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事件と出会い

新連載です!

ネトコンに参加しようと思い立ち締め切りまでに書き切らなければという思いがあったので、今回は珍しくストックがある状態での投稿になります!完結が保証できるってこんなに清々しい気分なんだ、と新鮮な気持ちです笑

楽しんでいっていただけると幸いです!

 朝、満員電車。

 乗換駅まで辿り着いて、ようやっと電車内で感じていた圧力から解放される。冷たい空気が肺に行き渡って、酸素が脳にめぐる心地がした。次乗る電車は違うホームからの発着になっているので、一度階段を下りなければならない。階段までの十メートルほど、降り立ったホームをそのまま歩いていると、ふとある男性が目に入った。どこにでもいそうな、まさに「中肉中背」といった感じの。ただ、左目の下と口元にあるほくろだけが、彼を彼たらしめているようだった。彼は、何やら電話ごしに話しながら急ぎ足で進んでいく。と、その後ろから一人の女性が駆けてきた。このまま行くと、彼にぶつかってしまうであろう速度だ。彼女と彼の距離、一メートル。衝突する、と思った私は目を逸らすことができなかった。進路を変えることなく真っ直ぐに走ってきた女性は、予想通り例の男性にぶつかった。

 右手には、刃物が握られていた。誰の家のキッチンにもあるような、普通の包丁。その包丁が彼の背中に吸い込まれるように刺さっていく様を、見てしまった。刺された箇所に真っ赤な花が咲く。鮮血が男性のスーツをじわじわ染めていき、女性の手にも飛び跳ねた。彼女は、包丁を握る手に更に力を込めて引き抜いたようだった。男性が、膝から崩れ落ちるようにして前に倒れていく。立ち去るため再び駆け出そうとした彼女の視線が、こちらに向く。

 目が、合った。

 私は急いで目を逸らそうとしたが、体が固まってしまったように言うことを聞かない。刺される、と思った。彼女の体がこちらを向いた。近づいてきた彼女は、しかし何を思ったか私の手をとる。そして、今私が降りたばかりの電車に私を引き込んだ。


 『3番線、ドアが閉まります。ご注意ください。』


ドアが、閉じた。電車が走り出す。無意識に、肩から掛けていた鞄の持ち手をぎゅっと握った。

 「ねえ、ハンカチ、持ってる?」

少し煤けた金髪がさらりと流れ、隠れていた彼女の耳が顕わになる。車窓から差し込む陽光を受けて、その耳を飾るピアスがきらきらと輝く。場違いにも、綺麗だと思った。

 「聞いてる?」

もう一度、蜜のような甘い声で呼びかけられて我に返った。目の前には、男性の血液がついてしまった右手を困ったように見つめる彼女がいる。凶器となった包丁は、電車に乗り込むまでの数秒で持っていたトートバックにしまいこんだらしい。手には何も握られていなかった。私は震える手で鞄をまさぐるようにしてハンカチを探す。いつも入れる場所は決まっているのに、この瞬間に限ってはそんなことは頭から抜け落ちてしまっていて、ハンカチ一つ取り出すのにとてつもなく時間がかかってしまった。ようやく取り出したそれを差し出すと、彼女は存外優しい仕草で受け取った。

 「ありがと、助かった。」

血を拭い終わったらしく、拭いた面が内側に折り込まれたハンカチが返ってくる。とりあえず、ポケットにしまった。思考がままならなくて、ぼんやりと窓の外に目を遣る。川に架かった橋を人がまばらに歩いていて、水鳥が飛び立つのが見えた。横を見ると、彼女も同じように外の景色を見ていた。車内アナウンスが流れる。


 『次は―……』


その駅名は、私の家の最寄り駅から五駅ほどの、今朝すでに通り過ぎてきたはずの駅のものだった。腕時計を見る。時計の針は、朝の八時四十分を示していた。そこで気づく。もう朝九時の始業時間には間に合わない。遅刻だ。社会人としては正しいかもしれないが、この状況にはそぐわないであろう思考が脳裏を過る。…そういえば、私の手を引いた彼女は一体何を考えているのだろうか。どこまで行くつもりだろうか。

 「あの、」

声を掛ける。ここではないどこかを見ているような彼女の目が、こちらに戻ってくる。

 「なあに?」

 「なんで私のこと、引っ張ったんですか」

 「うーん、わかんない。だけど、私のことを見てたのはあなただけだったし、その方がいいと思ったから。」

彼女の言葉はふわふわしている。今の状況を忘れさせるような、童話を読んでいるような、穏やかで懐かしい気持ちになる喋り方。とても、人を刺した人間のものとは思えない。

 「わたし、会社に遅刻しちゃうんですけど」

少し驚いたように目を見開いた彼女は、次の瞬間破顔する。何がおかしいのだろうか。

 「じゃあさ、今日会社休んでよ。いいでしょ?」

なぜか分からない。けれど、私はすぐに頷いていた。

 「やった」

彼女は、無邪気に笑う。ほしいと言ったお菓子をもらえた時の子どもみたいだった。

 またしばらく、沈黙の中で外を眺める。梅の花が咲いていた。

 「ね、お姉さんのお家って、どこ?」

私の家まであと三駅もないくらいの時だ。彼女が突拍子もない質問をした。私は、驚いて押し黙る。なぜそんなことを聞くのか分からなかった。

 「あ、最寄り駅ね」

私が質問を正しく理解できなかったと考えたのか、彼女がそうやって補足する。答えてはいけないのではないだろうかと思った。私が最寄り駅を答えたら、同じように家の場所も聞かれて、そのまま私の家までついてくるのだ。それで、家に入ってドアを閉めた瞬間、後ろから刺される。あの男性みたいに。そこまで想像して、私は口を引き結んだ。なのに、彼女はそんな私にはお構いなしといった様子で覗き込んでくる。純粋な興味を閉じ込めたような瞳で見つめられる。私は、勝てなかった。たぶん、彼女は魔法使いにも似た力をもっていて、それで私をこんなにも惹きつけたのだ。勝手に口が開いたような感覚だった。

 「はざま駅です」

次の次の次の、という言葉は飲み込んだ。彼女は電車内のモニターを見て、はざままでの駅数を数える。

 「じゃ、そこで降りよ」

一方的にそう言い放った彼女は、私の反応を見ることもなく視線を移した。

 

 『まもなくはざまーはざまー、お出口は右側です。』


右手のドアが開いて、再び彼女に腕をとられる。導かれるままに電車を降りて、改札を通り抜けた。駅を出てすぐの、周辺地図の立て看板の前で立ち止まる。

 「どっち行けばいい?」

 「…どっち、とは」

 「お姉さんのお家に行くでしょ。私、道分かんないから」

先ほど、車内でしていた想像が現実になったみたいだった。急いで彼女の腕を振り払う。もう一回、電車に乗ろう。間に合わなくても、会社に行こう。少なくとも駅員さんに話せれば助けてくれるかもしれない。そう思って、走り出そうとする。腕を振って、でもすぐに彼女の手に捕らえられた。彼女は、聖母のような笑みを浮かべていた。

 「あのさ、私別にお姉さんになんもしないよ。大丈夫」

全然大丈夫じゃないはずなのに大丈夫だと言われて、だけど大丈夫な気がした。…絶対に間違っている。駆け出そうと踏み出した私の足は三歩目で動きを止めて、つま先はもう一度彼女の方を向く。

 「…みぎです」

私がそう答えただけで、彼女はとても嬉しそうに笑った。

 「ありがと!」

 それから、曲がり角にぶつかるたびに彼女は私にどちらに曲がるか訊ねてきて、結局私が彼女の手を引いた。築30年ほどの少しくたびれたマンション。その中で一番ぴかぴかのエレベーターに乗る。四のボタンを押す。辿り着いたのは四〇五号室。私の部屋だ。スーツのポケットから鍵を取り出して開錠する。いつもよりドアを大きく開いて彼女を迎え入れた。彼女は、履いていたローファーを脱ぎ捨ててリビングの方へ歩みを進める。

 「わあ、素敵!」

彼女が手に取ったのはソファに置いているクッションだった。クッションカバーは私の自作で、分かりにくいけれどカランコエの刺繍を施してある。お気に入りのものだった。

 「これ、作ったの?」

 「はい」

 「すごいね!素敵!」

お気に入りのものを褒められるって、自分を褒められてるみたいで照れ臭かった。こんなこと、この人相手に思ってちゃいけないのに。

彼女はそのままソファに座って私を見る。

 「お姉さんにお願いがあってさ、少しの間ここに置いてくれない?今、家がないんだ」

上目遣いがあざとく、魅惑的だった。逡巡。この人は、犯罪者だ。人を刺した。だけど、彼女の面立ちはどこか懐かしかった。昔、(たす)けてほしいと手を伸ばしたかった人に似ている気がした。(たす)けたいと思った人に、似ている気がした。一分。

 「いいですよ」


自分の口から出た音なのに、自分の声じゃないみたいだった。


この度は拙作をお読みいただき、ありがとうございました!

よろしければ最後まで読み切っていただけると嬉しいです!

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