169話:傍にいるから
無言で廊下を進み、2人はいつも使っている食堂の前へとやってきた。
「「あっ」」
2人同時にドアノブに手を伸ばし、引っ込める。
お互い顔を見合わせたが、バレッタは気まずそうにすぐ目をそらしてしまった。
「えっと、開けますね」
「は、はい」
誰もいない食堂に入り、一良はいつもの定位置に座った。
バレッタはその場に立ち尽くしたままだ。
「座らないんですか?」
「え、えっと……」
バレッタはいつもリーゼが座っている一良の隣の席に目をやり、少し悩んでから一良の対面の席に座った。
そのまま、肩を縮こまらせてうつむいてしまう。
「バレッタさん」
一良が声をかけると、バレッタがびくっと肩を跳ねさせた。
おずおずと、一良の様子をうかがうように少し顔を上げる。
「あ、あの、村の」
「ごめんなさいっ」
話し出そうとする一良の言葉を遮り、バレッタはそう言うとぎゅっと目をつぶって再びうつむいた。
一良は頭をぼりぼりと掻き、ため息をつく。
「どうして、黙ってこんなことを?」
「……」
バレッタはしばらくうつむいたままでいたが、やがて口を開いた。
「わ……私がカズラさんの代わりにって……戦争が始まったら、私が作ったものを使えば、だ、だから……」
バレッタは必死に話そうとするのだが、思考がぐちゃぐちゃになって上手く言葉がまとまらない。
馬車でコルツに宣言してから、バレッタは一良にすべてを打ち明けるべく話す内容を頭の中で整理したつもりだった。
だが、先ほど執務室で彼の愕然とした表情を見た瞬間、それまで考えていた内容がすべてが消し飛んでしまった。
彼に拒絶されてしまう、嫌われてしまうという恐怖で頭の中が埋め尽くされ、他に何も考えられなくなっていた。
「ぜ、全部私がって! で、でも、勝手に技術を盗んだりとかそんなつもりは」
「バレッタさん」
「ひうっ」
びくっと、バレッタが肩を縮こませる。
だが、続けて投げかけられた言葉は、バレッタの想像していたものとは全く別のものだった。
「……すまなかった」
バレッタが驚き、顔を上げる。
一良はテーブルに手をついて、頭を下げていた。
「……えっ、カ、カズラさん?」
「俺のために、全部背負い込もうとしてたんですね。気づいてあげられなくて、本当にごめん」
「っ! ち、違います! 私が勝手に先走って!」
頭を上げない一良に、バレッタが慌てて席を立ち、一良に駆け寄る。
「俺が最初から全部やるべきだった。俺が何もしないから、バレッタさんは」
「違います! カズラさんは何も悪くないんです! お願いですから顔を上げてください!」
バレッタが一良の手を取り、懇願する。
それでようやく、一良は顔を上げた。
「私が隠れて色々やってたのがいけないんです! 全部カズラさんに話すべきだったのに!」
「バレッタさん、でも俺は……」
「そんなふうに謝らないでくださいっ……お願い、ですから……」
ぼろぼろと涙をこぼして泣き出すバレッタ。
一良がバレッタの肩に手を添えると、バレッタは一良の胸に飛び込んだ。
「怖かったんです! カズラさんが全部嫌になって、日本に帰っちゃうんじゃないがっで! 戻っでぎてぐれなぐなっぢゃうんじゃないがっで!」
「バレッタさん……」
「どごにもいがないでぐだざい! 傍に、いてくだざい! うえええん!」
泣きじゃくるバレッタを、一良はぎゅっと抱きしめた。
バレッタも一良の背に手を回し、思い切りしがみつく。
バレッタはしばらく泣き続けていたが、やがて少し落ち着いてカズラの胸から顔を離した。
「あ……ぅ……」
「お、おおう……」
涙と鼻水でぐしょぐしょになったバレッタの顔から、カズラの上着に糸が延びていた。
一良はポケットからハンカチを取り出し、バレッタの顔を拭った。
「ず、ずびばぜん……」
「……ぷっ」
ごしごしと顔を拭かれながら言うバレッタに、一良は思わず吹き出してしまった。
「な、何で笑うんですか!?」
「いや、前にもこんなことあったなって」
「う……」
顔を真っ赤にして俯くバレッタ。
一良はその頭を、よしよしと撫でた。
「うう……何か、私泣いてばっかりです……」
「そうですねぇ」
「……カズラさん、酷いです」
「えっ、何で!?」
「……知りません」
バレッタが赤い目で、頬を膨らませて顔をそらす。
一良はバレッタの頭から手を下ろした。
「ずっと、傍にいますよ」
「……えっ?」
バレッタが顔を上げる。
一良は少し照れくさそうに、微笑んでいた。
「前にも言ったじゃないですか。俺は勝手にいなくなったりしませんし、ずっとバレッタさんの傍にいます」
「……え」
「もっと俺を信じて欲しいです。俺、頭は悪いし頼りないし、信用ならないってのは分かりますけど」
「そ、そんなことないです! 私、カズラさんのこと信じてます! それに、頼りなくなんてないです! 頭も悪くないです! すごく頭いいです!」
一良がわざと悲しそうに言うと、バレッタは慌てて叫ぶように言った。
その言いように、一良は再び吹き出すようにして笑ってしまう。
「な、何でまた笑うんですか!? 嘘じゃないですよ!?」
「うんうん、分かってます。俺もバレッタさんのこと、信じてますよ」
「はい!」
バレッタは勢いよく頷くと、急にみるみる顔を赤らめさせた。
どうしたのか、と一良が小首を傾げる。
「そ、その……あの……」
すると、かちゃりと扉が開いてマリーが部屋に入ってきた。
手にした皿には、海苔に包まれたたくさんのおにぎりが載っている。
「お食事をお持ちしました。パックご飯で作ったおにぎりです……が……」
半ば抱き合うようなかたちになっている2人の姿に、マリーは硬直した。
「あ、マリーさ――」
「も、申し訳ございません! 出直しまっ……きゃあ!」
慌てて踵を返して部屋から出ようとしたマリーだったが、扉が閉まっていることを忘れていたのか扉に体当たりしてしまった。
その衝撃で、2つのおにぎりが皿から転げ落ちる。
床に落下する直前、マリーは目にも止まらぬ速さで片手でそれらのおにぎりをキャッチした。
「……ナイスキャッチ」
「も、申し訳ございません……うぅ」
「と、とりあえず、それこっちに持ってきてもらっていいですかね。……いてて」
半泣きになっているマリーに一良は声をかけ、バレッタを立ち上がらせるのだった。