117話:遠まわしの計略
2週間後の朝。
ナルソン邸の屋上で、一良とリーゼは数個の植木鉢の前にしゃがみ込んでいた。
鉢の中の薬草は、そのどれもが元の倍近くの大きさにまで成長している。
根元からは新たな芽が顔を覗かせていて、このぶんなら株分けもできそうだ。
「やっぱり肥料ってすごいね。これだけ一気に大きくなるなら、薬も作り放題だよ」
嬉しそうにしているリーゼをよそに、一良は薬草を見つめて考え込んでいた。
薬草は肥料の効果で急成長をしてはいるのだが、グリセア村の野菜のような爆発的な成長はしていない。
これから考えるに、薬草自体の生命力はその他の植物よりも弱いということなのだろう。
高地の崖や岩肌に生息していることが多いというのも、他の植物に生存圏を追いやられた結果なのかもしれない。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。とりあえず上手くいったみたいだし、株分けするか」
「うん」
薬草の生えている鉢の横には、空の植木鉢と土の入った布袋、そして一良の持ち込んだ肥料が置かれていた。
鉢は土器製で、特に柄もなくシンプルなものである。
「ていうか、何で使用人に土を入れておくように言っておかなかったんだ?」
布袋を持ち上げて鉢に土を移しながら、一良が言う。
リーゼはそれを手伝って、鉢の外に土がこぼれないように袋の口を押さえている。
使用人に植木鉢や土を用意するように指示を出したのはリーゼだ。
「カズラと一緒にやりたいなと思って」
その言葉に一良が少しどきりとしてリーゼを見ると、リーゼはにやりとした視線を一良に向けた。
「どきっとした? どきっとしたよね?」
「ええい、するかそんなもん」
「嘘はよくないなー。誠実さが足りないなー」
いつものように軽口を叩きながら鉢に土を入れていると、屋上に強い風が吹いた。
風は冷たく、思わず2人は身を縮める。
「……なんだか、ここ数日で一気に気温が下がったな。秋の期間がほとんどなかったような気がする」
「ほんとそうだよね。9月の終わりぐらいからようやく涼しくなってきたと思ったら、もう冬みたいな風が吹いてるし」
今は10月下旬であり、ここ2週間の間に一気に気温が下がってきていた。
穀倉地帯では芋類の収穫が終わり、つい先日麦や豆の種蒔きを行ったところだ。
気温の低下に合わせて雨も何度か降ったので、冬に収穫する作物は問題なく育つだろう。
「そういえば、フライス領に製塩手法を教えるのはいつにするの? 夏も終わっちゃったし、また来年かな?」
「いや、こっちの工事が一段落したら、向こうに職人を何人か送って、頃合を見計らって新しい製塩手法を提案させようと思うんだ。かなり効率のいい方法で、冬でもできるんだよ」
「え、冬でも製塩できるの?」
「できるできる。枝条架っていう道具を使うんだけど、それだとむしろ風が強くて乾燥してる冬のほうが効率いいんじゃないかな」
一良が道具の構造を説明すると、リーゼは「なるほど」と感心した様子で頷いた。
枝条架とは、柱に竹の小枝を束にしたものを結びつけ、そこに海水を流して風で水分を蒸発させ、塩分を濃縮させる装置だ。
真夏であれば、敷き詰めた砂利の上に海水を流し、ある程度水分を蒸発させたものを枝条架にかけることで効率化を図ることもできる。
そうして集めた海水を大鍋で煮詰めれば、塩が出来上がるというわけだ。
「竹があれば作りやすいんだけど、こっちの世界に竹ってあるかな? 筒状で表面がつやつやしてる木なんだけど」
「私は聞いたことないけど……南の島国からは色んなものが入ってくるから、もしかしたらフライス領になら輸入されてるかもしれないよ」
「そっか、じゃあ後で調べておかないとな。まあ、なくても俺が持ってくればいいし、代わりのものを何か探してもいいし、なんとかなるだろ」
竹は温暖で湿潤な気候の土地にしか生息しないため、この辺りでは生えていないようだ。
もしこちらの世界でも竹が手に入ればそれに越したことはないが、なければないで木材などで代用するか、日本から竹を持ってきてしまえばいい。
日本の屋敷の裏は深い竹林になっているので、そこから切り出せば調達できるだろう。
「フライス領かあ……ヘイシェル様、元気にしてるかな」
リーゼはそう言うと、懐かしそうに目を細めた。
「ん、フライス領の領主と顔見知りなのか?」
「うん、何度かお父様に連れて行ってもらったことがあって、その時に話したことがあるの。年末になるとどこかの領地が主催して宴を開くんだけど、そこでも会うね」
「どこかの領地って、毎年違うのか?」
「うん。特に決まってはいないんだけど、王都と各領地が順番に主催してるね。そんなに形式ばったものじゃなくて、年越しに合わせて朝まで飲み食いするって感じ。国中の有力者が集まるから、挨拶して回ってるうちにいつも夜が明けちゃうんだけどね」
要は、忘年会と新年会が合わさったような行事なのだろう。
そういった場でしか顔を合わせないような貴族も大勢いるはずなので、挨拶合戦になるというのにも頷ける。
「ヘイシェル様とお父様は特に仲がよくて、前はよく行き来してたんだよね。最近はこっちの領内が大変だから、そんな余裕なくなっちゃったけど」
「まあ、今のナルソンさん見てると出かけてる余裕なんてなさそうだもんな……」
飢饉と財政難で領内が危機的状況にあっては、ナルソンも領地を離れることはできなかったのだろう。
その間にヘイシェルがイステール領を訪れたという話はないようなので、気を使って自粛していたのかもしれない。
最近は領内の状況もやや落ち着いてきているので、年末の宴にはナルソンも参加できるだろう。
ちなみに、次に一良が日本に戻るのはちょうど年末ごろになる予定だ。
用件は物資の補給と河川工事図面の進捗確認である。
「それにしても、支援してくれてる地域の領主と仲良しっていうのは心強いな」
「うん。今も一生懸命支援してくれてるし、本当に助かってるよ。この間の戦争の時もかなり無理して食糧支援を続けてくれてたみたいだし、フライス領がなかったらこの国はとっくに滅んでたんじゃないかな」
どうやら、アルカディアにおいてフライス領はかなり重要な立ち位置にあるようだ。
敵国の矢面に立っているイステール領の足元を、後方支援というかたちでしっかりと支えてくれているのだろう。
グレゴルン領や王都に対しても、似たような支援を行っていたのかもしれない。
「フライス領はイステール領と違って土地が肥沃で食べ物はすごく美味しいし、南側は海だから海産物とか交易品も入ってきて裕福なんだよね。街の市場はいつもにぎやかだし、市民に活気があってすごくいいところだよ」
「そりゃすごいところだな……そういえば、こっちは日照りで飢饉になってるっていうのに、フライス領からの食糧支援量は増えてるんだっけ」
以前ナルソンから領内の話を聞いた際、西のグレゴルン領からの食糧支援量は急激に減っているが、南のフライス領からのものは増えていると説明を受けたことがあった。
この日照りにも負けずに食糧生産量が増えているということは、領内には水源が豊富にあるのだろう。
水不足で大変なことになっていたイステール領とは対照的だ。
「フライス領は飢饉知らずだからね。逆に日照りを利用して塩の生産が少し増えて儲かってるくらいだし、国の中じゃ一番恵まれてるんじゃないかな」
「でも、そんなに経済的に強いのに、よく王都の指示に従って税金納めたり他領に食料支援を頑張ったりしてるな。少しは反発しそうに思えるけど」
「フライス領は鉱物資源が全然採れないうえに土地がほとんど平坦だから、防衛の要衝になるところが何もないんだよ。だから最初から資金を経済に多く割り振って、儲けたお金を支援に回して他領に守ってもらってるって感じ」
「なんでも得手不得手があるってことか」
「でも、その分農業と街の発展ぶりはすごいよ。フライシア(フライス領の中心都市)は街の周囲に簡易的な柵しかないんだけど、街の拡張をしたい時は簡単に撤去できるから発展が早いの」
「なるほど、しっかりした城壁は街の発展を阻害するのか……でも、柵だけだと通行税とか払わずに街に入ってくるやつらがいそうだな」
「確かにそれは問題になってるみたい。まあ、仕方がないよね」
一良が頷いていると、リーゼが「そうだ!」と思いついた様子で一良に顔を向けた。
「今度時間を作ってさ、2人でフライス領に遊びに行ってみない? 川を使って行けるから、2日もあればフライシアに着くよ」
「うーん……」
リーゼの提案は魅力的なものだが、この忙しい状況でイステリアを離れて長期間遊びに出るというのはかなり気が引ける。
せいぜい理由を付けるとしても『製塩装置と水車の視察』くらいしか思いつかないが、領内の仕事を放置してまで行くというのは考えものだ。
「すぐにってわけじゃなくてさ、機械作りとか工事とかが一段落してからなら行けるんじゃないかな? 冬場はできることも減るだろうし、少しは暇になると思うんだけど……ダメかな?」
渋い顔をしている一良に気づいたのか、リーゼがその表情を窺うように言葉を付け足す。
リーゼは時折、今しているような何とも不安げな表情をすることがある。
本人が意識して表情を作っているのかは分からないが、この表情で頼みごとをされると非常に断りづらい。
「……まあ、手が空いたら行ってみてもいいかな」
「やった!」
途端に笑顔になったリーゼに、一良は苦笑しながらも一言付け加えておくことにした。
「ただし、本当に手が空いたらだからな。往復だと何日もイステリアを留守にすることになるんだし、ちゃんと予定を組まないと」
「うん、分かってる」
リーゼは心底嬉しそうな笑顔を一良に向け、頷いた。
その後、2人は2時間ほどで薬草の株分けを済ませると、一良の部屋に戻ることにした。
部屋の扉を開けると、ジルコニアとエイラが机の上に置かれた四角い木箱を使い、ごりごりと音を立てながら氷を削っていた。
ジルコニアは木箱から生えたクランク型のハンドルを握っており、エイラはその下の箱を両手で押さえている。
これは、つい先日職人に作らせたカキ氷機だ。
「ま、またカキ氷を作ってるんですか。よく飽きないですね」
「あら、お邪魔してます。カズラさんも食べますか?」
ごりごりと氷を削る手は止めずに、ジルコニアが2人に笑顔を向ける。
「いや、私は」
「……食べないんですか?」
「い、いただきます」
その悲しそうな表情に思わず一良が頷くと、すぐにジルコニアは笑顔に戻った。
「リーゼはどのシロップがいい?」
「えっ、私は今日は……」
リーゼの言葉など聞こえていないかのように、ジルコニアは冷蔵庫を開けると銀のボウルを取り出した。
もう完全に使い慣れている様子だ。
「これなんてお勧めだけど。焼いた芋をミャギのミルクで煮込んで濾した新作シロップなの。果実酒も少し入ってるわよ」
「あ、はい。ではそれで」
カキ氷機が完成してからというもの、ジルコニアは毎日必ず1回は一良の部屋を訪れて、カキ氷を作っていた。
色んな果物の汁を煮詰めてシロップを作り、いい組み合わせはないだろうかとあれこれ試している。
今日はエイラが捕まったのか、カキ氷作りに付き合わされているようだ。
ちなみに、一良は毎日付き合わされている。
「そ、そういえば、最近寒くなってきましたし、カキ氷はそろそろ控えたほうがいいんじゃないですか? お腹壊したら大変ですよ」
「確かにそうですね。では、これからは一緒に温かいお茶も飲むことにしましょうか。ふふ、何か贅沢ですね」
まるで真夏にエアコン全開にして毛布に包まりながら恍惚とする現代人のような台詞をのたまうジルコニア。
あまり身体によくないと思うのだが、本人があまりにも喜んで氷を食べているので強く言いにくい。
エイラは苦笑いしながらも、言うに言えず諦め気味の様子だ。
一度に食べる量はお茶碗1杯分くらいなので、そこまで心配することではないのかもしれないが。
「そうそう、カズラさんたちが屋上に行っている間に報告が上がってきたのですが、スライサーが市民の間で評判になっているようですよ」
「おっ、そうなんですか。けっこう売れそうですかね?」
2週間前にジルコニアとスライサーの話をした後、一良は簡単な図面を描いて大工職人に渡していた。
カミソリの刃を流用して板にくっつけるだけで簡単に作れたので、一般市民でも気軽に買える値段になったと聞いている。
おろし金は製造に手間がかかるのでまだ作っておらず、売り出すのはしばらく後になりそうだ。
「物珍しさからか、作ったそばから売れているようです。継続して売れるかはまだ分からないですね」
「あ、たぶん売れると思いますよ。すごく便利ですから」
2人が話していると、エイラが横から話に加わってきた。
最近少し肩の力が抜けてきたのか、一良と2人きりでなくても雑談交じりの会話には加わってくるようになってきていた。
「包丁使いが下手でも簡単に薄切りができるので、誰でも料理の手伝いができるのが素晴らしいです。これは人気が出ると思います」
「エイラさんがそう言うなら間違いないですね。大工さんのいい小遣い稼ぎになりそうだ」
そんな話をしていると、扉がノックされてアイザックが部屋に入ってきた。
数枚の皮紙を手にしており、何やら報告があるようだ。
「カズラ様、鍛造機の製造の目処がつきました。数日中に製材機や動力水車と合わせて数台完成品をそろえますので、現物のご確認を……あ、カキ氷ですか。機械ができたんですね」
「アイザックも食べる? 美味しいわよ」
「ありがとうございます。では、報告の後でいただきます」
アイザックはカキ氷を受け取ると、机に置いた。
「……むう」
ジルコニアはアイザックがすぐに食べないことが気に食わないのか、少し不満げだ。
カキ氷信者を増やそうとしているらしい。
「製材機と鍛造機ですが、部品の調整を円滑にするために工房をグループ分けして個々で製作させました。精度には細心の注意を払うように指示しましたが、グループによって動作にムラがあるようです」
「そうですか……職人さんの技量にもばらつきがあるようですね」
「はい。なので、製造工程か人員の配置を見直す必要があるかと」
「分かりました。現物を見てから考えてみましょうか」
「かしこまりました。あと、製造工程を検討し直して機械を再設計したグループが1つあります。そちらが参考になるかもしれません」
「えっ、そんな職人さんがいるんですか! それは見るのが楽しみですね!」
驚いて目を剥いている一良に、アイザックはにこやかに頷く。
その額には、薄っすらと汗が浮かんでいた。