126話:パソコンを使おう
その日の夕方。
一良は自室のテーブルでリーゼと隣り合って座り、パソコンの使い方を教えていた。
先ほどリーゼにこの国の文字をすべて書き出してもらい、スキャナでパソコンに取り込んでフォント登録を済ませたところである。
その時リーゼが「私も使ってみたい」と申し出たので、こうしてマンツーマンで指導しているのだ。
元々リーゼにはパソコンで書類作成くらいはできるようになってもらうつもりだったので、自分から言い出してくれたのは好都合だった。
エイラやマリーにも教える予定だが、リーゼが使えるようになってくれれば指導も楽になる。
「まずはこれにカーソルを合わせて、さっき俺がやってたみたいにカチカチってマウスで2回クリックしてくれ」
「うん」
ノートパソコンの画面に映し出されている『徴税報告書』と名前の付けられたファイルを、一良が指で指し示す。
リーゼは右手に持ったマウスを持ち上げると、液晶画面に押し当てて2度クリックした。
「ええ……」
「た、ただの冗談だからそんな声出さないでよ」
一良が絶望したような声を漏らすと、リーゼは慌ててマウスをマウスパッドの上に戻した。
カーソルをゆっくりとファイルの上に移動させ、カチカチとダブルクリックする。
するとウィンドウが開き、表計算ソフトの画面が液晶に映し出された。
「あ、報告書と同じことが書いてある。なんだかあみあみしてる部分もあるけど」
「それは俺が昨日のうちに少しだけ書き写しておいたやつだな。あみあみしてるところは空きスペースだ。ちょっと貸してみ」
一良は半身をリーゼの前に割り込ませると、マウスを受け取った。
前もって作ってあった表を選択し、資料を見ながら内容を書き写す。
租税の種類は複数選択できるように設定されており、時期ごとの徴税結果が1つの画面で見られるような作りになっている。
計算式もあらかじめ入れてあるので、集計結果を間違えるといったことは絶対にない。
「わ、すごい。上手だね」
「手書きよりも圧倒的に早いだろ? ここを押すとグラフも出るようにしてあるから、数字とにらめっこしなくても前の年以前の税収と比較することができるぞ」
「おー!」
ぱっと現れた棒グラフを見て、リーゼが感嘆の声を上げた。
「これ、私もできるようになるの? すごく難しそうなんだけど」
「平気平気。そんなに難しいものじゃないし、すぐにできるようになるよ。まずは文字打ちに慣れようか」
キーボードのキーには、その1つ1つにこちらの世界の文字が書かれたシールが張られている。
リーゼは一良に教わりながらマウスを操作して表の空欄をクリックすると、キーボードと画面を交互に見ながら人差し指でキーを叩いた。
すると、先ほどフォント登録したこちらの世界の文字の1つが画面に現れた。
「書けた! 書けたよ!!」
「上手いじゃないか。その調子だぞ」
キーを叩いて文字を打つことに上手いもへったくれもないのだが、盛り上がっているリーゼを一良はおだてながら指導を続ける。
何かやるごとに「今のよかったな!」とか「センスあるぞ!」などと意味不明な持ち上げ方をしているが、おだてられているリーゼはまんざらでもない様子だ。
しばらくそんなことをしていると、部屋の扉がノックされた。
「バレッタです」
「え? あ、どうぞ」
一良が返事をすると、扉が開いてバレッタが入ってきた。
バレッタは並んで座っている2人を見て少したじろいだが、一良と目が合うと表情をとりなして「ただいまです」と微笑んだ。
「おかえりなさい。あの、アイザックさんたちと山岳地帯に向かったはずじゃ……」
「はい。今朝案内が終わったので、一足先に走って帰ってきちゃいました」
「そ、そうですか。走ってですか……」
バレッタは2人の下へ歩み寄ると、後ろからノートパソコンの画面を覗き込んだ。
リーゼはバレッタにちらりと顔を向け、「おかえりなさい」と微笑みかける。
そしてすぐに画面に目を戻し、タイピング作業を再開した。
かなり熱中しているようだ。
「これってもしかして、パソコンですか?」
「ええ。これが使えると何かと便利なんで、リーゼにも使えるようになってもらおうと思って。バレッタさんにも覚えてもらいたいんですけど、お願いできますかね?」
「あ、はい! ぜひ教えて下さい!」
「よかった。予備で持ってきたやつがダンボールに何台か入ってるんです。さっそくセッティングしましょう」
一良は席を立つと、部屋の隅に置いてある木箱に向かった。
ノートパソコンが梱包されている箱を取り出し、テーブルに運ぶ。
箱を開けてクリムゾンレッドのノートパソコンを引っ張り出すと、その様子を見守っていたバレッタが「おー」と声を上げた。
その声にリーゼも顔を上げ、美しい光沢を放つそれを見て同じように声を漏らした。
「ぴかぴかしていてすごく綺麗ですね。化粧品の箱みたいです」
「こっちのも綺麗でかっこいいけど、赤も素敵だね」
2人はそう言いながら表面を手で撫でたり、鏡のように反射している塗装に顔を映したりしている。
ちなみに、リーゼの使っているノートパソコンは白色で、こちらも表面塗装は美しい光沢を放っている。
「部屋のインテリアとしてもおかしくならないように、デザインも考えられてるみたいですね。赤とか白だけじゃなくて、他にもいろんな色のものがありますよ。そこの木箱にあと2台入ってますけど、色も違うやつを選んできました」
電源コードとマウスをセットし、起動する。
2人に見守られながら一良が初期設定を行っていると、部屋の扉がノックされてジルコニアが入ってきた。
手には数枚の皮紙を持っている。
「カズラさん、クレアからガラスの売買について気になる報告が……あら、バレッタ、帰ってきてたの」
「はい、先ほど戻ってきました。アイザックさんたちは2日後か3日後には戻ってくると思います」
「普通はそれくらいはかかるわよね。採掘作業は問題なく行えそう?」
「鉱石の見分け方から輸送の方法まで指示してきたので、大丈夫だと思います。何かあってもグリセア村の人が近くで炭焼きをしているので、問題はないはずです」
「よかった。後は製鉄炉を造って鉄の精製を行うだけね。明日にでも、さっそくグリセア村に向かいましょう」
生の耐火レンガの乾燥は順次行われており、バレッタが戻り次第グリセア村に運ぶ手はずとなっていた。
要はバレッタ待ちの状態だったので、早く帰ってきてくれたことは好都合だ。
「鉱山のこと、もう少し詳しく聞きたいわ。夕食を食べながら聞かせてくれない?」
「えっ、ご一緒させていただいてよろしいのですか?」
驚いた様子で問い返すバレッタに、ジルコニアはにっこりと微笑んだ。
「もちろんよ。それと、あなたさえよければ、これから食事は一緒にとるっていうのはどうかしら。しばらくは色々と手伝ってもらうことになるだろうし、そのほうがいいと思うのだけど」
「は、はい! ありがとうございます!」
思わぬ申し出に、バレッタは恐縮した様子で頭を下げた。
ジルコニアは頷くと、部屋の外にいる警備兵に指示を出した。
そうして扉を閉めると、一良たちの下へ歩み寄り、一良のいじっているノートパソコンの画面をしげしげと眺める。
「これは、河川工事の写真を見せていただいた時に使っていた道具ですか?」
「ええ、パソコンっていう道具です。リーゼとバレッタさんにも覚えてもらおうと思って」
「リーゼも使えるのですか。私にもできるかしら」
「あ、やってみます? そんなに難しいものじゃないんで、すぐにできるようになると思いますよ」
「まあ、ありがとうございます。後で使い方を教えてください」
ジルコニアはそう言うと、手にしていた皮紙を一良に差し出した。
一良はそれを受け取り、内容に目を走らせる。
「……えっ、これマジですか」
驚いている一良に、リーゼとバレッタも何事かと目を向けた。
「何て書いてあるの?」
「クレアに頼んでる闇取引の市場で、俺たちのもの以外のガラスの持ち込みが少しずつ増えてきてるらしい。そのせいで、一部のガラスの価格が低下してきているんだとさ。おそらくバルベール産だろうって書いてある」
「えっ!?」
それを聞き、リーゼは驚いたように声を上げた。
バレッタは横から皮紙を覗き込み、少し顔をしかめている。
「どの程度の品質なのかは分かりますか?」
「クレアの話では、泡が混じった色の濃いものが多いそうです。色は濃い黄色や紺色のものが出回っていると聞いています。透明度は低く、そこまで品質の高いものではないそうで、我々の流しているものの価値にはほとんど影響は出ていないとのことですが……彼らに新たな資金源ができたかもしれませんね」
「……鉄と銅ですね」
ぽつりと漏らしたバレッタに、皆の視線が集まる。
「鉄と銅? 何のことかしら?」
「あ……えっと……」
ジルコニアに問われ、バレッタは少し躊躇したように一良に目を向けた。
だが、やがて諦めたように口を開いた。
「断言はできませんが、それらのガラスは人工的に作られたものかもしれません。加工技術が低いと、ガラスを作る際に気泡が混じるんです。黄色と紺色のもののみが出回っているというのは、酸化した銅や鉄を混ぜて着色したからだと思います」
バレッタの説明を聞き、ジルコニアが一良に目を向ける。
「た、たぶん合ってます」
ガラスの色の付け方など一良はまったく知らなかったが、バレッタがそういうのなら正しい情報なのだろうと頷いた。
そんな一良の様子に、リーゼは「なんなのこの娘……」と言いたげな驚きの視線をバレッタに向けている。
「ということは、私たちも作ろうと思えばガラスを作ることができるの?」
「できますが、カズラさんが持ってきたものと同じ品質のものを作るのは難しいと思います」
「そう。カズラさんの持ってきたものは特別ってことなのね……カズラさん、彼らがガラスを作っているということはありえるでしょうか?」
「鉄を精製する技術力があるのなら、独自にガラスの製法を編み出していたとしても不思議ではないですね」
「そうですか……となると、今後彼らがガラスを量産し始めたら、さらに経済力が強化されることになりますね……」
「そうですね。ただでさえ国力では圧倒的に負けてるっていうのに……バレッタさん、どうかしましたか?」
何やら難しい顔で考え込んでいるバレッタに気づき、一良が小首を傾げる。
「いえ……もしバルベールがガラスの製造に成功していたのだとしたら、どうしてわざわざ闇市に流すような真似をしたのかなって」
「そりゃあ、私たちが思いついたのと同じように、流通量が少ないうちに少しでも稼いでおこうって考えたんじゃないですか? 結構儲かるんですよ、闇取引って」
「それはそうなんですけど……考えすぎなのかな」
納得がいかない様子で、バレッタは考え込んでいる。
「どのみち彼らがガラスの製造に成功していたら、近いうちに市場にガラスの皿とかコップが流通し始めますよ。バルベールがガラスを作ってるかどうかはその時になれば嫌でも分かりますし、とりあえず放置でいいんじゃないですかね」
一良の言葉に、バレッタは少し間をおいてから頷いた。
ジルコニアも一良に向き直って口を開く。
「では、とりあえずは様子見ですね。バルベールの資金繰りがよくなるとしたら困りものですけど」
「まあ、こっちで特にできることもないですからね。でも、そのうちバルベール産のガラスの品質も少しずつ上がってくるかもしれません。そうなると、こっちが流しているガラスの売値も少しは下がるかと」
「なら、彼らの流すガラスの品質が上がる前に、こちらの流すガラスの量を少し増やしましょう。先に稼いでおかないともったいないです」
「そうですね。ただ、あんまり一気に増やすと目立ちすぎるんで、そこのところは上手く調整してくださいね」
一良が釘を刺すと、ジルコニアはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫です、心得ていますわ。後でクレアに連絡しておきますね」
「ガラスのコップかあ。私も使ってみたいなー」
話が終わったとみたのか、リーゼが気の抜けた声を上げた。
少し前まで、リーゼは一良以外の者がいる時は常にピシッとしていたのだが、最近ではジルコニアがいても素の状態を見せるようになってきていた。
ジルコニアには雑貨屋で素の状態をモロに見られているので、今さら誤魔化しても仕方がないと考えているのかもしれない。
初対面であるバレッタにもそんな態度を見せたのはかなり意外だったが、そうしてもらったほうが一良としては楽だ。
「今度持ってきてやるよ。だからパソコン頑張るんだぞ」
「えっ、いいの? やった!」
「あら、いいわね。羨ましいわ」
喜んでいるリーゼを見て、ジルコニアも話に乗っかる。
リーゼの態度を気にする様子でもなく、むしろどこか楽しげだ。
「あ、もちろん皆の分も持ってきますよ」
「まあ、ありがとうございます。私もパソコン頑張りますね」
「は、はい」
「私、青いガラスのコップがいい! 透き通ってるやつ!」
「分かった分かった」
「私は赤がいいです。カキ氷が入れられるようなものだと嬉しいです」
「りょ、了解です」
「カズラさん」
一良が2人とそんな話をしていると、それまで黙っていたバレッタが声をかけてきた。
「あ、バレッタさんは何色がいいですか?」
「じゃあ、私はオレンジで……って、そうじゃなくて、あれって酸素バーナーですか?」
バレッタはそう言いながら、壁際のテーブルに置かれている酸素バーナーを指差す。
「ええ、そうですよ。使ってみます? ガラスロッドもたくさんありますけど」
「あ、はい。後で使ってみたいです。それで、あの酸素バーナーから出る炎って、温度はどれくらいなんですか?」
「だいたい2000度ってところですね」
「2000度……なら、大丈夫かな」
「ん、何がです?」
ぽつりとつぶやくように言うバレッタに、一良が小首を傾げる。
「それくらい高温でないと溶けないガラスなら、バルベールの人が火にかけても人工物だとはばれないかなって」
「実際にはもっと低い温度で柔らかくなりますけど、さすがにそこまで心配しなくても大丈夫ですよ。闇取引には形や大きさをいびつにして流してますし、量も絞ってるんでばれやしませんって」
「そうですよね。ごめんなさい、やっぱり考えすぎでした」
「あ、いやいや、これからも何か気づいたらどんどん言ってください」
「分かりました」
バレッタは頷くと、席について一良からパソコンのレクチャーを受け始めた。
そしてもう一度酸素バーナーにちらりと視線を向け、軽く首を振って再び画面に向き直るのだった。