147話:告白
一方その頃。
街なかにある大工工房では、バレッタとアロンドがスクリュープレスの製造を見守っていた。
本来ならばアロンドがこの場に来る予定はなく、作業進捗の確認はバレッタが1人で行う予定だった。
だが、バレッタが工房に来るという話をどこからか聞きつけたアロンドが、彼女が来るよりも先に工房で待機していたのだ。
「なるほどねぇ。こういう仕組みなら、少ない力でゆっくり油を搾れるのか」
大工職人の手によってスクリュープレスが組み立てられていくさまを、アロンドは感心した様子で見つめている。
「部品は工房ごとの個別製造で効率がいいし、この分ならすぐに数を揃えられそうだね。現場の評判も上々みたいだし、君の設計は大したものだよ」
「ありがとうございます。では、私はそろそろ……」
「そうそう、ちょっと君に頼みたいことがあるんだよ。あまり時間は取らせないからさ、少し手伝ってくれないかな?」
「は、はい」
帰ろうとしたところを引き留められ、バレッタは若干引きつった笑みを返した。
年が明けてからというもの、バレッタは幾度となくこうしてアロンドにあちこちへと連れ出されていた。
初めのうちはちょっとした手伝いだけで、数分立ち話をした後には解放されていたのだが、最近では徐々に拘束時間が長くなってきていた。
つい数日前も、「作業工程の相談をしたい」と言われて小洒落た飲食店に連れて行かれ、そのまま2人で昼食をとることになってしまった。
バレッタとしては、アロンドから仕事を頼まれたり相談を持ち掛けられることは一向に構わない。
構わないのだが、それに付随して彼と2人でデートのようなことをさせられることに関しては、正直かなり困っていた。
「あ、でも、そろそろお昼だし、一緒にどこかで食事でもしながら話そうか。屋敷には使いを出しておくよ」
「えっ、あの、それなら食事を済ませた後にしていただけると……戻ってカズラさんの昼食の支度をしないといけないので……」
「まあまあ、いいじゃないか。代わりの人間がいないわけでもないんだしさ」
アロンドは軽い調子で言いながらバレッタの背に手を添えると、そのまま外へと連れ出した。
バレッタは仕方なしに、停められていた馬車に乗り込む。
すると、アロンドは当然のようにバレッタの隣に腰かけた。
「ここから少し離れてるけど、美味しい肉料理を出す店があるんだ。今日はそこで……」
「あ、あの! できれば近いところで……」
「……キミさ」
思わず意見を出したバレッタに、アロンドは少し困ったような表情を向けた。
「彼のことは、諦めたほうがいいと思うよ」
「え?」
「カズラ様のことだよ。無理だってことは分かってるんだろ? あんなに仲のいい2人の間に、どうやって割り込もうっていうのさ」
突然の物言いに、バレッタはぽかんとした表情でアロンドを見た。
アロンドは苦笑して、「ごめん、ごめん」と謝ってみせる。
「でも、相手がリーゼ様じゃ、キミに勝ち目はないと思うよ。妾でもいいってキミは思ってるかもしれないけど、リーゼ様やナルソン様がそんなこと許すはずがないしさ。折をみて適当な額の金を押し付けられて、そのまま村に帰されるか遠い街に飛ばされるかがオチだよ」
「……」
「彼のことはつらいかもしれないけど、せっかく手にした出世のチャンスを棒に振るのはもっと嫌だろ? このままいったら、絶対にそうなると断言してもいい。そんな目に遭うくらいなら、さっさと彼のことは諦めたほうがいいんじゃないかな」
「……何が言いたいんですか」
声のトーンを落としたバレッタに、アロンドは微笑みかける。
「俺のところに来なよ。出世は約束するし、いずれキミの家族もイステリアに住めるように手を回そう。家族共々、この街で一生裕福な生活を送らせてあげるよ。キミが俺のものになってくれるなら、ね」
「……」
「どうだい、悪い話じゃないだろう? 幸い、キミが望めば俺の下には付けてくれるみたいなことをカズラ様は言ってたしさ。何なら、俺からカズラ様に伝えてあげても……」
「どうして」
「うん?」
「どうして、そんなお話を?」
静かな口調のまま、バレッタが問う。
アロンドは数瞬、考えるように「んー」と唸った。
「キミをすごく気に入った……いや、好きになったから、かな。なんとしても俺のものにしたいくらいに」
バレッタは真顔のまま、アロンドの瞳をじっと見つめる。
その眼差しに、アロンドは微笑みを消して真剣な表情で口を開いた。
「正直、打算もあるよ。キミはカズラ様やナルソン様のお気に入りだし、リーゼ様とも仲がいい。なにより、道具や機械の発明にかけては抜きんでた才能を持ってる。キミが俺の右腕になってくれるなら、将来的にいいことづくめだろう。でも、それはおまけみたいなものだよ。俺は、キミのような優しくて賢い女性に隣にいて欲しいんだ」
その台詞に、バレッタの瞳が少しだけ揺れたようにアロンドには見えた。
「どうかな、屋敷を離れて俺のところに……」
「ごめんなさい!」
アロンドが言い終わる前に、バレッタが勢いよく頭を下げた。
予想とは正反対の反応に、アロンドは口を開いたまま固まってしまう。
「本当にいいお話ですが、お受けすることはできないです。私なんかにもったいないお話、本当にありがとうございました。今日はこれで失礼いたします」
バレッタは頭を下げたまま一息に謝罪を述べると、アロンドの顔を見ないように振り返って馬車の戸に手をかけた。
アロンドは慌てて、バレッタの肩を掴んで引き留める。
「ちょ、ちょっと! まだ走行中……じゃなくて、どうしてダメなんだ!? いったい、何が気に入らないんだよ!?」
バレッタはアロンドに僅かながら振り返ると、少し寂しそうに微笑んだ。
「気に入るとか気に入らないとかじゃ、ないんです」
「じゃ、じゃあ、どうして!?」
バレッタは正面に向き直り、戸を開けた。
ガラガラと地面を転がる車輪の音が、ひと際大きく室内に響く。
「……私は、あの人じゃないとダメなんです」
言い終えると、バレッタはぴょんと馬車から跳んだ。
器用に地面に着地し、あっという間にその姿が戸口の景色から消える。
アロンドはしばらく戸口を見つめ、開きっぱなしになった戸に手を伸ばし、ばたんと勢いよく閉めた。
どかりと席に腰を下ろし、チッと舌を鳴らす。
「普通、あれだけ言われたら、少しくらいは揺れるだろ」
すこぶる不機嫌な声で、つぶやいた。
その頃、ナルソン邸の作業部屋では、アイザックが脱油機に豆をセットしていた。
上蓋をしっかりとロックし、電源ボタンを押す。
地鳴りのような音とともに油が出てくる様子を見守っていると、部屋の扉が開いてマリーが入ってきた。
両手には、2段重ねにされた大きな木箱を抱えている。
マリーは木箱の脇に顔を覗かせると、アイザックに小さく頭を下げた。
「追加の豆をお持ちいたしました。カズラ様とジルコニア様は、しばらく戻られないとのことです。その間、アイザック様は作業を続けるようにとのことです。私は昼食の支度の時間までお手伝いいたします」
「ん、分かった。その豆はこっちに持ってきてくれ」
「かしこまりました」
マリーはスタスタとアイザックの下まで来ると、丁寧な動作で木箱を下ろした。
「……ふむ」
アイザックは今しがたマリーが置いた木箱に手を伸ばし、彼女がそうしていたようにそれを2つまとめて抱え上げた。
そのずっしりとした重みを確かめるように木箱を見つめ、ちらりとマリーに目を向けた。
「こんな重いもの、よく持ってこれたな」
「えっ? は、はい!」
「重くなかったか?」
「お、重かったですが、ギリギリ持てるくらいで……」
「そうか」
アイザックは木箱を下ろすと、脱油機に目を向けた。
ガタガタと揺れる脱油機を、2人並んで黙って見つめる。
「……最近」
「はい?」
しばらくの沈黙の後、脱油機に目を向けたまま言葉を発したアイザックに、マリーは顔を向けた。
「最近、何かあったのか?」
「えっ?」
「ここ1ヵ月くらい、ずっと元気がないように見えてな」
「い、いえ、特にそのようなことは……」
「ハベルと、何かあったんじゃないのか?」
「えっ」
驚いた声を上げるマリーに、アイザックはちらりと目を向ける。
「やはりそうか。最近、お前たちが妙にぎくしゃくして見えたんだ。あいつにもそれとはなしに聞いてみたんだが、とぼけられてしまってな。ずいぶん経っているが、まだ解決しないのか」
「……」
マリーは俯き、足元に視線を落としている。
アイザックも脱油機に目を戻した。
「何があったのか知らないが、1人で悩んでいても解決しないことなのだろう? 誰かに話してみるのもいいかもしれないぞ。愚痴って気分が切り替えられることもあるからな」
きっとハベルと喧嘩でもしてしまったのだろう、と見当をつけて、軽い調子でアイザックは言う。
マリーは返事もせず、俯いたままだ。
「話せる相手がいなければ、俺に話してくれてもいいぞ? 絶対に他言なんてしないし、何なら俺が間に入ってあいつに説教してやったっていい。こんなかわいい妹を悲しませるなんて何事だ、ってな。はは……」
「……」
まったく反応を返さないマリーに、アイザックは額に汗を浮かべて言葉を探す。
思えば、日頃から彼女と顔を合わせているバレッタやエイラですら、何も聞き出せていない(たぶん)のだ。
会話も数えるほどしかしたことがない自分に、マリーが悩みを打ち明けるはずがない。
むしろ、逆に萎縮させてしまっているのでは。
そんな考えが頭をもたげる。
「そ、そうは言っても、やはり同じ女同士のほうが話しやすいか。まあ、あまり悩んでいても辛いだけだからな。折を見て誰かに話すなり、ハベルと話し合ってみるなり……」
「……本当に」
「ん?」
かすれるような声が微かに耳に入り、アイザックはマリーに顔を向け、言葉を止めた。
マリーはうつむいたままで、その表情を見ることはできない。
「本当に……秘密は守って、くださいますか?」
「あ、ああ! もちろんだ! 祖先の名に誓おう!」
即答するアイザックに、マリーはゆっくりと顔を向けた。
マリーの瞳は涙で満ちており、今にもあふれてしまいそうだ。
「助けて……ください……」
すがるような表情で、マリーは懇願した。
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