120話:距離感
「ちょ、そんなに泣かなくても……」
「よがっだでずううう」
バレッタはカズラを見上げたまま、えぐえぐと声を上げて泣いている。
よほど感極まったのか、涙と鼻水で顔がすごいことになってしまっていた。
背後からその様子を見つめていたリーゼは、ぐっと拳を握ると2人に歩み寄った。
一良の袖をちょいちょいと引っ張り、そっとハンカチを手渡す。
「お、ありがと。ほら、バレッタさん」
「ず、ずびばぜん……」
バレッタは一良に顔を拭かれてなんとか落ち着くと、周囲の状況に気づいてはっとした表情になった。
自身の行動の恥ずかしさに顔を赤らめると同時に、一良の傍に立つリーゼと目が合い、表情を強張らせる。
そんなバレッタに、リーゼは優しく微笑んだ。
「あなたがカズラの言っていた職人さんですね。私はリーゼ・イステールです。これからよろしくお願いします」
「は、はははい! よろしくお願いします!! グリセア村から来ました、バレッタと申します!」
「そんなに硬くならないでください。気楽にいきましょう」
「えっ!? あ、あの、その」
「ね?」
「は、はい!」
雲の上の存在であるリーゼから気さくな物言いを受け、バレッタはしどろもどろになりながらもなんとか頷いた。
それと同時に、一良から聞いていた通りの人物だと少しだけほっとしていた。
彼女の目の前で一良に抱きつくような真似をしてしまったため、目の敵にされるのではと多少なりと恐れていたのだ。
「アイザックさん、彼女の泊まる場所ってもう決まってるんですかね?」
「一応昨晩は私の屋敷に泊まっていただきましたが、今後どうするのかはまだ決まっておりません」
「そっか。リーゼ、今日から彼女もこっちに泊まってもらってもいいかな?」
「うん、分かった。エイラ、4階の客室を彼女に使ってもらうわ。すぐに用意させて」
「かしこまりました」
「アイザック様、彼女の荷物はまだそちらの屋敷にあるのですか?」
「はい、すべて私の屋敷に置いてあります」
「マリー、お2人と一緒に行って、荷物を運んできてちょうだい」
「はい」
「あ、俺も一緒に行って手伝うよ。マリーさんだけじゃ大変だろうし」
そう言って一良が馬車に向かおうとすると、リーゼはその腕を掴んで引き止めた。
「向こうの屋敷にだって使用人はいるんだから、カズラが行かなくても大丈夫だよ。それより、明日からの予定の調整をしちゃおう? 彼女には職人の取り纏めをしてもらうだけってわけじゃなくなるんでしょ?」
「んー……そうだな。そうするか」
一良が付いてくると聞いて一瞬表情を輝かせたバレッタだったが、一良がそう返事をするとしゅんとした表情になった。
それに気づき、一良はバレッタに苦笑を向ける。
「バレッタさん、また後で話しましょう。戻ってきたら部屋にお邪魔してもいいですか?」
「あ、はい! ぜひ!」
「……じゃあ、私たちは一旦戻ろっか」
「おう」
リーゼに連れられて去っていく一良の背を見送り、バレッタは再びしょんぼりとした表情になった。
ぜひ一良にも付いてきて欲しかったのだが、リーゼの手前そんなことを言えるはずもない。
何より、ずいぶんと打ち解けている様子の2人を見て胸が苦しくなってしまっていた。
「あの、バレッタさん?」
「あ、ごめんなさい。行きましょう」
アイザックに声を掛けられ、バレッタはなんとか笑顔を作った。
そうして何度も振り返りながら、再び馬車に乗り込むのだった。
「いやしかし、まさかバレッタさんが来てくれるとは思わなかったな。これは頼もしい」
一良は自室に戻ると、椅子に腰掛けてスケジュール帳を開いた。
バレッタがやってきたとあっては、当初の計画のように職人の取り纏めをしてもらうだけというのはもったいない。
可能な限り手元に置いて、力を借りるのがベストだろう。
「あの娘って、前に言ってたカズラがお世話になってた家の娘だよね? そんなにすごい娘なの?」
嬉しそうにしている一良に、リーゼは扉の前に立ったまま問いかける。
「すごいどころの話じゃないよ。記憶力はずば抜けてるし、応用力と発想力もかなりのもんだ。しかも新しいことへの学習意欲と飲み込みの早さが半端じゃない。ああいう人を天才っていうんだろうな」
「そんなにすごい娘なら、何で今まで呼び寄せなかったの?」
リーゼはそう言いながら、座っている一良のすぐ背後まで歩み寄った。
その両肩にそっと手を置き、後ろからスケジュール帳を覗き込む。
「俺も本当は来て欲しかったんだけど、グリセア村を離れる気はないって言ってたことがあってさ。彼女はお父さんと2人暮らしなんだけど、お父さんを1人にしたくなかったんだと思う。……あれ、バリンさんどうしてるんだろ。こっちに来るんだろうか」
「あなたたち、仲良さそうだよね」
「そりゃあ、1ヶ月くらい一緒に生活してたからな」
「……私とのほうが長いじゃない」
リーゼはそう言うと、一良の首に腕を回し、ぎゅっと抱きついた。
「こ、こら、何してるんだ」
「嫉妬してるの」
息がかかるほどの耳元で囁き、腕の力を緩めて顔を少し離す。
「なんちゃって」
「おま……」
「あの娘の部屋の様子見てくるね」
一良が振り向きながら口を開きかけるとリーゼは被せるように言い、小走りで部屋を出て行った。
バレッタたちはアイザックの屋敷に到着すると、さっそく荷物を荷馬車に積み込み始めた。
マリーは重そうな木箱を1人で抱え、ひょいひょいと軽快な足取りで運んでいく。
「あの、それは重いので私が運びますから……」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
心配するバレッタに笑顔を向け、マリーは木箱を抱えたまま荷馬車へと歩いていく。
まるで重さを感じさせない足取りで、自身の力にも疑問を持っているようには見られなかった。
「どうやら、彼女も祝福の力を授かっているようですね。私も今日初めて知りました……」
「そ、そうですか」
バレッタはとりあえず頷くと、アイザックや使用人とともに荷物を抱えては荷馬車へと運ぶ。
本や食料、村で作った機械や設計図など、荷物はかなりの量がある。
衣料品はアイザックがあらかじめ用意してくれており、上等な洋服を何着か貰っていた。
「アイザックさん、他国の資料の閲覧って、私にもさせてもらうことはできますか?」
「内容にもよりますが、どういったものが見たいんです?」
「品物の生産量の資料と、外交状況の資料が見たいです。できれば早めに見たいんですけど……」
バレッタの言葉に、アイザックは不思議そうに首を傾げた。
「そういった資料は極秘扱いなので、ナルソン様かジルコニア様に許可をいただかないと……それに、そんなものを見てどうするんです?」
そう問われ、バレッタは少し困ったような顔になった。
「ちょっと気になっていることがあって」
「気になっていること、ですか?」
「はい。といっても、夢の話なんですけど」
「ゆ、夢ですか? 夢の話を持ち出されては、さすがにナルソン様に話を通しにくいのですが……バレッタさんならカズラ様に頼めば、見せていただけるんじゃないですか?」
困り顔で言うアイザックに、バレッタは少し口ごもる。
自分でも無理なお願いをしているのは、よく分かっていた。
「……いえ、カズラさんにはその……万が一、ということがありますし」
「あの、話がまったく見えてこないのですが……」
バレッタは少し考え込むと、アイザックに向き直った。
「アイザックさん、絶対に誰にも言わないと約束していただけますか?」
「えっと、それは夢の話ですか?」
「もっと重要なことです。国の行く末に関わるような」
真剣な表情で見つめてくるバレッタに、アイザックは困惑しながらも頷いた。
バレッタはアイザックを広場の隅に連れて行くと、木箱を置いてフタを開けた。
そして、中から銀色に鈍く輝く長方形の塊を取り出した。
「これは?」
「鉄という金属です。青銅よりも強く、鋭く、軽く、安価で、世界を席巻する力を持つ次世代の金属です」
「……え?」
「もしかしたら、他国では……バルベールではすでにこれを作っているかもしれません。もしそうだとしたら、私たちには時間がありません」
「ちょ、ちょっと待ってください。それとバレッタさんが見た夢と、どう関係があるんですか?」
「夢の中で、大きなウリボゥに警告されたんです『やつらは手当たり次第に、目に付く全ての木を切り倒しているぞ』って。鉄の精製には大量の燃料が必要になります。もし夢の警告が本当のことで、やつら……バルベールが鉄を作っているとしたら、すでに大量生産に入っている可能性が高いんです」
それを聞き、アイザックはぎょっとした。
何ヶ月も前の話になるが、アイザックは確かにハベルとともにナルソンから聞いたのだ。
『最近、バルベールでは木材の生産量が急激に増加している』と。
戦時中にバルベールでは錫が枯渇したという噂と、現在の木材の大量生産の話がしっかりと結びついてしまった。
そんなアイザックに構わず、バレッタは言葉を続ける。
「鉄を味方につけた文明に、青銅しか持たない文明は勝てません。戦えば、必ず負けます。しかも相手がバルベールほどの大国であれば、状況は絶望的になります。だから……」
バレッタはそう言うと、木箱の中に目を落とした。
中には、筒状に丸められた紙が何枚も入れられている。
「もし彼らが鉄器の力を持ってこの国に再び攻めてくるというのなら、それに抗う力をこの国は手に入れなければいけません。その判断をするために、資料を見せていただきたいんです」
「それなら、カズラ様に相談を……」
「それは絶対にダメです」
バレッタはぴしゃりと言うと、少し寂しそうに目を伏せた。
「何でもかんでも、カズラさんになんとかしてもらおうとしないでください。復興政策についてだけならまだしも、戦争についてまであの人に責任を押し付けないでください」
バレッタは顔を上げると、困惑しているアイザックの目をじっと見つめる。
「だから、お願いします。私に資料を見せてください」
「……そういうことならば、ナルソン様たちと直接話す機会を設けましょう。日取りはいつがいいですか?」
「できるだけ早くお願いします。早ければ早いほどいいです」
「分かりました。ナルソン様の屋敷に戻り次第、すぐに話を通すことにしましょう」
その言葉に、バレッタはほっとしたように頷いた。
「バレッタさん、おかえりなさい」
夜半にバレッタがナルソン邸の広場に到着すると、一良が出迎えに出てきた。
少し遅れてリーゼもエイラと一緒に出てきて、小走りで一良の隣に寄り添う。
バレッタは馬車を降りて一良の下に駆け寄ると、数歩手前で立ち止まった。
本当はもっと近くに寄りたかったが、隣に寄り添うリーゼを見て遠慮してしまった。
「ただいまです。少し遅くなっちゃいました」
そう言いながらちらりとリーゼを見やると、リーゼはにこりと微笑んだ。
とても友好的な笑顔であり、敵対心は一切感じられない。
実はイステリアに来る前、村で仲のいい娘に「リーゼ様に負けるんじゃないわよ」と発破をかけられていたので、かなり気にしていた。
「部屋に夕食の用意をさせてありますよ。風呂の用意も……あの、どうかしました?」
どことなくしょんぼりしているバレッタに気づき、一良が声をかける。
バレッタは慌てて表情を取り繕い、手を振って誤魔化した。
「いえ、なんでもないです」
「……カズラも彼女の部屋に食事を運んで、2人で食べたら? 積もる話もあるだろうし」
その台詞に驚いてバレッタがリーゼに目を向けると、リーゼはふいとバレッタから目をそらした。
だがすぐにはっとした様子で、バレッタに先ほどと同じ優しい笑顔を向ける。
「……うん、そうさせてもらおうかな。バレッタさんもそれでいいかな?」
「は、はい!」
バレッタは返事をしつつも、リーゼから目をそらせないでいた。




