11話:領主様と優等生
蝋燭の明かりが仄かに板張りの室内を照らす中、短く切りそろえられた白髪交じりのダークブラウンの髪を持つ壮年の男が一人、大きな執務机に向かいながら、手にした皮紙に書かれた報告文を読み上げていた。
報告文を読み上げる男の顔は険しく、その内容が芳しくないことを物語っている。
机の上には、彼が手にしている皮紙以外に数枚の報告書が重ねられ、その脇には羽ペンと黒いインクの入った小さな陶器が置かれている。
日本で言うところの16畳程の広さの部屋に置かれた家具は質素なものばかりで、彼の座っている机と椅子の下に敷いてある、動物の毛皮をつなぎ合わせた大きな絨毯以外には、高価に見える品はひとつもない。
彼が報告書を見ながら何やら考え込んでいると、部屋の扉がノックされた。
「アイザックです。グリセア村からただいま戻りました」
「入れ」
彼が報告書に目を落としたままそう言うと、「失礼します」との声の後に、右手に皮紙を持ったアイザックが入ってきた。
部屋に入ってきたアイザックは、未だに難しい顔をして報告書を読んでいる男に、手にしていた皮紙を差し出す。
「ナルソン様、グリセア村の状況ですが、ナルソン様の案じていたような事態にはなっておりませんでした。それどころか、村の中には水路が引かれ、水の心配はしなくてもいい状態となっておりました」
「……何だと?」
報告書を読んでいた男――ナルソン――は、アイザックの報告に顔を上げると、差し出された皮紙を受け取り目を通す。
それを読みながら怪訝な表情をするナルソンに、アイザックは何かまずいことでもしてしまったかと、直立したまま身じろぎした。
「水路には水が通っていたと書いてあるが、間違いないのか?」
「はっ、確かに水が流れておりました。水路は溜め池まで繋がっており、溜め池の水も半分ほど溜まっておりました」
「ありえんな」
アイザックの返答を聞くと、ナルソンは視線を報告書からアイザックへと移す。
その射抜くような視線を受け、アイザックは別に悪いことをしたわけでもないにも関わらず、背中に冷や汗を掻いた。
「し、しかし、実際にこの目で見てきたので間違いはないかと……」
「アイザック、お前はあの村から川までの距離と、川の周囲の地形を知っているか?」
「……いえ、申し訳ありません」
「……そうか」
ナルソンは立ち上がると、壁際に置いてある書類棚から、二枚の大きな皮紙を抜き出した。
「まあよい。何故水路に水が流れていることがありえないのか、今から説明しよう。地理と一緒にしっかり覚えるといい」
ナルソンは項垂れているアイザックの肩を叩くと、机の上に二枚の皮紙を広げた。
1枚には彼が統治しているグリセア村の周辺地図が描かれており、もう一枚は村から少し離れた地域の地図で、村への水路に繋がっているはずの川も描かれている。
「いいか、まずグリセア村から川までの距離だが、大人の足で歩いて4半刻(約30分間)はかかる。更に日照り続きで食料も殆ど無く、先の戦争で若い男手がかなり少なくなっていて労働力も足りない。道具も村には青銅製のものは殆ど無い」
ナルソンはそこまで話して、「ここまではいいな?」とアイザックに確認する。
「はい」と返事をするアイザックに、ナルソンは再び説明を始めた。
「雨が何時降ったのかは報告書には書いてはいなかったが、お前が前回グリセア村に行った直後……大体一ヶ月前だな。そこで雨が降ったとして、それから必死に水路を作ったと言うのなら、まぁわからない話でもない。ただし……」
ナルソンはそう言うと、指で地図に描いてある川を指した。
「この川の水面が水路を引ける高さであれば、だ。残念ながら、この川の水面は水路を引くには低すぎる。水路をもっと上流から引くにしても、川は上流に行くにつれて村から離れるし、途中にいくつもの丘まである」
「なんと……それでは、あの水はいったい何処から……」
ナルソンの説明を聞き、アイザックは地図を見ながら唸った。
アイザック自身、水路に水が流れているのを見たことは事実であるし、てっきり単純に川への水路を掘っただけだと考えていたのだ。
しかし、その川からは水路が引けないのである。
地図を見る限り、村の近くに他の水源は無く、何処から水を引いてきたのか皆目見当もつかない。
丘を切り崩すか、丘を大きく迂回して水路を引けば不可能ではないが、時間的にも労働力的にも現実的ではない。
「それは私にも分からんが……まあ、村の水路を辿っていけば分かるだろうな」
「そうですね、それでは明日もう一度、グリセア村へ行ってまいります」
勇んでそう申し出るアイザックに、ナルソンは首を振った。
「お前には別の仕事をやってもらわねばならん。それに、グリセア村に水が供給されているというのは悪い知らせではないから、水源が何処かということは今は保留にしておこう。何しろ、ここからグリセア村まではラタに乗っていっても丸1日はかかる。今はその調査にそこまで掛けられる程の時間は無い」
「……はい、申し訳ございません」
自分の注意力不足のせいで、ナルソンに領内の懸念事項を一つ増やしてしまったと、アイザックは肩を落とす。
ナルソンはそんなアイザックの様子に気づくと、ふっと目元を緩めて再び彼の肩を軽く叩いた。
「そんなに気にするな。お前がグリセア村に行った回数も、まだ数える程しかないではないか。それに、悪い知らせならともかく、今回はいい知らせだったのだ。今回の一件で地理を把握できて、逆によかったではないか」
「しかし、今回はよかったものの、もしこれが私の落ち度のせいで取り返しのつかない事態になっていたらと考えると……」
尚も気落ちしているアイザックに、ナルソンはやれやれと溜め息をつくと、話を変えるべく口を開いた。
「ところで、最近リーゼとはどうなんだ? 仲良くしているのか?」
「えっ!? い、いえっ、特に変わりありませんですっ!」
突然振られた話に、アイザックは驚いて顔を上げ、慌てて答える。
そんな様子のアイザックに、ナルソンは大げさに溜め息をついてみせた。
「アイザックよ、そんなことでは我が娘を振り向かせることは出来んぞ。あいつの好みがどんな男かは分からんが、砦と一緒で攻めねば落とせぬということは確実だ」
「……アルカディアの盾と呼ばれているナルソン様のお嬢様では、砦どころか難攻不落の城塞に思えますが」
「はっはっは、上手いことを言うではないか! 確かにあいつはその辺の砦どころではないかもしれんな!」
大笑いしているナルソンに、アイザックは
「いえ、冗談ではなく本当のことなんですがね……」
と、再び肩を落とすのだった。
一方その頃、件のグリセア村の村長の屋敷では、パチパチと薪の燃える囲炉裏を囲みながら、一良がバレッタと村長から農作物や租税について話を聞いていた。
「なるほど、大体二ヶ月から三ヶ月ごとに作物を税として納め、領主はそれを他の地域と取引してお金に変えるわけですか」
「ええ、そのお金を王家に納めるので、しっかりと租税を徴収しないと王家からお咎めを受けます。王家から承諾を得られれば、作物やその他の品を、お金の代わりに直接納めることもあるみたいですけどね」
「ふむふむ、バレッタさんは物知りですね。感心します」
一良がそう言うと、バレッタは少し照れた様子で微笑んだ。
「父から色々教えてもらっているんです。村長の娘であるからには、ある程度の学がなければ村の人たちに示しがつきませんから」
「うむ、我が娘ながら、バレッタは大変頭のいい娘です。こんな小さな村にいるよりも、ナルソン様などの貴族様の元に仕えさせて頂いて、少しでも学を増やした方がいいと思うのですがな……」
その言葉に、バレッタは父親に顔を向けるとにっこりと微笑んだ。
「ううん、私この村が好きだから離れたくないの。それに、私がいなくなったらこの家はすぐに埃まみれよ? 一ヶ月もしない内に、お父さんは埃の塊になっちゃうわ」
「おいおい、酷い言い様だな。いくらなんでも掃除くらいできるわい」
そう言いながらバレッタを見る村長の目は温かい。
恐らく、バレッタは村長がこの屋敷に一人になってしまうのを気にしているのだろう。
そんな二人を見ながら、一良は「(親思いのなんていい娘なんだろう)」と、心が温かくなるのを感じるのだった。
「えっと、それで今回の租税ですけど、以前納めた木材の8割でしたっけ?」
「ええ、昨日アイザックさんからはそう指示されましたな。本当は作物を納めたいところですが、今からでは殆どの畑で芋の成長が間に合いませんので、次に納める豆を植えるまでの間は成長の早い葉物を育てて、村の食料にする予定です」
一良は「なるほど」と頷くと、納める木材について少し考える。
この間水路を作るために行った伐採作業の進み具合から見て、伐採は問題なく行えるだろう。
前回納めた木材の量がどれだけあるのかは知らないが、一良が持ってきた斧やノコギリがある今、問題なく作業を行えるはずだ。
「ちなみに、提示されたものよりも多く租税を払うことってあるんですか?」
一良の問いに、バレッタが「ええ」と頷く。
「他の村ではどうなのかは知りませんが、予定より多く作物が取れた場合や、手が空いて薪に使う枝を大量に拾ってこれた場合などは、それを他の町で売ったお金の一部や採れたものなどを追加で納めることもありますよ」
「へぇ、それはまたどうして?」
「ナルソン様は、私たちの生活のこともちゃんと考えて租税を決めてくださいますし、何か村で困ったことがあっても、積極的に支援してくださるからです。今回の飢饉では、さすがに無理だったみたいですけど」
「おお、そりゃいい領主様だ……」
バレッタの答えに、一良は思わず感心して頷いた。
かなりの善政を敷いているようではあるが、それ故にナルソンの負う苦労は半端なものではないだろう。
優しくしていても全てのものが恩に報いるわけではないだろうし、夕食時に村長から聞いたように、収穫量をごまかして自分達だけ楽をしようという村も必ず出てくるのだ。
甘くしすぎれば付け上がるし、逆に厳しくしすぎれば反発する。
いつの世も、経営管理というものは難しいのだろう。
「ですから、今回のように税収が一気に落ち込むと思われる時は、何とか私たちもナルソン様に多く租税を納められるようにしたいんです。きっとナルソン様も、王家に納めるお金が足りなくなるでしょうから」
「なるほどねぇ……。それでは、指示された木材はもちろんのこと、可能であれば作物も納めたいですね。今も芋を育てている畑はどれくらいありますか?」
「芋畑は元の2割も残っていればいいところですな。他の畑は日照りで完全にやられてしまいました」
「2割か……ううむ」
ナルソン領の優等生であるグリセア村(さっき村長から初めて村の名前を聞いた)としては、何とか多くの租税を納めたいところである。
「(今から芋の苗を増やしても間に合わないから、出来ることといえば芋の質を上げることくらいか)」
日本から大量の作物などを持ってきてしまえば手っ取り早いのだろうが、この世界の食べ物とは大分味や形が違うし、いきなり大量の新種の作物を納めたとしたら、怪しまれること必至である。
とりあえず木材については心配ないようなので、可能な限り村にある作物を大切に育てて、租税として納めるのがいいだろうと一良は考えた。
「あの、明日村の畑を見せてもらってもいいですかね? 残った芋の様子が見たいんですけど」
「おお、見てくださりますか。ありがとうございます」
「え? あ、はい。とりあえず見るだけですけど……」
何故か礼を述べて頭を下げる村長に、一良は内心首を傾げる。
「では、そろそろ休みますか? 日が落ちてから結構経ちますし」
「あ、そうですね。寝ましょうか」
バレッタの一声にて、その夜の話し合いは一先ずこれにてお開きとなり、翌朝三人で畑に向かうこととなったのだった。