16話:いざ往かんイステリア
イステリアへの同行を申し出た2日後の早朝。
携帯用のオイルランタンが室内を明るく照らす中、一良は旅先で必要になるであろう荷物を詰めたズタ袋の中身を見直していた。
ズタ袋は昨日バレッタから借りたもので、植物の繊維で編まれたしっかりしたものである。
ズタ袋に入れてある荷物は、食料やリポD、それに包帯や消毒液などの救急セットなどで、今部屋を照らしているオイルランタンと一緒に、昨日日本のアウトドアショップで買ってきたものだ。
部屋の窓から見える空は薄暗く、太陽は未だ山の向こうに隠れている。
いつもならまだ寝ている時間なのだが、先ほどバレッタに起こされてもうすぐ出発する旨を伝えられたため、こうして荷物の最終チェックをしているのだ。
服装も既に一昨日借りた村長のものに着替えており、傍から見てもこの村の住人とは殆ど変わらないだろう。
一良は持って行く全ての荷物のチェックを終えると、ズタ袋を背負って部屋を出るのだった。
「お待たせしました。遅くなってすいません」
一良が居間へ行くと、既に仕度を整えたバレッタが火を焚いた囲炉裏の前に座って本を読みながら待っていた。
バレッタはいつもの服装の上から毛皮のマントを羽織り、いかにも旅人といった格好である。
「いえ、まだ他の人たちも来てませんから平気ですよ」
バレッタは読んでいた本を自分の袋に仕舞って立ち上がると、傍らに置いてあったマントを一良に差し出した。
「父のものですけど、カズラさんもこのマントを使ってください。夏とはいっても、夜は冷えますから」
「おー、マントなんて着けるのは初めてです。何か格好いいですね」
一良はマントを受け取ると、バレッタにマントの付け方を教えてもらいながら早速身に着けた。
マントは毛皮の裏地に布を貼り付けたもので、なかなかに温かい。
外で寝る時でもこのマントに包まっていれば、風邪を引くこともなさそうだ。
「これは温かいですねぇ……ん? バレッタさん、その腰に着けている物は何ですか?」
一良がふとバレッタに目を向けると、マントの隙間から平べったい板状のものが水平に背中側の腰に縛り付けてあるのが見えた。
「あ、これですか。短剣ですよ」
バレッタはそう言ってマントを払うと、手馴れた様子で腰に着けていた鞘から青銅の短剣を抜き出し、目の前にかざして見せた。
抜き出された短剣は刃渡りが40cm程はあり、剣幅も6cmはあるように見え、よく研がれた刃は囲炉裏の光を鈍く反射しており、なかなかの迫力である。
バレッタのような線の細い女の子が持つと、一良にはかなり違和感が感じられた。
「……えっと、バレッタさんって剣が扱えるんですか?」
「はい、父から教わっていますから、剣以外に槍も使えますよ。でも、どちらもあんまり得意じゃないですけどね……練習の時は父に叱られてばかりです」
バレッタは苦笑しながら、流れるような動作で右手に持った短剣を逆手に持ち直し、鞘に戻した。
どんなコメントをしたものかと一良が困っていると、バレッタはマントを羽織りなおして自分の荷物が入った袋を床から取り上げ、
「では、もう皆が集まってくる頃ですから、外に出て待っていましょうか」
と言うと、屋敷の入り口へ向かうのだった。
「あの、本当に私が持ちますから……」
「いやいや、これくらいやらせてください。無理言って街までついて行かせてもらうんですから」
でもでもと困っているバレッタに苦笑しながら一良は薪が縛り付けられている木製の背負子を背負いなおすと、バレッタと共に屋敷を出た。
一良が背負っている薪は街で売るためにとバレッタが予め用意して土間に置いてあった薪なのだが、さすがに女の子に重たい薪を背負わせて自分は荷物袋担当というのは気が引けたので、薪を背負わせてもらうことにしたのだ。
背負っている薪は乾燥しているにもかかわらずずっしりと重く、なかなかに質が良さそうだ。
二人が屋敷の外へ出ると、三名の男の村人が屋敷の前で雑談しながらバレッタと一良を待っていた。
どの村人もマントを羽織っており、その内2名の足元に一良と同じくらいの量の薪が縛り付けられている背負子が置いてある。
もう一人は荷物担当なのか、四人分の荷物が入っていると思われる大きなズタ袋を足元に置いていた。
三人は一良とバレッタが屋敷から出てきたのに気付くと会釈をした。
「カズラ様、バレッタさん、おはようございます」
「おはようございます。ロズルーさんたちはまだ来ていませんか?」
「まだですね。もうすぐ来ると思いますけど」
「わかりました。では、武器を持ってくるのでちょっと待っててくださいね」
そう言うと、バレッタは持っていたズタ袋を地面に置いて再び屋敷の中に戻っていった。
「いやはや、カズラ様も街へ同行していただけるとはありがたい限りです。ロズルーさんなどはいい機会だから奥さんと娘のミュラちゃんも連れて行くって喜んでましたよ」
「いえいえ、足手まといになると思いますけどよろしくお願いします……てか、ミュラちゃんってロズルーさんのお子さんだったんですか」
「あ、知らなかったんですか。まぁ、ミュラちゃんがロズルーさんに似ているのは歯並びくらいで、他は全部奥さんのターナさんそっくりですから、気付かなくても仕方ないですかね」
そうして少しの間一良が村人たちとロズルー一家のことで雑談をしていると、当の本人であるロズルーが妻のターナと娘のミュラを伴ってやってきた。
ロズルーも例に漏れずマントを身に着け、薪を縛り付けた背負子を背負っており、三人の荷物を入れたズタ袋は妻のターナが肩に背負っている。
「カズラ様、おはようございます。遅くなって申し訳ありません。ほら、ミュラも挨拶しなさい」
「おはようございます。遅くなってごめんなさい」
ロズルーに促され、ミュラもぺこりと頭を下げて一良に挨拶をする。
ミュラは栗毛色の髪を背中まで伸ばした女の子で、先ほどの雑談で村人から聞いた話では歳は6歳らしい。
水路を作っていたときや畑に肥料を撒いていたときも、村娘に混じって食事や水を運ぶ手伝いを率先して行っていた頑張り屋である。
ミュラも他の大人同様、身の丈に合ったサイズのマントを身に着けており、一良を見上げる姿がとても可愛らしい。
「おはようございます。私も出てきたばかりですから平気ですよ……なるほど、確かに奥さんそっくりだ」
ミュラとターナを見比べて、一良はしみじみ呟いた。
真っ直ぐに伸びた栗毛色の髪の毛を初めとして、ぱっちりとした目や通った鼻筋など、いい部分をしっかりと受け継いでいる。
髪型も同じにしている所為か、まさにそっくりである。
「ですよねぇ。ミュラちゃん、お父さんじゃなくて美人のお母さんに似てよかったなぁ」
「うん!」
村人の言葉に元気に返事をするミュラに、どっと笑いが起こる。
「またその話か……ミュラもそんなに嬉しそうに返事するんじゃない。悲しくなってくるだろうが。お前も笑ってないで何とか言ってくれ」
「ふふっ、ミュラ、お父さんに綺麗な歯をありがとうって」
「うん、お父さん、綺麗な歯をありがとう!」
「おいおい……」
皆で大笑いしながらそんな微笑ましい会話をしていると、バレッタが先端を布に包まれた槍を四本と、一張の短弓と皮製の矢筒を持って屋敷から戻ってきた。
槍の長さは大体140cm程で、短槍のようである。
「皆さんお待たせしました。ロズルーさん、おはようございます」
「おはようございます。今日は娘も同行させてもらいますが、よろしくお願いします」
ロズルーはそう言って頭を下げるとバレッタから短槍と短弓と矢筒を受け取り、それを両方ともターナに手渡した。
それらを受け取ったターナは短槍の先端に付いている布を外して刃の部分を確認すると、再び布を巻いて縦に持ち直す。
もう一人の荷物持ちの村人も短槍を二本受け取ると、ターナと同様に刃を確認して元に戻した。
「では、出発しましょうか。今から歩けば明日の日暮れ前にはイステリアに着きますね」
「そうですね、行きましょう」
バレッタの言葉に、それぞれ地面に置いてある荷物を背負うと、村を出るべく歩き出すのだった。
村を出た一行は、まだ薄暗い空の下、イステリアへと続く土がむき出しになって乾燥した道をてくてくと歩く。
道の幅は3メートル程度あり、その脇には一定間隔ごとに木が植えられていて、道を逸れて迷わないような工夫がされていた。
ミュラがいるので歩く速度はそこまで速くはなく、雑談をしながらの行軍である。
ミュラの歩幅では若干早足になってしまうのは仕方がないが、疲れたらその都度小休止を入れることになるだろうし、その時にリポDを少しだけ飲ませれば体力もすぐに回復するだろう。
「あの、バレッタさん、ちょっと聞きたいんですけど」
「はい、何ですか?」
一良は一行の先頭をバレッタと並んで歩きながらハーブティーについて雑談をしていたのだが、ふと話が途切れたタイミングを見計らって、気になっていたことを聞いてみることにした。
「先ほど皆さんに槍を渡していましたけど、そんなに道中には危険が多いんですか?」
「そこまで危険なわけではないんですが、イステリアなどの街へ行く時は一応念には念を入れて複数人で武装するようにしているんです。獣が出ることもありますし、この辺ではあまり聞きませんが、追い剥ぎや夜盗が出たら丸腰では抵抗もできませんから」
「追い剥ぎに夜盗ですか……恐ろしい話だ」
世界的に見ても治安のいい日本で育った一良としては、追い剥ぎといわれてもあまりピンとこないが、先ほど見たような槍を持った人間に襲われることを想像すると寒気がする。
これは日本から日本刀でも買ってきて携帯していたほうがいいのだろうかと考えていると、難しい顔をしている一良を見てバレッタは微笑んだ。
「大丈夫ですよ。この辺はナルソン様の私兵が時々巡回しているのでそういう人たちが出ることもあまり無いですし、今この中でも私とミュラちゃん以外は全員実戦経験がありますから、万が一襲われても数人相手だったら撃退できます」
「実戦って、4年前まであった戦争でですか?」
「ええ、皆さんその中を何年も生き抜いた方々ですから、槍の扱いもかなりのものですし、いざと言う時はとても頼りになりますよ。ロズルーさんは秋になると山に入って狩りもしてますから、弓の扱いも一級品です」
バレッタの言葉に、一良は少し振り返って後ろを歩いている5人を見た。
見たところ、特に強そうといった雰囲気は感じられないのだが、よく見ると身体はがっちりとしていて逞しく、時折周囲に視線を走らせてはちゃんと周囲を警戒している。
戦争での実戦経験者が5人も一緒にいる上、ナルソンの私兵が巡回を行っているというのであれば、それほど道中の危険は危惧しなくてもよさそうだ。
「なるほど、こりゃ確かに頼り甲斐がありそうですね」
あからさまにほっとしている一良にバレッタはくすっと笑う。
「でも、もし獣が出たらその時はカズラさん、よろしくお願いしますね?」
「えっ、獣ですか? ……ウリ坊くらいだったら何とかなるかなぁ」
バレッタの言葉を冗談と受け取った一良がそんな事を言うと、バレッタは尊敬するように瞳を輝かせた。
「わ、本当ですか? では、もしウリボゥが出たらお願いしますね!」
「ええ、ウリ坊程度でしたら棒の一本もあれば私でも楽勝ですよ」
バレッタの反応に、一良は
「(ウリ坊って単語が通用するってことはイノシシもいるのかな?)」
と見当違いの解釈をしつつ、若干明るくなり始めた異世界の景色を楽しみながらイステリアへの道を歩くのだった。