107話:おさわり禁止
「それはあれですか、護衛にくっついてきていた兵士か従者が噂の出所ですか? もしくは屋敷の使用人とか」
「いえ、出所は穀倉地帯で作業をしていた使用人たちのようです。先日1ヶ月遅れで収穫を始めたのですが、生き残った作物の成長具合が著しく、昨年の収穫高とほぼ同量を収穫することができました。その際に噂が広がり始めたようでして」
「昨年と同量ですか。それなら噂が立っても仕方がないか……」
撒いた肥料は通常の50分の1にまで薄めたのだが、それでもかなりの効果があったようだ。
北側と西側の川や溜め池から離れた場所の作物の大半は枯れてしまっていたので復活しなかったが、南側と東側の作物は健在である。
作物自体に大きな被害は出てしまったが、肥料を撒いた範囲の生き残った作物からの収穫量がかなり多かったようだ。
しかもそれが、畑全体からの収穫量は例年と同程度とあれば大変な事態だ。
使用人たちには肥料を撒く理由を簡単に説明してあったが、このような結果が出るとは夢にも思わなかっただろう。
魔法か奇跡のような出来事に感じて当然だ。
「それが、きっかけはそれではないようです。以前カズラ殿が穀倉地帯で作業の説明を行った際、使用人の中にこの国の言葉がまだほとんど話せない者が1人いたようで、そこから噂が立ったようなのです。そこに先日の収穫量を受けて、噂が再燃したのでしょう」
「……ん? どういうことです?」
説明の意味が分からず、一良が問い返す。
「言葉の分からない者もカズラ殿の説明を聞いて理解したため、まさか、となったようです。私も使用人の出身地を調べておくことを失念しておりまして……」
「……んん?」
「どうかなさいましたか?」
話の意味がすぐには分からず、一良は首を傾げた。
その様子を見て、ナルソンも首を傾げている。
話が噛み合っていないというか、お互いの思考の整合性が取れていないようだ。
一良は少しの間考え込み、改めてナルソンに目を向けた。
「ええと、私の話を聞いて、この国の言葉が分からない人たちも話を理解したから、なんじゃこりゃってなったってわけですか?」
「そのとおりです。先ほどの説明は分かりにくかったですかな。申し訳ありませんでした」
「(……マジですか)」
どうやら一良の話す言葉は、この国の言語を理解していなくとも、誰もが内容を理解できるらしい。
考えてみれば、以前一良はナルソンとジルコニアから複数の言語で話しかけられた際、そのすべてを理解できていた。
その時に、今回明らかになったような事象もありえると予想しておくべきだっただろう。
「ただ、今のところその噂を……カズラ殿がグレイシオール様だと思っている者は少数に限られるようです。少なくとも職人たちは、作物の成長や道具の開発は同盟国の技術協力の結果と捉えています。それ以外の者たちの心境までは分かりませんが」
「でも、その使用人たち経由で私がグレイシオールだという噂が広まりそうですね……たとえ私のことがばれなかったとしても、肥料を運び出したグリセア村にグレイシオールがいるといった認識が広まってもおかしくないような」
「そうでしょうか? グリセア村は元々グレイシオール様が現れたという伝説が残っている土地なので、周囲の森には加護の力が強く備わった土があるという噂をこちらから流せば問題ないはずです。我々が噂を流すまでもなく、すでに噂として広まっているかもしれませんが」
「そ、そんなに上手くいくものですかね?」
半信半疑な一良に、ナルソンは当然のように頷いた。
「運んできた土を撒いて収穫量が増え、それの出所がグリセア村だという噂が流れれば、そう考えるのが普通かと。もし本当にグレイシオール様が現れているのならば、そんなことをせずとも国中の作物が勝手に復活して大豊作になると普通は考えるでしょう」
「な、なるほど……」
「それに、カズラ殿はこう……ええと、何とも親しみやすいというか、実に人間味があるというか……」
「グレイシオールに見えない?」
言い難そうにしているナルソンに代わって一良が言うと、その場にいる全員が頷いた。
一良も内心、『俺もそう思う』と同意しておく。
寝不足でクマを作りながら青白い顔で働いている人を指して、『あれが神様だ』と言われても、信じる人間などいないだろう。
「あ、その……ご気分を害されましたら大変申し訳なく……」
「いや、いいんですよ。お気になさらず。実際こんなんですし」
特に気にした様子もない一良に、ナルソンはほっとした。
ナルソンは極力一良の機嫌を損ねないようにと気を使っており、あまり踏み入ったことや気に障りそうなことは言わないように心がけている。
一良が本物のグレイシオールであるかといったことはどうでもよく、現在行われている支援を継続してもらうことが重要である。
神様だろうが悪魔だろうが、領地運営の役に立ってくれるのならば何でもよいのだ。
一良とはだいぶ親しくなってきたと感じてはいるが、油断は禁物である。
「とはいえ、グリセア村周辺の森に加護があるという噂が広がると、土や食料を狙ってやってくる者が現れるかもしれません。村ではすでに要塞化が進んでいると伺っていますが、万が一外部から接触者が現れた場合に備えて、村の近くに防衛部隊を駐屯させていただければと思うのですが」
「確かに、そうしたほうが安全ですかね……」
村には迷惑をかけないと決めていたにもかかわらず、完全に迷惑をかける方向に進んでしまっている。
穀倉地帯が全滅寸前で一刻の猶予もなかったとはいえ、肥料の大量輸送はやりすぎだったかもしれない。
だが、あの時はあれ以外に方法が思いつかなかったうえに、そこまでしても作物の半数は枯れてしまったのだ。
肥料袋をイステリアで作らせたり、人目に付かないように夜中にイステリアに搬入したりと手を尽くした結果なので、仕方がないといえば仕方がないだろう。
後で村の皆に侘びを入れなければ、と一良はため息をついた。
「では、そのようにいたしましょう。アイザック」
「はっ」
ナルソンの呼びかけに応じ、アイザックが姿勢を正す。
「信頼できる者を何名か選出しろ。その者たちに駐屯軍の指揮を任せる」
「私の一存で構わないのですか?」
「うむ、一応私も確認はするがな。カズラ殿、よろしいですかな?」
「いいですよ。アイザックさんが選んだ人なら安心です。戦闘技術よりも、人柄優先でお願いしますね」
「はっ! お任せください!」
アイザックは勇んで返事をすると、一礼して部屋を出て行った。
「兵は第1軍団の近衛の予備役を使い、期間を区切って50名ずつ交代で配備しようかと思います。年配者ばかりで体力には劣りますが、老練で経験豊富な精兵です。今回の任には最適かと」
「そのあたりはお任せします。村の内情には干渉しないようにとだけ言っておいてください」
「かしこまりました」
グリセア村はイステリアからさほど遠くないからか、大人数を駐屯させるわけではないようだ。
軍の目があるということでの治安維持もあるが、外部接触者に対する門番的な役割が大きいのだろう。
「噂関係についてはこんなところですかな。他にもご報告することがありまして」
「分かりました。そちらが済んだら工事計画の話を詰めましょうか」
「そうですな。では、ご報告内容なのですが、穀倉地帯の開墾状況と新たな候補地の選定、街なかの井戸掘りの進捗、氷池建設の進捗、氷室建設予定地の候補などがありまして……」
「む、結構ありますね。私のほうも、馬車の改良案と豆油の搾り出しについて提案が……」
その後、昼食の時間まで各自の報告に時間を費やしたのだった。
話し合いが一段落ついたのは、夜の10時を回った頃だった。
先ほど解散し、それぞれ休憩したり別の仕事を片付けたりしている。
一良がコーヒーを飲みながら工事計画書をぱらぱらと見直していると、部屋の扉がノックされた。
「リーゼです」
「どうぞ」
声をかけると、そっと扉が開いてリーゼが入ってきた。
普段ならリーゼはとっくに寝ている時間なのだが、服装はドレス姿のままだ。
「あれ、まだ風呂に入ってないのか。今日は仕事はもういいから……どうかした?」
何やらリーゼの表情が暗いことに気づき、一良が声をかける。
「うん……相談したいことがあって」
「ん、そうか。とりあえず座りなよ」
リーゼをテーブルの席にうながし、冷蔵庫から作りおきしておいたハーブティーを取り出す。
銀のコップに注いでリーゼに渡すと、一良も椅子に座った。
「で、相談って?」
「その……グレゴルン領の塩のことなんだけど……」
リーゼはそこまで言うと一旦口を閉ざし、視線をテーブルに落とした。
これから話すことについて、口にするのをためらっているように見える。
その様子に、代わりに一良が口を開いた。
「塩のことならたぶん大丈夫じゃないかな? 一時的に価格は高騰するかもしれないけど、フライス領に手を貸せば何とかなるよ。グレゴルン領の塩と同じくらい高品質なものが作れるかは分からないけどさ」
「ううん、そうじゃないの」
塩の融通について心配しているのだろうと話す一良に、リーゼが首を振る。
「取引規模縮小の話なんだけど……たぶん、私のせいなの」
「え、どういうこと?」
驚いている様子の一良に、リーゼは不安げな眼差しを向ける。
「いつも私に面会しに来てるニーベル・フェルディナントっていう豪商がいるんだけど、グレゴルン領のすべての塩取引を牛耳ってる人なの。4年前に私が面会するようになってから、イステール領に対しては2割引で塩を売ってくれてたんだけど、最近態度が露骨になってきて……」
「態度?」
一良が問うと、リーゼは若干涙目になった。
「やたらと身体に触ってきたり、外に連れ出そうとしたりしてきて……今までは何とか受け流してたんだけど、ここにきて急に取引縮小の話が出たから、きっと私のせいだと思って……それに、値引きも中止になって通常価格に戻されるみたいで」
「うげ、そりゃたちが悪いな。ていうか、今までよく我慢してたな……」
生々しいセクハラ被害の告白を受け、一良は顔をしかめた。
どうやら、ニーベルという豪商は塩取引を盾にして、リーゼを手篭めにしようとしているらしい。
ナルソンたちに相談しなかったのかとも考えたが、領内の財政状況を知っているリーゼは言い出すことができなかったのだろう。
午前中にナルソンが、『イステール領はグレゴルン領とクレイラッツの間に入って卸をしている』と言っていたので、塩取引は貴重な収入源だったはずだ。
「2日前にあの人と面会した時に、『本当はこんなことはしたくないが、リーゼ様がご協力してくださるのなら、私も身を切る覚悟で取り組ませていただきます』とか言ってきたの。これってどう考えても身体を差し出せってことでしょう? その時は返答を濁したけど、もうどうしたらいいか分からなくて」
「いや、そんな脅しに応じなくていいから。資金はとりあえずガラスで一時的に凌げるし、作物の収穫量や鉱石の採掘量も今後は増える。そんな腐れ外道とはもう会わなくてよろしい」
「えっ、で、でも、さすがにそれは……」
「大丈夫だって。そいつだってあんまり極端なことをすると、イステール領どころか自分のとこの領主にだって目をつけられたり糾弾されることになるだろ。塩の取引量をもっとしぼったり、多少値段が吊り上げられたりするかもしれないけど、それまでにフライス領のほうで何とかしてしまおう」
一良が言い切ると、リーゼはほっとした様子を見せた。
この2日間、ずっと不安で仕方がなかったのだろう。
「しかし、そうなるとグレゴルン領の海岸線での天候不順っていうのもでたらめなんだろうか? 全部そいつの出任せだったり」
「もしそうだとしたら最悪だけど、さすがにそんなすぐにばれる嘘はつかないんじゃないかな。天候不順に乗じて話を盛ってる可能性はあるとは思うけど」
「まあ、そうだよな。別の商人とかに聞き込みしたり、グレゴルン領の領主……ダイアスだっけ? そいつに相談すればすぐにばれるもんな」
ニーベルはかなりの権力者のようだが、領主に対してバレバレの嘘をつくほど馬鹿ではないだろう。
一応内偵は入れたほうがよさそうだが、話が話だけに扱いが難しい。
リーゼはナルソンたちには知られたくないから、こうして一良にこっそり相談してきたのだろう。
あまりおおっぴらにはしたくはないはずだ。
「よく話してくれたな。塩取引については俺が何とかするから、安心してくれ。その商人みたいなことをしてくる奴は他にもいるのか?」
「他は大丈夫。あからさまに酷いのはその人だけだから」
「そっか。重ねて言うけど、もうそいつとの面会はしなくていいぞ。リーゼから断り難いようなら、俺がジルコニアさんに話しておくから」
一良が言うと、リーゼは慌てて胸の前で手を振った。
「あ、そこまでしてくれなくていいよ! 次からは人のいるところで会うようにするから」
「会いたくないのに会う必要もないだろ。そんなやつ相手に無理する必要もないし」
「ううん、あんまり急に面会拒否すると相手の顔を潰すことになるから。向こうの顔も立てながら上手くやるよ。護衛も付けるから大丈夫」
「でもさ……」
「大丈夫だから」
リーゼは微笑むと、コップを口につけ傾けた。
ごくごくと喉を鳴らして飲み干し、立ち上がる。
ぐっと背伸びをし、深く息をついた。
「あー、ほっとした。急に変な相談してごめんね」
「いや、変な相談なんかじゃないよ。これからも何かあったら何でも相談してくれ」
「うん」
部屋の扉へと向かうリーゼに続き、一良も席を立つ。
扉の前に来た時、くるりとリーゼが振り返って一良に抱きついた。
「ど、どうした!?」
「……ありがとう」
突然のことに一良が慌てふためいていると、リーゼは一良の胸に顔をつけたままぽつりと言った。
そしてすぐに離れ、ドアノブに手をかける。
「おやすみなさい」
リーゼは振り返らずにそう言うと、そのまま出て行ってしまった。
一良はしばし扉を見つめていたが、一度息をつくと先ほどの作業に戻るのだった。