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133話:神様の定義

 深夜。ふと気配を感じて、一良は目を開いた。

 顔を上げると、すぐ目の前に毛布を持ったジルコニアの姿があった。

 今まさにそれを掛けてくれようとしていたところのようだ。


「あ、すみま……」


 一良が言いかけると、ジルコニアは「静かに」とでも言うように唇に人差し指を当て、一良の左肩に目を向けた。

 その視線を追うと、リーゼが一良にもたれるかたちで毛布を掛けられて眠っていた。

 どうやら、いつの間にか布団を出て移動してきたようだ。

 両腕をしっかりと一良の左腕にからめ、すうすうと寝息を立てている。

 一良はジルコニアに視線を戻し、空いている手でちょいちょいと部屋の外を指差した。


「……?」


 首を傾げているジルコニアを尻目に、ゆっくりとリーゼの腕を解いてそのまま壁に持たれかけさせた。

 ジルコニアもそれで察したようで、そっと立ち上がると一良に手を差し出した。

 その手を取って立ち上がり、2人して部屋の外へ出る。

 居間は真っ暗で、空気は冷え切っていてかなり寒い。

 一良が後ろ手に扉を閉めると、ジルコニアは少し振り返った。

 

「外に行きませんか?」


「えっ。外って、滅茶苦茶寒いですよ?」


 一良が驚いた顔をすると、ジルコニアは小さく微笑んだ。


「でも、星が見れますよ」


 そう言い、肩に掛けていたストールを押さえてさっさと出口に向かう。

 一良も床に置かれていた外套を羽織り、慌てて後を追った。

 屋敷の外に出て、敷地を少し出たところで待っていた彼女の隣に並ぶ。


「うぅ、本当に寒いです」


「だから言ったじゃないですか……」


 呆れ顔で言う一良にジルコニアは少し笑い、夜空を見上げた。

 そこには真ん丸の月が浮かんでおり、周囲の星を霞ませるほどに明るく輝いていた。


「月が綺麗ですね」


「……そうですね」


 その反応にやや不自然なものを感じたのか、ジルコニアが不思議そうに一良を見やる。


「あ、いや……今ジルコニアさんが言った台詞が、私の世界では愛の告白の時に使われたりするっていう話があったなと思い出しまして」


「まあ……カズラさんの世界の告白って、すごく情緒があるんですね。何だか素敵です」


 ジルコニアは微笑み、再び夜空に目を向けた。


「こういうシチュエーションでそんなふうに告白されたら、思わずふらふらっとなびいてしまいそう」


「そんなに素敵ですか?」


「はい。何だかこう、ぐっとくるじゃないですか」


「そうかなあ……」


「まあ、言ってくる相手によりますけどね。やっぱり、少なからずいいなって想ってる相手じゃないと」


 結局はそこに集約されるんじゃないか、と一良は突っ込もうとして、本来話そうとしていた内容が完全に置いてけぼりになっていることに気付いて言葉を止めた。

 このまま雑談していたら、本題に入る前に身体が凍えてしまいそうだ。


「ええと……その話は置いておいてですね。昨晩の話がしたくて」


「食べ物の話、ですね」


「はい」


 あれやこれやと言い訳のような台詞をこの短い時間の中で考えていたのだが、小難しい台詞で誤魔化すのはやめにした。

 ジルコニアはどういう意図があってのことかは知らないが、おそらく本心を全て吐き出して食べ物の件を申し出たのだろう。

 だったら、自分も本心で答えるべきだ。


「あの話、やはり引き受けることはできないです」


「はい」


 一言ジルコニアは答え、そのまま星を眺めている。

 そのあまりにも薄いリアクションに、一良はぽかんとした。

 ジルコニアはその様子に気付くと、少し笑いながら「ごめんなさい」と言った。


「たぶん断られるだろうなって思ってましたから」


「……何でそう思ったんです?」


「だって、あんな話聞いたら普通断りますよ。何をしでかすか分からないって」


「でも、力が欲しかったんでしょう?」


「はい」


 その言い分に、一良はわけが分からないといったように眉を寄せる。


「なら、何であんな言い方したんですか。他にもっといい言い回しもあっただろうに」


 一良が問うと、ジルコニアは少しうつむいた。


「きっと、断って欲しかったんだと思います」


「……断って欲しかった?」


 聞き返す一良に、ジルコニアは再び「はい」と小さく答えた。


「ずっと、どんなことをしてでも目的を果たせるならそれでいいって考えていました。何を利用しても、何を犠牲にしても構わないって」


 そう言い、再び顔を上げて星空に目を向けた。


「でも今は、本当に自分がそうしたいのかすら分からないんです。私には、それしかなかったはずなのに」


 一良はどう答えていいのか分からず、星空を見上げているジルコニアの横顔を黙って見つめる。


「……もう何も残っていないって、思っていたんですけどね」


 ジルコニアはそうつぶやき、しばらくてから、はあ、とため息を漏らした。


「戻りましょうか。寒くて凍えてしまいそう」


 そう言って微笑むジルコニアに、一良は黙って頷いた。




 部屋に差し込む日の光に、一良は目を醒ました。

 隣には、一良の肩にもたれるようにして眠っているリーゼの姿がある。

 あの後、一良は再びリーゼの隣に戻り、壁にもたれて眠っていた。


「おい、リーゼ。朝だぞ」


「ん……」


 一良が肩を揺すると、リーゼはゆっくりと目を開いた。

 半分眠っているような顔を一良に向け、ぼうっと見つめる。


「……おはよ」


「おはよう。調子はどうだ?」


「……頭痛い。がんがんする」


 リーゼは少し顔をしかめ、再び一良の肩に顔を摺り寄せた。


「大丈夫か? 酷いようなら薬あるぞ」


「うん……もらおうかな」


 一良は頷くと、部屋の隅に置かれていたバッグから鎮痛剤と胃薬とリポDを取り出した。

 ぱちん、と銀色の包装から錠剤を取り出して、フタを外したリポDと一緒にリーゼに手渡す。


「ほら、飲んどけ。すぐに良くなるから」


「うん、ありがとう。カズラはどう? 傷は大丈夫?」


「痛みはあるけど大丈夫だよ。心配すんな」


「そっか」


 リーゼは錠剤をリポDで喉に流し込み、瓶を一良に返した。

 一良はそれを受け取り、おや、と首を傾げる。


「半分くらい残ってるぞ。全部飲んどけって」


「ううん。一良も飲みなよ。怪我してるし痛みもあるんでしょ?」


「いや、俺は大丈夫だよ。それに、その薬ならまだたくさん持ってるから」


「んー、そっか」


 リーゼはリポDを再度受け取ると、ぐいっと全部飲み干した。


「そういえば、傷をすぐに治せる薬とかはないの?」


「すぐにってのはないかな……ある程度回復を促進させるような薬はあるけど」


「そうなんだ。傷には塗ったの?」


「いや、まだ塗ってない。それに、こっちの世界の人たちには効果抜群なんだけど、俺にはそこまで効かないんだよ。今渡した飲み薬もそんな感じだ」


「そうなんだ……でも、塗らないよりはマシなんでしょ? 私が塗ってあげるから、出してくれる?」


 そううながされ、バッグから漢方薬のチューブの軟膏剤を取り出してリーゼに渡した。

 リーゼはそれを受け取ると一良の頭の包帯とガーゼを外し、昨晩ジルコニアがしたように自分の膝をぽんぽんと叩く。


「ほら、ここに頭置いて」


「このまま塗ればいいだろ……」


「私がやりにくいの。ほら」


 リーゼは一良の腕を掴んで引っ張ると、半ば強引に頭を膝に置かせた。

 チューブのフタを外し、赤い半生状の中身を指先に取り出す。


「うわ、この薬真っ赤だよ。大丈夫なのこれ?」


「大丈夫だから色は気にすんな。切り傷とかあかぎれとかによく効くんだよ。俺のが終わったらリーゼの手にも塗っておくか」


「うん、ありがと」


 リーゼは一良の髪を手で押さえ、傷にそっと軟膏を塗った。

 新しいガーゼを当て、包帯を巻きなおす。

 一良は身を起こし、今度は一良がリーゼの手の包帯を外した。

 乾いた血が滲んだ無数の切り傷が現れ、思わずぎょっと目を見張る。


「傷だらけじゃないか。痛かっただろうに」


「縫うほどじゃないし、一良の頭の傷ほどじゃないよ」


 リーゼはそう言うが、やや深く切ってしまっている箇所も見受けられてかなり痛々しい。

 普通に治療しただけでは、痕に残ってしまうだろう。

 傷口にすり込むようにして軟膏を塗り、新しい包帯を巻いてテープで止めた。


「これでよし。居間に行こうか」


「うん」


 一良が立ち上がって部屋の引き戸を開くと、目の前にバレッタの姿があった。

 バレッタは戸をノックしようとしていたかのように右手を上げており、今まさに一良たちを起こそうとしていたようだ。

 お互い思わず驚いてしまい、一歩後ずさる。


「うお、びっくりした。おはようございます」


「お、おはようございます。びっくりした……リーゼ様、おはようございます」


 バレッタは微笑み、一良の後ろで眠そうに目を擦っているリーゼにも挨拶をした。


「ん、おはよ」


「朝ごはんできてますよ。あと、カズラさんに謝りたいってみんなが来てて……家族の人たちは何とか帰したんですけど、あの娘たちだけはどうしてもって聞かなくて」


「あの娘たち?」


 振り返ったバレッタの視線を追って一良が居間に目を向けると、そこにはこの世の終わりのような表情で部屋の隅に正座している数人の少女たちがいた。

 皆がおでこや頬にガーゼや絆創膏を当てているが、大怪我をしている者はいないようだ。

 彼女たちは一良と目が合うと、一斉に床に頭をこすり付けて土下座した。


「「「本当に申し訳ございませんでした!!」」」


「おおう……」


 声を揃えて謝る姿に一良が気圧されていると、後ろにいたリーゼがその袖をぎゅっと掴んだ。

 リーゼは怒りのこもった瞳で、頭を下げる彼女たちをじっと睨んでいる。

 どうやら、昨日の事故の経緯を知っているらしい。

 声にこそ出さないが、かなり頭にきている様子だ。

 一良がその頭をぽんぽんと撫でると、リーゼはいぶかしんだ表情で一良を見た。


「そんな顔すんなって。彼女たちだってわざとやったわけじゃないんだから」


「……うん」


 ふう、と息をつき、リーゼは表情を緩める。

 一良は袖を掴んでいる手を放させると、彼女たちの下へ歩み寄ってしゃがみこんだ。


「顔を上げて下さい」


 一良が努めて優しい声でそう言うと、彼女たちはゆっくりと顔を上げた。

 全員泣きはらした顔をしており、目は充血して真っ赤になっていた。

 なかには、すでに涙をこぼしてえぐえぐと泣いてしまっている者もいる。


「え、ええと、昨日のことは……」


「ガズラざまぁぁ、ごべんなざいいい!」


「うえええん!」


 一良が話し始めると同時に、辛うじて涙を堪えていた者たちまで声を上げて泣き出してしまった。

 昨夜のリーゼもかくやというほどのマジ泣きである。


「うんうん。別に大した怪我もしてないし怒ってもいないから、そんなに泣かないでください。皆さんこそ平気でしたか?」


「大丈夫でずううう!」


「ごべんなざいいい!」


「ゆるじでぐだざいいい!」


「ああ、うん。分かったから。怒ってないから。とりあえず顔を……あ、バレッタさんすみません」


 いつの間にか傍に控えていたバレッタからタオルを受け取り、彼女たちに差し出す。

 しかし、あまりにも泣きすぎていて受け取るどころではない様子だったので、バレッタと2人で彼女たちの顔を拭いてやった。


「落ち着きました?」


「はい……」


「本当にすみませんでした……」


 しばらくして落ち着きを取り戻した彼女たちは、しゅんとした様子で改めて一良に謝罪した。

 いまだに暗い表情の彼女たちに、一良は優しく微笑みかける。


「まあ、皆大した怪我もしていないようで安心しました。でも、もうあんな真似はしないでくださいね」


 一良がそう言うと皆が頷いて再び謝罪し、そのうちの1人がおずおずと口を開いた。


「あの、カズラ様の頭の傷は……」


「ああ、少し切っただけなんで大した傷じゃないですよ。ジルコニアさんに縫ってもらいましたし、そのうち治……」


「ごべんなざいいい!」


「うえええん!」


「いや、大丈夫だから! もう泣かないで頼むから!」


 その後、このままここに置いておくと何度泣き止ませても無限ループになりそうだったので、全員を家に帰すことにした。

 屋敷の入口から彼女たちを見送り、やれやれと中に戻る。

 居間ではすでに食事の準備がされており、ジルコニアやバリンも席についていた。

 くたびれた様子の一良を見て、ジルコニアが微笑む。


「カズラさん、お疲れ様でした。大変でしたね」


「すみません、お騒がせしました」


 そそくさと一良も席につき、いただきますと皆で食事を取る。

 メニューは、豆を潰してどろどろにしたものにイモを入れて煮込んだスープと、囲炉裏の灰の中で焼いたパンだった。

 おそらく、パンの材料はジルコニアやリーゼのものとは分けて作られてあるのだろう。


「傷の具合はどうですか?」


「頭の傷は特に痛みもないですし、大丈夫ですよ。少し肩が痛むくらいです。後で湿布でも貼っておくかな」


「『シップ』って?」


 聞いたことのない単語に、隣に座っているリーゼが反応する。


「貼った場所を冷やす貼り薬だよ。ひんやりして気持ちがいいんだ。鎮痛効果もあるんだぞ」


「へえ、そんな薬もあるんだ。今私が貼ろうか?」


「いや、今は手持ちがないんだ。食事を終えたらあっちで手に入れないと」


 そう言いながら、一良は痛めた肩を擦った。

 鈍い痛みはあるが、動かせないほどではない。

 念のため、日本に戻ったら一度医者に診てもらったほうがいいかもしれない。


「バレッタさん、職人さんたちへの指導はどれくらいで終わりそうですか?」


「今夜には終わりますよ。温度調節が終わった後は火を止めてゆっくり冷まさないといけないので、窯からレンガを出すにはあと7日かかりますけど、その間にやることは特にありませんから」


「そしたら、明後日の朝には村を発てますね。今日で荷物を全部運び込まないと」


 指導にはもう少し時間がかかるだろうと一良は思っていたのだが、予想外に早く終わってしまうようだ。

 今日の午前中には肥料が日本の屋敷に届くので、結局いつものように丸一日かけてこちらの世界に運び込むことになってしまった。

 とはいえ、今回運びこむ量はそこまで大した量ではないので、焦らなくても大丈夫だろう。


「私たちにも何か手伝えることはある?」


「森の傍に肥料を運んでくるから、それを村の人たちと一緒に袋詰めしておいてくれるかな。少しだけ臭うかもしれないけど、まあ我慢してくれ」


「臭う? この間屋敷の屋上で使った肥料は何の臭いもしなかったけど、あれとは違うの?」


 一良の台詞に、リーゼが不思議そうに小首を傾げる。


「あれは園芸用の肥料だったからな。今回持ってくるのは、前に穀倉地帯に撒いてたやつと同じものなんだ。牛っていう動物のフンから作られてる肥料で、完熟発酵されててほとんど臭いはしないって話なんだけど、やっぱり少しは臭うんだよな」


「そ、そう……またフンなの……」


「ん? どうかしたか?」


「なんでもない……」


 その後、のんびりと朝食を済ませ、昨日と同じように一良は日本へと向かったのだった。




 一良を見送った後、バレッタは村内の空き家を改造して作られたハーブ園にやってきていた。

 家の床板はすべて剥がされ、中央に密集するようにして緑色の葉を持ったルッコラとイタリアンパセリが育っている。

 屋根は木板のスライド式で、壁に垂れ下がっている縄を引っ張れば開閉できる仕組みだ。

 窓も増設されており、可能な限りたくさんの光を取り込めるようにと工夫がされていた。


「バレッタ」


 バレッタがしゃがみこんでハーブの育ち具合を確認していると、背後から声をかけられた。

 振り返ると、今朝方家にきていた娘たちが入口から気まずそうに顔を覗かせていた。


「あの、昨日は本当にごめんなさい。あんなことになるなんて思ってなくて……」


「もういいよ。カズラさんも無事だったんだし」


「……もう、怒ってない?」


「怒ってないよ」


 恐る恐るといった様子で聞いてくる娘に、バレッタは少しバツが悪そうに答えた。

 昨日、気絶した一良が家に運び込まれた際、バレッタは真っ青になっている彼女たちに烈火のごとく怒声を浴びせたのだ。

 今までバレッタがそこまで感情を剥き出しにして怒りをあらわにしたことなど一度もなかったため、バリンをはじめとする他の村人たちは面食らってしまって声をかけることすらできなかった。

 ジルコニアが止めに入るとさすがにバレッタも声を荒げることを止め、その後は付きっ切りで一良の看病をしていた。

 そして今に至る、というわけである。


「わざと小屋を崩したわけじゃないし、昨日は私も言いすぎだった。ごめん」


「ううん、どう考えても悪いのは私たちだし、バレッタが謝ることはないよ」


「……カズラ様の傷、本当に大丈夫だったの?」


 おずおず、といった様子で娘の1人が問いかける。


「うん、目立った怪我は肩の打撲と頭の切り傷くらいだから」


「そっか……でも、グレイシオール様も怪我するんだね。神様って案外、私たちと同じようなものなのかな」


「あ、それは私も思った。私たちとは全然違う存在なんだろうなって勝手に思い込んでたんだけど、そんなことないみたいだね。不老不死で怪我も病気も一切しないんだろうなって思ってた」


「……」


「バレッタ、どうかしたの?」


 黙りこんでしまっているバレッタに、娘の1人が声をかける。


「……ううん、なんでもない。ひさしぶりに見に来たけど、ハーブの生育は順調そうだね」


「うん。言われたとおり雑草はすぐに抜いてるし、肥料もあげてるよ。乾燥ハーブもけっこう貯まってきたよ」


「よかった……種は採れた?」


「たくさん採れたよ。全部布袋に詰めてとっておいてある。ワイルドストロベリーの実もちゃんと乾燥できたよ」


 一良がイステリアに行っている間、バレッタたちは機械などの製造作業と平行して、ここのような空き家を改造してハーブの隔離生産も行っていた。

 ハーブが量産できれば地球産の野菜も量産できるということなので、試験的に取り組んでみることにしたのだ。

 一良がイステリアから村での生活に戻った折には、村での野菜や穀物の生産を申し出るつもりだった。

 これらはすべて、バレッタが一良に村に残って欲しいがために取り組んでいることである。

 いつかまた、以前のようにのんびりと2人で土いじりができる日がくることを夢見ていた。


「全部イステリアに持っていく?」


「少しだけもらえればいいよ。残りは皆で使っていいから」


「それじゃあ、後で家に届けるね。ここに生えてるやつも、いくらか詰めておくから」


「うん、お願い」


 無事に仲直りし、皆でおしゃべりしながらハーブを眺める。

 わずかに漂っていた緊張した空気はなくなり、いつもどおりの暖かな空間に戻っていた。


「(私、バカだな。皆、こんなに頑張ってくれてるのに)」


 娘たちはバレッタが許してくれたことに心底ほっとしている様子だったが、仲直りできて一番安堵しているのはバレッタだった。

 一良を追いかけてイステリアに行ってからというもの、村で行ったことをすべて自分1人で成し遂げたかのように、バレッタは一良に話してしまっていた。

 たが、村の皆が協力してくれたからこそ、すべて成し遂げることができたのだ。

 藁小屋の中で一良に、「他の村人たちに力を与えて欲しくない」というようなことを言ってしまったことを、バレッタは心底後悔していた。

 これほど色々と協力してもらっておいて、自分はなんと傲慢なことを言ってしまったのだろう。

 しかも、その時の話を聞いていたはずの彼女たちはそれには一切触れず、怒りに我を忘れて罵倒してしまった自分を許し、今もこうして仲間として受け入れてくれている。

 そう考えると、自分が恥ずかしくて仕方がなかった。


「この前、採りたてのハーブでお茶したんだけどさ。やっぱり生のハーブは乾燥させたやつより数段美味しくて……えっ、ちょ、バレッタ!?」


「な、何で泣いてるの!? どうしたの!?」


 急にぽろぽろと涙を零し始めたバレッタに、皆がぎょっとして目を向ける。


「ごめん……ごめんね……」


「いや、何が!? 何がごめんなの!?」


 慌てふためく友人たちの中で、バレッタはしばらく泣き続けていた。




 数時間後。

 雑木林の入口にはたくさんの村人が集まり、先ほど一良が運んできた堆肥を布袋に詰めていた。

 ジルコニアとリーゼも作業に加わり、せっせと袋詰め作業を行っている。

 バレッタはレンガ職人たちと一緒におり、今は耐火レンガ作りの指導をしながら合間合間に職人たちから窯作りの指導を受けている。


「リーゼ、無理しないで休んでなさい。血が滲んでるわ」


 リーゼがしゃがんで袋の口を広げていると、ジルコニアがシャベルを持つ手を止めて声をかけた。

 言われてリーゼが自分の手を見てみると、確かにじんわりと包帯の所どころが赤くなっていた。


「あ、これはカズラに塗ってもらったお薬の色です。血は止まっていますから、大丈夫です」


「あら、そうだったの。赤い薬なんて珍しいわね」


「はい。切り傷とあかぎれによく効く薬だってカズラは言っていました。けど、こんな色だと心配になってしまいます」


「まるで血みたいな色だものね。でも、カズラさんの持ってきた薬ならどんな傷でもすぐに綺麗に治っちゃいそう。案外、もうほとんど治ってたりして」


 そう言われ、リーゼは何となく包帯の巻かれた両手を握ったり開いたりしてみた。

 今朝までは少しでも動かすと鋭い痛みが走っていたのだが、今はほとんど痛みを感じなかった。

 ジルコニアの言うとおり、もしかしたら本当にもう治ってしまっているのかもしれない。


「……カズラって、本当に神様なんでしょうか」


 じっと手を見つめながら、リーゼはつぶやくように言った。

 そして、はっとして慌てて周囲を見渡す。

 幸い、他の村人たちからは少し離れており、聞かれてはいないようだ。


「どうしてそう思うの?」


「だって、神様だったらあんなふうに怪我したり気絶したりしないんじゃないかなって……私たちが勝手にそう思い込んでいるだけで、本当は神様も私たちと同じように怪我や病気をするのかもしれないですけど」


「そうね……他国の神話の中には、どこどこの神様がどこどこの神様に殺された、みたいな話もたくさんあるし、実際は私たちみたいに怪我したり死んだりするのかもしれないわね」


「お母様は、カズラが現れる前は神様はいるって信じていましたか?」


「んー……」


 ジルコニアは手を止め、少し考えるように首を傾げた。


「正直信じてなかったっていうか、今もあんまり……かな。天国とか地獄とか、あの世はあるって信じてるけど」


「あの世、ですか?」


「うん。だって、そう考えたほうが幸せじゃない。そう考えないと、やってられないわ」


「……」


「まあ、あったとしても私は地獄行きでしょうけどね。リーゼはどうなの? 神様はいるって信じてる?」


 そう問われ、リーゼは即座に頷いた。


「はい、もちろんです。ただ、カズラを見てるとちょっと信念が揺らぐというか……今まで想像していた像と、カズラはあまりにもかけ離れているので……」


 その答えに、ジルコニアが可笑しそうにくすくすと笑う。


「確かにそうね。でも、もし彼が神様じゃないとしたら、リーゼは何だと思うの?」


 再びシャベルで堆肥を袋に移しながら、ジルコニアが小声で問う。

 リーゼは少しの間黙って考えていたが、目だけでジルコニアを見上げると口を開いた。


「……ここではないどこか別の世界から来た人間、とか」


「なるほど、面白い考えね。それで?」


「それで?」


 問い返された意図が分からず、リーゼは首を傾げた。


「もし彼が神様を自称してるだけの別の世界から来た人間だとしたら、リーゼはどうするの?」


「……別にどうもしません。カズラはカズラですから」


「なら、それでいいんじゃない? 彼が何者であれ、今までの行いに変わりはないんだから」


「はい……でも、もし本当は人間で神様だと嘘をついているのだとしたら……少し悲しいです」


「うーん……まあ、そこは考え方にもよると思うけど。どちらにせよ、あまりそういう話をするのは止めなさい」


「はい……あ、カズラだ」


 2人が話をしていると、雑木林の奥から一良が農業用運搬車に乗ってやってきた。

 一良は2人の前まで来ると、ダンプ機能で荷台を持ち上げて堆肥を地面に降ろした。


「リーゼ、手は大丈夫か? 痛いようなら休んでおけよ」


「うん、ありがとう。痛みもないし、大丈夫だよ。一良こそ大丈夫? 肩痛いんでしょ?」


「鎮痛効果のある湿布を貼ったから大丈夫だ。今はほとんど痛くない」


 一良は日本に戻ってから病院で肩を診てもらったのだが、案の定「打撲ですね」と一言言われて終わってしまった。

 肩に貼っているのは、その時に処方してもらった経皮吸収型の鎮痛薬入り湿布である。


「へえ、すごいんだねそれ。肥料はあとどれくらいあるの?」


「あと10回分ってところかな。まあ、大した量じゃないから、のんびりやろう」


「うん」


 一良はそう言うと、再び雑木林の奥へと戻っていった。

 その姿を、リーゼはジルコニアと並んで見送る。


「ほんと、不思議な人ね」


 ぽつりと漏らしたジルコニアの言葉が、リーゼの耳に強く残った。

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