141話:4人の首脳+1
今年最後の夜を目前に控え、夕焼け色に染まるイステリアの街はどことなく浮かれた雰囲気に包まれていた。
通りは人であふれ、商業区画にいたっては歩くのにも難儀するほどの過密具合でまさに戦場だ。
そんな場所からやや離れたナルソン邸の一室では、市民のそれとはかけ離れた空気に包まれていた。
「ほう、自分のところだけで手一杯で、連絡するのが遅れたと申すか」
来賓室のソファーに深く腰を下ろした白髪白髭の老人が、正面に座るナルソンに詰問するような口調で言う。
老人の名はエルミア・アルカディアン。この国の現国王だ。
歳はすでに70を超えているが、未だに現役を退かずに国王を続けている。
その隣では、目付きの悪い男が退屈そうに部屋を見渡している。
彼は第一王子であり、名前はルグロ。歳は28で既婚。子供もすでに4人いる。
向かい合って座る3人の左右には、グレゴルン領領主であるダイアス・グレゴルンと、フライス領領主のヘイシェル・フライスが座っている。
ダイアスは歳は45で、口元にはやしたカイゼル髭が印象的な、落ち着いた風貌の男だ。
ヘイシェルは歳は60ちょうど。大柄な体躯につるつるの頭、柔和な表情がよく似合う老紳士である。
結婚はしているが子供に恵まれず、養子も取っていない。
後継者をどうするかという問題が領内ではたびたび持ち上がっているが、未だに方向性すら決まっていない。
「はい。新しい試みの連続で、逐次各領地に連絡というわけにもいきませんでした。どの道具も試作にすらこぎつけていない状態でしたので」
「にしては、ずいぶんと領内は発展しているではないか」
「食糧事情が急改善した影響です。新しい道具のおかげで、鉱山の採掘量が増えたという理由もあります」
「ああ、確か手押しポンプとかいったか。私の耳にも入ってきておるぞ」
反応を確かめるように、エルミア国王はナルソンの顔を凝視して言う。
ナルソンは特に動じた様子もなく、「よくご存知で」と微笑んで見せた。
手押しポンプの存在を彼らが知っているという情報を、ナルソンは事前に得ていたからだ。
「はい。その道具のおかげで、鉱山では排水が行えるようになりました。古い鉱山は貯めた水を流し込んで崩落させ、残っていた鉱石を回収したりもしております」
「その道具はここにあるのか?」
「ございます。ごらんになられますか?」
「うむ。設計図も一緒に頼む。王都の職人を何人も連れて来ているから、その者らに作り方を教えてやってくれ」
「かしこまりました。技術提供の代金に関しましては、宴の後で契約書を作成するということでよろしいでしょうか。前回の取引と同様の形式にできればと思うのですが」
「ナルソンさんよ、あんた少し勘違いしてるんじゃねえの?」
ナルソンが答えると同時に、それまで退屈そうにしていたルグロが口を開いた。
「前にさ、水を汲み上げるぐるぐる回るやつ……ええと、なんだっけ?」
「水車ですか?」
「そう、それ。その水車の話を聞いた時も思ったんだけどさ、仲間同士もっと協力しようって姿勢を見せられないわけ? 4年前の戦争では皆が一丸となって戦ったんだからさ。それを忘れて仲間から金とろうってのはどうかと思うわけよ」
ぞんざいな口調で講釈をたれるルグロに、ナルソンは内心ため息をついた。
現国王であるエルミアは外交交渉や貴族の掌握に長け、領地運営もそこそこ上手く戦時の決断力もあり、統治者としては優秀な部類に入る。
だが、その息子である第一王子ルグロは、物事を深く考えて発言しないというか、その時の感情に従う性格というか、ナルソンに言わせれば『ダメな子』なのである。
国王は遅くにできた一粒種であるルグロに対して甘々で、褒めることばかりで怒ることをせずに好き勝手にやらせていた。
そのためか、彼は勉学にはまったく興味を示さず、『息子にはのびのびと育って欲しい』というエルミア国王の意向で誰も強制しなかったため、知識力は地の底だ。
若い頃は貴族の不良息子たちと勝手に市街をぶらついたり、場末の酒場で一般市民と乱闘騒ぎを起こしたりと問題行動のオンパレードだった。
結婚してからは問題行動はなりをひそめているが、チンピラのような性格は変わっていない。
彼に1ついいところがあるとすれば、王都の権力者には珍しく超愛妻家だということだろう。
妾や側室を一切持たず、妃殿下にベタ惚れで今もラブラブである。
「ルグロ様、それは違います。技術開発というものは非常に労力のかかるものでして、開発した者には相応の対価が支払われるべきなのです」
「んなことは分かってるよ。でもさ、俺たち皆仲間だよな? それなら金なんていらねえだろ。仲間なんだから協力し合えばいいじゃねえか」
「いえ、そうではなくてですね。いくら優れたものを作ってもタダで技術をとられてしまうとなっては、技術開発に取り組む意欲が薄れてしまいます。次からの技術開発に悪影響が出るのですよ」
「だから、んなことは分かってるんだって。でもさ、俺たち仲間じゃん? だったら協力し合うべきだろ?」
「い、いえ、だからですね……」
駄目だこいつは言葉が通じない、とナルソンが絶望していると、横からダイアスが「まあまあ」と止めに入ってくれた。
エルミア国王はそ知らぬ顔でお茶を啜っている。
「お互い譲れないことろがあるとは思いますが、この話はまた後日ということにして、とりあえず話を進めましょう。ナルソン殿、先日連絡のあった『鉄』について詳しくお聞かせいただけますか?」
「お、おお、そうですな。では先にそちらの話を片付けましょう。ルグロ様、よろしいでしょうか?」
「ん? ああ、別にいいけどよ。もっと仲間意識持とうぜ?」
「は、はい。では、すでにご存知かとは思いますが、我が領で新たに発見された鉄というものについて今一度説明させていただきます。これは青銅器に代わる画期的な材料でして……」
なるべく意識をルグロに向けないようにしながら、ナルソンは鉄器についての説明を始める。
そうしてひととおりの説明を終え、バルベールが鉄器を作っているだろうことも合わせて説明した。
「ふむ、鉄器をバルベールが作っているとな。なるほど、大規模な軍制改革の背景には鉄の存在があったわけか」
険しい表情で唸る国王に、ナルソンは頷く。
「はい。なので、我々も速やかに鉄器を製造しなければなりません。鉄の採掘方法と加工方法はすでに我が領の職人が確立済みです。情報は無償で提供いたしますので、各地で採掘と製造に取り組んでいただきたいのです」
「お、それだよそれ。ナルソンさん分かってきたじゃん」
「あ、ありがとうございます」
立てた親指を揺らしながら満足げに言うルグロに対し、ナルソンが引きつった笑みを浮かべる。
「ナルソン、平地ばかりの我が領では鉄鉱石はほとんど採掘できないだろう。出来上がった鉄器を売ってもらうかたちをお願いしたいのだが」
ヘイシェルの申し出に、ナルソンはすぐに頷いた。
「もちろんだ。だが、こっちは深刻な職人不足で生産力に不安があってな。よければ職人を貸してもらいたいのだが」
「分かった。戻ったら調整を行ってすぐに送り出そう」
「すまん、助かる。可能な限り早く鉄器を融通できるよう努力する」
「出来れば一定期間ごとに職人を入れ替えて、フライス領の職人の技術力を早く向上させたい。鉱石も安く送ってもらえるなら、精製も自分たちで何とかしよう」
「ならば、折をみてこちらからも技術指導の職人を何名か派遣することにしよう。鉱石の供給も任せておいてくれ」
「鉄器もそうですが、最近のバルベールの様子についてもお話してよろしいかな?」
黙って話を聞いていたダイアスが、深刻そうな表情で口を開いた。
「ん、何か懸念するようなことでも起こったのか?」
エルミア国王の問いに、ダイアスが頷く。
「はい。近頃、バルベールは我が国の国境線を睨むようなかたちで軍団を配置し始めているのは知ってのとおりですが、ことは陸地ばかりで起きているわけではないようです。我が領からほどないバルベールの街で、大量の軍船が建造されているとの情報が入ってきました」
「む、軍船か。それほどに多いのか?」
「数もそうですが、大きさが今までのものとは段違いのようです。何でも、船が2階建てになっていて、こぎ手が上下2段になっている大型船を建造したとか」
この世界で用いられている軍船は、2本のマストを備えた平べったい構造のガレー船が主流である。
ガレー船とは、多人数でオールを漕いで舟を動かす軍船だ。
戦い方は至極単純で、相手の軍船に接近して乗り込み、白兵戦で制圧するのだ。
それ以外の戦法となると、弓矢やスリングなどの射撃武器を用いた遠距離攻撃のみとなる。
「こぎ手が二段の大型船……これまたやっかいなものを作ってきたな」
「前回の海戦は隣国クレイラッツの援軍もあって我々は善戦しましたが、このまま手をこまねいていては次は危ういかもしれません。我々にも大型船が必要です」
「うむ……すぐに取り掛からねばならないか」
深刻な面持ちで唸るエルミア国王に、ダイアスが頷く。
「はい。そこで、皆様に私からお願いがあります。海軍力増強のため、資材と資金を我が領に提供していただきたいのです」
「それならば王都に職人を集めて集中して取り掛かったほうがよかろう。フライス領は隣だし、物資の輸送も安く済む」
「それはそうですが、海戦の主戦場となるのはバルベールと国境を接している我がグレゴルン領です。造船設備を整えるにしろ、職人を育てるにしろ、我が領で行ったほうが適切でしょう」
「ふむ……」
思案しているエルミア国王を一瞥すると、ダイアスはナルソンに顔を向けた。
「ナルソン殿、イステール領は優秀な職人を多数保有していると聞いているが、その者たちを貸してはいただけないだろうか?」
「確かに優秀な職人は多いが……海に面していない我が領は軍船の造船技術などほぼ皆無だぞ。そんな者たちを貸したところで役には立たないと思うが」
「それはそうだが、腕のいい大工職人を使えばより頑丈な船が作れるし、何より我が領としても手が足りないのだ。何とか頼まれてはくれないか」
「いや、そうは言ってもだな……今も受け入れ続けている移民に家も作らないとならないし、河川の治水工事やら古い建物の建て直しやらでこちらもいっぱいいっぱいなのだよ」
「むう、そうか……では、せめて毎年無償支援している食料をもっと減らせないだろうか」
「それなら協力できるだろう。後で試算しておくよ」
ナルソンが頷いた時、部屋の扉がノックされた。
扉が開き、緊張で強張った顔をした侍女が入ってきてふかぶかと頭を下げる。
「失礼いたします。宴の準備が整いましてございます」
「うむ。皆様、話の途中ですが、会場に参りましょう。続きはまた後ほど」
『年越しの宴』という何とも捻りのない名称をいつ誰が付けたのか、それは主催している本人たちも知らない永遠の謎である。
国が興った時から行われているのか、はたまたこの国がまだ小さな部族の集まりだった頃から行われていたのかも定かではない。
ともあれ、最初の目的はこうだったであろうことは、今に伝わっている宴の形式を見ればおのずと推測できる。
とりあえず理由をつけて集まり、大騒ぎしながら酒を飲み、作れるだけのコネをこしらえて、あわよくば将来の伴侶と運命の出会いを果たすのだ。
「うう、めんどくさいなあ。休んじゃダメかなあ?」
真紅のドレスに身を包み、リーゼは鏡の前で大きくため息をついた。
そんな彼女の後ろから、エイラはドレスの最終チェックを行っている。
「リーゼ様が欠席なんてしたら、来場された殿方が暴動を起こします。諦めて朝まで頑張ってきてください」
「暴動ってあんたね……ていうか、何で夕食時から朝日が昇るまでずっと宴会なんだろうね。いくらなんでも長すぎる気がするんだけど」
「そうですね……これは私の推測ですが、国が大きくなるにつれて宴会の規模が大きくなって、挨拶に要する時間が増えた結果、ずるずると延びていったのではないでしょうか」
「うわ、何かすごくそれっぽい。あと、朝までだったらその晩に仲良くなった男女が一夜を共にするのにもちょうどいい時間配分だよね」
「あー、それもありそうですね。朝チュンっていうやつですか」
「朝チュン? なにそれ?」
聞きなれない単語に、リーゼが鏡越しにエイラを見る。
「男女が一晩を伴にした後、朝に鳥のさえずりを聞きながら目覚めることってカズラ様がおっしゃっていました」
「……あんたち、普段どんな話してるのよ。ていうか、いつの間にそんな話ができる仲になってたわけ?」
「い、いえ、たまたま立ち話した時にそんな話になっただけですよ」
「たまたまの立ち話で下ネタにはならないでしょうが」
「え、ええと……」
エイラが答えに窮していると、部屋の扉がノックされた。
扉が開き、そろそろ開宴の挨拶が始まってしまうので急いで欲しい、と顔を覗かせた侍女が焦り顔で言う。
「こ、こんな話をしている場合じゃないですよ! 早く行かないと!」
エイラは慌てた様子でリーゼの背中を押し、扉へと急がせる。
「えー、何か消化不良だなあ……あ、カズラは今夜どうするか聞いてる?」
「しばらくしたら料理をつまみに行くとおっしゃってました。それ以外は自室に篭っていると」
「そっか。バレッタは?」
「特にうかがっておりません。ご自分の部屋か、カズラ様の部屋にいるのではないでしょうか」
「……エイラ、すぐにあの娘を見つけて、ドレス着せて会場まで引っ張ってきて。ドレスは私のを使っていいから」
「か、かしこまりました」
「ふう……よし、行ってくる」
リーゼは両手でぺしっと顔を叩くと気合を入れ、戦地へ向けて足を踏み出した。