168話:奪還に向けて
屋敷に着き、一良とリーゼとハベル、そしてバレッタはそのまま執務室に集まっていた。
アイザックはいまだに目を覚まさず、別室でエイラとマリーが付き添っている。
疲労のあまりに眠っているだけとのことなので、心配はいらないらしい。
「……ジルコニアさんが解放される見込みは皆無、ですか」
ナルソンの話に、一良は表情を曇らせた。
両隣に座るリーゼとバレッタは表情を変えず、真剣な眼差しでナルソンの説明に耳を傾けている。
「はい。バルベールにしてみれば、この国の英雄である彼女は一番の邪魔者ですからな。いずれ解放するなどと言ってきておりますが、最終的には処刑されるかと」
淡々と、ナルソンが話す。
「砦の陥落、そしてジルを処刑することで、敵は我らの戦意を挫くつもりかと思われます。そのうえで降伏すればよし、そうでなくとも、砦を失ったアルカディアならば力押しで屈服させることができると踏んでいるでしょう」
「で、でも、それなら市民や兵士たちを解放したのはおかしくないですか? そのまま捕虜にしてしまうのが当然だと思うんですが」
「それは、我が国の民に厭戦気分を蔓延させるためです。今回の行為は、降伏すれば助かる、という意識を民に植え付けるためのものです。捕虜を解放したのは、その者たちによって噂が広がることを狙ってのことでしょう」
「……」
押し黙る一良に、ナルソンは椅子から背を離して身を少し乗り出した。
「民意が降伏に傾いては、戦には勝てません。そうなる前に砦を攻撃し、奪還する必要があります。また、防壁を打ち破る強力な兵器が我々にも必要です。カズラ殿、どうか力をお貸しください」
「お父様、お母様を見殺しにするのですか?」
黙って話を聞いていたリーゼが、静かに口を開く。
「砦を攻撃などしたら、それこそお母様は処刑されてしまいます。何か助ける手段はないのですか?」
「おそらくだが、ジルは自力で砦から脱出するつもりだ」
「「えっ」」
リーゼと一良が、同時に驚いた声を上げた。
堅牢な、そしてたくさんの敵兵が詰めている砦から、どうやって脱出するというのか。
「アイザックの話では、ジルは砦の西にある倉庫に囚われているらしい。あそこは、隣接する納骨堂の地下に繋がっているのだ。彼女はそこから脱出するつもりだろう」
「納骨堂……戦争で亡くなったかたたちのためのものですか?」
一良の問いに、ナルソンが頷く。
「はい。砦内にまとめて埋葬された者たちの遺骨が納められています。本来ならば故郷に帰すべきなのですが、当時はそんな余裕はなかったもので」
「そうなんですか……ご遺体の身元って、特定できているんですか?」
「大部分はできています。できていないものも、かなりありますが」
「なるほど……」
砦ではかなりの激戦が繰り広げられていたようなので、そういった身元不明の遺体が出てしまうのは仕方がないだろう。
ふと、バレッタの母親の遺骨は特定されているのだろうか、という考えが一良の頭に浮かんだ。
もちろんそんなことは口には出さず、質問の続きをすべく口を開く。
「それで、どうしてその納骨堂が倉庫の地下につながっているんです?」
「納骨堂の地下を広げていた際に、手違いで倉庫の地下部分にまで掘り進めてしまったためです。せっかく掘ったものを埋めるのももったいないということで、そのまま納骨堂として倉庫からも出入りできるようにして使うことになりました。といっても、その後しばらくして、倉庫からの出入口は塞ぐことになってしまいましたが」
「え? どうしてです?」
「納骨堂に幽霊が出るという噂が広まってしまったためです。倉庫番をした兵士たちから、『地下の納骨堂からうめき声がする』とか、『幽霊を見た』という話が多数出てしまいまして……騒ぎを収めるため、地下への階段部分に床板を打ち付けて塞ぐことになってしまいました」
「ゆ、幽霊騒ぎですか……」
幽霊と聞き、一良は過去に森の中で遭遇した黒髪の女性を思い出した。
コルツの話では『後で会いに行く』と彼女は言っていたとのことだが、もし幽霊であるとしたら勘弁願いたい。
「納骨堂が造られて遺骨が移される前にも、『墓地で火の玉を見た』といった報告が何度もありましてな……やはり、あれほどの死者が出ていれば、天に召されずに現世に留まってしまう者もなかにはいるのでしょうか」
「そ、そうかもしれないですね……ええと、じゃあ、ジルコニアさんにはすぐに脱出してもらうんですか? 本当に脱出できるのかという話はとりあえず置いといて」
一良の言葉に、ナルソンが首を振る。
「すぐに、というわけにはいきません。タイミングが重要なのです。早期にジルが脱出すれば、敵は交渉の余地なしとイステリアまで一気に攻め込んでくるかもしれません。こちらが体制を整えるまで、何とか時間を稼がねば。それに、脱出の手助けの手段も考えねばなりません」
「時間稼ぎですか……こちらが砦を失って弱腰になっていると思うように仕向けて、油断させるってことですかね?」
「はい。降伏前提で交渉をしている、といったように装えばよいかと」
「でも、そんなことをしている間にジルコニアさんが砦から移送されてしまう可能性はありませんか?」
「そうですな、時間が過ぎれば過ぎるほど、その可能性は高くなります。急がねば敵の本国からも砦に増援がくるでしょうし、敵の想定しえないくらい早期に砦を奇襲する必要があります。おそらくですが、敵の増援が砦に到着するまでには、どんなに短くても一カ月は猶予があるはずです」
「い、一カ月ですか。時間が足りるかどうか……クロスボウですら、ようやく生産体制が整った段階ですし」
「兵器なら、あります」
差し込まれた声に、皆がバレッタに目を向ける。
「対人用クロスボウの部品が1500組以上、スコーピオンが50以上、カタパルトという移動式投石兵器の試作品が1つ、殺傷力を向上させた特殊形状の鉄の鏃とクロスボウ用の矢が数千単位で、すでに出来上がっています。バルベールが持っている投石機よりもさらに強力な攻城兵器も、半月いただければ作り上げてみせます」
「え……バレッタさん?」
戸惑った声を漏らす一良に、バレッタが少し俯く。
「……今までずっと、村で武器を作り続けていたんです。黙っていて、ごめんなさい」
「作り続けていたって……いつから?」
「……き、去年の秋ごろから……です」
「……」
一良は言葉を失った。
昨年の秋といえば、一良がグリセア村を離れてからものの1、2カ月ほどしか経っていない。
その頃から今まで、一良は何度も村へ足を運んでいた。
それなのに、バレッタや村人たちがそんなことをしていたなどとはまったく気づかなかった。
バレッタなら、何かあれば必ず自分に相談してくれるものだと一良は思っていた。
彼女には絶対的な信頼を置いていただけに、隠れてそんなものを作っていたという事実に愕然としてしまった。
その時、一良の手がそっと優しく握られた。
隣に目をやると、リーゼが心配そうな目を向けてきていた。
それで何とか気を取り直し、ふう、と息をつく。
「……ナルソンさん、知っていたんですか?」
「はい」
ナルソンが即座に答える。
顔をしかめる一良に、リーゼが手を握る力を少し強めた。
「といっても、私が知ったのはつい1カ月ほど前です。ジルから報告を受けて、初めて知りました」
「ジルコニアさんから? じゃあ……」
「はい。バレッタからではありません」
その言葉に一良がバレッタに目を向ける。
バレッタは青ざめた顔で、膝で固く握った自身の手をじっと見つめている。
一良は再び、ナルソンに顔を向けた。
「約束を破って、村の中を探ったのですか?」
「いいえ。この間グリセア村に皆が行った時に、村長から聞いたとジルは言っておりました。彼に案内され、村の中にある倉庫で、それらの武器を見たと」
「村の皆には、何か指示を出したりしたのですか?」
「私は話を聞いただけで、村には何もしておりません。こんなことになってしまいましたので、そうも言っていられないと思って私からカズラ殿に話そうと思ったのですが、バレッタに先を越されてしまいましたな」
「……」
一良は、バレッタをちらりと見やった。
バレッタは何も言わず、黙ってうつむいたままだ。
「カズラ殿には、彼女と協力して兵器の増産に当たっていただきたいのです。村にある兵器も、すべて使わせていただきたいのですが」
「……分かりました。やるしかありませんね」
一良が頷くと、ナルソンはほっと息をついた。
「ありがとうございます。では、私はこれより会議がありますので、今後の方針については明日ご相談させていただければ」
執務室を出るなり、リーゼは大きくため息をついた。
「はあ。私、お風呂行ってこようかな。カズラとバレッタも、早く休んだ方がいいよ」
「……そうだな」
一良が疲れた声で返事をする。
バレッタは黙って、床を見つめている。
「ちょっとバレッタ、大丈夫?」
「は、はい」
「汗すごいよ。顔も真っ青だし」
「だ、大丈夫……です」
バレッタはそう答えるが、とても大丈夫そうには見えない。
「バレッタさん、これから一緒に食事にしませんか?」
「えっ」
一良の申し出に、バレッタが驚いて顔を上げる。
「リーゼ、マリーさんに食事を作ってくれるように伝えてくれないか。いつも使ってる食堂に持ってきて欲しいって」
「……うん、いいよ。ハベル様、行きましょう」
「はっ」
ハベルを連れて、リーゼはそのまますたすたと去っていった。
一良はそれを見送り、バレッタに目を向けた。
「バレッタさん、行きましょう」
「は、はい」
ぎこちない様子のバレッタを連れ、一良は食堂へと向かうのだった。
2人に背を向けて歩きながら、リーゼは大きくため息をついた。
「……はあ。私、何素直に言うこと聞いてるんだろ。バカだなぁ」
「そうですね」
「……ハベル様、強制労働期間3カ月延長です」
「冗談ですよ、真に受けないでください」
にこりと微笑むハベル。
リーゼは横目にそれを見てから、「あーあ」と声を漏らした。
「なんだかなー、もうどうすればいいんだろ」
「どうすれば、とは?」
「カズラのことです。もう、どうしたらいいのか」
「気にせず奪い取ればいいじゃないですか」
「ええ……」
非難めいた視線を向けられ、ハベルが苦笑する。
「そんな目で見ないでください。それに、他人を出し抜いてでも欲しいものは手に入れなければ、後悔するのはご自分ですよ」
「そうは言いますが……」
「それに、昔のリーゼ様なら迷わずそうされていたのでは?」
「……言ってくれますね」
「無難な言葉を並べたほうがよろしかったでしょうか」
「……」
頬を引くつかせるリーゼに対し、ハベルはすまし顔だ。
「優先順位の問題かと思います。それほど複雑な話ではないのでは?」
「そんな簡単に割り切れるわけがないでしょう」
「ですから、できるできないの話ではなく、割り切らなければご自分が辛い思いをすることになるのではと」
「……」
分かれ道に来たところで立ち止まり、リーゼが床に目を落とす。
「……私、間違っているのでしょうか」
「私ならそうするのにな、と思ったことを申し上げただけです。何が正解かなど、人それぞれです」
「……うー」
「後悔だけは、されませんよう。先ほども申し上げましたが、優先順位の問題ですよ」
リーゼはしばらく唸っていたが、ハベルを上目づかいで見上げた。
「ハベル様が羨ましいです。他を切り捨ててでも損得だけで判断できるようになるには、どうすればいいのでしょうか」
「そ、それはさすがに……あんまりな言い方かと」
「でも、そうなんでしょう?」
「違います。それに、先ほどのは優先順位の話をしただけですよ」
ハベルが答えると、リーゼは真顔になってハベルの瞳をじっと見つめた。
その見透かされるような視線に、ハベルは内心少したじろいだ。
それを見て、リーゼが少し意地悪な笑みを浮かべる。
「……ふーん」
「な、なんでしょうか」
「いえ、なんでも。失礼なことを言ってごめんなさい。私、お風呂に行くので、マリーとエイラに伝言お願いしますね。食事は急いで持っていくように、伝えてください」
そうして軽く会釈をし、去っていった。
ハベルはその背を見送り、冷や汗を掻きながら息をつく。
「……なるほど、兄上が手を引くはずだ」
そう言って納得したように頷き、マリーたちがいる部屋へと歩いて行った。