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146話:真意

 十数日後の朝。

 ナルソン邸の作業部屋で、一良はジルコニアと2人で脱油機の中を覗き込んでいた。

 脱油機は円筒形のもので、上蓋を開けて中に品物を入れる構造のものだ。

 スイッチを入れると中身が高速回転し、遠心力で水分を強制的に絞り出すのである。

 ちなみに、電源は外に置いてある発電機から引いている。


「これでよし。上手く搾れるといいんだけど」


 一抱えほどの大きさの布袋を脱油機の中に入れ、ガチン、と上蓋をロックした。

 布袋の中身は、蒸してからおおざっぱに潰した豆である。


「ここの筒から油が出てくるのですか?」


 ジルコニアは脱油機の前にしゃがみこみ、下部に付いている排油用の筒を覗き込んだ。

 当然ながら、筒の中は真っ暗だ。


「ええ、回し始めるとすぐに出てくると思いますよ。ジルコニアさんがスイッチを入れてみますか?」


「えっ、いいんですか?」


 タオルで手を拭きながら一良が言うと、ジルコニアが少し嬉しそうな声を上げた。


「どうぞどうぞ。そこの緑色のスイッチを押し込んでください」


 ジルコニアは立ち上がり、一良の隣に来ると脱油機の上蓋に付いているスイッチに指を添えた。

 その姿を見て、ふと一良の心にいたずら心が芽生えた。


「そうだ、押し込む時は、『ポチっとな』と掛け声をかけてくださいね」


「な、何なんですかそれは。どうしてそんな掛け声を?」


「上手くいきますように、というおまじないみたいなものです。さあ、どうぞ」


「は、はあ」


 ジルコニアはスイッチに向き直り、指に力を入れた。


「ポチっとな」


 そんな気の抜けた掛け声でスイッチが押されると同時に、低い地鳴りのような音が脱油機から響き出した。

 ガタガタと音を立てて小刻みに揺れる脱油機に、ジルコニアは不安げな表情になった。


「あ、あの、これって大丈夫なんですか? なんか壊れそうなくらい揺れてますし、音も……って、なんで笑いを噛み殺してるんですか!? やっぱり、あの掛け声はいらなかったんでしょう!?」


 一良の口元がニヤついていることに気づき、ジルコニアが顔を赤くする。


「す、すみません! 悪気しかなかったんです! それより、ほら、油が出てきましたよ!」


「悪気『しか』って何です……あ、本当! すごいです!」


 そんなやり取りをしていると、排油用の筒からチョロチョロと油混じりの液体が流れ出してきた。

 うっすらと黄色がかっており、日本で見るサラダ油のような色合いをしている。

 ジルコニアは筒の前に戻ってしゃがみ込み、先ほどのように穴を覗き込んだ。


「おー、どんどん出てきます……普通は丸一日以上かけて搾るので、これが一台あるだけで効率が跳ね上がりますね」


「そ、そんなに時間がかかるものなんですか……そういえば、これってなんていう豆なんです?」


「これは『冬マメ』という種類の豆ですね。収穫したてのものは採油用に使って、食用にするものは保存が利くように天日干しにするんです」


「へえ、天日干しですか。どんな料理に使えるんです?」


「スープとかお粥とか、煮込み料理に使うことが多いですね。故郷で暮らしていた頃は、冬場になると毎日豆のスープばかりで飽き飽きしてました」


 そうして15分ほど脱油機を回し続け、ようやく液体が出てこなくなった。

 脱油機を止めて蓋を開け、中から搾りカスになった豆を取り出して桶に移す。

 新たな豆を袋に詰め、再び脱油機にセットしてスイッチを入れた。


「今日も雪が降ってるんですかね?」


「降ってるみたいですよ。洗濯物が外に干せなくて大変だって、エイラがぼやいてました」


 年が明けてからというもの、この辺りではほぼ毎日雪が降り続いていた。

 カラっと晴れた日は数えるほどで、街はすっかり雪化粧に染まってしまっている。

 気温もかなり低く、早朝に外へ出ると顔が痛いくらいの寒さだった。


「うーん、ここ最近ずっと雪ですね。毎年こんな感じなんですか?」


「いえ、今年は例年に比べてかなり雪が多いですね。夏場は酷い猛暑でしたから、その反動でしょうか」


「ああ、夏の暑さが酷いと、その冬は寒さが厳しくなるって私も聞いたことが……ジルコニアさん、なんか嬉しそうですね。いいことでもあったんですか?」


 どことなく声色に楽しげなものを感じ、一良はジルコニアに目を向けた。

 ジルコニアはしゃがみこんで液体が出てくる様子を眺めながら、にこにこと嬉しそうにしている。


「これだけ寒ければ、たくさん氷が取れるだろうなって思ったら嬉しくて。今から夏が楽しみです」


「そうですねぇ。氷室も氷池も上手く作れましたし、期待できそうですよね」


 山岳地帯に作られた氷池には、雪が降り始める前にしっかりと水を張ることができていた。

 ジルコニアの口利きでふもとの村に氷室の管理を任せることができたので、管理体制は万全である。

 このまま順調に寒い日が続けば、たくさんの氷を蓄えることができるだろう。


「天然氷を使ったかき氷がかかってますもんね。そろそろ冷蔵庫の試作も始めないと……そうだ、ジルコニアさん専用の氷室も今から作りますか? かき氷用の氷がたっぷり貯蔵できる、少し大きめのやつを」


「あ、それいいですね……って、まるで私が食いしん坊みたいな言いかたですね」


「みたいなって……違うんですか? もうそういうイメージが定着しちゃってるんですけど」


「ち、違いますよ! 勝手に変なイメージで固めないでください!」


「うそうそ、冗談ですって。ちょっとからかっただけですよ」


「もう……本当に冗談って思ってます?」


「思ってますって」


「何割くらい?」


「……5割くらい」


「半分本気じゃないですかっ!」


 頬を膨らませて怒るジルコニアを、一良が笑いながら諫める。

 そんなことをしていると、部屋の扉が開いてアイザックが入ってきた。

 一抱えもありそうな大きな木箱を抱え、上蓋からはほかほかと湯気が立っている。


「カズラ様、追加の豆をお持ちいたしました。油搾りは順調ですか?」


「ええ、順調ですよ。バレッタさんのスクリュープレスでも搾れてますし、油の量産は上手くいきそうです」


 バレッタが設計したスクリュープレスは試作機が完成しており、今現在も絶賛稼働中だ。

 豆の収穫量がかなり多かったため、普段行われているような圧搾(隙間の開いた木箱に豆を入れ、上に石などの重しを載せて油を搾る)では油の抽出が間に合わないので、大急ぎで追加のスクリュープレスの生産に取り掛かっている状況である。

 その間の穴埋めとして、一良が持ってきた脱油機を使っているというわけだ。


「よし、こんなもんかな」


 液体の排出が止まったので脱油機を止め、フタを開けて搾りカスを取り出す。

 アイザックから豆を詰めた布袋を受け取り、脱油機に入れた。

 スイッチを入れて液体の排出が始まると、その光景にアイザックが「おお」と声を上げた。


「こんなに簡単に油が搾れるとは……」


「すごいわよね。これ1台で、普段の数百倍は早く油が搾れそう」


「そうですね、この調子なら油の価格が下がって市民の生活も……あ、そうだ。ナルソン様より伝言を預かっております。お2人とも、手が空いたら執務室に来て欲しいとのことです」


「執務室ね。何の用事かは聞いてる?」


「いえ、私は何も。ただ、少々深刻な顔をしておられましたので、明るい話題ではないかと」


 その言葉に、一良とジルコニアは、なんだろう、とお互い顔を見合わせた。




「苦情? バルベールから?」


「うむ」


 数分後、執務室にやってきた2人は、ナルソンの前に並んで座っていた。

 バルベール絡みの話と聞き、ジルコニアは険しい顔つきになっている。


「バルベールの国境沿いの小さな村が1つ、完全に破壊されたらしい。1人だけ生き残った者の証言によると、襲撃者は我が領の方向へと去っていったそうだ」


「たったそれだけの証言で、アルカディアの人間がバルベールの村を襲撃したと決めつけてきたってことですか?」


 驚いた表情で言う一良に、ナルソンが頷く。


「そうです。野盗まがいの連中を野放しにするな、こちらに迷惑をかけるんじゃない、といった旨の苦情を入れられました。苦情と合わせて、賠償金の請求もされております。これが、彼らの使者が持参した苦情内容と賠償請求の覚書です」


「よくも、そんなでたらめを……!」


 その声に一良が目を向けると、ジルコニアが憤怒の形相で覚書を睨みつけていた。

 彼女のこんな表情を見るのは、これで2度目だ。


「え、ええと、バルベールの言ってきていることが本当だという可能性はありますか?」


「まずあり得ないでしょう。バルベールへ向かうには国境沿いにある丘を通らなければならないのですが、そこには我が軍の砦があるうえに、所々に監視所を設けて常に兵士を巡回させています。野盗がそんな危険な場所を通るとは思えません」


「その砦を大きく迂回するようなルートはないんですか?」


「北西の山岳地帯かクレイラッツ側の山岳地帯を越えて行けば可能ですが、わざわざそんなことをしてまで我が国の国境に近いバルベールの村を襲いに行くメリットがありません。それに、今の時期に山越えなどしようものなら、バルベール領にたどり着く前に雪山で遭難死してしまうでしょう」


「やつらは挑発してきているのよ。10年前と同じように。村が破壊されたっていうのも、きっとデタラメか自作自演だわ」


 吐き捨てるように言うジルコニアに、一良とナルソンの視線が集まる。


「こちらが要求に応じなければ、それを口実に休戦協定を破って攻めてくるつもりよ。こちらも準備を整えないと」


「ふむ……」


 ジルコニアの意見に、ナルソンは腕組みして考え込んでいる。


「ナルソンさん的には、どういった見解なんですか?」


 一良の問いかけに、ナルソンは数秒の沈黙の後で顔を上げた。


「ジルの言うとおり、これは敵方の挑発行為とも見て取れます。ですが、それにしてはずいぶんとやり方が乱暴だなと」


「乱暴……ですか?」


「ええ。乱暴というか、あまりにも雑に思えます。やり口が強引すぎて、相手方の目的がよく分かりません。こちらに反発させようとしているにしても、やり口が下手すぎるかと」


「ジルコニアさんがさっき言ったような、休戦協定の期限切れ前に攻める口実作りが目的というのは? 反発させるのが目的だから、細かいところは気にしてないとか」


「それもありえない話ではないのですが、そんなやり口で休戦協定を破ったとなれば、バルベールの外交面での信用は失墜します。我が国だけと休戦しているのならともかく、クレイラッツ、プロティア、エルタイルとも彼らは休戦中なのです。1国を攻めれば、直ちに全同盟国を相手取った全面戦争に発展します。同盟国だけではなく、前回の戦争に参加していなかった他国や、苦労して和平を結んだ蛮族も態度を硬化させてしまうでしょう」


 ナルソンの見解を聞き、一良は首をひねった。

 休戦協定が結ばれてから今年で5年目になるが、バルベールから今回のようないちゃもんを付けられたことは一度もない。

 それがなぜ、ここにきていきなりこのような無茶苦茶な苦情を入れてきたのか。

 外交素人の一良には、ジルコニアの意見が一番しっくりくるように思えた。


「うーん……でも、念には念を入れて防衛体制を固めておいたほうがよくないですか?」


「本格的に防衛体制を固めるとなると、軍団を召集して準戦時体制に移行することになります。そうすれば、徴兵を行う関係で確実に経済は停滞します。これから経済が大きく活性化しようとしている矢先にそれを行うのは悪手だと私は考えますが」


「攻撃を受けてからでは遅いのよ。準備不足の状態で奴らの攻撃が始まったら、取り返しのつかないことになるわ」


 強い口調で訴えるジルコニアに、ナルソンがため息をつく。


「ジル、10年前から何度も言っているが、戦うには経済力が必要不可欠なのだ。徴募兵とその家族に支払う一時金、軍団を維持するための資金と食料、何につけても金が要る。準戦時体制に移行するということは、それが長期にわたって続くことになるんだぞ」


「そんなことは分かってる。でも、万が一に備えて戦う準備はしておくべきでしょう? 準戦時体制だなんて大がかりな体制に今すぐ移行しろとは言わないけど、一部の市民だけでも徴募して、訓練を行わせておくべきよ」


「こういった事態を補うために国境沿いに砦を造っているのだろうが。常備の兵も2個中隊(600人)置いているし、3000人近い労働者も生活しているんだぞ。そのうえ、現地にはイクシオスが常駐している。万が一彼らが攻めてきたとしても、砦に増援を送れば確実に撃退できるだろう」


「バルベールが攻撃してくると判明した後でも、イステリアからの増援が間に合うってことですか?」


 一良の質問に、ナルソンが頷く。


「間に合います。緊急となれば予備役を強制召集して、急ごしらえの軍団にはなりますが数日のうちに砦に駆けつけることができるでしょう。余程のことがない限り、遅くとも敵の攻撃が始まる十数日前には到着できます」


「こちらが敵方の動きを察知できないということは? いきなり砦が攻撃を受けたら、常駐している部隊だけでは耐えられないのでは?」


「それもあり得ないでしょう。バルベールという国は、大きな行動を起こす前に元老院での採決が必要なのです。その採決を経て、執政官が軍団の総司令官として戦地へ赴いて全軍の指揮を執ったり、首都から各軍団に指示を出すのです。敵国に大攻勢をかけるとなれば、あちこちに点在させている軍団にも指示を出すはずですし、その動きは大々的なものになります。我々がそれを察知できないはずがありません」


「ああ、だから前回の戦争の時は事前に防衛体制を整えることが出来たんですか……」


 国の仕組みが違うためか、バルベールはアルカディアに比べて大きな行動を起こすのに時間が掛かるようだ。

 アルカディアは地域ごとの領主の権限が非常に大きく、それぞれの領主がほぼ独裁的な統治を行っているので、物事の判断から行動までが早いのだろう。


「でも、もしかしたら敵方はすでに鉄製の装備を全軍に配備し終えているのかもしれないし、奴らが動き出してからでは徴募兵の訓練期間が……」


「ジル、お前の言い分も分かるが、今の時点でそこまで事を進める必要はない。外交官を送って話を収めることも十分可能だろう。それに、休戦協定の期限までまだ3年以上あるんだぞ。鉄器を手に入れたバルベールは、時間が経てば経つほど我々と戦力差を広げることができると考えているだろう。そう簡単に、協定破りしてまで攻めてくると思うか?」


「だ、だけど、もし私たちが鉄の精製を始めていることを彼らが知っているとしたら? こっちが鉄器を揃える前に攻めてこようって考えてもおかしくないでしょう?」


「それにしたって、鉄器を揃えるのにもかなり時間が掛かることは彼ら自身よく分かっているだろう。なにせ、彼らは我らのように高炉を持っているわけではないんだからな。あちこちに炉を大量に並べているわけでもないし、高炉の存在も秘匿している。こちらが鉄器の大量生産を行っているとは考えてもいないさ。もうしばらくして鉄器の流通が始まった後でも、それは変わらんよ」


 ジルコニアは再び何かを言いかけたが、口を閉ざすと視線を膝に落とした。


「しかしそうなると、苦情を入れてきた目的は何なんですかね?」


「そうですな……ただ単に嫌がらせをしてきただけか、そういった行動を取らなければならない何らかの理由が相手方に生じたかのどちらかでしょう」


「相手方の国内の都合ですか。なるほど、そういう考え方もあるんですね」


「はい。例えば、バルベールの軍の一部が反乱または暴徒化して付近の村を襲ってしまい、その事実を隠蔽するためにこちらに因縁を付けてきたという可能性もあります。バルベール国民も、アルカディアに襲われたと説明を受ければ納得……」


 ナルソンはそこまで言いかけて、しまった、といった表情で言葉を止めた。

 ジルコニアは相変わらず、膝に視線を落としたままだ。


「……ナルソンさん?」


「い、いえ、申し訳ございません。とにかく、バルベールの動向にはより注意をはらうようにいたします。相手方への対応は、国境付近の警備を増強する旨を提示することとします」


「賠償金の請求についてはどうします?」


「突っぱねます。証拠も何も提示されていないので」


「分かりました。……あの、もしもの話なんですが、バルベールが休戦協定を無視して攻撃してくると仮定した場合、ナルソンさんはどれくらいの時期になると考えているんですか?」


「休戦協定を破ること自体可能性は低いとは思いますが、破るとしたら早くても1年後の夏以降でしょう。入ってきている情報では執政官が昨年の夏頃に交代したばかりですし、新しい執政官の1人は元老院よりも市民の意見を重視する人物のようです。そんな状況のなかで彼らが大それた行動を起こすとは思えません」


「なるほど……」


 一良は頷きながら、隣でうなだれているジルコニアをちらりと見やった。

 何か言いたいことがあるのに我慢しているように、ぐっと口を閉ざしている。

 話の流れに納得していないのは間違いないだろう。


「ジル、不満はあるかもしれんが、たとえ一部の市民だけだとしても徴募などしたら、国中にいらぬ不安を広げてしまうことになる。復興に盛り上がっている熱も一気に冷めてしまうだろう。分かってくれ」


 ナルソンがそう言うと、ジルコニアは小さく息をついてから顔を上げた。


「……大丈夫よ。分かってる。出過ぎたことを言ってごめんなさい」


 少し困ったように微笑みながら言う彼女に、ナルソンは「やれやれ」といったふうに息をついている。

 そんな2人をよそに、一良の胸にはすっきりしないものがうずまいていた。

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