111話:血
翌日、職人たちの質問に答えているリーゼから少し離れた所で、一良はぼーっとジルコニアとの会話を思い返していた。
戦争回避の道もないわけではないだろうと考えていたが、昨日のジルコニアは確実に開戦するような口ぶりだった。
どうしてそこまでバルベールは同盟国攻略に固執するのだろうとも考えたが、それこそ考えても仕方のないことなのかもしれない。
地球での戦争の歴史を思い返してみても、理不尽な理由など腐るほどある。
「(……このまま開戦したら、この国は確実に滅ぶよな)」
先日見た戦時資料で、一良はイステール領の戦力をおぼろげながら把握していた。
前回は敵が開戦当初にまずい手を打ち続けたために、互角以上の戦いをすることができたようだ。
だが、敵も次は同じ手は食わないだろう。
何らかの対策は講じてくるだろうし、隣のクレイラッツまで裏切るとなったら、勝てる見込みなど皆無である。
「(あと4年か……これは鉄を導入せざるをえないか。結局軍事にも手を出すことになりそうだな……)」
鉄器の導入によって世界の勢力図が大きく変わることは、一良もよく分かっている。
鉄というパワフルで安価な金属は、青銅よりもはるかに強力だ。
軍事だけでなく、その国のすべての産業が恩恵を受けるので、飛躍的に国力が増強される。
しかも、加工技術や精製技術は、一良が伝えれば試行錯誤の必要もない。
領内に鉄の大鉱脈を持つアルカディアは、一躍超大国への道を歩み始めるだろう。
「(手をこまねいて国が滅びたら洒落にならないもんな……となると、レン炉じゃ生産量が少なすぎるから木炭高炉が必要か。上手く作れるか心配だな……)」
一良が1人で考え込んでいると、視界の隅にアイザックが駆け寄ってくるのが見えた。
アイザックは一良の下にたどり着くと、姿勢を正して礼をする。
「カズラ様、市販薬の資料をお持ちいたしました」
「おお、ありがとうございます。どれどれ……」
革紐で束ねられた皮紙を受け取り、めくってみる。
内容は、薬の種類と効能、元になる薬草の一覧表だった。
「ええと、傷薬と便秘薬……あの、便秘薬のところに書いてあるこれ、何て読むんです?」
「それは『海水』ですね」
「え、海水ですか。もしかして、そのまま飲むんですか?」
驚いた顔をしている一良に、アイザックが頷く。
「はい。海水をお椀一杯分くらい飲むと、すぐにおなかがぐるぐるいって下痢が出ます。海のある地域からきた行商人が運んできますね」
「ず、ずいぶんと乱暴な方法ですね。身体に悪そうだ」
「確かに、少し体調を崩すようですね。ですが、薬草を使った便秘薬よりはるかに安価なので、飲む人は多いですよ」
資料には、多数の薬が記載されていた。
下痢止めの項目に『木炭』と書いてあったり、胃薬に『ミャギの乳』と書いてあったりと、薬草を用いるものとは違った薬もたくさんあるようだ。
「カズラ様、今後の私の予定なのですが」
一良が感心しながら資料を見ていると、アイザックが遠慮がちに声をかけてきた。
「少しの間、グリセア村を警護する守備隊のところに滞在してもよろしいでしょうか。村との折衝を行おうと思うのですが」
「あ、そうですね。そうしてもらったほうがいいかな。でも、その間はアイザックさん無しか……」
色々と自ら動き回ってくれるアイザックがいなくなるとかなりきついが、村と守備隊の折衝も重要だ。
彼の抜けた穴は、自分とハベルでなんとかするしかないだろう。
「分かりました。こちらはなんとかしますので、しっかり守備隊を取りまとめてください。指揮官は誰にするか決めましたか?」
「はい。従姉妹にシルベストリアという者がいるのですが、彼女に任せようと思います。騎兵隊に所属していますが、部隊から引き抜くことにしました」
「騎兵隊ですか。彼女は嫌な顔しませんでしたか?」
「それは大丈夫です。年は24と若いですが、非常に忠誠心の高い優秀な兵士です。少し頭の固いところがありますが、信頼できます」
「ほうほう、それは頼もしい……でも、頭が固いっていうのは、あまり融通が利かないってことですかね?」
「いえ、非常に正義感が強く、清廉潔白な人物なのです。賄賂などの不正を極度に嫌うため、今回の任務には向いています。グリセア村に接触してきた者は、すべて一度イステリアに向かうように指示させることにしておりますので」
堅物なアイザックがそこまで言うということは、アイザック以上の相当な堅物なのだろう。
アイザック自身も頭が固いというか真面目すぎるように思えるが、それを上回る人物なのかもしれない。
袖の下でグリセア村に接触しようとする輩にも対処できそうだ。
「あ、といいましても、普段はとても気さくで朗らかな人です。子ども好きでもあるので、村のみなさんとも上手くやっていけると思います。ご安心ください」
どれだけ堅物なんだろうかと一良が想像していると、それに気付いたアイザックが慌てて弁解した。
人柄優先で選ぶように、との指示は守ってくれたようだ。
「『普段は』ってことは、怒るとすごかったりするんですか?」
「そうですね……8年前、練兵隊所属時代に、上官に賄賂を渡して便所掃除を免除してもらっていた同僚を、上官もろとも半殺しにしたことがあると聞いたことがあります。その後、『気持ちは分かるがやりすぎだ』ということで懲罰房行きになったそうですが」
「こ、怖すぎる……」
話を聞く限り、温和というよりも狂犬のような性格に思えるが、怒らせなければ問題ないらしい。
士官候補生でありながら上官と同僚をまとめて半殺しにできたという腕っ節も恐ろしいが、上官に襲い掛かるという根性もすさまじい。
「まあ、その時の上官も彼女に対して便宜と引き換えに枕を要求したり、同僚も彼女を馬鹿にした発言をしたという噂がありますから、自業自得なんじゃないですかね。スラン家の者とはいえ、16歳の小娘だと甘く見たのでしょう」
「そ、そうですか」
そんな話をしていると、職人への説明を終えたリーゼが2人の下へ歩いてきた。
「お疲れさん。問題なさそうか?」
「うん、たぶん大丈夫。何かあったら呼びに行くから、カズラは別の作業に行っていいよ」
リーゼは笑顔を見せると、アイザックに向き直った。
「アイザック様は、井戸掘りの監督ですか?」
「いえ、これからグリセア村へ向かいます。しばらくの間戻ってこれませんので、リーゼ様やカズラ様にはご負担をおかけしてしまうかと思いますが……」
アイザックが答えると、リーゼはにっこりと微笑んだ。
「頼りになる方々が大勢いるので、こちらは大丈夫です。どうか心配なさらず、お身体に気をつけて頑張ってきてください」
「はい、ありがとうございます。それでは」
アイザックは2人に深く一礼すると、歩き去っていった。
「それにしても、アイザックさんって働き者だよな。スラン家の人間ってみんなあんな感じなのかな」
アイザックの背を見送りながら一良が言うと、リーゼは深く頷いた。
「あの家の人たちは生真面目な人が多いよ。マクレガーみたいに癖のある性格の人も少しいるけどね」
アイザックといいルートといい、スラン家の者たちはやはり真面目な者が多いようだ。
さきほど話が出たシルベストリアは、いったいどんな人なのだろうかと一良は思いをはせるのだった。
それから数時間後。
河川工事の監督官として、マリーは工事計画書を胸に抱えて労働者たちの作業を見守っていた。
工事を行う箇所は一箇所ではないため、マリーたちはそれぞれ分散して現場監督を行っている。
計画書は誰にでも見せていい代物ではないため、現場の職人頭にのみ見せている状態だ。
さすがにマリー1人に任せるのは荷が重過ぎるので、マリーはエイラとセットである。
今エイラはこの場にはおらず、労働者の食事を近場の食堂に取りに行っている。
「よう」
「……あ」
マリーは背後からの声に振り返り、言葉を詰まらせた。
「おいおい、まさかお前が作業監督なんてしてるのか。偉くなったもんだなあ」
そこには、資材を満載した荷馬車に乗ったアロンドの姿があった。
アロンドは御者に荷馬車を止めさせると、ひらりと御者台から飛び降りた。
つかつかとマリーの前に歩み寄り、笑顔を見せる。
「ナルソン様の屋敷での生活はどうだ?」
「あ、あ……」
カタカタと身体を震わせて答えられずにいるマリーに、アロンドは少し顔をしかめた。
「さっさと答えろ。俺が『どうだ?』って聞いてるんだぞ」
「っ! み、皆さんすごく気にかけてくださって、とても楽しくお仕事できています!」
考えることさえ忘れ、勢い込んでマリーは答えた。
ガチガチに緊張している彼女を見つめ、アロンドは鼻で笑ってみせる。
「『楽しく』、か。お前、何か勘違いしてるんじゃねえか?」
「……え?」
心底呆れたような口調で言うアロンドを、マリーは不安げに見上げる。
「お前、自分が奴隷だってことを忘れてるだろ。なにが『楽しくお仕事できています』、だ。ふざけたこと言ってるんじゃねえぞ」
「……申し訳ございません」
「お前はルーソン家の人間じゃなければ、一般市民でもない。奴隷なんだよ。どうにかしてハベルはお前を解放奴隷にしようとしているみたいだが、たとえそうなってもお前の奴隷の血が入れ変わるわけじゃない。奴隷の子は奴隷だ。それを忘れるな」
「はい」
ルーソン邸で働いていた時のように、マリーはアロンドの目を見つめたまま答える。
目を逸らさない理由は、逸らすとアロンドに殴られるからだ。
人の目があるこの場で殴られるといったことはないだろうが、それでもマリーはアロンドの目を見ることをやめない。
アロンドと話す際は必ず目を見ることを、マリーは身体で覚えさせられていた。
「ったく、なんだってこんな無能をナルソン様は使うかね。父上もさっさとどこかへ売り飛ばしちまえばよかったものを」
アロンドは吐き捨てるように言うと、工事作業を続けている労働者に目を向けて大きくため息をついた。
マリーが重用されているのが嫌で仕方がない、といった様子がありありと見て取れる。
「ヘマして俺たちの顔に泥を塗るんじゃねえぞ。愛想尽かされて出戻りなんてことになったら承知しないからな」
「はい」
機械的に返事をするマリーを一瞥すると、アロンドは再び荷馬車に乗って去っていった。
マリーは深く腰を折り、完全に荷馬車が見えなくなってからようやく顔を上げた。
作業の様子を見に行こうと足を動かした時、手が震えて計画書を取り落としてしまった。
「……っ」
しゃがんで計画書を拾って胸に抱き、うつむいたまま肩を震わせる。
だが、すぐに立ち上がると、人目に付かない場所を探して駆け出していった。
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