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泥濘(でいねい)の幾何学

第一章:スラムから王都へ ― 静かな波緯 ―


「……違う。それでは摩擦係数が高すぎて、運搬効率が構造的に死ぬ」



スラムの広場。11歳のレインは、巨大な「泥の山」を前に、十数人の子供たちへ厳格な指示を飛ばしていた。



子供たちは、壊れた樽の蓋や錆びた鉄板を持ち寄り、必死に泥をこねている。



「レイン! 言われた通りに、お魚の骨と灰を混ぜたよ! これで『魔法の土』になるの?」



鼻水を垂らした少年が、自慢げにドロドロの物体を差し出す。



「……魔法じゃない。ただの『即席ジオポリマー』だ。……アルカリ反応で泥を固化させ、スラムのぬかるみを舗装する。……構造的に、泥遊びの延長だと思え」



レインは、子供たちが「泥をこねて道に塗りたくる」という遊びに、さりげなく化学組成の指示を混ぜていた。



子供たちは単に「レインと一緒に泥遊びをすると、なぜか道がカチカチに固まって歩きやすくなる」と大喜びで作業に励んでいる。



その結果、スラムの一角だけが、王都の貴族街も真っ青な「鏡面仕上げの舗装道路」へと変貌しつつあった。



「……ねえ。……これ、何。……何の儀式ですか」



背後から、ひび割れたような声がした。



セラだ。



彼女は今、任務でスラムを訪れ、文字通り「腰を抜かして」いた。



「……セラ。見ての通り、衛生環境の構造的改善だ。……泥濘は病原菌の温床になる。……だから、平滑化スムージングした」



「スムージングのレベルを超えています! 見なさいよ、あっちの路地を! 子供たちが泥を塗った場所だけ、自分の顔が映るくらいテカテカじゃないですか! 街の人が滑って転んで、阿鼻叫喚の地獄絵図ですよ!」



セラの指摘通り、あまりに滑らかすぎる「超平滑舗装」のせいで、通りかかったおじさんがフィギュアスケートの選手のような華麗なスピンを描いて転倒していた。



「……計算外だ。……摩擦係数をゼロに近づけすぎた。……ミナ、すぐに『滑り止め』の砂を撒け。……構造的に、グリップ力が必要だ」


「了解、レイン! 『防滑材の散布工程』だね!」



「工程とか言わないの! ただの砂撒きでしょ!」



セラのツッコミが、鏡のような路地に反響する。



彼女の耳は、またしても真っ赤になっていた。

怒り半分。そして、「さっきから子供たちが、レインに褒められたくて必死に泥をこねている姿」に、柄にもなく胸を打たれてしまった自分への照れ半分だ。



「……レイン。貴方、子供たちに何を教えたの? さっきの子、私の鎧を見て『この曲率、空気抵抗の計算が甘いね』って、鼻で笑っていきましたよ?」



「……それは、俺が教えたんじゃない。……彼らが、構造の美しさに自ら気づいただけだ」



「気づかせ方が極端すぎるんです! ほら、あっちでは女の子たちが、排水溝のゴミを『比重選別』して遊んでるし! スラムの子供たちが、どんどん『理系の尖兵』みたいになっていくわ……」



セラは、こめかみを押さえてよろめいた。



だが、ふと顔を上げると、そこには以前のような「絶望的な汚れ」にまみれた子供たちの姿はなかった。



道が固まり、水はけが良くなったことで、子供たちの服は汚れにくくなり、その顔には「自分たちが街を直している」という誇らしい笑顔が咲いていた。



「……はぁ。……悔しいけど、子供たちの顔は、前よりずっといいわね」

セラが、ぼそりと呟く。



「……当然だ。……構造が整えば、心も整う。……セラ、お前もやるか? ……泥をこねるのは、指先の知覚を構造的に鋭敏にするぞ」



「やりません! 私は公爵家の騎士ですよ!? 泥まみれになって『ジオ……なんとか』なんて作りませんからね!」



30分後。



セラは、誰よりも真剣な顔で、子供たちに混じって泥をこねていた。


「……違うわ、ミナちゃん! ここはもっと、こう、粘土質を強めて……! 騎士の直感として、この『構造』はもっと強固にできるはずよ!」



「……セラ。……あんた、構造計算を無視して『気合』で泥を固めようとするな。……非効率だ」



「うるさいわね! 気持ちの問題よ、気持ちの!」



真っ赤な耳を出しながら、誰よりも泥まみれになって笑うセラ。



その光景は、スラムの日常を、少しずつ、だが確実に「再構築」していた。



その夜。



舗装されたばかりの道を歩きながら、レインは夜空を見上げた。



「……レイン。今日、楽しかったね」

ミナが、泥のついた手を洗いながら隣に並ぶ。



「……ああ。……道が固まれば、次は『重力の最適化』が必要になるな」



「じゅうりょく……? また難しいこと言ってる」



「……いや、なんでもない。……ただの、階段の作り方の話だ」



レインの瞳が、一瞬だけ、かつて巨大な橋を設計していた頃の情景を映した。



笑い声が絶えないスラム。



だが、その「異常なまでの整備具合」は、ついに王都の税収役人の目に留まることになる。



「……報告します。スラムの第4地区だけ、なぜか路面が鏡のように輝き、通行人の転倒事故と笑顔が急増しております」



その報告書を読み、エルドリック公爵は、手に持っていた高級なワイングラスを危うく落としそうになった。



「……鏡のような路面? ……ふっ。……面白い。……セラの奴、一体どんな変物バケモノを監視しているのだ?」



公爵の知的好奇心という「構造」が、ついに音を立てて動き出そうとしていた。


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