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101話:トップスピード

 5日後の朝。


 山岳地帯から戻ってきた一良は、自室にてリーゼとナルソンとともに、資料の整理を行っていた。

 今まではナルソンの執務室(石造りで窓なし)で仕事をしていたのだが、湿気が少なく周囲を石材で覆っているとはいえ、昼間はどうしても暑くなる。

 そこで、せっかくエアコンを持ち込んだことだし、試しに一良の部屋で仕事をしてみようということになったのだ。

 部屋の中央には長テーブルが運び込まれており、書類を置いておくための棚も1つ設置されている。

 室内は冷房でほどよく冷やされていて、実に過ごしやすい。


「いやしかし、このエアコンというものは実に素晴らしいですな」


 ナルソンは手にした別件の書類をテーブルに置き、冷風を吐き出し続けているエアコンに目を向けた。


「こんなに快適な環境で仕事ができるようになるとは、思ってもみませんでした」


「今までいくらなんでも暑すぎましたもんね。次に戻ってくる時はもう1台エアコンを持ってくるので、隣の部屋に設置して仕事部屋として使いましょう……ただ、少し薄暗いですね」


 エアコンを効かせるために、窓は完全に締め切っている。

 蝋燭とランタンで灯りを取っているので、部屋の中はかなり薄暗い。


「少しくらい暗くても、私は涼しいほうがいいな。もうずっとここにいたい」


 お茶が入った銀のコップを手に取り、ストローで飲みながらリーゼが言う。

 コップの中身は、冷蔵庫で作り置きしておいた冷たい麦茶だ。

 リーゼはナルソンの前でも一良に対して素の状態を見せているが、ナルソンもそれに対して特に何か言うつもりはないらしい。

 最初は驚いた目でリーゼを見ていたが、よく分からないが一良と仲良くなっているようだし別にいいか、という結論に達していた。


「次に戻ってくる時は、何か別の光源を持ってくるよ。今のままだといくらなんでも暗すぎるし」


 そんなことを話しながら、それぞれ自分の仕事を片付けていく。

 といっても書類のコピーや確認程度なので、皆でのんびりと雑談したりお茶を飲みながらの作業である。

 間もなく一良はグリセア村に向けて出発する予定で、今頃屋敷の広場では着々と準備が進められているはずだ。

 移動中は馬車の中で暇になってしまうので、その間に見る資料として余分にコピーをとって脇によけていた。


 ジルコニアはこの場にはおらず、軍部に赴いている。

 イステリアを離れている間に溜まってしまった仕事を、大急ぎで消化しているとのことだ。


「このプリンタって道具、本当にすごいね。ボタンを押すだけで、同じことが書かれた紙がどんどん出てくるなんて」


 リーゼはプリンタのスキャナ部分に皮紙をセットすると、スタートボタンを押した。

 すぐに独特な機械音とともに、内容を完全に複写したコピー用紙が吐き出されてくる。

 リーゼはコピーした資料にフセンを張って見出しを書き込むと、穴あけパンチで穴を開けてファイルに閉じた。


「文書の複写はものすごく手間がかかりますが、この道具があればかなりの経費節約になりますな……むしろ、この道具一つで国を支配することすらも可能に思えます」


 ナルソンはテーブルに積まれているコピー用紙を1枚手に取って質感を確かめながら、プリンタの横に置かれているダンボール箱に目を向けた。

 ダンボール箱の中には、A3とA4のコピー用紙が包装紙に包まれて入れられている。

 全部で5000枚はあるだろう。


「国を支配、ですか?」


「情報は力ですからな。情報を制したものが世界を制すると私は思っています。このプリンタがあれば、一度に大量の情報を矢継ぎ早に拡散することができるでしょう」


 それを聞き、一良は新聞を思い浮かべた。

 この世界のように印刷物を全て手書きで書き写しているような世界では、情報の伝わり方は口伝が一般的だろう。

 だが、それだと拡散する範囲がまちまちであるし、情報の正確性もかなり怪しくなる。

 国の端から端までに情報が到達する頃には、元々の情報とは全く別のものになっていてもおかしくない。

 言い伝えやおとぎばなしも、その一例といえるだろう。


「こちらの意図した情報を正確に拡散することができれば、民意を誘導することが今よりはるかに容易になるでしょう。ただし、紙を安価に量産することができ、その手法を独占することができればという前提でですが」


「なるほど……商業的にもかなり役に立ちそうですね」


「もちろんそうですな。紙が量産できて複写が容易なら、本を量産することもできます。本は非常に高価ですから、それを売るだけでも莫大な利益を生むことができるでしょう。ですが、それによって民の持つ情報量や知識力が急激に向上すると、民意の誘導が難しくなる可能性もあります」


「知識力の向上による経済の発展を取るか、経済の発展を諦めてでも統治のしやすさを優先するかですか。私としては前者を推したいですね」


「今の情勢なら、そうしたほうが有益でしょうな」


「あの、ちょっといい?」


 話を聞いていたリーゼは何か思いついたのか、口を挟んだ。


「街中の商店を紹介するような文章を書いた紙をあちこちに配るのはどうかな。街中にある立て看板の内容を書いたやつを、無料であちこちの家に配るの」


「なるほど、宣伝チラシか。リーゼ冴えてるな」


「うむ、それはいい考えだな」


 リーゼの提案を受け、一良とナルソンは感心した様子で頷く。


 イステリアでどの店に何が売っているのかという情報を得るには、直接店に赴くか、街なかにある立て看板を見るしかない。

 立て看板は木版や石版に必要最低限のことが書かれた物がほとんどで、得られる情報はかなり少ない上にあまり内容の更新もされない。

 せいぜい書いてあっても、『この先○○宿屋あり』とか『○○衣料品店 上質な毛皮あります』といった程度だ。

 木板に皮紙を貼り付けて、インクでびっしり文字が書かれた看板もあるにはある。

 だが、内容を更新するのにも一から皮紙に書き直さなければならない。

 手間がかかる上に費用対効果があまり期待できないせいか、ほとんど見かけることはない。


「今までそういうのがなくて、何がどこに売ってるのか簡単に知ることができたらなって思ってたんだ。欲しいものがどこで手に入るのかが分かれば、街の反対側にあるお店でも足を伸ばしたりすると思うよ」


「そうなると、今度は街中に巡回馬車みたいな交通機関も欲しいところだな。料金設定を安くして、街中をぐるぐる何台も回るようなものにすれば、皆利用してくれそうだ」


「領内の交流が活発化すれば経済も活性化しますな。今やっている施策が一段落して余裕ができたら、是非ともやってみたいものです」


 そんなことを話しながら、3人は資料を整理してはファイルに閉じていった。

 ナルソンは数十枚もの書類がとじられたプラスチック製の大型ファイルをぱらぱらとめくり、満足そうに頷いている。

 どうやら、とても気に入ったようだ。


「(こっちの世界の言語で書き込めるソフトとかあったらすごく便利だな。日本に帰ったら業者をあたってみるか)」


 印刷関連の話でそんなことを思いつき、一良は手にした資料を眺めながら漠然と考えた。

 表計算ソフトや文章作成ソフトを使ってこちらの言語で書類を作れるようになれば、そういった宣伝チラシの作成も容易だろう。


 木版印刷や活版印刷といった手法を導入するという手もあるが、手元にはプリンタという反則的な性能を持つ機械がある。

 プリンタを使えば印刷技術が外に漏れるという懸念は皆無なので、プリンタによる大量印刷は理にかなっている。

 もし本当に大量印刷を行うのならば、トナーを使った業務用プリンタを導入する必要があるが。


 ちなみに木版印刷とは、木の板を削って文章や絵を掘り、それにインクをつけて紙に押し当てて印刷する手法だ。

 活版印刷は、金属で作った文字のハンコを並べて文章を作り、それにインクをつけて紙に押し当てて印刷する。

 どちらも、この国には存在していない印刷手法だ。


「カズラ様、出発の準備が整いました」


 そのまま30分ほど作業を続けていると、部屋の扉が開いてマリーが入ってきた。

 マリーは今回も一良に同行するため、遠出用の軽装を身に着けている。


「前回使った布袋も用意できてますか?」


「はい。輸送用の荷馬車も用意してあります。アイザック様が部隊を取りまとめて、広場で待機しています」


「分かりました。……さて、また私はしばらく留守にするので、後のことはよろしくお願いします。なるべく早く戻ってくるので」


 そう言って一良が席を立つと、ナルソンとリーゼも立ち上がった。


「かしこまりました。お気をつけて」


「他の仕事はできるだけ片付けておくから。あと、身体に気をつけてね。カズラが怪我したり病気になったりするのか分からないけど」


「ありがとう。前にリーゼから貰ったお守りもあるし、大丈夫だよ」


 一良はポケットから、リーゼから貰った『親愛のブレスレット(赤)』を取り出すと、手首に着けてみせた。


「えっ……」


 その様子に、リーゼは驚いて目をぱちくりさせている。

 ナルソンはぎょっとした様子でリーゼに目を向けていた。


「どうかした?」


「う、ううん、なんでもない。行ってらっしゃい」


「うん。行ってきます」


 一良はリーゼに笑顔を向けると、マリーに連れられて部屋を出て行った。


「(ど、どういうことなの……)」


「(あ、アイザックと恋仲ではなかったのか……)」


 部屋には、呆然とした様子の親子が取り残された。




 2日後の夜。


 一良はグリセア村の入り口で、バリンをはじめとする村人たちに出迎えられていた。

 村の入り口には跳ね橋がかかっており、前回は作りかけだった見張り塔も完成している。

 堀の上にはモルタル製の水道橋が架けられ、村の中の水路へと繋がっていた。


 村の中へと続いている水路は、以前見たときよりも格段に大きくなっていた。

 壁面は完全にモルタルで固められていて、幅は1メートルはあるだろうか。

 深さも以前より増しており、水量も多く流れも速いように見える。

 まるで専門業者が手がけたような、実に立派な水路である。


「カズラさん、長旅お疲れ様でした。今夕食を準備しますので、少々待っていてくだされ」


「ありがとうございます。あの、バレッタさんは?」


 バリンにそう言いながら、一良はきょろきょろと辺りを見渡す。

 出迎えてくれた村人たちの中には、バレッタの姿がなかった。


「何でも炭焼きと資源採集をするとかで、何人かで山に篭っていましてな。部隊の松明が見えてからすぐに迎えを出したので、もうすぐ戻ってくると思います」


「山? 近くに山なんてありましたっけ?」


「ええ、ありますぞ。あの山です」


 首を傾げる一良に、バリンは遠目に見える山を指差した。

 月明かりでぼんやりと輪郭が見えるその山は、イステリア北西にある山岳地帯の山だ。

 ナルソンから借りた地図で大体の距離は把握していたが、確かここから40キロは離れているはずだ。


「えっ……あの山って、かなり遠いですよね?」


「確かに遠いですが、走れば半刻(約1時間)ほどで着くようです。私はまだ行ったことはありませんが」


「いや、走って半刻って……時速40キロくらい出てますよね?」


「ええと、私にはよく分かりませんが……今の我々なら、以前よりもかなり速く走ることができます。そのうちバレッタも戻ってくるでしょうし、屋敷に入っていましょうか」


「そ、そうですね……」


 何やら恐ろしいことを聞いたような気がするが、とりあえず荷物をまとめて屋敷に行くことにする。

 少し離れた所で待機していたアイザックとハベルに声をかけると、すぐに駆け寄ってきた。

 ハベルの隣にいたマリーも、小走りでハベルについてくる。


「では、私はまた明日から神の国に行ってきます。戻ってくるまでは自由にしてていいので、各自ゆっくり休んでいてください」


「かしこまりました。何日くらいかかりそうですか?」


 ハベルの質問に、一良は日本でやるべきことを思い起こした。

 工事計画書の受領はすぐにできるだろうが、物資の買い入れにかかる日数は未定である。

 ホームセンターに発注している脱油機も、もしかしたら受領できるかもしれない。

 その場合は取り寄せになるので、最低でも1日はかかるだろう。


「そうですね……長くても3日といったところでしょうか。たぶんですけど」


「了解です。妹と釣りでもしながらのんびり過ごしていますね」


「お、いいですねぇ。沢山釣れたら、私にもご馳走してください」


「ご期待に添えるよう頑張ります」


「マリーさんも頑張ってくださいね」


「は、はい! 頑張ります!」


 何ともほのぼのとした会話をしている3人の横で、アイザックは誰かを探すかのように村人たちに目を向けている。


「アイザックさんも、たまにはゆっくり休んでくださいね」


「はっ。しっかり休ませていただきます」


「誰か探しているんですか?」


「い、いえ、その……」


 村人たちを気にしている様子のアイザックに一良が聞くと、アイザックは口ごもって言葉を濁した。


「おーい! バレッタさんが見えたぞー!」


 見張り塔から響いてきた声に、一良たちは山の方へと目を向けた。

 遠目に見える月明かりに照らされた大地の上で、何か黒い点がもぞもぞと動いているのが見える。


「あれは……何かがこちらへ向かってきてますね。それもかなり速い」


 段々と大きくなってくる影に、ハベルは目を凝らすようにしている。


「え、あれがバレッタさん?」


「いやまさか……動きから見て、恐らくラタより速いですよ」


 ハベルは一良が漏らした声に答えながら、不審げに人影に目を向けている。

 その隣では、アイザックも影を凝視していた。


 そうこうしている間にも、影はどんどん大きくなってくる。

 そのまま少し待っていると、一良たちの目の前を猛烈なスピードでバレッタが駆け抜けていった。

 どうやらあまりにも飛ばしすぎて、止まることができなかったようだ。

 10メートルほど先でようやく足を止めたバレッタは、息を切らせながら気恥ずかしそうに一良に歩み寄ってきた。


「はあっ、はあっ……お、おかえりなさい……カズラさん……」


「た、ただいまです。速かっ……いや、早かったですね。大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫です……カズラさんが帰ってきたって聞いて……急いで戻ってきました……疲れた……」


 胸に手を当てて呼吸を整えているバレッタを、ハベルとマリーは唖然とした表情で見つめている。

 周囲で野営準備をしていた兵士や従者たちも何人か見ていたようで、夢でも見ていたかのような表情で立ち尽くしていた。


 バレッタの息切れはすぐに収まり、明るい笑顔を一良に向けた。


「とりあえず村に入りましょう。カズラさんはお夕飯は食べましたか?」


「いえ、まだ食べてないんです。昼からずっと移動しっぱなしだったんで」


「そしたら、先にお風呂に入ってください。その間に何か用意しておきますね」


「えっ、お風呂作ったんですか?」


「はい。本に載ってた五右衛門風呂を作ってみました。自信作ですよ」


 そんなことを話しながら村へと入っていく2人を、ハベルはあっけにとられた様子で見送っている。

 アイザックはその肩をポンと叩くと、野営地へと戻っていった。

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