬車も一緒である。
村人たちは全員集まっているようで、村の入口から遠巻きにこちらを見つめている。
「カズラ様、ようこそおいでくださいました」
出迎えた鎧姿のシルベストリアが、馬車を降りた一良に頭を下げる。
心なしか、表情が硬い。
「ご苦労様です。村に変わりはありませんか?」
一良の問いに、シルベストリアが頷く。
「あれから特に変わりありません。……カズラ様、バルベールが休戦協定を破棄して侵攻してきたと聞いているのですが」
「……ええ。国境沿いの砦が奇襲攻撃を受け、陥落してしまいました」
一良が答えると、シルベストリアは自らの胸に右手を当てた。
「徴兵と予備役の緊急召集も始まっていると聞いています。私も騎兵隊に復帰させてください」
「騎兵隊に……ですか」
「はい。スラン家の者として、こんなところで一人のうのうとしているわけにはいかないのです。騎士としての務めを果たさせてください」
その言葉に、一良は少し顔をしかめた。
「……その言い草は感心しませんね。この村の警備も重要な任務ですよ」
「あっ! も、申し訳ございません! そんなつもりでは!」
「貴女にとっては不本意でしょうが、この村はアルカディアにとって――」
「シルベストリア様、もうしばらくの間、ここで警備を続けてくださいませんか?」
珍しくきつい口調で一良が話しだしたところで、バレッタが横から口を挟んだ。
「ナルソン様には、誰か代わりの人を用意していただけるように私からお願いしてみます。すぐには無理かもしれないですけど、なるべく早く騎兵隊に復帰できるようにお願いしておきますから」
「……」
黙ってうつむくシルベストリア。
それを見て、一良も自分が苛立っていたことに気付き、深呼吸した。
状況が状況なだけに、心に余裕がなくなっていたようだ。
この先起こるであろう色々なことが気になって、最近はあまりよく眠れていないことも大きいのだろう。
「……バレッタさん、俺は先に向こうに行ってきます。後のこと、お願いしますね」
「分かりました。いつ頃戻れそうですか?」
「んー、ちょっとあちこち回るつもりなんで……今夜は戻ってこれないかな」
「そうですか……村の皆に相談しに行くのは、戻ってきてからにしますか?」
「あ、そうか。やっぱりそっちを先に……」
「グレイシオール様!」
2人が話していると、シルベストリアが片膝を突いて一良に頭を垂れた。
「差し出がましいことを言ってることは、重々承知しております! ですが、私は――」
「ちょ、ちょっと、シルベストリアさん!」
大声でグレイシオールと呼ばれてしまい、一良は慌ててシルベストリアの言葉を遮った。
少し離れた場所で3人の様子を見守っていた付き人たちは、ぎょっとした顔になっている。
「とりあえず、村に入って話しましょう。ほら、立ってください!」
立ち上がらせたシルベストリアを連れて、速足で村のなかへと向かう。
不安そうな眼差しを向けてくる村人たちの間を抜けて、3人は村の門をくぐった。
村人たちからだいぶ離れたところまで歩き、一良は立ち止まってため息をついた。
「シルベストリアさん、もしかして、全部知ってるんですか?」
「は、はい……」
頷くシルベストリアを見て、一良はバレッタに目を向けた。
「あ、いえ、私は何も……」
「も、申し訳ございません。私が無理やり、アイザックから聞き出してしまって……」
気まずそうに、シルベストリアは地面に目を向けて言う。
「それって、いつのことです?」
「村の守備隊への配属が決まった日に……」
「……そうですか」
心底疲れた声を、一良が漏らす。
まさかアイザックがそんなことをしでかしているとは、夢にも思っていなかった。
「あ、あの、カズラさん。アイザックさんは、きっとシルベストリア様だから話したのであって、誰にでもっていうわけじゃ……」
それを見て、バレッタが慌ててフォローを入れた。
バレッタにとって、アイザックもシルベストリアも信頼できる人物なのだ。
勝手に一良のことをシルベストリアに漏らしていたのは問題だが、彼女がそれを方々に言いふらすような人間ではないことも知っている。
アイザックも、彼女だからこそ打ち明けたのだろう。
それを一良に報告していなかったのは、問題ではあるのだが。
「うん、分かってますよ。大丈夫です」
「は、はい……」
バレッタはなおも、心配そうな目を一良に向けている。
一良はそれには構わず、シルベストリアに向き直った。
「シルベストリアさん、騎兵隊に戻るということは、バルベールとの戦いに加わるってことなんですよ?」
「もちろん承知しております。そのために、私は騎兵隊に戻りたいのです」
「本当にいいんですか? 少なくとも、ここにいれば――」
「グレイシオール様、私はスラン家の人間なのです」
シルベストリアは先ほどのように胸に手を当て、切に訴えるような表情を一良に向ける。
「私はイステール家のための、そして領民のための剣なのです。私の命は、そのためにあります」
シルベストリアが腰を90度に折り、頭を下げた。
「どうか、どうか私を騎兵隊に!」
叫ぶように懇願し、そのままぴくりとも動かない。
その様子に、一良は小さくため息をついた。
「……分かりました」
一良が絞り出すような声を出す。
すると、シルベストリアはばっと顔を上げた。
その表情は歓喜に満ちている。
「あ、ありがとうございます! では、すぐにでも!」
「いえ、先ほどバレッタさんも言いましたが、すぐにというわけにはいきません。数カ月以内に代わりを寄越しますから、それまではここをお願いします」
「す、数カ月ですか……?」
歓喜から一転、シルベストリアが泣きそうな顔になる。
そんな彼女に、一良は苦笑した。
「そんな顔しないでください。少し時間はかかりますけど、ちゃんと約束は守りますから」
「はい……」
シルベストリアは数秒うなだれていたが、すぐに表情を取りなすと一良に向き直った。
かかとを揃え、胸に拳を当てて敬礼する。
「では、それまでの間、村の警備に専念いたします!」
「お願いします。とりあえず、村の外の人たちに上手く言い訳してきてくれませんか? みんなびっくりしていたので」
「かしこまりました! 誤魔化してまいります!」
張りのある声で元気に返事をし、彼女は村の外へと駆け戻っていった。
「カズラさん……」
それを見送る一良の腕に、バレッタがそっと触れた。
一良は去っていくシルベストリアの背を見つめたままだ。
「……これでもし彼女が死んでしまったら、俺のせいですね」
「そ、そんな……そんなことは……」
バレッタはそう言うが、言葉に力がない。
先ほどはバレッタもシルベストリアの申し出を後押しするような発言をしたが、そこまでは考えていなかったからだ。
結局一良に選択させてしまったと、自分の浅はかさを後悔した。
「イステリアを出る前、エイラさんが俺を呼びに来たじゃないですか」
「え? あ、はい。ありましたね」
数日前、イステリアの軍事区画で職人たちと兵器生産の打ち合わせをしていた時のことだ。
息を切らせたエイラが、一良に話があると言って、一良一人を連れ出したのだ。
ものの数分で一良は戻ってきたのだが、エイラと何を話してきたのか一良は何も言わなかった。
バレッタとしてはかなり気になったのだが、聞くような真似はせずにそれっきりにしていた。
隠しごとはしないと約束はしたが、互いにすべてを報告し合うといったことを押し付ける気はなかったからだ。
「あの時、エイラさんにお願いされたんです」
「お願い、ですか? 何のです?」
「エイラさん、弟さんが2人、王都の学校に通っているらしいんです。それで、街で徴兵が始まったから、みんなイステリアに戻ってくるはずだって」
話が見えてこず、バレッタが小首を傾げる。
エイラには弟妹が4人おり、弟2人はエイラの仕送りで王都で賃貸住宅暮らしをしながら学校に通っている。
妹も2人いて、次女は美容師、末妹は調理師だとバレッタも以前聞いたことがあった。
「その弟さんたちや、エイラさんの家族や親戚の人たちを、軍団に編入しないように手を回して欲しいってお願いされて。イステリアの守備隊とか、比較的安全な任務に付けるようにして欲しいって」
バレッタは言葉を失った。
この状況で、よくもそんなことを一良に頼めたものだといった怒りで、一瞬目の奥が熱くなるような感覚さえ覚えた。
だがそれも数秒のことで、もし自分が彼女と同じ立場だったら、と考えてすぐに冷静になる。
きっと、自分も同じことをしていたに違いないのだ。
誰でも、大切な人を失うのは恐ろしい。
それを避ける手段があるのなら、使うのは当たり前だろう。
彼女を非難することなど、誰ができようか。
「変な話ですよね。立場が違うだけで、人の生き死にすら左右できるなんて。これじゃあ、まるで命の選別だ」
どこか他人事のように、一良は話す。
そんな彼の手を、バレッタはぎゅっと握った。
「私が、一緒です」
一良がバレッタへと目を向ける。
バレッタは一良を見上げ、微笑んだ。
「辛いときも悲しいときも、私が一緒です。何があっても、私はカズラさんの味方ですから」
「……うん」
一良は頷き、再び村の入口へと目を向けた。