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138話:薬の製法

「そっか、やっぱり分かりませんか……」


 天井のLEDライトが煌々と室内を照らす中、一良は浮かない表情でため息をついた。

 今しがたアイザックから渡された報告書に目を落とし、ぱらぱらとめくってみる。

 そこには民間で知られている薬の調合法と効能が羅列されており、それらの材料の分布まで細かく記載されていた。

 今までアイザックがほうぼうに手を尽くし、調べ上げたものだ。


「これらの薬は民間で伝わっているものということですが、効能的にはどんな具合なんです?」


「薬の種類にもよりますが、あまり重篤なものでなければ事足りる程度には効き目があります。それらの薬でも治らない場合は呪術師の薬を使うことになります」


「で、その呪術師の薬がバカみたいに高いと」


「はい。その薬でも治らないような病気の場合は祈祷も行いますが、それはさらに高額です」


「ああ、そういえば祈祷もするんでしたっけ」


 こちらの世界では何らかの病気に罹った場合、まずは街なかの商店や行商人から手に入れられる薬で治療を試みる。

 使う薬は海水(下剤)やミャギの乳(胃薬)といった比較的手に入りやすいものから、貴重な薬草を煎じたやや手に入りにくいものまで様々だ。

 当然、前者は安価で後者は高価である。

 それでも治癒しない場合は、呪術師が作った非常に高価な調合薬や祈祷に頼るしかない。


「ちなみにですが、祈祷1回でどれくらいするんです? 1000アル(新米兵士の初任給)くらいですか?」 


「いえ、地域によっても異なりますが、病の治癒を目的としたものは最低でもそれの5倍はします」


「高っ!? 本当に効くんですかそれ!?」


「よほどの難病でない限り、何度も継続して行えば完治もしくは症状を緩和することはできるようです。弱りすぎて意識を失っていて、薬を飲むこともできないような者は祈祷が最後の頼みの綱ですね」


 現代医療に慣れきっている一良は祈祷というものにかなり懐疑的だが、この世界では実際に効果があるらしい。

 それほど効力を発揮する祈祷とはいったいどんなものなのかと、かなり気になるところだ。


「祈祷って、神様にお祈りするんですよね?」


「呪術師の行う祈祷の詳細は分かりませんが、祈りを捧げる対象は神だけでなく精霊も含まれると思います」


「ふむ……で、祈りを捧げるだけで病気が治ったりするわけですか」


「ええ。ただ、呪術師の祈りは特殊なようで、我々のような者が捧げるものとは効果が段違いなんです」


「アイザックさんも神や精霊に祈りを捧げて、その加護か何かを得たことはあるんですか?」


 興味深げに尋ねる一良に、アイザックは当然のように頷いた。


「もちろんあります。先の戦では戦闘の度にオルマシオール様に祈りを捧げて、勇気と活力の加護を授けていただきました」


「へえ、そうなんですか。オルマシオール様の加護って、体感的にどういったものなんです?」


「そうですね……突撃してくる敵の軍勢を前にしても、怖いとか逃げ出したいといった気持ちがまったくなくなって、身体の奥底から力が漲ってきますね。民や仲間のためならここで死んでも本望だという、熱の塊のような衝動が湧き上がってくるというか……すみません、上手く表現できないです」


「そ、そうですか」


 何やら多分にアイザック本人の意志の力が影響しているようにも感じられるが、本人が祈りによる加護の力だと思っているのならそれでいいのだろう。


「カズラ様は願いを受けた際は、どのようなさじ加減で加護を与えているのですか? 豊穣の祈りなどでかなりお忙しいかと思いますが」


「い、いやあ、どうだったかな。そういうのってあんまり意識してやるものでもないっていうか何というか……」


 疑い一つ持たない澄んだ瞳で尋ねてくるアイザックに、一良は視線を泳がせて答える。

 すると、アイザックは何故か納得したような表情で深く頷いた。


「なるほど。日頃の行いの積み重ねや本人の運命さだめもありますし、一つ一つカズラ様が熟慮して加護を与えるといったものではないのですね。もしかして、祈りの加護は大地の精霊に任せているのですか?」


「ああ、うん……そうですね……任せっぱなしですかね……」


 一良が後ろめたそうに答えていると、部屋の扉が開いてバレッタが入ってきた。

 バレッタはアイザックの姿に気付くと、慌ててぺこりと頭を下げて挨拶をした。


「ごめんなさい、遅くなっちゃいました……あの、食事の仕度は……」


「少し前にマリーさんが来て材料を持っていったんで大丈夫です。バレッタさんは仕事で外に出てるって伝えてありますから」


「じゃあ、今から手伝いに行ってきますね。やること残ってるかな……」


「あ、バレッタさん」


「はい?」


 一良に呼び止められ、バレッタはドアノブに手をかけたまま振り返った。


「マリーさんなんですが、今朝からずっと元気がないみたいなんです。それで、ちょっとお願いがあって」


 その言葉に、バレッタはドアノブから手を離して一良に向き直った。


「今朝声をかけてみたんですけど、やっぱり私には話しづらいようで何も言ってくれなかったんです。それで、バレッタさんやエイラさんに彼女のことを気にかけてもらえたらなって」


「はい、私も今朝一緒に料理してる時に様子が変だなって……」


「あ、気付いてましたか。時間を置けば元気になるかなとも思ったんですが、さっき見た時もまだ暗い顔をしていたので気になって。すみませんが、彼女のこと気にかけておいて欲しいんです」


「はい、大丈夫です。後でエイラさんにも相談しておきますね。マリーちゃんも、私よりエイラさんのほうが話しやすいと思いますから」


「すみません、よろしくお願いします」


 すまなそうに言う一良にバレッタは優しく微笑むと、部屋を出て行った。

 アイザックは扉が閉まると、一良に顔を向けた。


「では、私も失礼いたします。呪術師組合の薬草園の見学は予定どおりでよろしいでしょうか?」


「お願いします。当日は薬の調合依頼もしてしまうつもりなので、そういった判断を下せる立場のかたに立ち会ってもらえるように手配してください」


「かしこまりました」


 アイザックは深々と頭を下げ、部屋を出て行った。

 一良はその背を見送り、椅子の背もたれに背を預けた。


「うーん、やっぱりハベルさんにも相談しておいたほうがいいのかな……でも、それだとあの2人揉めそうだしなぁ」


 酷く憔悴した様子のマリーを見ると何かと手を出したくなってしまうが、家族間の問題となると踏み込むのに躊躇してしまう。

 だが、マリーがアロンドから酷い扱いを受けているというのなら助けてやりたい。

 当人たちで解決してくれればそれが一番なのだが、今までの様子を見る限りそれは難しいように思えた。


「俺からアロンドさんに直接苦情を入れるのも一つの手か。でも、根本的な解決にはならないどころか、下手すりゃ悪化させるかもしれないしなぁ……」


 どうしたものかとひとしきり悩み、結局は結論を先延ばしにして再び報告書に目を落とすのだった。




 数日後の朝。

 一良はバレッタとリーゼ、それにアイザックを伴って、馬車でイステリアの北部にある呪術師組合の門の前にやってきた。

 馬車を降り、3メートルはあろうかという高いへいと閉じられた門を見上げる。

 塀は敷地をぐるっと囲んでおり、外から建物の中を窺うことはできない。

 騎乗して先導していたアイザックはラタから降りると、閉じられている門を叩いた。

 するとすぐに、中からローブを纏った年老いた男が現れた。


「アイザック様、お待ちしておりました。リーゼ様もご一緒とは……」


 男はリーゼに向き直り、ことさら丁寧に挨拶をする。

 彼は呪術師組合の幹部とのことだ。

 リーゼからしたら初対面なのだが、男はリーゼの顔を知っているようだった。


「そちらのお2人は?」


「ナルソン様のご友人のカズラ様と、イステリアの職人の取り纏めをしているバレッタ嬢だ。失礼のないようにな」


 アイザックが2人を紹介すると男はかしこまった様子で挨拶をし、皆を門の中へと招き入れた。


「「「おー」」」


 目の前に広がる光景に、アイザック以外の3人は思わず声を上げた。

 そこには広々とした庭園が広がっており、綺麗に剪定された樹木や、人の背丈ほどもある大岩がその景観を彩っていた。

 裸の女性をかたどった大理石の彫刻などもそこかしこに建てられていて、いかにも金がかかっているといった景観だ。

 庭園の先には2階建ての石造りの建物が建っていて、白い玉砂利が敷き詰められた幾重にも延びた小道の1つがその入口へと続いている。


「あの建物が薬草園ですか?」


「いえ、あれは我々の住居です。薬草園はこちらになります」


 男は一良にそう答えると、玉砂利の道を進み始めた。

 じゃりじゃりと石を踏みしめながら皆で付いていくと、道を横切るかたちで小さな池があった。

 対岸へと続いている短い橋を、男に続いて皆で渡る。


「あ、魚がいるよ」


 リーゼが立ち止まり、池を覗き込む。

 池の水は澄んでいて、中に生えている水草や泳いでいる魚がはっきりと見えた。


「ずいぶんと綺麗な池ですね。川の水を引いてるんですか?」


「はい。北から街に流れる川の水を引いています」


「水路が見えないようですが、どこにあるんです?」


「鉛の管が地面に埋まっておりまして、それを通じて水を引いています。下流側には排水用の管もあります」


「へえ、そりゃすごい……この水草って、もしかして薬草ですか?」


「いえ、それは池の水を綺麗に保つためのものです」


 一良の問いに、男は淡々と答える。

 にこりともせず、実に事務的な対応だ。

 どうやら、あまり歓迎されていないらしい。

 そのまま橋を渡って先に進むと、あたり一面が砂利で覆われた一角にたどり着いた。


「こちらが薬草園です」


 そこには古びた木造の小屋が何十棟も建っていて、そのどれもが高さ1メートルほどの石材の基礎を持っていた。

 小屋の壁には人の背丈ほどもある大きな窓がたくさん付いており、屋根にも観音開きの窓がいくつも設置されている。


「あの小屋で栽培しているんですか?」


「はい。中をご案内いたします」


 男に連れられ、小さな階段を上って小屋へと入る。

 中は石枠に囲まれた花壇のようになっており、青い葉を持った薬草が等間隔で植えられていた。

 ナルソン邸の屋上で育てているものとは比べるべくもないが、それなりに成長しているように見える。

 薬草同士の間は1メートルほども空いており、薬草以外には草一本生えていない。


「ふむ、こうやって育ててるんですか。ずいぶん隙間があるように見えますけど、これはどうしてです?」


「薬草は群れるのを嫌いますので、たとえ同種でも植物が近くにあると成長が止まってしまうのです。あまり密集させると、中には枯れてしまうものもありますので」


「なるほど……何かこう、おまじない的なことはやってるんですか? 豊作の儀式とか」


「もちろんやっております。昔ながらの方法ですが、動物の骨を細かく砕いて、それを炎で清めてから土に撒いております」


 それを聞き、一良は「おや?」と首を傾げた。


「えっ、骨を焼いてるんですか?」


「はい。浄化の意味も込めて、一旦焼いております。肉や皮がへばりついているままグレイシオール様に捧げるわけにはいかないので、それを取る意味もありますが」


「撒くのは一度きりですか?」


「いえ。加護の力を強めるために、可能な限りこまめに撒くようにしていますね」


 どうやら、彼らは知らず知らずのうちに骨肥(こっぴ・骨を高温で焼いて作る肥料)のようなものを作って撒いていたようだ。


「他にも何かやっていたりします?」


「やっておりますが、方法は門外不出のためお教えすることはできません」


 きっぱりと言い切る男に、傍で聞いていたアイザックはあからさまに顔をしかめた。

 いくらなんでも無礼すぎる態度だと感じたのだろう。

 一良は特に気にした様子もなく、「そうですか」と頷く。


「そのおまじないをするのとしないのとでは育ち方が違いますかね?」


「それはもう。雲泥の差です」


「実は、我々も薬草の増産に成功したんですよね。2ヶ月ほど前から始めたのですが、ここにあるやつよりも全然大きいですよ」


 その言葉に、男は驚いた表情で一良を見た。


「……どれほどの量を作られたのですか?」


「それなりの量とだけ。少なくともこの小屋で育っているものよりはたくさんあります」


「ここと似たようなかたちで育てているのですか?」


「いえ、雨ざらしですね」


 一良が答えると、男はあからさまにうさんくさそうな表情になった。


「そんな顔しないでください。嘘じゃないですから」


「いえ、疑ってなどは……種類はここにあるものと同じですか?」


「ええ、同じものもありますよ」


「いったいどんな儀式を行ったのですか?」


「それはちょっとお教えするわけにはいかないですね」


 一良が言うと、男の表情はさらに険しいものへと変化した。

 かなり疑いを持っているような目付きになっている。


「あ、いや、本当ですからね? つい最近になって、本当に薬草の増産に成功したんです。今日ここに来たのは、今後の薬草の取り扱いについて相談があってのことでして」


「……相談とは?」


 猜疑心に満ちた視線を向けてくる男にやりにくさを感じながらも、すまし顔のままでの対応を心がける。

 男の背後では、リーゼが「がんばって!」とでも言うかのように両の拳を胸の前で握っていた。

 バレッタはちょこちょこと室内を歩き回り、小屋の構造や薬草の植え方などを観察しているようだった。


「我々は薬草の増産には成功したのですが、肝心の薬の製法が分からないんです。それで、あなた方の力を借りたくて」


「申し訳ございません。たとえ領主様が相手だとしても、薬の製法はお教えすることはできないのです」


 すぐさま答える男に、一良は内心「ですよね」と頷いた。

 彼らは薬の製法を独占しているからこそ、こうやって一良たちに薬草園を見学させてくれたのだ。

 ここの真似をして他者が薬草を栽培したとしても、成長促進の儀式の手法や薬の製法が分からなければどうにもならないと考えているのだろう。


「ええ、それは分かってます。相談というのは、我々が栽培した薬草をあなた方に薬に調合していただきたい、ということなのです」


「ああ、そういうことですか」


 男は表情を緩め、笑みを見せた。


「それなら問題ありません。そちらで栽培した薬草を我々が受け取り、薬にしてお納めすればよろしいのですね?」


「はい。それと、今後は我々が生産した薬草をあなたがたに安定的に供給させていただきたいんです」


 一良の言葉に、男は少し驚いたような表情になった。


「……よろしいのですか?」


「ええ。あなた方は山や森で採れた薬草も市民から買い取っていると聞いているので、取引の仕方はそれに準じたかたちにできればと思います。それと、薬草の買取額は現在のものより下げていただいて構いません」


「ふむ。それはとてもありがたい話ですが……意図をお伺いしても?」


「薬の全体価格を下げていただきたいんです。現状ではあまりにも高価で、ごく一部の者しか使うことができません。もっと多くの人びとの手に届くように、裾野を広げていただきたいんです」


「……ふむ」


 一良が答えると、男は腕を組んで思案するような表情になった。

 その様子を、一良は怪訝そうに見つめる。


「いや、失敬。話は分かりました。それと、そちらがお買い求めになる薬の用途をお伺いしてもよろしいですか?」


「有事の際に困らないように、軍でもある程度取り置きしておこうということになりまして。薬は定期的に購入して新しいものに更新して、古い薬は処分する方針です。もちろん、そちらの指導の下で、ですが」


「なるほど、それはいいお考えですね。我々もいきなり大量に薬を寄越せと言われても急には準備できませんので、それであれば安心できます」


「ええ。それで、折りよく薬草の増産にも成功したので、呪術師組合に協力してもらってもっと薬の価格を下げられないかという話になったんです。何とか協力していただけませんか?」


「材料の薬草を安定供給していただけるというのなら、もちろん可能です。ただ、なにぶん薬の調合は非常に難しく、ご納得いただけるほどに価格を下げることができるかはお約束できません。そこはご理解を」


「ええ、それは大丈夫です。金額の細かい取り決めはまた後ほど相談しましょう」


 一良がそう言うと、男は少し考えるような素振りをした。


「……お尋ねしたいのですが、イステール家に買い取っていただける薬の量はどのくらいになりますか?」


「まだはっきりとは分かりませんが、けっして少ない量ではないですよ」


 高価な薬を定期的に彼らから購入する理由はもう1つ、彼らに対しても旨みを持たせるという目的がある。

 材料である薬草は彼らに安定供給するほかにも、一般的に知られている煎じ薬などにしてイステール家が安価に販売する予定だ。

 もちろん呪術師組合もそれらの薬は販売しており、イステール家が大々的にそれらを売り出すと実質的に商売敵となってしまう。

 そこで、彼らにも薬草を安く供給し、かつ高額な薬を定期的に購入する契約を交わすことで、相手に対して旨みを持たせて対立を避けるのだ。

 見たところ彼らの薬草生産は一良たちに比べてかなり効率が悪そうなので、この申し出は相手にとって旨みのほうが大きいはずだ。

 薬販売の利権で少し揉めることになる可能性もあるが、そこは何とか上手くやるしかない。


「そうですか……」


「何か問題が?」


「いえ……1つ提案があります。そちらに納める薬の分の薬草についてですが、我々が薬草を無償で受け取り、薬を納入する際に材料費を引いたうえで手数料をいただくというのはどうでしょうか」


「材料を先に渡して、金銭の受け渡しは最後の納品時ってことですか?」


「はい。薬の精製にはかなりの量の薬草を使います。なので、そのために膨大な量の薬草を買い取るとなると、先に我々が支払う金額も大変なものになってしまいますので」


「なるほど……」


 一良が納得して頷きかかった時、男の背後でバレッタがぶんぶんと手を振っているのに気がついた。

 バレッタは手でバツを作り、口パクで「ダメです!」と必死に訴えている。

 一瞬一良は考え、はっとした。


「どうかなされましたか?」


「い、いえ……あの、やはり通常どおりの取引にしてもらえませんか? そちらに薬草を買い取ってもらって、出来上がった薬を我々が購入するってかたちで」


「そう申されましても。我々も大量の薬草を一度に買い取れるほどに裕福なわけでもないので……」


 裕福のくだりはともかくとして、傍目に聞けば男の提案には何の問題もないように感じられる。

 だが、よく考えると一良たちにとってはかなり危険な提案なのだ。


「うーん……初めのうちは取引量を少なめにするってことにして、通常どおりの取引にしませんか? それなら問題ないでしょう?」


 一良が言うと、男は渋々といった様子で頷いた。

 そうして一旦話はまとまり、本契約は後日改めて、ということになった。

 門の外まで男に送ってもらったところで、一良は停めてあった馬車の中から小ぶりな植木鉢を引っ張り出した。

 鉢には種類の違う薬草が数本植えられていて、そのどれもが青々とした葉や太い茎を持っている。

 植木鉢の土は、普通のものに入れ替え済みだ。


「先ほどお話した、イステール家で栽培している薬草です。組合での協議の際に、皆さんにお見せいただければと思います」


 一良が男に鉢を手渡すと、彼はそれをしげしげと見つめた。

 その大きさに少し驚いているように見える。 

 それでは、と一良は挨拶をし、馬車に乗り込むとその場を後にした。




「バレッタさん、さっきは止めてくれて助かりました。まんまと丸め込まれるところでしたよ」


 馬車に乗ってすぐ、一良はバレッタに礼を言った。

 バレッタは「どういたしまして」と微笑んでいる。


「しかし、あんなに自然なかたちで引っ掛けようとしてくるとは驚いたな……どんだけがめついんだか」


「ねえねえ、あの提案の何がいけなかったの? 取引も簡略化されていい案に聞こえたんだけど」


 自分だけ話が理解できていないのが気に食わないのか、少し不満そうにリーゼが言う。


「いや、薬の製法って彼らが独占してるだろ? だから、こっちが先に無償で材料提供ってかたちにすると、『この材料からはこれだけの薬しか作れませんでした』って言われたらそれを信じるしかないんだよ」


 リーゼはすぐに、「ああ!」と手を打った。


「実際に作れる薬の量よりかなり少なめに言ってもばれないってことね?」


「そうそう。発注元が取引先に材料を無償提供して加工を依頼するってのは珍しい話じゃないから、最初は気付かなかったんだ。危ない危ない」


 物の移動があるごとにきっちりお金のやり取りをして話を進めるのなら問題ないが、それをせずに加工の手数料だけを支払うかたちにしてしまうと製法を独占している組合側はいくらでも誤魔化しがきく。

 バレッタが止めてくれなければ、まんまと彼らの都合のいいように話を纏められていただろう。


「やっぱり、こういった交渉ごとは慣れている人に頼んだほうがいいか。アロンドさんなら呪術師組合相手でも上手くやってくれるかな」


「アロンド様、ですか?」


 その名前に反応し、バレッタが聞き返した。


「ええ、彼って商売がすごく上手いんですよ。今までもかなり助けてもらってるんで、今回の件もお願いできれば安泰かなって。資材の調達や管理についても大部分は彼に任せているんで、今後はバレッタさんもちょこちょこ会う機会があると思いますよ」


「はい、先日大工職人さんのところで偶然お会いして、これからよろしくって言われました」


「あ、そうだったんですか。そういえば、この間お茶を出してもらった時に顔は合わせてましたね」


「はい。名前も覚えてくださっていて、帰りも馬車で送っていくって言ってくださったんです。マリーちゃんのことがあったのでもっと怖い人なのかなって思ってたんで、ちょっと意外でした」


「そうですね、彼女のことになるとあの家はちょっと複雑そうで……そういえば、あれから彼女は何か言ってました?」


「いえ、まだ何も……エイラさんも話してくれたみたいなんですけど、何でもない、の一点張りみたいで……でも、最近少しずつ元気になってきてるみたいです」


「うーん……どちらにせよ、今後は極力あの2人は会わせないようにしたほうがいいですね」


「……」


「ん? リーゼ、どうかしたか?」


 何やら考えている様子のリーゼに気付き、一良が声をかけた。


「んーん。お腹空いたなーって思って」


「ああ、そろそろ昼時だしな」


「うん。あのさ、帰ったらハーブティー飲みたいな。気分が楽になるやつ。何だか疲れちゃった」


「おう、いいぞ。リラックスティーでも淹れて、マリーさんやエイラさんも呼んで皆で飲むか」


 そんな話をしながら、3人は馬車に揺られて帰路に就いた。

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