115話:商売人
その日の夕食後。
食器の片付けられた部屋で、一良はイステール一家とお茶を飲みながら数個の鉢植えを囲んでいた。
鉢植えの植物は薬に使われる薬草や苗木で、呪術師組合が街なかで栽培しているものと同じものだ。
「これが薬草ですか。あまり特徴のある草じゃないんですね。雑草みたいな見た目というか」
「確かに、ぱっと見では分かりにくいですな。この薬草は春になると黄色い花を咲かせるので、それを目印に探すことが多いです。その隣のものは、晩秋になると赤い実を付けますな」
薬草は数十種類あり、採取できる場所は高地の岩肌や切り立った崖などが多いとのことだった。
そんな場所に生えているにも関わらず貧弱な植物で、平地に持ってきて増やすことはかなり難しいらしい。
一般的にそのまま花や葉を煎じて飲むと薬効があると知られているが、呪術師たちが作る薬は効能の具合が段違いとのことだった。
「なんだか育て難そうですね……呪術師たちはどうやってるんでしょうか」
「カズラが持ってきたような肥料を使っているんじゃない? もしくは、それに近いものを自分たちで作ってるとか」
リーゼの言葉に、一良は以前バレッタから聞いた『豊作のおまじない』を思い出した。
グリセア村では豊作祈願として、粉砕した動物の骨を撒いていたらしい。
肥料の概念すらなかったこの世界で、すでに肥料を使用していた者たちが存在していたとしたら驚きだが。
「でも、そんなに上手くできるものかしら?」
リーゼの言葉に、ジルコニアが首を傾げた。
「カズラさんの持ってきた肥料みたいなものを作れるなんてとても思えないし、もし作れていたとしたら薬草の栽培以外にも手を出していると思うんだけど」
「確かにそれはそうですが、効果の薄いものなら作れるとか……他の手段となると、なんらかの呪術でしょうか。まじないの効果で、薬草の成長をうながしているのかもしれません」
「呪術ねえ……あら、そのペンダントどうしたの? 前から持ってたかしら?」
「あ、これですか?」
ジルコニアはふと、リーゼの胸元に輝いている金のペンダントに目を留めた。
リーゼはペンダントをつまみ、一良に目を向けてにこりと微笑む。
「今日、街でカズラに買ってもらったんです」
「まあ、そうだったの。よかったわね」
「はい」
「……ふむ」
嬉しそうにしている2人を眺め、ナルソンは小さく頷いた。
その顔には「これはこれでいいか」と書いてあった。
「え、ええと、呪術はともかくとして、色々と試してみましょうか。まずは肥料を与えてみて、増やすことができるか調べるってことで」
「そうですね。上手く増やせたら、それを使って呪術師たちのように栽培できる手法を探ってみましょう」
「うむ、それがよさそうですな。呪術を試すのもその時でいいでしょう」
そんなこんなで話はまとまり、薬草を栽培することになった。
薬草は貧弱なので他の植物とは離したほうがいいだろうということで、屋敷の屋上で栽培されることになった。
日本の肥料を使わずに上手い栽培の手法が見つかった暁には、その情報を手土産に呪術師組合に協力を申し出る予定だ。
既存のやり方で大量生産したとうそぶいて、実際は日本の肥料も使って増産し、呪術師組合に薬の精製を依頼するという寸法である。
「えっ、侍女服ってそんな効果があるんですか!?」
「食料品や消耗品を買う場合はそうですね。侍女服を着ていれば手っ取り早いという話で、自ら雇われ元の家名を名乗れば割引してもらえるはずです」
翌日の昼、一良は街なかの飲食店のテーブルを1つ借り、アロンドと食事をとっていた。
昼近くに工房を訪れていた際、たまたま付近を通った彼がそれを聞きつけて、一良を食事に誘ったからだ。
一良の食べているものは、朝のうちにマリーが用意してくれたホットサンド(小麦と具材は日本製)である。
現在、マリーは別の場所で作業監督をしているため、この場にはいない。
アロンドは店で注文した、薄焼きの肉を挟んだサンドイッチを食べている。
「買出しをする使用人は買い物内容を一任されているうえに購入量が多く、しかも店の選定はその者の気分次第です。店としては多少儲けが少なくなっても、お得意さんになってもらえれば大助かりなんですよ。使用人たちは値引きされた差額から小遣いをちょろまかせますから、持ちつ持たれつの関係ですね」
一良は席について早々、アロンドならば市場にも詳しいだろうと、最近のグレゴルン領との取引の状況について彼に尋ねた。
彼はすらすらと問いに答え、グレゴルン領の食料価格の推移や一般市民の購買意欲の見解まで話してくれた。
グレゴルン領沿岸の天候不順についても聞いてみたのだが、彼もその話は聞いているとのことだった。
塩取引の主担当は父親のノールが行っているらしく、今度詳しく聞いておいてくれるそうだ。
今は話の流れから、『物を安く買う方法』といったものに話題が移り、彼が商売のノウハウを一良に説明している状態だ。
「な、なるほど。侍女服を着ていればどこかの使いだとすぐに分かりますもんね……でも、差額をちょろまかすなんて、雇い主にばれたら大変なんじゃないですか? 帳簿からばれたりしないんですかね?」
「そうですね……年数が経ってくると使用人もだんだん大胆になってきて、ちょろまかし方が雑になってきますね。いくらなんでもそれはガメすぎだろという事例も稀に見受けられます」
「そういう時はやっぱりクビにするんですか?」
「額が大きければ役人に引き渡して裁判ですね。中には裏帳簿を作って主人に隠れて豪遊したあげく、手懐けた使用人に『よくこんなにお金がありますね』と聞かれて、『お前も羽ペンを持つようになれば、金の作り方が分かるだろう』という名言を残した大物もいます」
「うげ、それはとんでもない使用人ですね……」
「そこまでやられると困りますが、2アル3アルといった小額をちょろまかすくらいなら必要経費だと私は思っています。そして、そういった者たちが少し調子に乗ってきたなと感じたら、こう言うのです。『最近買い出し貯金の額が増えてきたようだが、何か欲しいものでもできたのか?』と。すると、たいていの場合は驚くほど真面目になりますよ』
「なるほど、それは震え上がりますね」
すぐに叱りつけるのではなく、後々のための脅し文句としてとっておくということのようだ。
何ごとも、使う好機というものがあるのだろう。
「そういった使用人たちが買い物で有利なのは分かりましたが、普通の市民の場合はどうなんです?」
「一般市民の場合はまた違います。子どもの使いではまず値引きはききませんし、主婦の場合は彼女たち独自の情報網があるので、その時値引きしてあげたからといって贔屓にしてくれるとは限りません」
「客層によって店側は対応を変えるんですね」
「ええ、彼女たちは値段と品質にシビアですからね。かといって主婦相手にあまりにも値引きしないと、結託されて誰も寄り付かなくなるので店が潰れてしまいます。適度に頃合を見計らってちょこちょこ値引きしたり、おまけをするのがよいでしょう」
「物を売るって大変なんですね。心理戦までしないといけないのか……」
「買いにきた客だけでなく、売りにきた客に対してもそうですよ。例えば遠くの村から品質のいい薪を売りにきた者には、ギリギリまで高い値段で買い取ってあげるんです。次も優先して売りに来てくれるかもしれませんし、いい印象を与えておけば、そのお客は地元に戻ってから仲間にその出来事を話して聞かせます」
「話を聞いた者たちが次に街に来た時に、店に寄ってくれるかもしれないってことですか?」
「そのとおりです。店を構えて商売をする上では、こういった手法はかなり重要です」
その話を聞き、一良は以前バレッタたちと一緒に街で薪を売った時のことを思い出した。
他の店よりも1アル高く買い取ってくれた店があったが、あの時の対応はこういった意図があってのことだったのだろう。
優しい店主だな、と何となく思っていたが、アロンドの話を聞いて「なるほど」と納得した。
「勉強になります……ちなみに、服や雑貨はどうすれば安く買えるんです?」
「物にもよりますが、一番やりやすいのは古物屋ですね。ここには、多少無精ひげを生やした状態で独り身の男を装い、身なりもなんとなくみすぼらしくしていくとよいかと思います」
「ほう、それはどうして?」
「そういった客を見ると古物屋の店主は思うのです。『ああ、こいつはうちの客だな。しかも独り身と見える。仲良くしておけばこれからも顔を出してくれるだろう』と。そこで愛想よく応対した上で多少値引きをして、懇意になってもらおうとなるわけです」
「どうして『うちの客だ』と思うんです?」
「小汚い身なりをしていれば貧乏を体現しているようなものですからね。そういった人が服とか靴を買う際に、いきなり新品を買いに行くといったことはないでしょう。まずは古物屋に向かうはずです」
アロンドの説明に、一良は感心した様子で頷いた。
周囲で食事をしている市民や使用人、護衛兵たちまでもが、アロンドの話に聞きいっている様子だ。
「では、高い服を安く買うにはどうすればいいんですか?」
「高級品を買いに行くのはたいていが富裕層です。そうなると値切るというのは格好が悪いですし、万が一知人に見られでもしたら噂が立ちます。そこで活躍するのが小奇麗な若い女です」
「ほうほう」
「まず、街の反対側あたりで見つけてきた、これと思った若い女に小銭をつかませて事情を話し、服屋に出向かせます。その時になるべく店側の印象に残るように、目的の服をじっと見ている様を見せつけるのがポイントです。その後数日してから、再び女1人で服屋に行かせます。1つ例をお見せいたしましょう」
まるで講釈師のように、アロンドは身振り手振りを加えて話し始めた。
周囲の者たちが聞き耳をたてていることに気づいたのか、少し声を大きめにして1人芝居をしてみせる。
「
『こんにちは。見せていただきたい服があるのですが……』
『ようこそいらっしゃいました。どのような服をお探しで?』
『それが、先日訪れた際に見ていた服がありまして、それがどうしても入用で……ああ! これです!』
『はいはい、こちらですね。これは本当によい品物でして、自信を持ってお勧めできる一品でございます。値段は750アルとなっておりますが……わざわざこれを探しに再度来店していただいたということですので、ここは大まけにまけて700アルとさせていただきましょう!』
『な、700アルですか……うっ……ぐすっ……』
『ええ、700アルで……ちょ、ちょっとお嬢さん! 何で泣き始めるんですか!?』
『それが……私は屋敷に奉公に出ている身でして、それほどお給金を貰っているわけではございまん。700アルなど、とても手が出る金額では……』
『……何か事情がおありですか?』
『はい……故郷に住む妹が、王都のとある名家の方に見初めていただきまして……』
」
声色を変えて若い女と店主を演じ分け、講談のような調子で話を進める。
話の内容はいささか突飛なものだが、聞いていると本当にあった話のように感じられてしまう。
声にもメリハリがあり、一言も噛まずにすらすらと話す様の、なんと器用なことか。
「『遠くの地へと旅立つ妹に、せめて最後に何かしてあげたくて……この服を、はなむけとして贈ってあげたいのです……』」
話が進むにつれて、周囲で聞いている者たちからの話し声が完全に途絶えた。
もはや芝居見物のような状態だ。
「このようにあれやこれやと情に訴え、店主に分割払いの提案をさせてしまえばこっちのもの。最初の頭金だけ払って商品を受け取り、依頼主に服を引き渡して女は二度と店に来なければ万事解決で……」
「いや、それ安く買う手法っていうか、たちの悪い詐欺じゃないですかね!?」
「まあ、自らの首をかけた最終手段といったところですかねえ」
2人のやり取りに、話に聞き入っていた周囲の者たちから笑い声が響く。
アロンドは一緒になって楽しげにひとしきり笑うと、残りのサンドイッチを頬張った。
「さて、そろそろ私は失礼させていただきます。少しばかり遠くの取引先に顔を出さないと行けないものでして。楽しく一緒にお食事をさせていただき、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ楽しいお話をありがとうございました。またご一緒させてください」
「ありがとうございます。ぜひまたお願いいたします」
アロンドは一良ににっこりと微笑むと立ち上がり、周囲の席に顔を向けた。
「みなさん、お食事中にもかかわらずお騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした。この場の代金は私、アロンド・ルーソンが持たせていただきますので、なにとぞご容赦ください」
彼がそう言って軽く頭を下げると、聞いていた者たちから歓声が上がった。
彼はその声にさわやかな笑顔で応え、店主に金の入った小袋を手渡すと一良に一礼して去っていった。
一良はその後、護衛兵や使用人たちと先ほどの話を肴にゆったりと食事を済ませ、仕事に戻った。
それから数日後、一良はジルコニアとともに、イステリア北西の山岳地帯の森の中にいた。
そこにはすでに大工職人や使用人たちが数十人おり、数メートルほど掘られた地面に柱を建てている。
ここに氷室を建設し、冬の間に氷を運び込んで保存しようというわけだ。
本当はもっと標高の高いところに氷室を作りたいのだが、山道が険しすぎてイステリアまでの輸送に時間がかかってしいそうなので、この場所に落ち着いた。
「ここからイステリアまで荷馬車で氷を運んだとして、どれくらいかかりますかね?」
隣で作業風景を見守っているジルコニアに、一良が問いかける。
当初、一良は1人で作業を見にくるつもりだったのだが、ジルコニアが同伴を希望してついてきた。
氷池や氷室建設の手法に、とても興味があるらしい。
リーゼも一緒に来たそうな様子だったが、工事優先ということでイステリアに残っている。
「荷馬車だけで急いで運ばせれば、1日かからずに着くと思います。夕刻に出発させて夜通し走れば、昼には着くのではないでしょうか」
「ふむ……それだと、間に中継地点を作ってラタを交換させたほうがよさそうですね」
「そうですね、それがいいと思います。氷室の管理はどうしますか?」
「そうですね……イステリアで専門の業種を立ち上げて、管理と販売をさせるってのはどうです? 完全に季節限定の商売になりますけど」
「それでしたら、ここに来るまでに通り過ぎた村にお願いしてはどうでしょう? 彼らにとって現金収入にもなりますし、喜んでもらえるかと」
「なるほど、それはいいですね。氷室の管理はその村にさせることにしましょう。販売はこちらで商人を雇って……」
「あ、それならいっそのこと、氷室だけではなく氷池の管理から販売まで、すべてあの村に任せてしまってはどうでしょう? 作業を一元化したほうが、何かとスムーズに進むと思いますが」
「んー……分かりました。そうしましょうか」
思い切った提案をするジルコニアに、一良は少し考えた後で頷いた。
それを見て、どこかほっとしたようにジルコニアは微笑んだ。
「売上金の何割かを彼らに渡すようにすれば、きっと一生懸命働いてくれると思います。街から離れた村では現金を得ることが難しいので、きっと喜んでくれますよ。話は私がつけておきますね」
「お願いします。余裕ができたら、イステリアから村と氷室までの道も石材か何かで舗装してしまいたいですね。輸送速度が速くなりそうです」
「そうですね。早く工事ができるように、他の作業も急いで進めないと」
2人が話している間にも作業は進み、柱の間に日干しレンガが積み上げられていく。
モルタルを使ってレンガを接合し、ドーム型の氷室を作る予定だ。
その上から土を分厚く被せ、さらに断熱性を高めるのである。
レンガは耐久性に非常に優れるため、今後何十年も活躍する氷室となるだろう。
「夏の間でも、氷室に入れておけば氷はまったく溶けないのですか?」
「まったく溶けないというのは無理ですが、中に入れる氷におがくずをたっぷりかけておけば、かなり持つはずです。もちろん保存する氷の量にも大きく左右されるんで、できる限りたくさん入れておきたいですね」
「おがくずですか……もしこれが上手くいったら、来年はもっとたくさん氷池と氷室を作って、氷販売事業を拡大しましょう。きっと大人気になります」
「いいですねえ。一大産業になったりして」
「カキ氷屋さんを出したら大繁盛すると思いますよ。真夏に冷たい氷が食べられるなんて、夢のようですから」
ここに来る道すがら、2人は氷の用途について話し合っていた。
その中でカキ氷や冷やしうどんといった話題を一良が出したのだが、ジルコニアは興味津々の様子だった。
特にカキ氷に心ときめくものがあったらしく、『果物を煮詰めて作った汁を雪にかけて食べるようなもの』と説明すると瞳を輝かせていた。
ちなみに、こちらの世界には麺類はないらしく、パン麦を練って茹でたニョッキのようなものはあるとのことだ。
「じゃあ、帰ったらカキ氷を……って、カキ氷機が必要か」
冷蔵庫の製氷機で氷は作れるが、カキ氷機が手元にない。
日本のカキ氷屋の機械を思い起こし、はて、と一良は首を唸った。
大昔の日本でもカキ氷はあったということは知っているのだが、カキ氷機がなかった当時は、いったいどうやって硬い氷を削っていたのだろうか。
「専用の道具が必要なのですか?」
「ええ、氷を押さえつけてごりごり削る道具があるんですけど、それも作りたいですね。構造は簡単なんで、後で作ってみましょう」
「では、来年までのお楽しみですね。今から楽しみです」
「あ、そうだ。私が持ってきた物の中にカキ氷もあるんですけど、帰ったら食べてみますか?」
日本から持ってきた冷凍食品の中には、イチゴ味のパックカキ氷があったはずだ。
カキ氷機で作ったものとはだいぶ食感が異なるが、カキ氷には違いない。
相変わらずジルコニアは連日働きづめなので、リポDとセットで与えてもいいだろう。
「えっ、よろしいのですか!? ぜひ食べてみたいです!」
ジルコニアはよほど嬉しい提案だったのか、ぱっと表情を輝かせた。