100話:闇の中の邂逅
次の日の朝。
一良たちはジルコニアに案内され、資材を積んだ荷馬車や職人たちとともに放棄された農場へとやってきた。
農場は辺り一面に草が生い茂って荒れ果てているが、一帯は平地となっていて氷池を造るには適している。
土の中の石は全て除去されているとのことなので、土を掘り起こすのも容易だろう。
「川までの道も平坦ですし、水車を使えば水も簡単に引けると思います。排水用の溝も斜面に向かって少し掘るだけでいいので、この場所が最適かと思いますが」
「ここはいい場所ですね。周辺の木とも少し離れているし、柵を作れば落ち葉も入りにくくできそうです」
一良は答えながら、横目でちらりとジルコニアの顔を盗み見た。
ジルコニアはいつもと変わらない様子で、特に暗い顔をしているといったことはない。
昨晩、あれから30分ほどしてようやくジルコニアは戻ってきた。
その後、すぐに自分の天幕に入ってしまい、食事も天幕内でとったらしい。
気落ちしていたりするのだろうかと一良とリーゼは心配していたのだが、それは杞憂で済んだようだ。
「それでは、早速作業指示を出してしまいましょうか」
一良はそう言うと、ついてきていた職人たちに作業手順を説明し始めた。
まずはモルタルの製造方法だ。
実際に目の前でモルタル作りを実演し、あれこれと質問してくる職人たちに丁寧に答えながら説明を続ける。
「こんな感じで、出来上がったモルタルはヘラを使って丁寧に塗って平らにしてください。石灰は吸い込むと毒なので、口には布を巻いて作業してくださいね」
「材料に使っている石灰は虫除けのためですか?」
「いえ、石灰を砂や土と混ぜて水でこねると、時間とともに固まるモルタルができるんです」
「雨が降ったらモルタルが溶けて固まらないのではないですか?」
「このモルタルはたとえ水の中でもしっかりと固まる特殊なものです。陶器片を混ぜると水硬性のモルタルが作れるんです。とはいっても土砂降りのような雨だとモルタルが雨粒でぼこぼこになってしまうので、そういった場合は作業を中断してください。小雨程度なら作業を続けても大丈夫です」
そんなこんなでモルタルの説明を終えた。
陶器片を混ぜると水硬性のモルタルが作れる、と一良が説明したが、これは人工ポゾランの効果によるものだ。
焼いた粘土に含まれている可溶性シリカと、水を混ぜた石灰の水酸化カルシウムが反応し、ポゾラン反応というものを起こす。
これにより、本来は乾燥させて硬化させる気硬性モルタルが、水中でも硬化する水硬性モルタルとなる。
古代ローマで使われていた『ローマン・コンクリート』と同様のものだ。
軽石や火山灰、火山性土を混ぜても同様のもを作ることができる。
この山岳地帯では稀に黒曜石が産出すると以前ジルコニアが言っていたので、探せば火山性土を見つけることができるだろう。
といっても、イステリア郊外には陶器片が大量に捨てられているので、わざわざ山の中を探し回る必要はないのだが。
「次にろ過装置ですが、使う石や木材はきれいに洗うようにしてください。材料が汚れていたら元も子もありませんから」
ここで用いるろ過装置とは、水車が送り出してくる川の水から細かいゴミを取り除くためのものだ。
四角い木のカゴの中に玉石を入れた脱着可能な小型のろ過装置を1段目とし、2段目として風呂の湯船くらいの大きさのモルタル製のろ過装置を設置する。
2段目のろ過装置は、大きな石、玉砂利、川砂を、順番に下から敷き詰めて作る。
それらの説明を、ジルコニアとリーゼも真剣な表情で聞いていた。
その後、氷池の大きさや掘る深さを指示し、全ての説明を終えた。
氷池の深さは1メートルちょっとにする予定で、底も壁もモルタル製にする。
地面を掘るのにもモルタルを乾かすのにも時間がかかるので、完成までにはある程度日数がかかるだろう。
「それでは、作業を開始してください。しばらくここに滞在してもらうことになるので、必要な物資があれば今のうちに言っておくように」
一良がそう言うと、職人の中の1人が手を挙げた。
「この先に廃村があると聞いたのですが、そこの建物を解体して薪として使ってもよろしいでしょうか? 鍋や鍬などの道具も残っていれば使いたいのですが」
「いや、それは……」
「構わないわ。好きに使って」
一良がやんわりと断ろうとすると、隣にいたジルコニアが口を開いた。
「ただ、あそこにはお墓が沢山あるから、それらを踏みつけたりして荒らさないように注意してね。余裕があったら、お墓の手入れもしてあげてちょうだい」
「かしこまりました」
職人たちはジルコニアに一礼すると、離れた場所で待機していた労働者たちを呼び集めた。
ほどなくして、大掛かりな氷池掘り作業が開始された。
その日の夜。
一良たちが過ごしている野営地から数キロ離れた山の中に、バレッタはいた。
バレッタは静まり返った山の中、こんもりと盛り上がったドーム状の炭窯の前で膝を抱えて座り、こっくりこっくりと舟をこいでいた。
すぐ隣に敷かれたムシロの上では、いつも仲良くしている村娘がマントを被って横になっている。
炭窯は1メートル50センチほどの高さで丸みを帯びており、排煙用の煙突が1つ付いている。
上部はのっぺりとした土で覆われ、入り口の部分はレンガで枠組みがされていた。
炭窯に使われている材料は、全てバレッタが村人たちと協力して作り上げたものだ。
用いているレンガは、山で手に入れた粘土を木製の型に入れて天日干しをして固めた日干しレンガだ。
それを使って窯の外枠を作り、内側にその辺で切ってきた原木を敷き詰めた。
村から持ってきた石灰と砂を混ぜ合わせてモルタルを作り、それに山の土を混ぜ込んでこね合わせ、カマツチと呼ばれるものを作った。
団子状にしたカマツチを原木の上から叩きつけるようにして全面を覆い、棒で叩いて土を締め、数日かかって窯を作り上げた。
窯が出来上がったのが今から7日ほど前の話で、今は窯の乾燥を促進させるために、窯の入り口で火を焚いているところだ。
全く雨が降らず極度に乾燥している空気のおかげで、かなり早く窯を乾かすことができるだろう。
念のため、窯の周囲には柱が立てられ、雨が降っても大丈夫なように屋根が取り付けられている。
近くには村から持ってきた薪が山積みにされており、炭窯が乾燥したらその薪を使って炭を焼く予定だ。
ちなみにこの薪は、しばらく前に村で租税用にと切っておいたものを、薪のサイズに切り分けたものだ。
結局あれから木材は租税としてイステール家に納めていないため、切り出した大量の木材は村で少しずつ使われている。
「……ん」
それまで舟をこいでいたバレッタは、ふと目を醒ました。
背後に視線を感じ、背伸びをしながらぼんやりとそちらに視線を向ける。
暗がりの藪の中、そこには牛ほどの大きさの狼のような獣が自分を見つめていた。
「(あ、ウリボゥだ)」
自分を真っ直ぐ見つめてくる獣――ウリボゥ――と目が合い、バレッタはぼんやりとした頭で考えた。
そして数秒、ようやく自分が何と対峙しているのかを理解し、全身が総毛立つような感覚に襲われた。
視線の先にいるウリボゥは、今までにバレッタが見たこともないほどに巨大だった。
昔、ロズルーが山で仕留めたウリボゥの死骸を見せてくれたことがあるが、それよりも確実に2回り以上は大きい。
火を焚いていればウリボゥは近寄ってこないと聞いていたのだが、炭窯の入り口で焚かれている程度の大きさの火では効果がなかったようだ。
バレッタは慌てて立ち上がり、腰に挿していた短剣の柄を握り締めた。
柄を握りながら、ウリボゥの動きを注視する。
相手は獣なので、フェイントなどの不規則な攻撃はしてこないだろう。
今の自分なら、上手くいけば一撃でウリボゥの脳天に短剣を突き立てることができるかもしれない。
だが、下手に噛み付かれでもしたら、絶対に怪我では済まない。
戦うにしても命がけになってしまうので、できることならこの場から立ち去って欲しい。
しかし、そんなバレッタの願いも空しく、ウリボゥはこちらへ歩を進めてきた。
唸り声などは上げず、静かにこちらを見つめたまま、ゆっくりと進んでくる。
実に堂々とした出で立ちだった。
バレッタが覚悟を決め、短剣を抜いて構えた時。
5メートルほど先でウリボゥが歩みを止め、その場に座った。
「何をしておる」
自分のものではない声が、辺りに響いた。
「……え?」
予想外の出来事に、バレッタは思わず目を見開いた。
キョロキョロと周囲を見回してみるが、そこには暗い森が広がるばかりで、当然ながら誰もいない。
「何をしておる」
もう一度、声が響いた。
バレッタは固まったまま、目の前のウリボゥを凝視する。
ウリボゥが、口を開いた。
「何をしておるのだ」
「す、炭窯を作っています」
明らかにウリボゥの口から発せられた言葉に、思わずバレッタは答えた。
何がどうなっているのかさっぱり分からないが、答えねばならないような気がした。
途端に、金縛りにあったかのように身体が動かなくなった。
突然の出来事に、全身から油汗が吹き出てくる。
「ずいぶんと変わった形をした炭窯だな」
ウリボゥはそう言うと、バレッタの右方向に顔を向けた。
「どうしてこんなに沢山の炭窯があるのだ」
バレッタが目だけを動かしてそちらを見ると、そこにはさらに9基の炭窯が設置されていた。
それぞれの炭窯の入り口からは、焚き火の灯りがぼんやりと漏れている。
「これから鉄を作ろうと思って、それに使う木炭が沢山必要なんです」
「どれほど必要なのだ」
「とても沢山の量が必要です」
聞かれるがままに、バレッタは答える。
自分ではしゃべっている自覚がないのだが、口が勝手に動いていた。
「それは、山の木を全て切り倒さねばならぬほどにか」
「それは分かりませんが、沢山の木が必要になることは確かです。でも、山の木を全て切るつもりはありません」
「やつらは手当たり次第に、目に付く全ての木を切り倒しているぞ」
「……やつら?」
言葉の意味が分からず、バレッタは聞き返した。
「この山も、それと同じようにするつもりなのか」
ウリボゥはそれに答えず、そのまま質問を続けてきた。
声や表情からは、感情は読み取れない。
「そのようなことはしません」
「口だけならば何とでも言えよう」
「禿山にならないように、山の全てを切り開いたりはしないようにするつもりです。木を切った跡地には、植林も行います」
「好き勝手に山を荒らせば、皆が地獄を見る羽目になるぞ」
「洪水や地すべりのことですか?」
バレッタがそう聞くと、ウリボゥは目を細めた。
否定も肯定もせず、その場からゆっくりと立ち上がる。
「強く硬い木を切ってはならぬ。乾いて死にたくなければな。そのうちもう一度、聞きに来る」
そう言うと、踵を返してゆっくりと森へと向かって歩き出した。
「待ってください!」
大声でそう叫んだ時、バレッタは目の前に現れた光景に言葉を失った。
そこには炭窯の入り口で焚かれている火が揺れているだけで、先ほどまでいたウリボゥの姿はどこにもない。
自分も膝を抱えて座っている状態で、抜いたはずの短剣も腰に挿してある。
慌てて周囲を見回してみると、バレッタの大声に驚いた村娘が目を醒ましてバレッタを見つめていた。
「ど、どうしたの? 急に大声出して」
「あ、あれ、今ウリボゥが……」
「えっ!?」
バレッタの台詞に驚き、村娘は慌てて起き上がると、傍らに置いておいた短槍を引っ掴んで周囲に目を向けた。
だが、そこには真っ暗な森が広がるばかりで、ウリボゥの姿はどこにもない。
「ウリボゥなんてどこにもいないけど……本当に見たの?」
「……ごめん。ついうとうとしちゃって、たぶん夢を見てたんだと思う。そのウリボゥ、しゃべってたし」
バレッタがそう言うと、村娘は呆れたような表情になった。
「もう、脅かさないでよ。眠気がどっかにいっちゃったじゃない」
「ご、ごめんね」
「あなた、最近あんまり寝てないでしょ? きっと疲れてるんだよ。火の番は私が代わるから、朝まで寝てなさい」
「えっと……じゃあ、3時間だけ」
バレッタは近くに置いてあったアナログ式の目覚まし時計を手に取ると、タイマーの針を3時間後にセットした。
一良がバレッタに置いていってくれた物だ。
「もっと寝てたほうがいいんじゃない?」
「ううん、大丈夫。起きたらまた、3時間後に交代しよう?」
「ん、分かった」
バレッタは村娘と入れ替わり、ムシロに横になった。
「(大きなウリボゥだったな……)」
毛布代わりのマントを身体にかけ、目を閉じる。
するとすぐに、眠気がやってきた。
「(動物の腱も、もっと欲しいな)」
夢に出てきたウリボゥからはどれだけの腱が取れたのだろうとぼんやり考えながら、バレッタは眠りに落ちていった。