124話:霧の先へ
夕焼け色に染まる森の中、コルツは目の前に立てられたカカシと向き合いながら、もぞもぞと足を動かしていた。
手には木の棒が握られており、握っている部分は若干擦れて黒くなってきている。
「うーん……何か違うんだよな。バレッタ姉ちゃんがやってるの、ちゃんと見てたんだけどなあ……」
以前見たバレッタの訓練姿を思い出しながら、棒を構える。
右半身を前に出すようにし、棒を腰の位置で握った。
彼女がやっていたように構えてみるが、どうにもしっくりこない。
「足が閉じすぎています。あと足1つ分広げましょう」
「うわあっ!?」
不意に背後から声をかけられ、コルツは口から心臓が飛び出さんばかりに驚いた。
振り向くと、そこには長い黒髪の若い女が立っていた。
長袖の旅服の上に外套をまとい、腰には長剣を挿している。
手には木編みのカゴを下げており、中には熟した木の実やキノコがたくさん入っていた。
剣を携えている以外は、村の入り口に駐屯している部隊の使用人と同じ格好だ。
「1人で練習をしているのですか?」
「……ごめんなさい」
コルツが謝ると、彼女はきょとんとした顔をした。
「どうして謝るのですか?」
「どうしてって……シア姉ちゃんたちが練習してるのを俺が隠れて見てたから、怒ってるんでしょ?」
コルツは村はずれの森でバレッタとシルベストリアが武術の訓練をしていることを偶然知ってから、こっそり隠れて毎日見学していた。
さっきの独り言を聞かれてそれがバレたのだと思い、怒られてしまうと怯えているのだ。
ちなみに、シア姉ちゃんとは子供たちが呼んでいるシルベストリアの愛称である。
「別に怒ったりはしませんよ」
ビクビクしているコルツに、彼女は困ったように苦笑した。
「でも、シア姉ちゃんには言うんでしょ?」
「言ったほうがいいですか?」
「や、やめてよ! シア姉ちゃん、怒るとめちゃくちゃ怖いんだよ!」
シルベストリアは普段はきさくでとても優しいが、本気で怒った時の迫力は半端ではない。
数日前、彼女が子どもたちと川に遊びに行っている隙に、いたずら好きな1人の男の子が彼女の天幕に『探検』と称して侵入したことがあった。
彼はベッドに立てかけてあった長剣を見つけると、こともあろうに鞘から抜いて天幕内で遊びだしてしまったのだ。
そして間の悪いことに、シルベストリアが釣竿を忘れたことに気づいて天幕に戻ってきてしまった。
何も知らずに天幕に入ったシルベストリアの鼻先ギリギリのところを男の子が振るった剣がかすめ、その後はもう地獄絵図である。
駐屯地中に響き渡るほどの怒声が彼女の天幕から発され、30分後には涙と鼻水で顔をぐしょぐしょにした男の子がガクガク震えながら失禁した状態で、兵士に家まで送り届けられた。
シア姉ちゃんを怒らせるととんでもないことになる、という認識が子供たちの間で共有された事件だった。
「分かりました。言いませんから、安心してください」
「……本当?」
「ええ、本当です」
「絶対に言わないでよ? 約束だよ?」
「はい。約束です」
彼女はコルツに優しく微笑むと、彼の持っている棒に目を向けた。
「私でよければ、剣術を教えて差し上げましょうか?」
「えっ、いいの!?」
驚きと期待に瞳を輝かせるコルツに、彼女は頷く。
「剣が使えるようになりたいのでしょう? 彼女たちのような形とは違いますが、それでもよければお教えしますよ」
彼女はそう言うと、カゴを下ろして剣を抜いた。
「まずは基本の形から始めましょう。私の真似をしてください」
両手で剣の柄を握り、剣先を頭上に向けて右腕を引き、胸の前で剣を掲げるようにする。
左半身を前にして斜めに立ち、足を大きく開いて少し膝を曲げて腰を落とした。
「いいですか。重心を下げるように意識して……どうしました?」
何ともいえない表情で見つめてくるコルツに、彼女は首を傾げた。
「その構え方、何だか格好悪い……」
「……後で格好いい構え方も教えます。さあ、構えてください」
彼女に促され、コルツは慌てて棒を構える。
彼女は一旦剣を下ろすと、コルツに歩み寄って背中に手を添えた。
「背筋が曲がっています。背中に一本棒を通したような感じ……で……」
「どうしたの?」
身体に触れた途端、急に言葉を詰まらせた彼女に、コルツは首を傾げた。
「……いえ。そう、手はその位置です。足の幅はもっと広げましょう」
彼女は何もなかったかのようにそう言うと、コルツの姿勢を直し始めた。
辺りが夕焼け色に染まる頃。
彼女は剣の振るいかたや受けかたなどをコルツに一通り教えると、剣を鞘に戻した。
「だいたいこのような形です。私も人がやっているのを見ていただけなので、これが正しいのかは分かりませんけど」
「ちょっ!? ここまで教えておいてそんなこと言うなよ!」
しこたま指導した後でとんでもないことを言う彼女に、コルツが不満の声を漏らす。
彼女は小さく笑うと、地面に置いておいたカゴを拾い上げた。
「たぶん大丈夫ですよ。だいたい合っているはずですから」
そう言って、カゴをコルツに差し出した。
「これを差し上げます。これだけあれば足りますか?」
「足りるけど……え、何で知ってるの?」
コルツはここに来る前、母親から近くの森でキノコと木の実を採ってくるように頼まれていた。
だが、彼女から剣術を教わっていて一切採集を行っていなかったので、当然のごとく手ぶらである。
最近はいつも言いつけそっちのけで剣術の真似事をしていたためにほとんど採集をしておらず、帰るたびに叱られていた。
「お父さんとお母さんの言うことは聞かないとダメです。次からは採集をしてから練習しましょうね」
彼女はずれた答えを返すと、コルツの頭を優しく撫でて微笑んだ。
「そろそろ日が落ちます。今日はもう帰りなさい」
「うん……明日も教えてくれる?」
「もちろんです。いつでもいらっしゃい」
「やった! 絶対だよ?」
飛び上がって喜ぶコルツに、彼女は苦笑した。
「約束は守りますよ。ほら、早く帰らないとご両親が心配しますよ」
彼女に背中を押され、コルツは家へと向かって歩き出した。
「あ、そうだ。お姉ちゃんの名前……あれ?」
まだ彼女の名前を聞いていなかったことに気づき、コルツは振り返った。
だがそこには誰もおらず、夕焼け色に染まる森が広がるばかりだ。
慌ててきょろきょろと辺りを見渡すが、気配すら感じられなかった。
声を上げて彼女を呼ぶが、声は空しく森に響くばかりで返事は返ってこない。
「……え、嘘だろ。もしかして、あの人も神様かよ。いったい何人いるんだよ」
コルツは一瞬焦ったが、かつて目の前で一良が消え去った時のことを思い出して落ち着きを取り戻した。
グレイシオールと毎日のように会っていたコルツにとって、ここにきてまた神が現れたとしても別に驚くようなことではない。
自分に剣術を教えてくれたことから、きっと彼女は戦いの神であるオルマシオールだろうと勝手に納得した。
それならば、自分が親から採集を頼まれていたことを知っていたことにも納得ができる。
「オルマシオール様も来たってことは、やっぱり戦争が始まるのかな……ていうか、オルマシオール様、カズラ様がイステリアに行っちゃったこと知らないのかな?」
コルツは少しの間その場で考えていたが、考えても仕方がないという結論に達し、家に向かって駆けていった。
翌日、一良はリーゼを伴って、イステリアの街なかにある一軒のレンガ工房を訪れていた。
工房の敷地はとても広く、高い屋根の付いた建物の中には大きなドーム状のレンガ窯がいくつも鎮座している。
そのなかの1つの窯の前で、一良は1人の白髪の老人と立ち話をしていた。
彼はこの工房の親方で、イステール領で1番の腕を持つレンガ職人だ。
イステリアに住む貴族の邸宅に使われているレンガは、ほとんどが彼の工房で作られたものであるらしい。
「ろう石を石臼で粉々に砕いたら、粘土とよく混ぜて普通のレンガと同じように整形して干しておいてください。混ぜる割合や大きさは、今渡した紙に書いてあるとおりでお願いします」
「ふむ、粉にしたろう石を混ぜると火に強くなるのですか。色々な場所の粘土を採ってきて試したことはありましたが、ろう石を混ぜたことはありませんでしたな」
彼は手渡された皮紙に目を落とし、感心した様子で顎を擦った。
「そのレンガの製法は極秘なので、外部には漏らさないようにお願いします。おそらく、今まで作られていたレンガとは耐熱性が段違いですので、他国に製法が漏れると厄介なことになりますから」
「ほう、そんなにすごいのですか。これは完成が楽しみですな。乾燥が終わったら、最優先で焼き上げることにしましょう」
「いえ、そのレンガは別の窯で焼くので、そのまま置いておいてください。後で回収しにきますから」
グリセア村にはバレッタお手製のレンガ窯があるはずなので、焼成作業はその窯を使う予定だ。
高炉に使う耐火レンガは長期にわたって酷使することになるので、どうせなら高品質なものを作りたい。
イステリアで耐火粘土を作成してレンガ窯を作ってもいいのだが、今から作るのでは時間がかかる。
日本製の耐火レンガを使って作られているグリセア村の窯を使ったほうが、より高温で焼けるために質のいい耐火レンガが造れるだろう。
「別の窯? ここよりも質のいい窯を持っている別の工房があるのですか?」
「いえ、質がいいというか……別の場所にろう石を使ったレンガで試験的に作った窯があるんですよ。そこでなら高温でレンガが焼けるので、そちらに持って行こうと思って」
一良が言葉を選びながら答えると、親方は「ほほう」と意味ありげに唸ってみせた。
「それはあれですか、最近噂になっているグレイシオール様のお力添えというやつですかな?」
「……何ですって?」
「おや、違いましたかな?」
思わず一良が聞き返すと、親方は意外そうな表情をした。
「あの、その噂ってどんな話なのか教えてもらえますか?」
「今年の夏ごろにグレイシオール様が領内に現れて、あちこちの村や街を救って回ったという話です。なんでも、今グレイシオール様はイステリアにやってきていて、穀倉地帯を復活させたり水車などの道具の知識を我々に与えて下さっているとか」
「そ、そうですか。それはすごい話ですね」
「もしかしたらとは思っていましたが、やはりただの噂話でしたか。まあ、グレイシオール様がそこまでイステール領を気にかけているのなら、この間の戦争の時にとっくに現れているはずですな。グレイシオール様にお会いできるかもと、少し期待していたのですが。残念です」
愉快そうに声を上げて笑う親方に一良は合わせるようにして笑う。
少し脚色されてはいるが、内容はほぼ当たっている。
「ところで、その試験的に作ったレンガ窯を私も見てみたいのですが、見せていただくことはできますか?」
「ええ、こちらとしてもぜひ見ていただきたいです。乾燥させたレンガを運ぶ際に、窯が置いてある村まで一緒に行きましょう。出来上がったレンガを使ってこちらにも窯や炉を造っていただかないといけないので、参考にしていただければと思います」
「それはよかった。どれほどの腕を持った職人が造ったのか、今から見るのが楽しみです。行く時は弟子たちも連れて行きましょう」
こうして話をつけ、一良たちは礼を言ってその場を後にするのだった。
「何だかんだで噂が広まっちゃってるみたいだね。さすがに騒ぎになるほどじゃないみたいだけど」
工房を出て馬車に乗り込むと、すぐにリーゼが小声で一良に話しかけた。
馬車は屋根付きの乗合馬車のような形状のものだ。
少し肌寒いが、周囲がよく見えるので個室型の馬車よりもこちらのほうがいいという意見で2人は一致していた。
ちなみに、この馬車は以前一良が日本で調べてきた『懸架式』という振動対策を採用した新型馬車である。
旧式の馬車に比べて乗り心地は格段にいいのだが、生産の優先順位が低いためにまだ数台しか作られておらず、一般層にまでは技術が普及していない。
「まあ、仕方ないといえば仕方ないけどな。若干、話に尾ひれが付いてるみたいだけど」
「噂話なんてそんなものでしょ。でも、けっこう当たってたね」
「そうだな。でも、水車の話まで出てくるとは思わなかったな」
以前、穀倉地帯で肥料散布の作業指示を出していた時に、一良の言葉をこの国の言葉を話せない者までが理解できたといった出来事があった。
噂の出所はその者たちであるはずなので、穀倉地帯の復活がグレイシオールの行いだとして噂が広まるのは分かる。
だが、水車の開発までがグレイシオール発であるということになっているのは予想外だった。
「広まってても穀倉地帯の復活止まりだと思ってたんだけど、噂ってのはどう脚色されるか分からないもんだな……」
「肥料を撒いた時と水車を設置し始めたのは同時期だったし、それは仕方ないんじゃない?」
「でも、慈悲と豊穣の神様が水車の作り方を教えるっていう話は違和感がないか? もっとこう、技術とか知識の神様の行いだって噂が立つなら分かるけどさ」
「そう? 別に変だとは思わないけど……そういえば、前にカズラの国にはオルマシオール様とかガイエルシオール様みたいなのがいるって言ってたけど、技術と知識が担当の人もいるの?」
「技術と知識……ああ、いるいる。天変地異を起こして世の中を恐怖のどん底に落とした後に学問の神様になったすごいお方が」
「な、なにそれ……名前はなんていうの?」
「菅原道真っていう、通称、天神様って呼ばれているお方だ」
菅原道真は、平安時代の政治家である。
一般的には文才に優れた学者として知られ、政治的な失脚の末に不遇の死を遂げた人物として有名だ。
死後に政敵を呪い殺したあげく、都に天変地異を巻き起こしたとされ、その怨念を静めるために御霊信仰と呼ばれる日本の独特な風習で神様として奉られた。
現在では天満宮(天満神社)が奉る学問の神様として、人びとの信仰を集めている。
「スガワラノミチザネシオール様か。長い名前だね」
「いや、シオールはいらないから」
「え? だって、スガワラノミチザネって『学問』って意味なんでしょ? 学問をつかさどるからスガワラノミチザネシオール様なんじゃないの?」
「それだと俺なんて『カズラシオール』になっちゃうだろ。そのまま菅原道真様でいいんだよ」
「……ああ! テンジンシオール様って呼び方が正しいってことね!」
「うん、言いたいことは何となく分かった。とりあえずシオールから離れようか」
ぱからぱからと蹄の音を聞きながら、2人は並んで言葉を交わす。
通りを行き交う人びとはリーゼを見ると立ち止まり、腰を折って挨拶をする。
いつもそうしているように、リーゼは笑顔で手を振ってそれらに応えていた。
並んで歩く一良にも自然と視線は集まり、あちこちで何やらひそひそと話している人びとの姿が視界に入る。
「そういえば、耐火レンガはイステリアでも作れるようにするの?」
「そのつもり。せっかくだから、生産効率がいい特殊なレンガ窯も作ろうかと思ってる」
「へえ、そんなのがあるんだ。どんな形してるの?」
「さっきの工房にあったような窯を、坂道に段々に設置して連結したような形かな。登り窯っていう窯で、一度にたくさんレンガとか土器を焼けるし、燃料も少なくて済むんだよ。もちろん炭焼きにも使えるぞ」
登り窯とは、かまくらのような形の窯を段にして何個も連結した形状の窯だ。
温かい空気は上に昇る性質があるので、それを利用して下の段の余熱を使い、上部の窯を温めることができる。
すべての窯には口がついており、そこから薪を追加して余熱で温まった窯を加熱できるので燃料の節約になる。
当然、生産効率も従来の窯に比べれば段違いだ。
「そうなんだ。なら、レンガの材料をたくさん用意しておかないといけないね。炭にする木材も用意しておかないと」
今は11月末であり、間もなく冬が訪れる。
冬場は薪の価格が上がると以前聞いた覚えがあったが、そこからさらに高騰させてしまっては市民に迷惑をかけてしまう。
食糧価格の低下で活気を取り戻し始めた市場に水を差しかねないので、大規模な買い付けは避けなければならないだろう。
もうしばらくしたら一良は一旦日本に戻る予定なので、その時にホームセンターで炭を大量購入してしまってもいい。
いざとなったら日本から高品質な鉄を直接持ってきてしまってもいいのだが、休戦協定の期限まで4年も猶予があるので、そこまで焦る必要はないと一良は考えていた。
「そうだな。そろそろ冬になるから需要も増えるだろうし、早めに確保しておかないといけないな……あ」
「どうしたの?」
ふと思い出したように声を上げた一良に、リーゼが小首を傾げる。
「4ヶ月くらい前の話なんだけどさ、グリセア村で作物が不作でどうにもならないから、代わりに木材を租税として納めるってことになったんだ。他にも同じ状態の農村がたくさんあるはずだから、それらの村からは少なくとも来年の春か夏までは租税は木材で入ってくるってことになるだろ? それを製鉄とレンガ作りの燃料に回せばいいんじゃないかな」
「へえ、そんなことになってたんだ。それなら、薪の心配はしなくてもよくなるね。どれくらい入ってきてるのか、後でお父様に聞いてみよっか」
「うん、そうしよう。しかし、まさか飢饉の影響が役立つ方向に働くとは思わなかったな。どこで何が関係してくるのか分からないもんだ」
そんな話をしながら、2人は馬車に揺られて次の目的地へと向かうのだった。




