114話:おでかけ
3日後の朝、バレッタはアイザックに連れられて、駐屯部隊の野営地へとやってきていた。
シルベストリアはバレッタを出迎えると、にっこりと微笑んだ。
「こんにちは。アイザックから話は聞いてるよ。武術を教えて欲しいんだって?」
「はい。頑張りますので、よろしくお願いします」
「うん、分かった。真面目にやれば結果は必ず返ってくるから、頑張ろうね」
「は、はい!」
シルベストリアは付近の兵士に訓練用の武具を取りに行かせると、アイザックに顔を向けた。
「それじゃ、この娘は確かに引き受けたよ。一通りできるように教えればいいんだっけ?」
「はい。剣術から騎乗まで、貴族の子弟が習うことはすべてお願いします。騎乗については、ある程度乗りこなすことができるようになれば十分ですので」
「ん、了解。時間はあるみたいだし、のんびりやろっか」
「はい、よろしくお願いします」
笑顔を向けるシルベストリアに、バレッタも少し緊張が解けて微笑んだ。
もっと厳しい人物を想像していたバレッタにとって、このような優しい対応は意外だった。
だが裏を返せば、すべてはバレッタのやる気次第というスタンスとも受け取れる。
甘い対応に気を緩めるのは非常に危険だ。
「早速始めよっか」
シルベストリアは兵士が持ってきた木剣を受け取ると、バレッタに投げた。
バレッタは片手でそれを受け取り、少し困ったような顔をする。
「えっと……」
「ん? どうかした?」
「できれば場所を変えたいのですが……」
「そう? なら、場所を移そっか。どこでやる?」
「村はずれの森の中がいいです。いつもそこで練習しているので」
「りょーかい。アイザック、後は私がやるから、もう行っていいよ」
「かしこまりました。よろしくお願いします」
2人はアイザックをその場に残し、森へと足を向けた。
「よし、始めよう」
森に着くと、シルベストリアは剣を構えた。
左手は握りこぶしを作って腰の後ろに回し、腰に密着させて固定する。
右手に持つ剣は剣先を相手の顔に向け、右半身を前にした中段の構えだ。
木剣はいつもバレッタが使っているものと同じ、刃渡りが60センチ程度のものである。
「私が攻撃するから、上手く受けてみてくれる? 形は習ってるよね?」
「はい、一応は……アイザックさんとの練習では盾を使ったものが主だったのですが、盾は使わないのですか?」
剣を構えながら言うバレッタに、シルベストリアが頷く。
「盾が使えない時だってあるからね。むしろ、使えない時のほうが多いんじゃないかな? 普段はそういうときのほうが多いだろうし、こっちを優先しよう」
「わ、分かりました」
「よし。始めるよ」
そう断りを入れると、シルベストリアはバレッタに中段の突きを入れた。
それほど速いものではなく、受け止められること前提のスローな突きだ。
バレッタはしっかりと剣の動きをとらえ、アイザックに習っていたとおりに剣の腹でいなすように受け止めた。
捻りを加え、払うように受け流す。
「足も動かすよ」
シルベストリアは少しずつ横に歩きながら、真っ直ぐにバレッタを見据える。
バレッタもそれに合わせ、間合いを取りながら右方向に足を動かした。
2人は剣先を中心にして、円を描くようにゆっくりと動く。
「少しずつ速くするから、全部受け止めてね」
「はい」
先ほどと同様に、シルベストリアが中段の突きを繰り出す。
バレッタが受け止めると、直ぐに剣を引いて上段の袈裟斬り。
これもスローな攻撃だ。
「連続でいくよ」
上段、中段、下段とリズミカルに加えられるスローな攻撃を、バレッタはすべて受け止める。
斬撃、突きと交互に繰り出されるそれをバレッタが受け止めていると、シルベストリアは小声で「おお」と漏らした。
一撃を重ねるごと、少しずつ攻撃速度が速まってくる。
「いち、に、いち、に……ほら、ちゃんと足も動かして」
「は、はいっ!」
がんがんと木剣同士のぶつかる音の間隔が、シルベストリアの声に合わせて徐々に狭まる。
やがて彼女は無言になり、攻撃の順番も不規則になった。
バレッタは必死に手と足を動かし、彼女の攻撃を受け流す。
だが次第に動きに乱れが生じ、受け止めきれていないものが目立ってきた。
バレッタが受けるよりも速く滑り込んだ剣先が、その喉元に突きつけられる。
「ほい、ここまで。よくできました」
すっと剣を引き、シルベストリアは笑顔を見せた。
バレッタは緊張からか、身体は疲れていないのに口の中がからからに乾き、息が上がってしまっている。
「きみ、すごいね。聞いた話だと指導してもらう時間なんてほとんどなかったはずなんだけど」
「あ、ありがとうございます」
「それに、見た目と違ってずいぶん力があるんだね。まともにぶつかったら私が押し負けちゃいそうだよ」
「え、えっと……」
つい力が入ってしまっていたことに気づき、バレッタは口ごもった。
シルベストリアは特に気にする様子もなく、よし、と頷く。
「受けの基本は大丈夫みたいだから、次はきみが打ち込んできて。焦らなくていいから、じっくりやっていこう」
「はい!」
元気よく返事をするバレッタに、シルベストリアは微笑んだ。
バレッタが訓練に励んでいる頃。
イステリアの中心部に近い街なかを、一良とリーゼは並んで歩いていた。
今日のリーゼは鎧姿ではなく、普段着のドレス姿である。
ナルソンやジルコニアからの強い勧めで、今日は2人とも休みを取ることにしたのだ。
そこで、かねてより約束していた街へのおでかけをしようとリーゼが一良を誘い、今に至る。
河川工事も本日は休みとなっており、職人たちや使用人たちにも一斉に休みを取らせている。
エイラとマリーにも休みが命じられ、それぞれ休暇を楽しんでいるはずだ。
ちなみに、2人に休みを命じたのはリーゼである。
「ここのお店がすごく美味しいんだ。よくエイラと2人でお昼を食べにくるの」
木造のこじんまりとした建物の前で、リーゼは足を止めた。
入口には石版が置かれており、本日のおすすめメニューが値段とともに石筆で書き連ねられている。
以前は食料価格が高騰していたが、今はだいぶ価格が下がってきているようだ。
領主側が備蓄食糧を放出して配給および市場介入をしたことと、穀倉地帯の収穫量増加や水車の導入によって広がった安心感が影響している。
それらを受けて食料買占めをしていた富裕層が慌てて備蓄食料の売却に走ったことも、価格低下に拍車をかけたのだろう。
「おー、お洒落な店だな」
入り口から中を覗いてみると、小奇麗な店内にはほとんど客がいないようだった。
お昼になると混んでいて入れないということでかなり早めに来たのだが、それが功を奏したようだ。
「よかった、空いてるみたい。入ろっか」
そう言うと、リーゼは一良の腕に自らの腕をからめた。
突然の行為に、一良はぎょっとして目を向ける。
「ちょ、何で腕を組むんだよ」
一良が腕を引っ込めようとすると、リーゼが不安げな表情で見上げてきた。
それを見て、一良は動きを止める。
「嫌?」
「い、嫌じゃないけど……」
「ん、よかった」
リーゼはすぐに笑顔になり、そのまま店に入った。
「リーゼ様! おひさしぶりで……え!?」
2人が店に入ると、カウンター裏の石釜からパンを取り出していた女が驚きの声を上げた。
「おひさしぶりです。席は空いていますか?」
「は、はい。では、奥の席へ……あの、もしかしてそちらのかたは、お付き合いされているかたですか?」
「違います」
一良が即座に否定すると、リーゼが艶やかな眼差しで一良を見上げた。
「あら、照れなくてもいいんじゃない?」
「いや、お前何言ってるんだ……」
「まあまあ、いいじゃない」
リーゼはいたずらっぽく笑うと一良の腕を離し、席に座った。
傍から見ると、冗談だから離したのか席に着くために離したのか判断に苦しむタイミングだ。
店内に数人いた客も注目していたが、2人が席に座ると目をそらした。
時折ちらちらと視線は感じるが、話しかけてくるような者はいないようだ。
「何食べよっかなー」
リーゼは壁の高い位置に掛けられている木板のメニュー表を見上げた。
川魚のパン包み焼きやポテトパンといった、パン麦を使った料理が多いようだ。
店の奥に目を向けると、石でできたカウンターに壷が埋め込まれていた。
壷の下では火が焚かれ、スープや粥が作られているようである。
2人の座っている席は窓際で、開け放たれた窓からは通りを行き交う人びとが見えた。
「オムレツパンとパン麦のサラダと果実酒と……んー、スープも頼んだら多すぎるかな」
「前から思ってたんだけど、リーゼって酒好きだよな」
屋敷での食事の際、リーゼは必ずといっていいほど食事時には果実酒を飲んでいた。
飲みやすくするために水で薄められているのだが、アルコールには違いないので飲めば酔うはずだ。
だが、リーゼはいくら飲んでもけろりとしており、酔ったり顔が赤くなったりしている様子を見たことがない。
「うん、好きだよ。果実酒が一番好き。穀物酒も好きだけど」
「毎日飲んでるみたいだけど、酔ったりはしないのか? いつも顔色一つ変えないけどさ」
「飲めば少しは酔っ払うけど、気持ち悪くなったり潰れたりするってことはないかな。いくら飲んでも平気だと思う」
「それはすごいな。ナルソンさんも強かったりするのか?」
「お父様が飲んでるのは見たことないかな。でも、死んじゃったお母様はお酒が大好きで、すごく強かったらしいの。たぶんそれを受け継いでるんだと思う」
容姿もそうだが、どうやらリーゼは母親の血を強く受け継いでいるようだ。
14歳という若さで飲酒をして成長に差し支えないのだろうかとも思うが、今のところ問題ないように見える。
「でも、最近は前に比べて飲む量が減ったよ。夜は飲まないことのほうが多いし」
「え、そうなのか。なんでだ?」
「疲れてる時に飲めばやっぱり眠くなるし、最近は遅くまで仕事してるから。あと、何かよく分からないけど前ほど飲みたいとは思わなくなった気がする」
「へえ、そんなことってあるのか」
「うん。ここ1ヶ月くらいで急に」
そんな話をしながらメニューを決め、店員を呼び寄せて注文する。
店員は2人に興味津々のようで、一良のことをちらちらと見ていた。
リーゼは先に運ばれてきた果実酒入りの銅のコップを手に取り、テーブルの中ほどに突き出す。
「はい、お疲れー」
「まだ昼にもなってないぞ」
カズラは苦笑しながらコップを手に取ると、カチンとリーゼのコップに当てた。
2人は食事を終えた後も、しばらく店でだらだらと雑談をして過ごした。
主にリーゼが一良の話を聞きたがり、グリセア村でどんな生活をしていたのかに興味があるようだった。
昼近くになって店が混み始めたので、そろそろ出ようと街に繰り出した。
食事の代金はリーゼがささっと払っていた。
「お、塩が売ってる」
行きたい店があるというリーゼに連れられて高級商業区画を歩いていると、行商人が荷馬車の簡易露店で塩を売っているのを見つけた。
皿に盛られた純白の塩と、壷に入れられた灰色の塩の2種類が売られている。
純白の塩の前には『焼塩』と書かれた木板が立てかけられていた。
灰色の塩と比べて、かなり値段が高い。
「あれはフライス領の塩だね。焼塩はグレゴルン領のものより高いけど、その他の塩は少し安いよ。その分、質は悪いけど」
軽く見物してからその場を離れると、リーゼが小声でそう言った。
「へえ……焼塩って、湿気で溶けないように一度火を通した塩だっけ?」
「そうそう」
火を通していない塩は空気中の湿気を吸収してしまい、時間が経つとべちゃべちゃになってしまう。
溶けた塩から出た水は『にがり』と呼ばれ、古来より日本では豆腐を固める際に用いられていた。
塩が溶けるのを防ぐために塩壷という壷に入れて外気と遮断して保管されるのだが、それでも湿気てしまうことは避けられない。
そこで、焙烙(平たい素焼きの土鍋)などを使って塩を炒り、水分を完全に飛ばしてしまうことで長持ちさせるという手法が考え出された。
その時に、火を通すことで塩の性質が変わって吸湿性がほとんどなくなるということが発見され、一般化したものが焼塩である。
ちなみに、日本で売られている一般的な食塩は精製塩と呼ばれるものであり、吸湿性を心配して炒る必要はない。
「グレゴルン領の塩が2割引になってからは、フライス領の商人も競争して値段を下げてきたんだ。ただ、明らかにグレゴルン領の塩に比べて質が悪いから、値段が安くてもあんまり人気はないんだけどね」
「質が悪いって、具体的にどういうふうに悪いんだ?」
「酷いのだと砂とかゴミが思いっきり混じってるよ。量をこなすために雑に作ってるからだと思うけど」
「そりゃ人気でないわ……グレゴルン領のものはそういうのはないのか?」
「うん。色は付いててもゴミとか混じってるのはあんまりないね。味もおいしいよ」
そんなことを話しながら街なかを歩き、一軒の小洒落た店の前にたどり着いた。
店は小物屋のようで、たくさんの女性用のアクセサリーや雑貨品が陳列されていた。
そこそこリーズナブルな品物を取り扱っているらしく、高級商業区画の店にしては低価格のものが多いようだ。
リーゼは嬉しそうに店に入ると、棚の商品を見て瞳を輝かせている。
「ねえねえ、これかわいくない?」
棚からラタをかたどった銀の耳飾りを手に取り、指でつまんで揺らしてみせる。
一良はそれをじっと見つめて、小首を傾げた。
「リーゼはこういうのが好きなのか? 俺にはかわいいっていうよりかっこよく見えるけど」
「うん、私もそう思う」
「なんだそりゃ」
リーゼは意味の分からない返しをしながらも、嬉しそうににっこりと微笑んでいる。
「こっちのほうがかわいいんじゃないか?」
一良は棚を見渡すと、花をかたどった銅のペンダントを手に取った。
細工が細かく、ピカピカに磨かれて輝いている上品な一品だ。
「お、いいセンスしてるね。かわいい」
その後もあれこれと手にとっては、かわいいかわいくない談義を2人は続けた。
店内を端から端まで巡ると、リーゼは先ほど一良が手に取った銅のペンダントがかけられている棚に戻った。
花をかたどったペンダントを手のひらに載せ、しげしげと眺めている。
「これ、買っちゃおうかな」
「そんなに気に入ったのか」
「うん。今日という日の思い出にと思って」
隣に立つ一良を見上げ、楽しそうに微笑む。
「その表現はいくらなんでも大げさだろ」
「そんなことないよ。こうやって男の人と2人だけで出かけるの、初めてだもん」
「え、そうなのか。面会相手とかと出かけたこともないのか?」
「どうしても出ないといけない時は、必ず従者を付けるようにしてるよ。ていうか、そういう人と2人で出歩くって抵抗あるし」
「ああ、身分的にそうだよな……今日は誰も付けてないけど、いいのか?」
一良がそう言うと、リーゼは店の入口を振り返った。
遠目に、道を行き交う人びとの姿が見える。
「たぶん、あの辺に私服の護衛兵がいると思うよ」
一良もそちらに目を向けてみるが、一見してどれが護衛兵なのか分からない。
だが、以前イステリアでリーゼとぶつかった時に現れたような私服の兵士が、どこかにまぎれているのだろう。
「本当は誰の目も気にしないで出かけてみたいけど、仕方ないよね」
「……」
少し寂しげな表情をしていたリーゼだが、すぐに明るい笑顔に戻った。
「一良は何か欲しいものないの? あれば買ってあげるよ」
近場にあった銀の腕輪を取り、「これとかどう?」などと言いながら一良の腕に添えてみせる。
台詞を言う立場が逆な気がする。
「俺は特には……あと、そのペンダントは俺が買ってやるよ」
一良がそう言うと、リーゼの表情がぱっと輝いた。
「えっ、いいの!?」
「おうよ。他にも何か欲しいものがあったら言いなさい。お兄さんが買ってあげよう。遠慮しなくていいぞ」
「うわー、どうしよっかなー。実はあっちの金のペンダントが……ていうか、お金持ってるの?」
「わけあって、現金で7500アルほど持ってる」
「な、なんでそんなに持ってるの? ていうか、それはいくらなんでも持ち歩きすぎでしょ……出所はどこなのよ」
「出所は前にクレアさんに売り払った宝石だ。こんなこともあろうかと、ごっそり持ってきた」
一良はリーゼが目を向けた棚に行くと、金のペンダントを手に取った。
枝にとまった鳥をモチーフにした、とてもかわいらしい一品だ。
「うお、これ革紐じゃなくて金の鎖を使ってるのか」
「うん、綺麗だよね。革紐もつやがあっていいけど、金の鎖もすごく綺麗。銀もいいよね」
店主を呼び寄せ、代金を払う。
さすが金細工というべきか、3500アルもした。
新米警備兵の初任給の3.5倍の価格である。
滅多に売れない品物なのか、金を受け取った店主はホクホク顔だ。
「わあ、ありがとう! ねえ、着けて着けて!」
「ええ……」
一良がペンダントを渡そうとすると、リーゼが満面の笑みでそんなことを言った。
不満げな声を漏らす一良に、彼女は頬を膨らませる。
「何よ、それくらいしてくれてもいいじゃない」
「分かった分かった。とりあえず今着けてるやつ外せ」
リーゼの首に手を回し、長い髪の下から鎖を回す。
留め金をかけようとしてもぞもぞといじっていると、リーゼはどこか感慨深そうに、「おおっ」と声を上げた。
一良が離れると、リーゼはペンダントを指で触り満足そうに頷いた。
「なるほど、確かにかなりドキドキする」
「何の話だ」
「前にうちの屋敷でお茶会してた時に、友達の娘が言ってたの。『デート中にドキドキしたシチュエーションはこれだ!』って」
「そ、そんな話するのか」
「そういう話ばっかりだよ。どこの男の人が素敵だとか、誰が誰と付き合ってるとか別れたとか」
「どこの世界も、女の子の話す内容って同じなんだな……。ていうか、お茶会なんてやってたんだな」
「うん。時々呼んだり呼ばれたりしてる。ああいうのってけっこう重要なのよ」
「ふうん……ところで、これってデートだったのか?」
「これがデートじゃなかったら何をデートっていうのよ」
「確かに」
その後、リーゼは店の銅鏡の前でペンダントをいじりながら、しばらくニヤニヤしていた。
2人は店を出た後もあちこちを見て回り、夕暮れ時になってから屋敷へと戻った。




