落下の論理
序章
「いいか、小僧……。魔導建築とは、神との対話なのだ。数式という無機質な鎖で縛り付けるものではない!」
王宮の謁見の間へと続く大回廊。
王国最高賢者オズワルドが、血管の浮き出た拳で俺の鼻先を指した。
齢八十。
かつて王国を救う大結界を一人で構築したという伝説の老魔術師。
その背後には、彼が「一生を捧げた」という王宮の古びた設計図が、まるで聖遺物のように広げられている。
「この優美な曲線を、貴様は……この無骨な、あまりに機能的すぎる直線の塔で汚した! これは芸術への、そして歴史への冒涜だ!」
周囲を取り囲む若手魔術師たちが、師の言葉に呼応するように声を荒げる。
「そうだ!」
「不遜なり!」
その中の一人、弱冠二十歳の秀才として知られる魔術師見習いのフェリクスは、震える手で漆黒の塔を見上げていた。
(……ありえない)
(魔法術式が刻まれていないのに、なぜあんなに堂々と立っていられるんだ?)
(重力減衰の術式なしで、あの高さを維持できる構造など、この世のどこにも存在しないはずなのに……!)
フェリクスの抱く「恐怖」は、この場にいる全魔術師の共通認識だった。
自分たちが信じてきた、
「魔法がなければ世界は成立しない」という大前提。
それが、ただの「直線の塔」によって、物理的に踏み荒らされている。
「爺さん、芸術の話をしてるなら画家に頼め。俺は建築の話をしてるんだ」
俺は耳をほじりながら、淡々と答える。
隣でセラが、
「お願いですから、もう少し言葉を選んで……!」
と小声で、しかし切実な力で俺の袖を引いている。
彼女の指先は、さっきよりも少しだけ震えていた。
「何だと!? 貴様、わしの理論を否定するのか!」
「否定はしてない。ただ、あんたの設計図、ここ――第二尖塔の基部だ」
俺は一歩踏み出し、設計図の一点を指す。
「石材の圧縮強度が計算に入ってない。魔法で補強してるつもりだろうが、術式の周期がズレて干渉縞が起きてる。……ほら、ここ。微かに音がしてるだろ」
俺は回廊の壁を、指先で『コン』と弾いた。
静まり返った空間に、乾いた、しかしどこか「濁った」不快な共鳴音が響く。
「……音? 何も聞こえんが」
オズワルドが耳を澄ます。
だが、彼には聞こえない。
それは魔法の波動ではなく、
物質そのものが限界を迎える一歩手前で上げる、物理的な悲鳴だからだ。
「構造が泣いてる音だ。あと三ヶ月もすれば、この壁は魔法の反作用に耐えきれず、内側に爆縮する。そうなれば王宮はドミノ倒しだ」
「だから俺は、その圧力を逃がすために新しい塔を『梁』として通した。……普通に考えれば、これ以外の正解はない」
俺は懐から、一本の奇妙な形状の釘を取り出した。
スラムの廃棄場から拾い集めた鉄くず。
分子配列を整え、不純物を取り除き、打ち直しただけの――
「構造的に純粋な」鉄釘。
「……小僧。その釘、見せてみろ」
オズワルドが、食い入るように身を乗り出す。
俺は無造作にそれを放った。
老賢者は震える手で受け取り、魔力を流した瞬間――目を見開いた。
「な……ッ!? 鉄に、これほどの魔導伝導率だと!?」
「刻印もない、触媒も混ぜていない……ただの鉄が、オリハルコンを凌駕する純度で魔力を通すというのか!?」
「構造だと? 貴様、原子の並びを直接いじったというのか……!」
オズワルドの脳裏に、若かりし日の記憶がフラッシュバックする。
『物質の根源を整えれば、魔法など不要になる』
かつて自ら切り捨てた「極微魔導理論」。
妄想だと嘲った理論を、目の前の串焼きの匂いをさせた小僧が「普通」と言って体現している。
(……わしが、この八十年間積み上げてきたものは)
(ただの砂上の楼閣だったというのか?)
老賢者の膝が、ガクガクと震え始める。
それは怒りではない。
圧倒的な「差」を見せつけられた人間の、根源的な羨望。
「……レイン」
セラが、不意に俺の手首を強く掴んだ。
その冷たさに驚き、俺は彼女を見る。
セラの瞳は、俺の背後にある漆黒の塔を見つめていた。
そこに宿っているのは、称賛ではなく――深い「不安」。
「……それ以上は、もういいです」
「貴方が『正しい』のは、この場にいる全員が嫌というほど理解しました。でも……」
彼女は言葉を切り、俺の手をさらに強く握りしめる。
まるで、俺がどこか遠く、
人間ではない領域へ消えてしまうのを引き止めるように。
「……人を、置いていかないでください」
その掠れた声に、俺の胸の奥がチリりと痛む。
――「君は正しすぎるんだよ、レイン」
白い、あまりに白い研究室。
同僚たちが俺に背を向けた、あの日の光景。
「正しい」数式が、どれほど人を孤独にするか。
俺は知っていたはずなのに。
「……分かってる。やりすぎた」
俺は視線を落とし、セラの手に重ねるように自分の手を置いた。
彼女の指先が、びくりと跳ねる。
一瞬だけ、耳の端が隠しきれない熱を持って真っ赤に染まった。
「お、おい、小僧! 待て、逃げるな! その釘の製法を、わしに……わしに詳しく教えろぉぉ!」
「静かにしてください、賢者様。彼は非番です。……行きましょう、レイン。美味しいものを食べに行きますよ」
セラが俺を庇うように一歩前に出る。
オズワルドの追撃を、剣気で制した。
彼女の背中は、騎士として凛々しく。
それでいて、俺を導くように少しだけ優しかった。
王宮を出る際、俺はふり返って塔を見上げた。
フェリクスをはじめとする若い魔術師たちが、俺の去った後の壁に群がり、必死にその「音」を聞こうとしている。
世界が、変わり始めている。
俺が「目立ちたくない」と守ってきた構造の均衡が、
音を立てて崩れようとしていた。




