153話:情報源
別室にて、さっそくハベルに対する尋問が始まった。
一良とジルコニアが座るソファーの対面に、ハベルとマリーが並んで座っている。
あれからマリーはハベルの腕に引っ付いたまま離れず、今も隣にぴたりと寄り添っていた。
「そう、何年も前からバルベールと通じてたのね。それを、あなたは数カ月前に聞かされたと。逃走経路はどうなってたの?」
「私は詳しい経路は聞かされませんでした。今日の深夜に、イステリアを出た森の中で落ち合うからお前もこいと言われただけです」
「確か、ノールは明日からグレゴルン領へ向かうことになっていたはずね。それに乗じて姿をくらますつもりだったと」
「はい。なので、私は事前にそこで待ち伏せするように兵に指示を出しておきました。逃げられるわけにはいかないので、最悪殺しても構わないと指示しておいたのですが……アイザック様のおかげで、生きたまま捕えることができたようですね」
ふーん、とジルコニアは鼻を鳴らす。
「あなたはここ数日は、自宅から開墾地を往復してたわね。明日……いえ、今日からは北の砦方面の開墾作業に向かうことになってたかしら」
「はい。父には私の予定を逐一報告しておりましたので、数日間イステリアを離れるし逃亡するのにはちょうどいいタイミングだと考えたのでしょう」
「マリーは置いていくことになってたのかしら?」
「そのつもりだったようですね」
ハベルが答えると、マリーが「えっ?」とでも言いたげな視線を彼に向けた。
「数カ月前に、マリーは偶然私と父の話を立ち聞きしてしまっていたようです。それで、バカな真似はやめてくれと何度かマリーに懇願されたのですが、私が何とかするから、このことは誰にも言うなと言い聞かせていたのですが……」
そう言って、ハベルがマリーに目を向ける。
「は、はい! こ、このままでは大変なことになると思って……それで、アイザック様に……」
「どうしてアイザックに? 私やカズラさんに言わなかった理由は?」
「そ、それは……その……兄さんのことを考えたら、どうしても……」
「捕えられてノール共々処刑される、かしら?」
「……はい」
萎れるように、マリーが頷く。
「アイザックなら直属の上官だし、あの子の性格なら何とかしてくれるかもって思ったってことかしら。相談を持ち掛けられたアイザックは自分だけで何とかしようとして、今回の騒動ってわけね」
ふう、とジルコニアがため息をつく。
「でも、私やナルソンに何も言わずにここまでやるとは思わなかったわ。残念だけど、こんな独断専行をやらかすようじゃ、今のポストから外さないといけないわね」
「そ、それは違うんです! 私がアイザック様にお話しする前に、秘密にしておいてくれるようにお願いしてしまったからなんです!」
「……あなたがお願いしたから、誰にも言えずに自分で何とかしようとしたってこと?」
「はい……祖先の名に誓って、秘密は守るって言ってくださって……」
「その約束を律儀に守ったってこと? ……はあ」
「何とも、アイザック様らしいですね」
小さくと笑うハベルと、呆れたように再び大きなため息をつくジルコニア。
黙って話を聞いていた一良が、ふむふむと頷く。
「てことは、やっぱり今回の騒動はアイザックさんの勘違いが原因ってことですか。あ、もちろん、ノールさんの裏切りは別として」
「はい。私のほうで兵を待ち伏せさせていたので、どっちみち父たちは逃げられなかったでしょうけどね」
「マリーさんは、ハベルさんから聞いた情報をアイザックさんに逐一流してたってことですか?」
一良に声を掛けられ、マリーがびくっと肩を揺らす。
「あ、そんなに怯えないでください。責めてるわけじゃないですから」
「も、申しわけございません」
マリーはもう一度ハベルの顔を見ると、恐る恐るといった様子で一良に目を向けた。
「何度か考え直すように兄さんにお願いしていたのですが、『お前のことは絶対に守るから、何も心配しなくていい』としか言ってくださらなくて……」
「まあ、そんなふうに言われてちゃ、何とかしたいとも思いますよね」
「カズラ様、本当に申し訳ございませんでした。どのような罰も受けますので、マリーのことはどうか……」
平身低頭といった様子で頭を下げるハベルに、一良は「いやいや」と手を振る。
「だから、俺はハベルさんたちを罰するつもりなんてこれっぽっちもないんですって。ね、ジルコニアさん?」
「いえ、そういうわけにはいきません。身内の犯した罪は連帯責任です」
「でも、結果的にハベルさんは自分の身を顧みずにこの国を守ってくれたんじゃないですか。こんな忠臣を処罰するっていうのには賛成できないですよ」
「しかし……」
「カズラ様、ジルコニア様のおっしゃるとおりです」
「あーもう、何でそこでハベルさんがジルコニアさんを擁護しちゃいますかね」
「そ、そう申されましても」
2人のやり取りに、ジルコニアは今日何度目かも分からないため息をついた。
「はあ、分かりました。では、ハベルは身分は据え置きで6カ月間の強制労働処分とします。また、ルーソン家の財産は、規定通りイステール家が接収します」
「接収って、まるごと没収ですか? ハベルさんの財産も?」
「ルーソン家のものは、人も物もすべてです。ただし、ハベルの財産は……まあ、銀行にある預金くらいでしょうが、それはそのままとします」
「うんうん。マリーさんはイステール家の所有ってことになるんですね?」
「そうなりますね。ハベルが買い戻したいと言うのなら別ですが。値段は一般的な奴隷の価格と同じでいいです」
「なるほどなるほど。強制労働ってのは、俺が仕事内容を決めてもいいですかね?」
「別にいいですよ。ただし、期間中は給金は出ませんが。私としては、砦方面の開墾作業の指揮がいいかと思いますけど」
「お、意見が合いますね。俺もそれがいいと思ってました」
「え? え?」
一良とジルコニアのやり取りに、マリーは目を白黒させている。
ハベルはそんなマリーの頭を撫で、一良たちに苦笑を向けた。
「どれだけ甘いんですか。まるで罰になってないですよ」
「はあ、まったくだわ。頭が痛くなる」
ジルコニアが心底疲れた表情で、眉間を押さえる。
対する一良はニコニコ顔だ。
「いいんですって。で、ハベルさん、マリーさんのことはどうします? 買い戻します?」
「はい、買い戻させていただきます。ただ、引き続きカズラ様の下で働かさせていただければと。それと、身分も併せて買い戻させていただければ嬉しいのですが」
「分かりました。じゃあ、奴隷身分じゃなくなるってことですね。これからは他の侍女さんたちと同じように、ちゃんと10日のうち2日はお休みとします。ジルコニアさん、ルーソン家で働いていた人たちが失業しちゃいますけど、どうしましょうか?」
「ええ、そこまで面倒見るんですか……」
「見てあげないと、ちょっとかわいそうですよ。いきなり失業して路頭に迷うことになるんですし」
「ああもう、分かりました、分かりましたよ。ハベル、元ルーソン邸の管理は任せるから、使用人はそのままあなたが雇いなさい。管理費をお給料に上乗せするから、そこから給金を払いなさい。余剰人員はこっちで再雇用してあげるわ。元々使用人は不足気味だったし」
「あ、ありがとうございます。なんとお礼を言えばいいか……」
「礼ならカズラさんに言いなさい」
「カズラ様、ありがとうございます。ほら、マリーも」
「あ、ありがとうございます!!」
「どういたしまして。さて」
一良は頷くと、ハベルに向き直った。
「アロンドさんについてですが、彼も……」
一良が話しかけた時、部屋の扉が激しくノックされた。
「入りなさい」
「失礼します!」
ジルコニアが答えると同時に、兵士が部屋に駆け込んできた。
「たった今、スラン家の部隊が襲撃を受けたと報告が入りました! 現在、近衛兵隊が現地に急行しています!」
「……襲撃? 誰が?」
「救援を求めにきた兵の話によると、相手はおそらくルーソン家の私兵だとのことです。奇襲を受けたようで、多数の死傷者が出ているようでして……」
ばっと、全員の視線がハベルに集まる。
「ま、まさか、そんな……」
ハベルは顔を青くし、報告に来た兵士に目を向けている。
「……最悪だわ。万が一ノールが殺されでもしたら、情報源が絶たれることになる」
「ジルコニアさん、俺たちも現地に……」
「いえ、私とハベルで行きます。カズラさんは屋敷を出ないでください。ハベル、行くわよ」
「あ、あの! 私も一緒に……」
「マリー、カズラ様とここにいるんだ。いいな」
ハベルに諭されるように言われ、マリーは不安げな表情で彼を見る。
「大丈夫だ。すぐに戻ってくるよ」
「……はい」
萎れるように頷くマリーの頭をハベルは優しく撫で、ジルコニアとともに部屋を出て行った。
「兄さん……」
不安そうな眼差しで、2人が出て行った扉を見つめるマリー。
そんな彼女にかける言葉が見つからず、一良は黙ってうつむくのだった。
ラタを飛ばして現地に駆けつけたジルコニアは、現地の惨状を見て言葉を失った。
土砂降りの雨のなか、辺りに転がる数十にもおよぶ死体。
槍が突き刺さり、絶命したラタ。
重傷を負って血を流しながら呻く兵士。
それを必死に手当する近衛兵。
幾本もの矢が突き刺さった2台の幌馬車。
まさに地獄絵図である。
「怪我人の数は?」
その場で指揮を執っていた近衛兵長に、ジルコニアが声をかける。
「30人ほどです。無傷の者は8人。我々が到着するまで、互いに一歩も引かずに殺し合いをしていたようです」
猛烈な雨風の音に被せるように、近衛兵長が大声で答える。
「ルーソン家の者は皆殺しです。優先的に狙われたようで」
「……そのようね」
馬車から少し離れたところに、うつ伏せで絶命している幾人もの死体があった。
逃げようとしたところを殺されたのか、背中から一突きされたものが多い。
ジルコニアは馬車を覗き込むと、そこにはこれまた凄惨な光景が広がっていた。
床は血の海で、中にはノールのほか数人の惨殺死体が転がっている。
「ダメ、か。唯一の情報源だったのに」
そこでふと、ジルコニアは辺りに転がっている死体を見渡した。
一つ一つに歩み寄り、髪を掴んで顔を持ち上げ、確認する。
「……アロンドの死体がないわ」
そう言い、ハベルを振り返る。
「いえ、私も父からはここに来るようにと指示されただけで、兄も一緒に来るものだと思っていたのですが……」
「何てこと……アレに逃げられるのはまずいわ。近衛兵長、すぐに追っ手を出しなさい。草の根を分けても探し出すのよ」
「すでに捜索の兵は出しています。他領に通達を出してよろしいですね?」
「構わないわ。すぐにやって」
近衛兵長は傍にいた2人の兵士に頷くと、彼らはすぐにラタに飛び乗って駆け出していった。
すでに用意はしてあったのだろう。
ジルコニアは幌馬車に上がると、中を調べ始めた。
隅に置かれている布が被せられた物体に近寄り、布をはぐ。
どこから盗んできたのか、イステリアで製造している手押しポンプが姿を現した。
「くっ……設計図が向こうに渡ってないといいけど……あなたは、何か持ち出すように言われてなかったの?」
背後に立つハベルに、ジルコニアが問いかける。
「軍の情報は手に入れられるだけ持ってこいと命じられました。特に、建設中の砦の地図は絶対に手に入れろと」
「あなたは軍の情報を任されてたってわけね。となると、道具の設計図と内政情報はアロンドが盗み出しているって考えて間違いなさそうね」
「おそらくは。兄はバレッタさんと一緒に道具の製造を任されていましたから、持っている情報量はかなりのものかと」
「製材機や鍛造機を、バルベールが手に入れるとまずいわね……いや、それよりも木炭高炉か……」
なおも馬車内を調べるジルコニア。
ハベルは馬車の外に広がる闇に目を向けた。
叩きつけるような大粒の雨が、轟音とともに降り続いていた。