102話:守るべきもの
「あれから、カズラさんが持ってきてくれた銅と錫で青銅を作って、いくつかお風呂を作ったんです」
「五右衛門風呂の作り方って詳しく知らないんですけど、どういうふうに作るんですか?」
「えっと、山でとってきた砂岩で鍋みたいな形の底板用の鋳型を作って、それに溶かした青銅を流し込んで……」
屋敷に向かって歩きながら、バレッタは楽しそうに話す。
風呂は村人たちと共同で製作したとのことで、製造方法は村人たちも理解しているらしい。
鋳型を砂岩製にしたことで、粘土製の鋳型と違って何度も使い回しができる。
青銅の材料となる銅や錫は、以前一良が500キロずつ持ち込んでいたので、気兼ねなく製作に取り組めたとのことだ。
「まだ数個作っただけで、今も生産中なんですけどね」
「それはすごいですね……量産体制に入ってるのか」
「そこまで大掛かりなものじゃないですよ。皆で暇を見つけて少しずつ作ってる状態なんで」
2人の後には他の村人たちも付いてきており、各々の家の近くまで来ると、2人に挨拶をして家へと戻っていった。
バリンは例のごとく見張り塔で見張りを続けるとのことで、村の入り口に残っている。
「そうなんですか……あ、お風呂があるのって、あの小屋ですか?」
村人が戻っていく家の敷地には、三角屋根の小屋が1軒建てられていた。
入り口からはぼんやりと灯りが漏れており、中では火が焚かれているようだ。
「はい。せっかくなので、小屋を建てて中に洗い場も作っちゃいました」
「あれを全部の家に作るんですか? ずいぶんと立派に作りましたね」
小屋は遠目に見てもしっかりした造りで、ちょっとしたログハウスのようになっていた。
小屋の外には屋根付きの小さな物置が付いており、手頃な大きさに切られた薪が山積みになっている。
「せっかく作るなら、ちゃんとしたものを作らなきゃと思って。材料は租税用として切り出した木材が沢山ありましたし、製材機のおかげで木板も量産ができるので、そこまで大変じゃなかったですよ」
「製材機も作ったんですか!?」
軽く言ってのけるバレッタに、一良は目を剥いた。
イステリアでも製材機の製造には取り掛かっているが、まだ試作機すら出来上がっていない。
それにもかかわらず、すでに村では製材機が稼動状態にあるという。
「1機だけですけど、出来上がった試作品をそのまま使っています。村の人に作ってもらった片刃ノコギリを使って、縦型製材機(刃が上下に往復する製材機)を作りました」
「ノコギリも自分たちで作ったんですか。鍛造とかできる人っていましたっけ?」
「戦争の初期から軍にいた人たちが中心になってやってくれました。武器や防具の簡単な修理は自分たちでやっていたみたいで、鍛冶職人の仕事も見ていたみたいなんです。いくつか失敗しましたけど、まあまあの物を作ってくれましたよ。ただ、刃が青銅なので耐久性に難があるんですけどね」
「6年近くも前線で戦い続けてたら、ある程度のことはできるようになってるんですかね」
「そうかもしれないですね。それに、村で使うノミとかの修理もその人たちがやっていたので、小慣れてはいたみたいです」
「その製材機って、村の中にあるんですか?」
「ありますよ。あそこの小屋の中です」
バレッタが指差す方向に目を向けると、月明かりに照らされた小屋が遠目に見えた。
小屋から少し離れた場所には、水車が2台設置されているようだ。
その水車は川べりで使っていた物よりも大きいようで、車輪の直径が5メートル近くはあるように見える。
「何やらずいぶんと大きな水車がありますね。製材機の動力水車ですか?」
「いえ、あれは動力水車に水を送るための揚水水車です。製材機には上掛水車を使いたかったので」
暗闇に目を凝らしてみると、その水車の横に水受け用の水路が設置されているのが見えた。
水路は小屋に向かって延びているので、そこに動力水車が設置されているのだろう。
上掛水車とは、水車の車輪に上方向から水を掛けて使う水車のことだ。
上から掛けられる水の重さで車輪が回り、受けた水は水車の最下位置まで水を保持し続ける。
そのため、作業効率がよく高馬力が出る。
揚水に使っている下掛水車は大きさの割りに馬力が出ないので、製材機などの大きな力を必要とする機械の動力としては、下掛水車よりも上掛水車が望ましい。
「この短期間でよく作りましたね……上掛水車の設計図ってありましたっけ?」
「簡単な説明が書いてある文献はあったんですけど、詳細な設計図はなかったですね。なので、少し工夫して自分で図面を引いてしまいました。カズラさんに貰った製図板のおかげで、綺麗な図面が引けましたよ」
「そ、そうですか」
バレッタの言葉に頷きながら、一良は村を見渡した。
今までなかった建物がいくつか建っており、2メートル近い高さの柵がついた飼育小屋のようなものも見える。
しばらく留守にしているうちに、グリセア村は驚異的な発展を遂げてしまったようだ。
「あれって何かの飼育小屋ですか? ずいぶんと大きいですけど」
「あれは根切り鳥の飼育小屋です。日本の飼料を食べさせるようになってから鳥たちが元気になりすぎちゃって、低い柵だと飛び越えて逃げちゃうんです」
「えっ、あの鳥って跳ねるんですか?」
以前一良が根切り鳥の世話をしていた時は、極めて温厚なニワトリのような印象だった。
滅多に飛び跳ねたり走り回ったりせず、たとえ飛び跳ねたとしても10センチがせいぜいだったのだ。
「私もあそこまで跳ねるなんて知らなくて、初めて見た時はびっくりしました。たぶん私たちみたいに、身体が強化されてるんだと思います」
「ふむ、やはり人間だけじゃなくて動物も強化されるのか。巨大化はしてないですか?」
「ものすごく元気になったってだけで、大きさはそのままですね。卵も沢山産んでくれますし、雛も何羽か産まれましたよ」
「おお、それはよかった。逃げられないようにしないとですね」
「前に逃げ出した時はすごかったですよ。朝起きて卵を取りに行ったら、2羽が一斉に飛び跳ねて柵を乗り越えて、すごい速さで逃げて行っちゃったんです」
「ま、まるでニワトリみたいだな……捕まえられたんですか?」
「それがすばしっこくって全然捕まえられなくて……結局森の中に逃げられちゃったんですけど、美味しいご飯が森にはなかったみたいで、夕方になったらしょんぼりして戻ってきました」
そんなことを話しながら、2人は屋敷に戻っていった。
「なるほど、五右衛門風呂ってこうなってるのか」
大きな水桶のような形をした五右衛門風呂に浸かりながら、一良は風呂の造りを確認していた。
風呂の側面は木製でできており、青銅が使われているのは底の部分だけのようだ。
底板の上には木板が敷かれており、金属部分に直接足が触れないようになっている。
板の上には大きな石が載せられていて、板が浮き上がらないようになっていた。
「壁に排煙用の穴も付いてるのか。洗い場もあるし、ずいぶんしっかり作ってあるな」
室内の床はモルタルで固めてあり、その上に下駄を履かせた木の板が敷かれている。
床には排水用の溝も掘ってあり、屋敷の外に向かって延びていっているようだ。
風呂の中で立ち上がり、壁についている小窓から外を覗いてみる。
小屋の外では、薪の煙がもくもくと天に向かって伸びていた。
遠目に見える家々の灯りが、点々と村の中に浮かんで見える。
「カズラさん、湯加減はどうですか?」
一良が外を眺めていると、窓の外からバレッタが顔を見せた。
「いい感じですよ。でも、もうちょっと熱いほうがいいかな」
「分かりました。薪をくべますね」
バレッタは薪を取ってしゃがみこむと、壁の穴に薪を放り込んだ。
パチパチと薪の爆ぜる音が響き、ゆっくりと湯の温度が上がっていく。
「それにしても、たった1ヶ月でよくここまでできましたね。水路は全部モルタル製になってるし、新しい建物も沢山増えてるし……」
「村のお年寄りたちが全員現役になったので、色々と手が回るようになったんです。足りない材料があっても、皆が森とか山から取ってきてくれるんで、とても助かってます」
「あ、やっぱり足りない材料がありましたか。まだ何か必要なものはありますか? あれば買ってきますけど」
「えっと、製材機に使う鋼鉄製のノコギリか円刃が欲しいです。あと、化学肥料も使ってみたくて……」
「化学肥料ですか。今まで堆肥とか鶏糞とかしか使ってなかったから、確かに効果が気になりますね」
「ええ。農業の本に色々書いてあったので、こちらではどれだけ効果があるのか気になって。色々と試してみたいので、できれば沢山欲しいです。窒素肥料とカリウム肥料と……それに、硫黄も」
「分かりました。また山ほど持ってきますね」
「ありがとうございます。自分でも色々と配合を試してみたいので、混ざって肥料の状態になってないものがあればそれをお願いしたいんですけど……」
「混ざってない状態のものですか。ホームセンターか農協に行けば売ってるのかな……探してみますけど、なかったら肥料の状態になってる物でもいいですか?」
「はい、それで構わないです」
すごい探究心だと一良が感心しているうちに、お湯の温度がちょうどいい具合になってきた。
薪を入れるのを止めてもらい、肩まで浸かって深く息を吐く。
ここ一ヶ月の疲れが全て抜けていくようで、とても心地よかった。
「そういえば、あれからイステリアの郊外で開墾作業を始めたんですよ。手が回らないかと思ったんですけど、思ったより順調に進みそうです」
「……」
「手押しポンプとかも試作を始めているんで、近いうちに作れるかな。バレッタさんも手押しポンプを作るって言ってましたけど、もう作っていたりするんですか?」
「……」
「……バレッタさん?」
「えっ? あっ、ごめんなさい! ぼーっとしてて……」
何も返事をしないバレッタに声をかけると、はっとしたような声でバレッタが返事をした。
「何か考え事ですか?」
「えっと……」
少し間を置いて、バレッタは口を開いた。
「日本のことを少し考えていたんです。前にカズラさんが、日本では武器も持たずに生活している、みたいなことを話していたのを思い出して」
「ん? ……ああ、キャリーケースから剣が出てきた時の話ですか。そんな話もしましたね」
以前、父から受け取ったキャリーケースの中身を確認していた折に、中から出てきた用途不明の品々を見ながらバレッタと交わしたやりとりを思い出して一良は頷いた。
もう2ヶ月近くも前の話だ。
「日本って、もうずっと戦争はしていないんですか?」
「そうですね、最後にあった戦争から、もう何十年も経っていますね。私が生まれるずっと前の話です」
「地域同士の小競り合いみたいなものもなかったんですか?」
「こっちでいうところの戦争とか紛争みたいなのはなかったですね。悲惨な事件は色々とあったみたいですけど」
「そう……ですか……」
一良が答えると、再びバレッタは沈黙した。
どうしたんだろう、と一良は風呂の中で首を傾げる。
「事件や戦争に興味があるなら、戻った時に調べてきますよ?」
「いえ、大丈夫です。日本って、すごく平和なんですね」
そう提案すると、バレッタからすぐに返事が返ってきた。
「そうですね。私の実家のあたりは、父が子どもの頃はもっと治安がよかったみたいですよ。戸締りする必要が全くないくらいだったそうです。今はさすがに無理ですけど」
「そうなんですか。……どうすれば治安ってよくなるんだろう」
「うーん……貧困が解消されて統治の仕方も上手くやれば、ある程度は良くなるのかな。元々の国民性も関係するかとは思いますけど」
それから少しの間、2人は窓越しに日本についてあれこれと話をしていた。
その後、2人は交代で風呂を済ますと夕食を食べ、早々に就寝することとなった。
バレッタは自室に戻ると戸を後ろ手に閉め、自分の机の上に目を向けた。
机の上には、何枚ものA2用紙が重ねて置かれている。
それらは全て、機械や道具の設計図だ。
机の上に置いてあるランタンにライターで火を灯すと、部屋の窓際に置かれている製図板がぼんやりと浮かんだ。
製図板には描きかけの図面が置かれており、図面の左上には『スコーピオン』と書き込まれている。
図面には張力計算や製造に関するメモ書きもされており、それらは全て日本語で書かれていた。
スコーピオンとは、古代ローマで使われていた小型弩砲だ。
同様の兵器を大型化したものは『バリスタ』と呼ばれる。
弓を横にしたような形の兵器で、動物の腱を使って張力を生み出し、大型の矢を射出する強力な兵器だ。
射程は300メートル近くもあり、鎧を着た人間を一撃で貫くほどの威力がある。
バレッタは製図板に歩み寄ると、静かに椅子に腰かけた。
そして、描きかけの図面をじっと見つめるのだった。