10話:嘘はついていない
「もう……無理……死ぬ……」
バレッタに手を掴まれ強制的に村まで全力疾走させられた一良は、村の入り口にある二股に分かれた水路の脇に大の字になって倒れこんでいた。
一良が荒い息を吐き出しながら倒れている間にも、体力の有り余っている子供たちなどは、村の溜め池に向かう水を追いかけて未だにわいわい騒ぎながら走り続けている。
「ご、ごめんなさい、カズラさん。大丈夫ですか?」
一良の手を引きながら村まで強制的に走らせたスパルタ娘、バレッタは、倒れこんだ一良に驚き、急いで屋敷まで戻って木のコップを取ってくると、水路に流れている川の水を汲んで一良に駆け寄る。
「はい、お水です。ゆっくり飲んでください」
「あ、ありがてぇ……」
バレッタは一良の肩に手を添えて軽く自分に寄り掛からせながら半身を起こさせると、一良の口元にコップを寄せて水を飲ませる。
息も絶え絶えになりながら水を飲む一良を見て、普段とのギャップに少し笑ってしまった。
「ふう、生き返った……ん? どうかしましたか?」
クスクスと笑っているバレッタに、一良は地面に手をついてその場に座り直しながら小首を傾げる。
「ふふ、何でもないです。それより、そろそろお家に戻ってお昼にしましょう」
バレッタはそう言って立ち上がると、片膝に左手を突いて一良に右手を差し伸べる。
「あ、もうそんな時間か。わかりました、私も準備手伝いますね」
一良はバレッタの手を取って立ち上がり、服についた砂埃を払うと二人で屋敷へと向かうのだった。
「ホントすいません。片付けのこと完全に忘れてました」
「いやいや、いいんですよ。一人でも十分運べる量でしたからな」
バレッタを手伝って食事の支度をしていた一良だったが、暫くしてからリアカーに大量のスコップなどの道具を積んで村長が戻ってきたことに気付き、慌てて外に出て村長に謝罪をする。
リアカーも置きっぱなしだったので、確かに一人で運べると言えば運べるのだが、村長の持ち帰ってきた道具や余った板などの数から察するに、かなりの重労働だったはずだ。
「カズラさん、お父さん、食事の準備できたよ」
一良が村長に平謝りしているうちに昼食の支度を終えたバレッタが、屋敷の中から二人を呼ぶ。
二人が屋敷の中に入ると、居間では囲炉裏に置かれた鍋がほかほかと湯気を立ち上らせており、美味しそうな香りを漂わせている。
鍋の中には、近所の村人が分けてくれた収穫したての芋と、この間一良とバレッタが森で採ってきたドングリのような木の実が細かく砕かれて米と一緒に炊かれている。
それとは別に、同じく二人が山で採ってきた野草とアルカディアン虫を炒めて塩を振った小皿が、それぞれの定位置に一皿ずつ置かれていた。
「おお、これは美味そうだな。アルカディアン虫も捕れたのか」
「うん、たった6匹だけどね」
一良は全員の皿に2匹ずつ均等に入れられているアルカディアン虫を見て、今回は自分にだけ大量に配られていないことにほっとすると、定位置に腰を下ろした。
別にアルカディアン虫の味が嫌いというわけではないのだが、あのカブトムシの幼虫のような独特の形状をした芋虫を口の中に入れる瞬間は、やはり何ともいえない気分になるのだ。
バレッタが二人に炊き込みご飯をよそい始めた時、屋敷の戸を叩く音が聞こえてきた。
「あ、私が出てきます。お父さん、これお願いね」
「うむ」
バレッタは炊き込みご飯をよそっていた木のおたまを村長に渡すと、小走りで屋敷の入り口に向かう。
一良が村長から炊き込みご飯の入ったお椀を受け取っていると、バレッタが慌てた様子で戻ってきた。
「お父さん、ナルソン様の使いのアイザックさんが……」
「ん、そうか。一良さん、すまないが少しの間席を外しますぞ」
村長はバレッタの言葉を聞くと、すぐにおたまを置いて屋敷の入り口に向かう。
「ナルソン様……前に言ってたこの辺を統治している貴族様でしたっけ」
「はい、その使いの方が来て……あの、申し訳ないのですが、私が呼ぶまで奥の部屋に行ってて頂けないでしょうか?」
突然のバレッタの申し出に、一良は一瞬きょとんとした。
しかし、本当に申し訳なさそうに頼むバレッタに、
「あ、はい、わかりました」
と返事をすると、席を立って普段寝ている奥の部屋に向かう。
バレッタは一良が奥に行ったのを見届けると、囲炉裏に置いてあった鍋と、炊き込みご飯をよそったお椀、それに一良の分の小皿を何故か別の部屋に下げ、再び屋敷の入り口へと向かうのだった。
「日照り続きでこの村も大変なことになっているかと思っていたんですが……溜め池に水は張ってあるし、何やら水路まで作られているし、一体何があったんですか?」
「この間運よく雨が降って溜め池にも水が貯まりましてな、水が残っている間にと、皆で協力して水路を掘ったのですよ」
バレッタが再び入り口まで戻ってくると、身体に皮の軽鎧を纏った若い男――アイザック――が村長と話をしていた。
アイザックは動物の皮で作られた皮紙が張られた薄い板と細い木炭を手にしており、腰には鞘に入った長剣を携え、背中にはふちを青銅で補強した丸盾を背負っている。
アイザックの身長は180cm程であり、身体は筋肉で引き締まっていて無駄な贅肉など皆無である。
整った顔立ちにショートカットの金髪が映える、なかなかの美男子だ。
少し離れた所に生えている木には、彼が乗ってきたと思われる馬に似た動物が繋がれている。
「そうですか……それはそうと、納めて頂く作物ですが、2ヵ月後の期日までに収穫はできそうですか?」
「それが……雨が降る前に殆どの作物は枯れてしまい、村全体でもいつもの1割も納められるかどうかといったところなのです。一緒に畑を見て回りますか?」
村長が申し訳なさそうにそう言うと、アイザックは「やはり」といった風に表情を曇らせた。
「はい、お願いします。実は他の村も一部を除いて似たような状況で、酷いところでは餓死者も出ているのですが……ここはそこまで酷くはないようで良かったです。自分たちで食べる分の食料はあるのですか?」
アイザックはそう言いながら周囲の畑に目を向ける。
村に作られた沢山の畑では、多くの村人たちがせっせと農作業に励んでおり、その周囲では子供たちが遊んでいる。
餓死者が出るほど酷い状況ならば、そんな光景は見られないだろうと判断したのだ。
「ええ、山で採ってきた野草などを使って何とか食い繋いでいます。水の心配が無くなったおかげで、2ヵ月後の収穫は期待できませんが、4ヵ月後の豆の収穫は今までどおりできるかと思いますし、それまでの村の食料も、成長の早い葉物を育てることで何とか目処が立ったところです」
「なるほど、それはいい知らせですね……おや、何やらいい匂いがしますね。これから食事ですか?」
アイザックは手にした皮紙に何やら書き込むと、屋敷内から漂ってくる香りに鼻をひくつかせた。
「え? あ、はい。たった今作ったところで、これから食べようかと……」
「ふむ、そうだったのですか。ちょっと失礼しますね」
アイザックはそう言うと、入り口に立つ村長とバレッタを押しのけて屋敷の中に入り、囲炉裏のある居間までずかずかと入り込む。
勝手に入っていくアイザックに村長は狼狽した様子だったが、一緒にいたバレッタは涼しい顔をしている。
居間に辿り着いたアイザックは、置いてある小皿に乗っているアルカディアン虫と野草の炒め物を見て、なるほど、と頷いた。
「これは……アルカディアン虫ですか。そういえば、この辺りの山でも捕れるんでしたね」
「はい、最近はあまり捕れないのですが、栄養があるのでこれだけでも何とかやっていけるんです」
ここで初めて、バレッタが言葉を発した。
やるせないような表情で笑顔を作って言うバレッタに、アイザックは「そうですか……」と同情した表情を見せる。
「勝手に家の中に入って申し訳ありませんでした。実は他の村の話なのですが、以前より収穫を村全体でかなり少なく申告していた所があり、つい先日同じような状況で発覚したという出来事がありまして……」
つまり、収穫量をごまかして納める作物をできるだけ少なくしようといった事件があったために、領主側もかなり神経質になっているのだろう。
今回のような大規模な飢饉の時では尚更である。
「そんな……ナルソン様は私たちの生活を色々と気遣ってくださるのに、それを裏切るようなことをする人がいるなんて……」
明かされた事実に悲しそうな表情をするバレッタに、アイザックは
「疑って申し訳ありません。どうか気を悪くしないでください」
と軽く頭を下げて謝罪する。
頭を下げるアイザックに、村長が慌てて
「いやいや、アイザックさんはお務めを全うしているだけです。どうか頭を上げてくだされ」
と言って頭を上げさせると、アイザックは村長とバレッタに「ありがとうございます」と礼を述べた。
「では、早速ですが村の中を見て回らせてください。バリンさんはご同行をお願いします」
「わかりました」
村長を伴って屋敷を出て行くアイザックを見送ると、バレッタは小さくほっと息をついて、一良の待っている部屋へと向かうのだった。
「んー、貴族の使いか。どんな格好をしてるのか気になるなぁ」
バレッタに奥の部屋に居て欲しいとお願いされた一良は、素直に言うことを聞いて部屋で大人しく寝転んでいた。
貴族であるナルソンの使いと聞いて、どんな格好をしているんだろうと非常に興味をそそられたが、バレッタの頼みとあっては断ることはできない。
それに、未だに日本での普段着(今日は英語で「Hungry!?」と背中に書かれた色モノTシャツ)を着ている一良が、ナルソンの使いであるアイザックという人物に見られたら、まず確実に不審がられるだろう。
きっとバレッタは、そのことを心配して下がっているように言ってくれたはずだと一良は思った。
「カズラさん、お待たせしました。もう戻ってきても平気ですよ」
一良が寝転がって物思いに耽っていると、バレッタが一良を呼びに戻ってきた。
「もう使いの方は帰られたんですか?」
「いえ、今は父と一緒に村の畑を見て回っています。なので、父が戻ってくるまでは外には……」
「あ、大丈夫ですよ。いいって言われるまで外には出ませんから」
すまなそうに言うバレッタに、一良は笑顔で答える。
そんな一良の様子に、バレッタもホッとした様子で「ありがとうございます」と微笑んだ。
「では、食事にしましょうか。父には悪いですけど、温かいほうが美味しいですから」
村長は村の畑の見回りに行ってしまったので、暫くは戻ってこないだろう。
一良は
「そうですね、食べちゃいましょうか」
と言って立ち上がると、バレッタと共に居間へと向かうのだった。
一方その頃、バリンとアイザックは村の畑を見回っていた。
畑で働いている村人たちは、ちらちらと二人を気にしつつも、鍬を使って畑を耕したり、芽が出たばかりの野菜の周囲に生え始めた雑草を手で引き抜いている。
畑で働いている者は誰一人として、一良が供与した農具は使っていなかった。
「ふむ、まだ芽が出たばかりのようですが、溜め池に水はありますし、水路からも水が流れているので、日照りの影響はあまり無さそうですね」
「ええ、皆で苦労した甲斐がありました」
村長の言葉に、アイザックは水路を目で追った。
この延々と村の外に続く水路を、村の人たちがどれほど苦労して掘ったのだろうかと思うと、深い尊敬の念が沸き起こる。
住民が100名足らずのこの村では、水路を掘る作業に充てられる人員は僅かだろうし、先ほど村長の屋敷で見たように食べ物も殆ど無い状況での土木作業は想像を絶するほどの難業であったはずだ。
まぁ、実際のところ、一良が持ち込んだ大量の食料と道具のおかげで、全ての作業がサクサクと進んでいったのだが、そんなことをアイザックが知る由も無い。
「皆さん、本当に頑張ったのですね……さて、2ヵ月後に納めて頂く作物の件ですが、ざっと見て回ったところ、やはり収穫は厳しそうなので、以前にもあったように木材を納めていただこうかと思います」
暫しの間水路を眺めたアイザックは、頭を切り替えると租税の話をし始めた。
いくら水路が引かれて水の心配が無くなったとはいえ、すぐに作物が生長するわけではない。
村全体では現在も深刻な食糧不足であると判断したアイザックは、今回は税の形式を作物から木材に切り替えることにした。
「前回と同じだけの量の木材は無理でしょうから、前回の8割程度の木材を納めていただければと思いますが、よろしいでしょうか?」
「わかりました。前回の8割ですな。必ずお納め致します」
アイザックは村長の返事を聞き微笑んだ。
「それでは、また1ヵ月後に様子を見に参ります。今後も大変でしょうが、どうか村の方々と協力して頑張ってください」
アイザックはそう言うと、村長としっかりと握手を交わすのだった。