109話:武官と文官
翌日、ジルコニアはナルソン邸の一室で、2人の男と面会していた。
男たちは、クレイラッツの軍司令官と外交担当官である。
軍司令官は細身だが引き締まった体格の黒髪の男で、名前はカーネリアンという。
歳は40歳くらいに見え、実に堂々とした態度でジルコニアたちに向かい合っている。
一緒にいる外交官は20歳そこそこの若い男で、緊張のせいか額に汗が浮かんでいた。
ジルコニアの両脇には、2人の初老の男が座っている。
1人は第2軍団の副将であるマクレガーで、もう1人は第1軍団の副将であるイクシオス・スランだ。
イクシオスはアイザックの父親であり、マクレガーの兄である。
数日前まで国境付近に建設中の砦で監督官をしていたが、このたび急遽呼び出されてイステリアに帰還した。
白髪交じりの金髪をオールバックにしており、気難しそうな顔つきからとっつきにくい印象を受ける。
実際無骨な性格で、あまり無駄口を叩かない。
「軍隊進駐権?」
カーネリアンが口にした言葉を繰り返し、ジルコニアは怪訝な顔をした。
「有事に備え、互いの軍が円滑に連携を取れるように、今のうちから一定数の兵をイステール領に駐屯させていただきたい。後日、グレゴルン領にも進駐権のお願いに伺う予定です。無論、了承いただいた折には王都へも出向かせていただきます」
軍隊進駐権とは、軍隊が他国に居座ることができるようにするための権利だ。
現在、アルカディアはクレイラッツと同盟関係にあるが、平時における軍隊の進駐は認めていない。
簡単に結べる類の協定ではなく、進駐時になんらかの理由で武力衝突が起こると大変な事態になってしまう。
「せっかくの申し出だが、お断りさせていただく」
ジルコニアが答えるよりも先に、イクシオスが口を開いた。
「円滑な連携と言うが、我らとて国境線の守備は固めている。時が来れば援軍を要請することもあるかもしれんが、前もってクレイラッツの手を借りなければならないような状況ではない」
「いえ、一方的に進駐させろといっているわけではありません。イステール領軍も我が国に進駐していただきたいのです」
「なぜだ。費用がかさむばかりで、益などなかろう」
「ありますとも。先に進駐軍がいるとなれば、援軍を送った際の移動もスムーズになります。慣れない土地での戦闘となると本来の力を発揮できないことも多々ありますが、それも緩和する……という理由ではいかがでしょうか」
真面目な顔でおかしな言い方をしながら、カーネリアンはジルコニアに目を向けた。
ジルコニアは僅かに顔をしかめたが、イクシオスは表情を変えない。
「大きく否定はしないが、多額の費用を割いてまで行うほどのことではないな」
イクシオスが答えるが、カーネリアンはジルコニアに顔を向けたまま、黙って目を見つめている。
ジルコニアから返答を貰いたいようだ。
「……申し訳ありませんが、進駐を許可するわけにはいきません」
「そうですか、残念ですが仕方がありませんね。急なお願いをしてしまい、大変失礼をいたしました」
カーネリアンは残念がる様子もなくそう言うと、テーブルに手をついて頭を下げた。
イクシオスは何も言わず、じっとそれを見つめている。
「では、本題に移りましょう。バルベールの動きについてなのですが、近々国内で軍団の配置換えが行われる兆しがあるようです」
そして何事もなかったかのように、ごく普通の情報交換に議題をシフトするのだった。
面会終了後、3人はカーネリアンたちが出て行くと、お互い顔を見合わせた。
「……何やら探りを入れられましたな」
ぽつりと漏らすマクレガーに、ジルコニアは目を向けた。
イクシオスは腕組みしたまま、黙って扉を睨んでいる。
「内容の見当はつく?」
「はっきりとは分かりませんが、ジルコニア様が何かについて知っているか探ろうとしていたように思えます」
「私が? どういうことかしら」
「我々の知らない情報を、あちらは掴んでいるということです」
イクシオスの台詞に、2人は彼に顔を向けた。
「それも、動揺を誘うために、探りを入れていることがばれるのを承知であのようなわざとらしい言い方をしたのです。その情報を知っていれば、ジルコニア様なら反応を見せると考えたのでしょう」
「イクシオス!」
イクシオスの歯に衣着せぬ言い方に、マクレガーが慌てて声を上げた。
「何だ。世辞など言っても、人は成長しないのだぞ」
「いや、だからといって……言い方と言うものがあるだろう」
「ジルコニア様はそのようなことを気にするタマではない」
「マクレガー、いいのよ。きっぱり言ってくれたほうが私も助かるから」
憮然とした態度で言うイクシオスに、ジルコニアは苦笑いしながらもマクレガーを諌めた。
イクシオスは昔から、誰に対してもこのような態度をとる。
そのため、合わない人間とはとことん合わず、話している相手が怒りだすこともしばしばだ。
相手の面子を気にするマクレガーとは対照的な性格である。
「イクシオス、あなたは何か予想がついたりしない?」
「ありえるとすれば、バルベール関係です」
「バルベール関係……」
ジルコニアは口元に手を当てて、じっと考え込む。
「敵は正面だけだとよいですな」
イクシオスの言葉に、ジルコニアがぎょっとして目を向ける。
「なに、元からやれることは決まっています。しっかり備えることといたしましょう」
イクシオスは椅子の肘掛に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
別室では、ナルソンが使者との面会を終え、数人の文官とともに一息ついていた。
ナルソンの隣には、ハベルの父親であるノール・ルーソンと、その長男であるアロンド・ルーソンが座っている。
2人はグレゴルン領との取引を担当している文官だ。
「やれやれ、皆のおかげで上手いこと話がまとまったな。特にアロンド、よくやってくれたぞ」
ナルソンがそう言うと、アロンドはうやうやしく頭を下げた。
他の文官も、同意するように頷いている。
「ありがとうございます。日頃から足しげくあちこちを訪問していたことが実を結びました」
「うむ。お前の意見にグレゴルン領の使者が同調してくれたのが大きかった。ノール、いい息子を持ったな」
「お褒めに預かり光栄でございます。そろそろ私は隠居の身になっても問題なさそうですな」
「父上、文官は生涯現役が鉄則です。隠居して楽をしようなどという甘い考えは捨てましょう」
「こいつめ、ナルソン様に褒めていただいたからといって、調子に乗るな」
ノールの言葉に、部屋が笑いに包まれる。
国内の使者たちとはまとめて面会をしたのだが、使者たちは皆が水車の製作技術の無償提供を求めてきた。
今はバルベールとの戦争を控えた非常時であり、皆で可能な限り協力し合うべきだと。
だが、アロンドがそれに待ったをかけた。
新技術を開発しても無償提供を強要されては、お互いの今後の技術開発に悪影響を及ぼす。
見合った対価は支払われるべきで、開発に関わった者は相応の利益を得てこそ、次に繋がるだろうと。
今まで水車の開発情報を他領に伝えなかった理由については、生産が始まったばかりなうえに領内の復興が最優先でそれどころではなかったと説明をした。
それらの意見にグレゴルン領の使者が全面的に理解を示し、なおかつ後押しするように熱弁を奮ってくれたおかげで他の使者たちも納得してくれたのだ。
結局有償での技術提供となり、かなりの金額がイステール領に入ってくることになった。
ちなみに、グレゴルン領の使者がこうも簡単にアロンドの意見に同調したのは、日頃よりアロンドから賄賂を受け取っているからだ。
クレイラッツに対しては技術提供ではなく、自国での生産が落ち着いた後で完成品の販売を行うことになった。
話し合いの中でクレイラッツはすでに水車の外観と基本動作を把握していることが分かったので、隠そうとしてもいずれ模倣品を製作されてしまうとナルソンが判断したからだ。
水車の特性上、設置と撤去を繰り返したり人目に付かないように使用し続けるというのは困難を極めるので、これは止むを得ない結果だろう。
クレイラッツが自国の技術者に1から模倣品の開発をさせていないのは、勝手に模倣品を製作すると「スパイを入れていますよ」と公言するようなものなので、外交上不和が生じるからだ。
イステール領側としても開き直られては丸損をしてしまうので、このような着地点となっている。
建前上は交易商人からの噂話がクレイラッツ首脳陣の耳に入ったということになっているのだが、なんともめんどくさい話である。
少しの間雑談に興じていると、ノールがナルソンに目を向けた。
「ところで、新たに製材機と手押しポンプというものの開発が進んでいるという話を以前伺いましたが、開発具合は順調でしょうか?」
「うむ、両方とも試作機が出来上がったところで、今は量産に向けて調整中だ」
「おお、それはようございました。手押しポンプは要所への設置が済んだ後にでも、我が家の井戸用に1つ購入したいものです。井戸水の汲み上げには皆が苦労しているようでして」
ノールがそう漏らすと、話を聞いていたアロンドが口を開いた。
「道具は公に使用するのですか?」
「いや、それはしない。製材機は専用の加工場を建設して作業を一元化する。手押しポンプは使用場所にもよるが、作業終わりには回収して保管する予定だ」
「王都に報告はいたしますか?」
「それもしない。可能な限り秘匿する」
「かしこまりました」
「皆もこのことは心に留めておいてくれ。横槍を入れられてごたごたするのも困るということもあるが、我らが国内で圧倒的優位に立つ好機でもあるからな」
ナルソンの言葉に、全員が頷いた。
夕刻、一良とリーゼが並んで廊下を歩いていると、対面からノールとアロンドがやってきた。
彼らは2人の姿を認めると、数歩前で立ち止まって深々と頭を下げた。
「これはリーゼ様、おひさしぶりでございます」
「おひさしぶりです、ノール様。アロンド様もお変わりありませんか?」
「毎日父にこき使われておりますが、何とかやっております。リーゼ様もお元気そうでなによりです」
リーゼが笑顔で答えると、2人も頭を上げて微笑をたたえる。
双方、素晴らしい営業スマイルだ。
「カズラ様、こちらはルーソン家のご当主であられるノール様と、そのご子息のアロンド様です。お2人はグレゴルン領との取引全般を担当している文官です」
「お初にお目にかかります、カズラと申します」
リーゼからの紹介を受け、一良も挨拶しながら頭を下げる。
「おお、あなた様がカズラ様でしたか。都合が合わず、今までご挨拶できずにいたことをお許しください」
ノールは恐縮した様子で頭を下げ、アロンドもそれに続いた。
「いえ、気にしないでください。私の方こそ、以前はいきなりノールさんの屋敷に泊まりにいってしまい、すみませんでした。その節は大変厚く持て成していただき、感謝しております」
「いえいえそんな、当日は私は留守にしていたためご挨拶すらできず……」
「いえいえ、私の方こそ……」
お互いぺこぺこと頭を下げながら社交辞令の応酬を行っていると、頃合を見計らってアロンドが口を挟んできた。
「カズラ様には弟が大変よくしていただいていると伺っております。弟はお役に立てていますでしょうか?」
「はい、色々と私の気づかないところにも手を回してくれて、とても助かっています。彼は本当に優秀ですね」
その答えにアロンドはとても嬉しそうに微笑んだ。
ノールも実に満足そうにしている。
「それを聞き安心いたしました。弟はまだ若輩者ゆえ、何かと至らぬ点もあるかと思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。何かあれば私もお手伝いさせていただければと思いますので、何でも申し付けてください」
「ありがとうございます。その時は是非」
一良が答えると、彼らは深々と頭を下げて一言礼を添えた後、屋敷の入り口へと去っていった。
「あの人たちがハベルさんのお父さんとお兄さんか。感じのいい人たちだな」
彼らの背を見送りながら一良が小声で感想を言うと、リーゼは「うーん」と唸った。
「どうかしたか?」
「私、あの人たち苦手なんだよね」
「え、そりゃまたどうして?」
一良は少し驚いたような顔をリーゼに向けた。
「えっとね、ノールはまあ、そこそこ分かりやすい性格だと思うの。でも、アロンドの方は何考えてるか分からないっていうか、あんまり近づきたくないっていうか……」
「何でそう思うんだ?」
「何でって……何て言ったらいいのかな。何となくそう感じるってだけなんだけど」
そう言って、再びリーゼは「うーん」と唸る。
「アロンドとは何回か面会したことがあるんだけど、その時に思ったのよ。『この人、自分以外の誰も信用してないな』って」
「誰も信用してないって、ずいぶんな感想だな。そんなにお互い突っ込んだ話したのか」
「ううん、話の内容は普通だったよ。そう思ったのはただの直感だから」
「直感ねえ……今はもう面会してないのか?」
「うん、もうここ2年くらいきてないよ。何度か面会して親しくなってきたと思ったら、今度は少しずつ頻度が減っていったの」
「まったくなびかないから諦めたとかじゃなくて?」
「そんな露骨な態度は取ってないと思うけど……どうだろう、気づかないうちに態度に出てたのかな」
以前のことを思い出すように、リーゼは口元に手を当てて唸っている。
一良としては特に悪い印象は受けていないので、半信半疑だ。
ただ、先ほどのアロンドたちとの会話で、マリーの話題がまったく出てこなかったのが少しだけ気になっていた。
「まあ、話半分に聞いておいて。特別悪い噂を聞くわけじゃないし、私がそう思い込んでるだけかもしれないから。それに、あの人に憧れてる娘も結構いるのよ」
「へえ、あの人もてるのか。まあ、そんな感じはするよな」
一良の言葉に、リーゼも頷く。
アロンドは理知的な顔立ちで背も高く、先ほど一良が感じた雰囲気もとても柔らかいものだった。
そのうえ領内で上級の文官の地位にあるならば、もてない道理はないだろう。
「話も上手だし、気遣いもできる人だよ。文官としても有能だし、お父様も評価してるみたい」
「でも、リーゼは苦手なのか」
「うん。上手く言えないけど、なんか苦手。そんな感想持つの、たぶん私だけだと思うけど」
「まあ、人との相性も合う合わないがあるよな」
「そうそう。その程度に考えておいて」
そんな話を少しした後、2人は部屋へと戻っていった。