162話:奇襲攻撃
「次の攻撃が来ます! 早く!!」
バレッタが一良を柵から引きはがし、腕を引いて防御塔内の階段を駆け降りる。
塔の外へ飛び出した2人は、目の前に広がる光景に唖然とした。
砦内に造られた市民の住居の屋根の1つに、大穴が空いていた。
少し離れた場所には、地面にめり込むようにして大きな丸い石が落ちている。
破壊音に気付いた市民が、ちらほらと家の外に出てきていた。
「敵襲です! 警鐘を鳴らしてください!!」
防壁の上から呆然と砦内を見下ろしている警備兵に、バレッタが大声で呼びかける。
警備兵は、はっとした様子で駆けだして行った。
すぐに、カンカン、と鐘の音が鳴り響く。
「こっちへ!」
バレッタに手を引かれ、一良は宿舎へと向かって駆け出した。
あちこちの建屋から、警鐘に気づいた市民が外に飛び出してきている。
そのまましばらく走り、宿舎へとたどり着いた時。
すさまじい破壊音が、後方から響いた。
石弾が防壁に直撃したのだ。
「カズラさん! 何があったのですか!? あの警鐘と今の音は!?」
鞘に収まった長剣を手に寝間着姿のまま外に飛び出してきたジルコニアが、2人の下に駆け寄る。
「や、奴らがトレビュシェットを……」
「バルベールの攻撃です! 石弾を投擲する大型の攻城兵器で、北側の防壁を破ろうとしています!」
動揺してしどろもどろになっている一良に代わり、バレッタが答える。
ジルコニアは一瞬言葉を失った様子だったが、すぐに宿舎の中へと駆け戻っていった。
「カズラさん、敵が攻め込んでくるかもしれません! すぐに砦を離れましょう!」
「えっ、で、でも、俺たちだけ逃げるわけには……」
「そんなこと言ってる場合じゃありません! ここが戦場になるかもしれないんですよ!?」
バレッタは脇目も振らずに、一良の手を引いて馬車が停めてある広場へと向かおうとする。
一良は引きずられるようにして数歩進んだが、足を止めた。
「カズラさん? どうしたんです、早く……」
「ダメです。ここを離れるわけにはいきません」
硬い表情で言い切る一良に、バレッタが怪訝な顔を向ける。
「何がダメだっていうんですか!? 一刻も早く砦を出ないと!」
「敵の攻撃が始まって、俺みたいな立場の人間が真っ先に逃げだしたら、ここにいる市民や兵士たちはどう思いますか? それこそ、取り返しがつかないことになります」
「それが何だっていうんですか!? 敵が攻め入ってきたら、逃げられなくなるかもしれないんですよ!?」
「それでも、今は逃げるわけにはいきません。逃げるとしたら、本当に逃げる以外に手段がなくなってからです。市民より先に俺たちだけ真っ先に逃げるなんて、絶対にダメです!」
「カズラさん……」
「宿舎に戻りましょう」
一良はバレッタに握られていた手を解くと、宿舎へと走り出した。
バレッタは仕方なく、その後を追って駆け出した。
「警鐘!? バルベールの攻撃か!?」
「ナルソン様はどこだ!? 俺たちはどこに向かえばいい!?」
「警備兵は装備を整えて、宿舎の外に集合しろ! 歩兵中隊の宿舎にも、誰か伝えに行け!」
2人が戻ると、宿舎の中は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
警備兵や侍女たちが慌てた様子で、ばたばたと廊下を行き来している。
「カズラッ!」
廊下の奥から、鞘に収まった長剣を手にしたリーゼがエイラとともに駆け寄ってきた。
リーゼはいつものように早朝訓練をしていたのか、髪は一つにまとめており、私服姿だ。
「何があったの!? あの警鐘は!?」
「バルベールが攻撃を仕掛けてきた。大きな石弾を飛ばす攻城兵器で、北の防壁を破ろうとしてる。砦内に攻め込んでくるかもしれない」
「そんな……」
「カズラ様、お怪我を!?」
エイラがはっとした様子で、一良の頬に手を添えた。
一良の頬には、小さな擦過傷ができて薄っすらと血が滲んでいた。
「え? ああ、塔を攻撃された時に破片で切ったのか……」
一良は自身の頬を手でなぞり、指先にわずかに付いた血を見てどこかぼんやりと言う。
敵による投石攻撃を直に目にしてはいたが、いまだに現実感が希薄でどこかふわふわした感覚が頭にこびりついていた。
リーゼはぐっと歯を噛みしめると、まっすぐに一良を見つめた。
「カズラ、私が戻ってくるまで、ここで待ってて。エイラ、バレッタ、カズラをお願い」
「リ、リーゼ様、待ってください!」
「ちょ、お前、どこに行く気だよ!?」
駆け出そうとするリーゼの腕を、エイラと一良が同時に掴む。
「北の防壁。敵を迎え撃つわ」
「お前が行ったってどうにもならないだろ! それよりも、ナルソンさんやジルコニアさんたちのところへ行かないと!」
「そんな悠長なことしてられないわ。防壁が破られそうなら、一刻も早く向かわないと」
「だ、だから、お前が行ってどうするんだよ!」
「兵士たちが命がけで戦うって時に、私だけ後ろでぼんやりしてるわけにはいかない。私も戦う」
「何を言ってるんだ! 第一、お前は実戦経験なんてないじゃないか!」
リーゼは2人に手を放させると、一良に向き直った。
落ち着かせるように、ゆっくりとした口調で口を開く。
「そんなの、誰だって最初はそうだよ。それに、今はそんなこと言ってる場合じゃないの」
「死ぬかもしれないんだぞ!? 俺たちと一緒にいろよ!」
「死ぬかもしれないのは誰だって同じだよ」
「だからって、お前が直接戦う必要は……」
「リーゼ様」
リーゼと一良が押し問答をしていると、廊下の奥から数名の兵士を引き連れたイクシオスがやってきた。
イクシオスは普段通りの様子で、まったく慌てた様子は見られない。
「カズラ様のおっしゃるとおりです。気持ちは分かりますが、ご自重ください」
淡々とした口調で、イクシオスが言う。
そんな彼に、リーゼは睨みつけるかのような視線を向けた。
「イクシオス様、私はイステール家の人間です。腑抜けた姿を、臣下や領民に見せるわけにはいかないんです。こんな時こそ、先頭に立って戦わねばなりません」
「先頭に立って戦わずとも、誰もあなたを腑抜けだなんて思いません。それよりも、あなたにはやっていただかねばならないことがございます」
リーゼがいぶかしんだ視線をイクシオスに向ける。
「現在、この砦には多くの市民が生活しております。彼らのとりまとめをお願いしたいのです」
「そんなこと、私ではなくてもできるはずです。私は兵たちとともに、攻めてくるバルベール軍と戦います」
「もちろん、それもしていただきます」
「ちょ、ちょっと、イクシオスさん!」
慌てて声を上げる一良に、イクシオスは「口を挟むな」とでもいうような視線を向けて黙らせる。
「敵は最低でも2個軍団はいるはずです。それに対して、こちらは2個中隊とあなたがたに付き添っている護衛兵のみ。このままでは、戦力が足りません。市民の中から従軍経験者をかき集め、武器を持たせて防壁まで戻ってきてください。リーゼ様には、彼らの指揮をお願いいたします」
「に、2個軍団も……? いえ、それよりも、市民のとりまとめは私でなくても」
「あなたが最も適任なのです。今後のためにも、人民の信望が厚いあなたがやるべきです」
リーゼは数秒黙ったが、イクシオスの弁に納得がいったのか頷いた。
「分かりました。ただし、非戦闘員は南門から脱出させます」
「いえ、護衛に付ける兵もおりませんので、敵の騎兵に回り込まれたら虐殺されてしまいます。それに、援軍の到着まで、彼らにも防衛の手伝いをさせねばなりません」
「イステリアからの援軍が到着するまでの時間は?」
「急使は出しましたが、どんなに早くても7日はかかるでしょう。武具や矢の蓄えは十分にありますので、総員で防御に徹すれば持ちこたえられる見込みはゼロではありません」
「そう……やはり、戦えない市民は脱出させましょう」
「なりません。彼らにも戦の手伝いをさせる必要があります。市民なしでは、数日と持たずに砦が陥落してしまいますぞ」
諫めるイクシオスに、リーゼは毅然とした表情を向ける。
「脱出するなら今しかないんです。もしここが陥落すれば、砦の建造に慣れ、モルタルや建築機械の製造経験がある者たちが根こそぎ捕虜になってしまいます。それだけは絶対に避けなければなりません」
「ですから、総出で防衛すれば援軍の到着まで持ちこたえる見込みはあります。ここにいる兵たちには籠城戦の訓練を十分に積ませておりますし、従軍経験のある市民とて1000名では利かないほどいるのです。援軍の到着まで耐えるべきです」
「敵は石弾を投擲する大型の攻城兵器で、北の防壁を破壊して侵入しようとしています」
それを聞き、イクシオスは少し驚いたように眉を上げた。
「防壁を破壊……? それは本当なのですか?」
リーゼが一良に目を向ける。
「ほ、本当です。現に、俺がいた防御塔の屋根部分は、石弾の直撃で一発で粉砕されてしまいました。壁にあれが命中すれば、数発で崩れ落ちてしまうと思います」
一良が答えた瞬間、ズシン、と腹に響くような音が3度連続で外から響いてきた。
リーゼは再びイクシオスに向き直る。
「敵の目的は砦の奪取で間違いありません。敵は確実に防壁を破ることができる正面に戦力を集中して、他方は手薄にしていると思います。それに、我々がすぐさま市民を南へ脱出させるなどとは考えてはいないでしょう。市民を脱出させるなら今しかありません。もたついていればいるほど、状況は悪化します」
リーゼは敵が防壁を破れる兵器を持っているうえに2個軍団いると聞いて、防衛は不可能だろうと判断していた。
それならば、敵が砦の攻略に手間取っている間に、少しでも多くの市民を逃がすよりほかにないと考えたのだ。
この砦が奪取されることは絶対にあってはならないが、無理なものは無理である。
それならば、取りうる手段の中から最善のものを探すより他にない。
イクシオスは顔をしかめて数秒考えた後、小さく息をついた。
「……では、南側に敵が見当たらないことを確認してから判断いたしましょう。それでよろしいですね?」
イクシオスの言葉に、リーゼが頷く。
「はい。斥候に騎兵を数騎、砦の周囲に出してください。敵影がないことを確認した後、市民に武器を持たせて脱出させます」
「かしこまりました。ただし、脱出の可否はナルソン様の判断の後です。脱出の許可が出たら、リーゼ様は市民とともに、南へ脱出してください」
「……は? 何を言っているのですか!? ふざけないでください!!」
血相を変えて食って掛かるリーゼ。
イクシオスは表情を変えず、リーゼを見据える。
「ふざけてなどおりません。リーゼ様はナルソン様がたとともに、イステリアに脱出してください。皆様が逃げおおせるまで、私どもが敵を食い止めます」
「嫌です! 私も戦います!」
「あなたが捕虜になった場合のことを考えてください。それこそ、取り返しがつきません」
「っ!」
痛いところを突かれ、リーゼが押し黙る。
イクシオスは一良に目を向けた。
「カズラ様」
「は、はいっ!」
一良は思わず背筋を伸ばして、緊張しきった声を上げる。
「ジルコニア様の姿が見当たりません。もしかしたら防壁に向かっているかもしれませんが、見つけ次第南門へと送らせます。それまでの間、宿舎に残っている侍女たちを連れて、リーゼ様と一緒に市民の――」
「カズラ様っ!」
その時、宿舎の入口から、コルツが走ってきた。
その少し後ろから、慌てた母親もやってきた。
「バルベールが攻めてきたって本当!?」
「コルツ! カズラ様、申し訳ございません! 勝手に走っていってしまって……すぐに連れて行きますから!」
母親がコルツを抱え上げようとする。
だが、コルツはその手をひらりとかわすと、一良の後ろへと隠れてしまった。
「やめてよ! 俺はカズラ様の傍にいないといけないんだよ!」
「何をバカなことを言ってるの!」
「ま、まあまあ、ユマさん落ち着いて」
コルツの母親――ユマ――を一良がなだめていると、イクシオスがやれやれといった様子でため息をついた。
「カズラ様、その子らも一緒に連れて行っていただけますでしょうか」
「は、はい」
「あ、あの、カズラ様、夫を見ませんでしたか?」
何とかコルツを捕まえたユマが、不安そうな目を一良に向ける。
「えっ、一緒じゃなかったんですか?」
「はい。バルベールが攻めてきた、という叫び声を聞いた途端、駆け出して行ってしまって……」
「……まさか、北の防壁に?」
「そ、そんな!?」
一良の言葉に、さっとユマの顔が青ざめる。
「俺、行って連れ戻してきます!」
「ダメです!!」
駆け出そうとした一良の腕を、バレッタが掴んだ。
「ちょ、バレッタさん!?」
「行っちゃダメです! カズラさんは皆と一緒にいてください! 私が行ってきますから!」
「……私が行く。カズラたちは、先に南門へ向かって」
「お、お前、何言ってるんだよ!?」
「リーゼ様、お止めください」
一良とイクシオスの声に構わず、リーゼは皆に背を向ける。
「せめて、これくらいのことはさせてよ。エイラ、バレッタ、カズラをお願い。彼を見つけたら、すぐに私も南門に向かうから」
「お、おい!」
「リーゼ様! くそ、お前たち、リーゼ様に付いていけ!」
皆の制止の声もきかず、リーゼは外へと駆け出して行った。