143話:年越しの宴
約1時間後。
屋敷の中庭を突っ切って、一良とバレッタはこっそり部屋の外に戻ってきた。
窓を開け、窓枠を乗り越えて部屋に入る。
部屋の電気は消えており、暖炉の炎が室内をほのかに照らしていた。
「あら、おかえりなさい」
声のした方向に2人が目を向けると、ドレス姿のジルコニアがソファーに腰掛けていた。
どうやらうたた寝をしていたらしく、「んー」とあくびを噛み殺しながら背伸びをしている。
「街に出かけてたんですか?」
「え、ええ。バレッタさんと一緒にお祭り見物に」
「まあ、いいですねぇ。でも、行く前に私にも声をかけて欲しかったです。もう、暇で暇で」
「は、はあ。ていうか、こんなところにいていいんですか? まだ宴の最中じゃ……」
「最初の挨拶には顔を出したので、いいんです。来てる人たちが用があるのはナルソンとリーゼですから、私がいなくなってもたぶんばれません」
どう考えてもばれるだろ、とでも言いたげな一良の視線をジルコニアは気にするでもなく、その後ろにいるバレッタに目を向けた。
「あ、そうそう。あなたのこと、エイラが探し回ってたわよ」
「えっ、エイラさんがですか?」
「うん。ずいぶんと焦ってる様子だったから、急ぎの用事があるんじゃないかしら」
「分かりました。ちょっと行ってきます」
バレッタがコートを脱いで頭の雪を払っていると、コンコン、と扉がノックされた。
それと同時に、ジルコニアはささっとソファーの陰に身を隠した。
きょとんとしている一良とバレッタに、ジルコニアは人差し指を唇に当てて「黙っていて」のポーズをする。
「カズラ様、おられますでしょうか?」
「あ、はい。どうぞ」
一良が返事をすると、失礼いたします、とエイラが部屋に入ってきた。
「よかった、お戻りに……あっ、バレッタ様!」
エイラはバレッタを見つけると、あからさまにほっとした表情になった。
「リーゼ様が宴の会場にてお待ちです。急ぎ、ご準備を」
「えっ、リーゼ様がですか? それに宴の会場って……」
「え、えっと、とにかく急いで連れてくるようにと申されまして……あの、そこにうずくまっているのは……ジルコニア様でしょうか?」
エイラがそう言うと、ジルコニアの肩がびくっと揺れた。
バレッタの背後の鏡に、ソファーの陰でうずくまっている姿がばっちり映っていた。
そうっと顔を覗かせたジルコニアに、エイラはぺこりと頭を下げる。
「ここにいらしたのですか……急ぎ、会場にお戻りください。皆様、探しておられます」
「も、もう少ししたら戻るわ。ちょっと調子が悪くて」
「『引きずってでも連れてこい』とナルソン様より屋敷中に指示が飛んでおります。その、少々お怒りのご様子なので……早く戻られたほうが……」
「うっ……分かったわ」
ジルコニアは半死人のような動きで立ち上がり、エイラに連れられてバレッタと一緒に部屋を出て行った。
一良もコートを脱いで雪を払い、一息つく。
「なんだか腹減ったな……皆忙しいだろうし、冷凍食品でもチンして食べるか」
キュウキュウと鳴る腹を擦り、冷凍庫から冷凍タコヤキを取り出して電子レンジにセットする。
ヴーンという無機質な電子レンジの駆動音に紛れて、遠くの宴会場からの華やかな音楽が微かに聞こえてきた。
先ほどまで触れていた街の喧騒を思い出し、無性に寂しい気分になる。
「……ちょっとだけ、調理場でも覗いてこよう。人のいるところにいたい」
ほかほかのタコヤキをレンジに残し、一良は部屋を後にした。
数十分後。
バレッタはエイラに連れられて、1階にある宴会場へと向かっていた。
首周りの大きく開いたパーティードレスを身に纏い、裾をつまんで早足で歩く。
普段着慣れないせいか、どうにも落ち着かない。
「あの、やっぱり私なんかが宴の席に行くのはまずいと思うんですけど……それに、こんなこと初めてでどうしたらいいか……」
「申しわけございません。リーゼ様がどうしてもとおっしゃっていて……立ち回りはリーゼ様がうまく計らってくださると思うので、それに合わせていただければ大丈夫ですから」
困惑しているバレッタに、エイラは心底申しわけなさそうな表情で言う。
ドレスを着せられている時にも、「なぜ自分が」とバレッタは質問したのだが、エイラも正直に理由を話すわけにはいかずに濁していた。
廊下を抜け、ホールへと続く大きな扉をエイラが開く。
途端に、がやがやと語り合う人びとの喧騒と、華やかな弦楽器の音楽が耳に飛び込んできた。
たくさんの燭台の灯りに照らされた室内は、煌びやかな衣装に身を包んだ男女でいっぱいだ。
2人がホールへと足を踏み入れると、近場にいた何人かの視線がバレッタに集まった。
「目が合ったら会釈する程度で構いません。私に付いてきてください」
「は、はい」
緊張するバレッタにエイラは小声で言うと、人びとの間を縫って歩き始めた。
バレッタはエイラとの隙間を空けないように、ぴったりとその後ろを付いていく。
「おい、どこの家のご令嬢だ?」
「いや、分からん。貴殿は?」
「私も知らないな」
「か、かわいい……」
すれ違う人びとの囁き声に、バレッタはなおのこと緊張してうつむきながらエイラに付いて行く。
幸い声をかけられることもなく、2人はホールの奥へと進んで行った。
少し歩き、何人かの男に囲まれているリーゼの下へとたどり着いた。
何やら話が盛り上がっているらしく、リーゼを中心に皆が楽しげに言葉を交わしている。
「リーゼ様、バレッタ様をお連れいたしました」
エイラの呼びかけにリーゼは振り返り、バレッタを見とめるとにっこりと微笑んだ。
その場にいる皆に視線を向けられ、バレッタは緊張と気恥ずかしさでおどおどしてしまう。
「よかった、来てくれて。ごめんね、急に呼び出しちゃって」
「い、いえ。大丈夫です」
「リーゼ様、そちらの女性は?」
「私の友人のバレッタです。無理を言って、宴に来てもらいましたの」
そっと背中に手を添えられ、バレッタは慌てて姿勢を正した。
「バレッタです。よろしくお願いします」
バレッタがぺこりと頭を下げると、男たちも一様に礼をして名を名乗った。
「失礼ですが、バレッタ嬢はどこの家のご令嬢で?」
「あ、彼女は貴族ではなく平民なんです」
リーゼがそう言うと、男たちは一様に驚いた様子で互いに顔を見合わせた。
「ただの平民の娘をこの宴にお招きに?」
「はい。せっかくの楽しい宴ですから、親友である彼女にも一緒に参加して欲しくて」
「……ふむ、リーゼ様は日頃から市民と交流が厚いですからな。気の置けない友人までお持ちとは、さすがです」
「身分に分け隔てなく接されるその懐の広さ、感服いたします」
リーゼの話に合わせるかのように、彼らは口々にリーゼを褒め称えている。
バレッタはどこか居心地が悪く、床に目を落とした。
「では、私はこの娘と一緒に少し何かつまんできますね。皆様、また後ほどお話させてください」
リーゼはそう言って会釈すると、バレッタの手を引いてそそくさとその場を後にした。
「来てくれてありがとう。ちょっと外に出よっか」
「はい」
繋いでいた手を離し、廊下へと続く出口に向かう。
だが、少し歩くたびに誰かしらがリーゼに声をかけてきて、何度も足止めをくってしまった。
リーゼはその一人ひとりに丁寧に挨拶をし、2、3言葉を交わしては別れるということを繰り返した。
しばらくしてようやくホールを出て、リーゼ専用に用意された休憩用の別室へと移った。
リーゼはソファーにぽすんと腰を下ろし、深くため息をついた。
「はあ、やっと抜け出せた。もう、夕方からずっと立ちっぱなしで話しどおしだったのよ」
「あ、それで私をお呼びになられたのですね」
「んー……本当はそうじゃないんだけどね」
リーゼはそう言うと、対面のソファーに腰掛けたバレッタに、ずい、と上体をせり出した。
「呼びに行かせてから来るまでにかなり時間がかかってたけど、どこにいたの?」
「えっ、そ、その……ずっと資料室にいました」
じっと目を見つめられ、バレッタはつい嘘をついてしまった。
リーゼはすぐに言葉を返さず、僅かな時間沈黙が流れる。
「……そうだったんだ。一人でずっと?」
「は、はい」
「ふーん……」
リーゼは視線を、バレッタの目からその胸元へと滑らせた。
そこには、先ほど小物屋で一良に買ってもらった銅のペンダントが揺れていた。
「それ、私もいいなって思ってたんだよね。同じものを売ってるお店が屋敷の資料室にあるなんて知らなかったわ」
「う……も、申しわけございません」
あっという間に看破され、バレッタは気まずそうに頭を下げた。
リーゼは「あーあ」とわざとらしくため息をつくと、大げさな仕草でソファーに背を預けた。
「カズラと街に出かけてきたの?」
「はい……」
「いいなー、二人でお祭りデートかぁ。まあ、私が同じ立場でもチャンスだって思うだろうし、誘って連れ出すのは当たり前か」
「……」
「ん、どうかした?」
「い、いえ」
バレッタの雰囲気に何かを感じたのか、リーゼがいぶかしげな視線を向ける。
バレッタは慌てて、ごまかそうと話題を探した。
「あ、あの……リーゼ様も、このペンダントが売っていたお店に行ったことがあるのですか?」
「うん。前にカズラと出かけた時に寄ったよ。そこで、これを買ってもらったの」
そう言い、胸元のペンダントをつまんでみせる。
枝に留まった鳥をモチーフにした、金のペンダントだ。
「かわいいでしょ。お店で一目惚れしちゃってさ」
「はい、すごくかわいいです。それ、いつも着けてますよね」
「うん、一番のお気に入りなの。そっちの花のペンダントもいいよね。ぴかぴかに磨いた銅細工ってとっても綺麗。これとどっちにしようかなって、すごく悩んだんだ」
「そうだったんですか。どうしてこれにしなかったんですか?」
「ほら、私っていろんな人に会うじゃない。その時に首に下げてるものが銅のペンダントだと、色々と都合が悪いのよ」
「都合が悪い……高価なものじゃないとダメってことですか?」
「うん」
複雑そうな表情で、リーゼが頷く。
「身に着けてるものが安いものだと、会う人によってはそれだけでバカにしてかかってくるのよ。なめられるって言ったほうがいいのかな」
「……」
「あ、ご、ごめん! 悪い意味で言ったんじゃないの! そういう人もいるっていう話で!」
黙ってしまったバレッタに、リーゼは慌てて弁明する。
「せっかくカズラが買ってくれるものなら、付け替えたりしないでいつも着けていたいって思ってさ。それ、カズラが最初にみつけて『これかわいいぞ』って教えてくれたやつだし、本当はそっちのほうがいいなって思ってたんだ」
「そ、そうだったんですか……」
バレッタは自身の胸元に揺れるペンダントをつまみ、それに目を落とした。
どことなく嬉しそうにしている様子に、リーゼはほっと息をつく。
「そのドレスにもすごく合ってるよ。そういえば、ドレスのサイズは大丈夫だった? きつくない?」
「あ、はい。胸のところが少しきついだけで、他は大丈夫です」
「……」
「……あ! き、きつかったのは着る時だけでした! 慣れればちょうどいいサイズですよ!」
「そう……」
その後も30分ほどだらだらと雑談し、話が途切れたところでリーゼは「さてと」と立ち上がった。
「はあ、そろそろ戻らないと。バレッタも一緒にいかない? 夜明けまでずっと立ちっぱなしになるけど」
「い、いえ、私は部屋に戻らせていただければと……」
バレッタがそう言うと、リーゼは「だよね」と苦笑した。
「分かった、戻っていいよ。呼び出しちゃってごめんね」
「いえ……えっと、頑張ってくださいね。いってらっしゃいませ」
「ん、ありがと」
腰を折って礼をするバレッタにリーゼは微笑むと、部屋を出て行った。
一方その頃。
人気のない廊下を、アロンドは真っ赤な顔でよろよろと歩いていた。
挨拶を交わした貴族たちに酒をしこたま飲まされて、これ以上は無理だと何とか隙を突いてホールを抜け出してきたのだ。
アロンドもリーゼほどではないが、年越しの宴では多くの貴族から挨拶を受ける。
そしてその都度、まあ一杯どうぞ、と酒を勧められるのだが、アロンドは他の者に比べてやたらと飲まされる傾向にあった。
というのも、アロンドは仕事柄あちこちの食事会に顔を出しており、そこでは勧められた酒は絶対に断らずにすべて飲み干すことをモットーとしているからである。
今回のような長丁場の宴会も例外ではなく、勧められた酒はすべて飲み干していた。
「くそ、ふざけやがって。いくらなんでも飲ませすぎだろうが……まだナルソン様にも挨拶してないってのに……」
とはいえ、アロンドはリーゼのように酒を真水に変換しているのではと噂されるような奇跡の肝臓は持ち合わせていない。
かなり酒に強いほうではあるのだが、飲み続ければこのように限界がやってくる。
近頃は一良から大量に物流の仕事を任されるようになったため、その急激な出世ぶりに嫉妬した他の役人たちからの『祝いの酒』と称した嫌がらせが飲みすぎの主な原因だった。
ふらつく身体に鞭を打ち、吐き気を抑え込みながら空いている休憩室を探して廊下を進む。
『使用中』と書かれた札の下がった部屋をいくつか通り過ぎた時、すぐ背後の部屋の扉ががちゃりと開いた。
振り返ると、そこには正装姿のハベルがいた。
「……兄上? 大丈夫ですか? 顔が真っ赤ですが」
「お、ハベルか。見てのとおり、あまり大丈夫じゃないんだよ。悪いんだけど、俺も一緒にその部屋で休ませて……」
弟の姿に表情を緩めてそう言いかけたアロンドだったが、急に目付きを鋭いものに変えた。
ハベルの背に隠れるようにして、マリーがこちらの様子を窺っていることに気付いたからだ。
「……おい、ハベル。そいつとここで、いったい何をしていた?」
急に底冷えのするような声で問いかけてくる兄に、ハベルは怪訝そうな表情になった。
マリーは怯えた様子で、ハベルの後ろで身を縮こませている。
「いい加減にしろよ。そいつが家の恥さらしだと、何回言ったら分かるんだ? まさか、お前がここまでバカだとは思わなかったぞ」
「いきなりどうしたというのですか。何を勘ちがッ!?」
「きゃあ!? ハベル様!!」
ハベルの言葉を遮って、アロンドはハベルに詰め寄るとその頬を思い切り殴りつけた。
部屋の中に吹っ飛んだハベルに、マリーが慌てて駆け寄る。
「まさかとは思っていたが、そういうことだったのか! お前も父上と同じだとはな!」
「ち、違います! これは、私がハベル様に……」
「黙れ。耳障りな声を出すんじゃない」
「っ……」
ギロリと睨みつけられ、マリーはびくっと肩を震わせて硬直した。
ハベルは口元の血をぬぐって立ち上がり、マリーを庇うように一歩前に出るとアロンドを睨みつけた。
「マリーは恥さらしなどではありません。発言を取り消してください」
「……なんだと?」
アロンドは部屋に入り、乱暴に扉を閉めた。
いつもの穏やかな表情からは想像もつかない、憤怒に染まった瞳でハベルを睨みつけている。
「そいつには奴隷の血が流れてるんだぞ。血統に奴隷の血が混じるってことがどれだけ不名誉なことか、どうして分からないんだ?」
アロンドの詰問にハベルは動じず、真っ直ぐに彼を睨み返した。
「マリーは私たちと同じ父を持つ兄妹ではないですか。本人ではどうにもできないような理由で、マリーに辛く当たるのはやめてください」
「てめえ!」
アロンドは激昂し、再びハベルに殴りかかった。
だが、酒のせいでふらついており、身構えていたハベルに簡単に避けられてしまう。
「兄上、落ち着いて下さい。酔った身体でそのように動いては……」
「うるせえッ!」
再び殴りかかってきたアロンドの拳を、ハベルはひょいと軽く避ける。
アロンドは勢いあまって、置かれていた丸テーブルを巻き込んで派手に転倒した。
だが、すぐに身を起こすと、ハベルの腰元めがけて体当たりをした。
2人してもつれるように床に倒れこみ、アロンドはハベルに馬乗りになって胸倉を掴むと拳を振り上げた。
「あ、兄上! やめてください! 気でも違ったのですか!?」
「気が違ってるのはお前のほうだろうが!」
アロンドは怒鳴りながら、ハベルの頬に拳を振り下ろした。
ガツッと鈍い音が響き、再びハベルの口から血が流れる。
「お前は家のことをなんだと思ってやがるんだ!? お前らがこいつを特別扱いするせいで、『ルーソン家は奴隷交じり』と陰で笑われているんだぞ!! お前までこんな……」
「やめてっ!!」
アロンドが再び振り上げた右腕に、マリーが飛びつくようにしてしがみついた。
「俺に触るな!」
「お願いです! もうやめてください!!」
「このっ……!?」
アロンドはマリーを振り払おうとして、その右腕がびくとも動かないことに気付いてぎょっとした。
その一瞬の隙を突き、ハベルはアロンドを両手で突き飛ばした。
「ぐっ……て、てめえら……」
アロンドが尻餅をついたまま顔を上げると、マリーに支えられながら身を起こしているハベルと目が合った。
ハベルは冷めた目付きで、アロンドをじっと見つめている。
「お前は……!」
アロンドはぎりっと音がするほど強く歯を食いしばり、ハベルを睨んだ。
そしてふらふらと立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。