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151話:嵐の夜に

 約1カ月後の夜。

 外は嵐になっているようで、窓の外からはごうごうと雨風が吹き荒れる音が響いている。

 そんななか、一良は自室で書類に目を通していた。

 時計の針は、深夜2時を指そうとしている。

 今見ているものは、領内の作業進捗と今後の計画を纏めたものだ。

 河川工事、工作機械の製造、移民者受け入れのための建物の建築、そして鉄の量産と鉄器の製造。

 すべての作業はすこぶる順調で、わずかながら職人たちを他の作業に回せるだけの余裕が生まれ始めている。


「……そろそろ、始めないといけないな」


 書類を眺めながら、一良がぽつりとつぶやく。

 各工房から腕利きの職人を選び出し、彼らを外部とは隔離して兵器の製造を行わなせなければならない。

 この1カ月で、一良は可能な限り効率的な生産ができるように武器の再設計(書籍に載っていたものからの改良)を行っていた。

 同時にカタパルトなどの攻城兵器の設計も進めており、すべての作業は一人で行っている。

 職人たちに作業指示を出すようになれば、彼らの意見を聞いてより効率的な生産手法を考えることになるだろう。

 それまでに、自分の手でできる限り作業を進めておく必要があった。


「カズラ様、新しいお茶です」


 コト、と、一良の手元に湯気の立ち上るマグカップが置かれた。

 顔を上げると、いつの間にか隣にエイラが立っていた。


「ありがとうございます。あの、そろそろ休んでください。もうこんな時間ですし」


「いえ、カズラ様がお休みになるまでは、ここにいますから」


 微笑んでそう言う彼女に、一良は困ったように微笑み返す。

 しばらく前に深夜に1人で工作作業をしているところをエイラに見つかってからというもの、彼女は毎晩こうして一良の部屋を訪れるようになっていた。

 休むように言っても頑としてきかないので、一良も半ば諦めてしまっている。

 エイラは一良の作業に口を出したりはせず、こうしてお茶を用意してくれたり、集中力が切れかかると話し相手になってくれたりしていた。


「ん、これは……レモンバーベナとローズマリーかな。割合は2・1ってところか」


「ふふ、正解です。効能は何でしょう?」


「不安と緊張の緩和」


「おー!」


 お茶を一口飲んで即座に答えた一良に、エイラがぱちぱちと拍手する。

 このやり取りは、エイラが淹れてくれたお茶を飲むたびの恒例となっていた。

 彼女には、ハーブティーのブレンドが記載された本を1冊プレゼントしてある。

 ページの要所要所にこちらの世界の文字でふりがながふってあり、エイラでも読めるようになっていた。

 また、日本語とこちらの世界の文字の対応表ひらがなとカタカナも欲しいと言ったので渡してある。

 一良が作業をしている間、エイラはそれを使って日本語の勉強をしていた。


「あの、もしかして俺、不安そうに見えました?」


「不安そうというか、悩んでいるように見えたので」


「むう、そうですか……」


 顔や態度に出ちゃってたのかな、と普段の自分を思い返す。

 リーゼやバレッタには特に何も言われたことがなかったので、上手く隠せていると思っていたのだが。


「大丈夫ですよ」


 一良が考えていると、エイラがそう声をかけてきた。

 彼女はいつものように、優しく微笑んでいる。


「ご自分を信じてください。きっと、何もかも上手くいきますから」


「エイラさん……」


 彼女の言葉に一良が頬を緩めた時、部屋の扉がコンコン、とノックされた。

 こんな時間に誰か訪ねてくることなど今まで一度もなかったので、思わず2人して顔を見合わせる。


「あの……まだ起きてますか?」


「バレッタさん?」


 一良が言うと、扉がかちゃりと静かに開き、バレッタが顔を覗かせた。


「ごめんなさい、こんな時間……えっ」


 座っている一良の傍に立っているエイラを見て、バレッタがたじろぐ。


「あはは、とうとうバレちゃいましたねー」


「は!? いや、何言ってるんですか! バレッタさん違いますよ! 違いますからね!?」


「カ、カズラさん……」


 慌てふためく一良と、涙ぐみ始めるバレッタ。


「……えへ、冗談です。お仕事の手伝いをしていただけですよ」


 ワンテンポ間を空け、エイラがいたずらっぽく微笑む。


「お手伝い、ですか?」


「はい。今夜だけ手伝うように申し付かりまして」


「何のお仕事ですか?」


「書類の翻訳です。専門用語が多くて大変とのことで。先ほど終わって、お茶でも飲んで一息つこうってなったところだったんです」


 そう言い、テーブルの上に目を向ける。

 日本語とこちらの世界の文字の対応表が書かれたノートが、開きっぱなしになっていた。

 バレッタはそれを見て納得したようで、ほっとした様子で部屋に入ってきた。


「バレッタさんこそ、こんな夜中にどうしたんです? 何かあったんですか?」


「え、えっと……」


 バレッタは少し躊躇した様子でエイラを見た。


 だがすぐに、しかたない、といったふうに息をつくと、口を開いた。


「アイザックさんに、今夜はカズラさんの傍にいるようにって言われたんです」


 そう言って、自身の左手に目を落とした。

 そこに握られた鞘に収まった長剣を見て、一良が目を丸くする。


「それ、剣ですよね?」


「はい、何があってもカズラさんの傍を離れるなって言われて、渡されました。それと、誰も部屋に入れないようにって」


「何者かが襲ってくる、ということでしょうか?」


 不安そうな表情で、エイラが言う。


「もしそうなら、アイザックさんなら俺に説明をすると思いますが……それに、バレッタさん1人を寄越すっていうのも変な話だと思いますけど。バレッタさんは何か聞いてないんですか?」


「はい、聞いても何も教えてくれなくて」


「私、ジルコニア様に確認してきます」


「あっ、待ってください!」


 飛び出していこうとするエイラの腕を、バレッタが掴む。


「このことは誰にも言うなって、アイザックさんにきつく言われてるんです」


「アイザック様がですか? どうしてそんなことを?」


「分かりません。でも、絶対に誰にも言ってはダメだって言われて」


「アイザック様にどんな意図があるのかは分かりませんが、ナルソン様やジルコニア様に言ってはいけないことなどないはずです。すぐにご報告して、対応をお願いするべきです」


「いえ、何か理由があるんだと思います。ここは指示に従うべきだと思います」


「なら、せめて警備兵を呼びましょう。大声で呼べば、誰か来てくれるはずです」


 一良の部屋の前には警備兵は常駐しておらず(部屋の中を見られると面倒なことになるから)、部屋に続く通路に点々と配置されている。

 ドアを開けて通路に呼びかければ、誰かしら気付くはずだ。


「いえ、それもやめてください。先ほども言いましたが、誰にも言うなときつく言われていますから」


「でも、何かあったらこのままでは危険すぎます。人を集めるべきです」


「いいえ、ダメです。アイザックさんは、意味もなくそんなことを言う人ではありません。指示に従うべきです」


「だからといって、カズラ様の身を危険にさらしてしまっては元も子もないじゃないですか! カズラ様の安全とアイザック様の指示と、いったいどっちが大切だと思ってるんですか!!」


 彼女らしくもなく、エイラがバレッタに食ってかかる。

 バレッタはエイラを見据えたまま、扉の前を動かない。


「エ、エイラさん落ち着いて」


 まるでにらみ合うような状態になってしまっている2人の間に、一良は身を割り込ませる。

 エイラの腕を掴んでいるバレッタの手を握り、その手を離させた。


「とりあえず、ここはバレッタさんの言うとおり、アイザックさんの指示に従いましょう」


「で、でも」


「大丈夫です。バレッタさんが一緒にいてくれるんですから。ね、バレッタさん?」


 一良がバレッタに振ると、バレッタはにっこりと微笑んだ。


「はい。カズラさんのことは私が守ります」


「う、頼もしいんだけど、そう言われると何か自分が情けなくなってくるなぁ」


「そ、そんなことないですよ! いつもは私がカズラさんにいろいろと守ってもらってますし!」


「むう、最近は全然そんなことない気がするんだけども。いろいろって何ですかね?」


「あー、えっと……せ、生活を守ってもらってます! お仕事させてもらってますし、おかげで今は少しお金持ちになりました!」


「お金出してるのはナルソンさんですけどね」


「うう、何だかカズラさん意地悪ですよう」


「そうかなあ」


「そうですよ」


「そうかなあ」


「そうですって」


「……」


 ふざけ合うように軽い調子で話す2人を、エイラは少し顔をしかめて見つめる。

 そんな彼女に一良は気付くと、こほん、と咳ばらいをした。

 険悪になりそうな空気を払拭するために一良はあえて軽口を叩き、それに即座に気付いたバレッタが乗っかったのだが、あまり上手くいかなかったようだ。


「エイラさん、アイザックさんとバレッタさんが付いてくれているんです。何が起こっても、きっと大丈夫ですよ。朝までここで大人しくしていましょう」


「……はい。カズラ様がそうおっしゃるのなら」


 不服そうにそう答えて俯くエイラに、一良とバレッタは困ったように顔を見合わせるのだった。




 激しい風雨の音が響くナルソン邸の廊下を、ハベルは1人歩いていた。

 一度立ち止まり、自らの右のてのひらを何気なく見つめる。

 ぎゅうっと力強く握りしめ、ゆっくりと開いた。

 手を下ろし、ふう、と息を吐く。

 ゆっくりと顔を上げ、視線を前に向けた。

 この先の角を曲がり、数十メートル直進した先には一良の部屋がある。


「……」


 無言のまま、再び廊下を進む。

 数歩歩き、何者かの気配を感じて足を止めた。

 一拍置いて、数メートル先の曲がり角から見知った人物が姿を現した。


「……アイザック様?」


 それはアイザックだった。

 いつものような革の軽鎧ではなく、青銅製のブレストプレートを身に着けている。

 左手には円盾を装備し、足には脛当てまで着けているという完全武装だ。


「こんな時間に何て格好をしているんです。戦争にでも行くつもりですか?」 


「お前こそ、こんな夜中にどこへ行く?」


 アイザックはハベルを睨み付けると、逆に質問し返した。


「カズラ様に、どうしてもお伝えしなければならないことがありまして。アイザック様こそ、こんな夜更けにどちらへ?」


「部下がとんでもない不祥事を起こしてな。それの対応をしなければならなくなった」


「……それは奇遇ですね。私も似たようなものですよ」


 ハベルの答えに、アイザックはいぶかしげな表情をする。

 ふたたびハベルは歩き出し、横を通り抜けようとアイザックに近づく。

 アイザックはハベルの進路を塞ぐように、前に出た。

 ハベルが足を止める。


「ハベル」


「はい」


「ここを通すわけにはいかない」


 アイザックが、腰から剣を抜く。


「せめてもの情けだ。法の裁きを受ける前に、俺がこの手で殺してやろう」


 剣先を向けるアイザックに、ハベルはわずかに顔をしかめた。

 少し間を置き、「ああ……」と俯き声を漏らす。


「そういうことですか。まあ、当然の報いですね」


 つぶやくように言うと、ハベルは顔を上げた。

 ゆっくりと、閉まっている窓に近づく。


「おい」


「逃げやしませんよ」


 窓に手をかけ、開け放った。

 雨と風が勢いよく廊下に入り込み、数秒おいて壁に掛けられている燭台の灯りがふっと消える。

 雨に打たれながら、ハベルは空を見上げた。


「アイザック様。2つ、お願いがあります」


「何だ」


「以前から、アイザック様とは1度本気で手合わせをしてみたいと思っていたんです。以前に比べていろいろと状況が変わってしまいましたが、胸をお借りしてもよろしいでしょうか」


「……ああ」


「それと」


 ハベルがアイザックに少し振り向く。


「マリーのこと、よろしくお願いいたします」


「……約束しよう」


 ハベルが、安心したように微笑む。

 アイザックは身構えたまま、表情一つ変えない。


「手合わせはここで、というわけにもいきませんね。外は大雨ですし、どうしましょうか。人目に付かないところのほうがいいのですが」


 まるで普段の会話のような調子で、ハベルが言う。


「……軍事区画の西地下訓練場なら、誰にも邪魔されないだろう。出入り口は一つだし、逃げ場もない」


「だから逃げませんって。そんなに心配なら、そこへ行く前に腕に縄でも付けますか?」


「いい。さっさと行くぞ」


 アイザックは剣を鞘にしまうと、ハベルのすぐ後ろに立ち、先に行くようにうながした。


「剣は渡しておきましょうか?」


「構わん。そのまま持ってろ」


「不用心ですね。私が隙を突いて、あなたを殺そうとするとは考えないのですか?」


「お前ごときに不意打ちなど食らうか」


「そういうのを油断というのですよ」


「うるさい! さっさと歩け!」


「はいはい」


 この状況におよんで軽口を叩くハベル。

 アイザックは内心困惑しながらも、それを表には出さずに足を進めた。




 数分歩き、地下訓練場へとやってきた。

 昼間は訓練を行う兵士たちが出入りしているが、今は誰もいなく静まり返っている。


「私も盾を使っていいですか?」


「好きにしろ」


 ハベルは訓練場の壁際に並べてある武具へと歩み寄り、中型の盾を1つ手に取った。

 ゆっくりとした動作で、左手に革のベルトで固定する。


「しかし、本当にひさしぶりですね。最後に手合わせしたのは、もう半年以上も前になりますか」


「……ハベル」


「はい?」


「どうして、裏切るような真似をしたんだ?」


 問いかけるアイザックに、ハベルはベルトを締めながら少し考えるように口を閉ざす。


「……この国を見限ったから、でしょうか。このままこの国にいても破滅しかない、バルベールに滅ぼされるだけ、そう考えたからでしょう」


「本当にそう思っているのか?」


「ええ」


「俺たちにはカズラ様が、グレイシオール様がついているんだぞ。神を味方につけた我々が、バルベールごときに負けるものか」


「そうかもしれませんね。あのかたがいれば、もしかしたら」


 答えるハベルに、アイザックが怪訝そうな顔をする。

 ハベルは左手に着けた盾の具合を確かめると、訓練場の中央に進んだ。

 剣を抜き、アイザックを見据える。


「どちらにせよ、過ぎた話です。言い訳など無意味でしょう」


「……そうだな」


 アイザックは剣を抜き、ハベルと視線を交えた。

 盾を前に突き出し、剣を構える。


「いくぞ」


「はい」


 盾を構えたハベルが返事をすると同時に、アイザックは突進した。

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