第9話 極度に鉄臭い累々と林檎の山道
先生は銀剣を右手で構えながら、エドワードに左手をかざした。
意気込むような声のあと、エドワードの体が反り返ると同時に、空気中に剥離した細かい結晶のようなものが散った。
「これは汗です。エドワードの体液は空気中の酸素と混ざり合い、硬化します。意識的に発刊をうながし、表皮を固形化した硬い汗で覆っているのです」
唾液については知っていたが、汗も硬化するとは知らなかった。
ワルドナー先生は授業を行うかのように解説しながら、落ち着いた雰囲気でゆっくりとエドワードへ近づいた。
「硬化を失った表皮に、銀剣は容易く届きます」
先生が片手で軽く剣を振ると、あまりにも呆気なくエドワードの首は斬り落とされた。
「このように、クリーチャーの殺害は可能となるのです」
「先生はさきほど何をしたんですか?」
それはあのトーマスであった。
見れば隣に舎弟の二人がいる。
「先生はさきほど、バースで何かされていましたよね?」
「あれは表皮と汗と鎧の間に波動を送り込んだのです」
「なるほど。それで引き剥がしたわけですか」
「そういうことです。バースは武器にあらずですよ」
書物でいつか見たことがある。
バースは武器でなく、剣技や組手と合わせて使う、支えでしかないと。
「あくまでも殺すのは銀剣であり、己なのです。さあ、みなさん。未来の銀騎士がこのようなところで臆してなどいられませんよ」
そこにはもう恐怖はなかった。
全員の脳裏から臆する心は取り除かれ、それぞれは希望の垣間見える笑みを浮かべた。
工房学校のみんなは、あんなに簡単に無残に殺されたのに、こいつら貴族は「いけるぞ」なんて言って容易く魔法みたいなものを使い、そして、僕たちにしてみれば必死になって逃げるしかなかった状況でさえ、飛躍するための授業の一環でしかないのか……。
これが平民と貴族の差……。
「キリアム?」
「……え」
「さあ、他の生徒を助けにいきましょう」
「…………そう、だね」
助けるだって?……。
そうか。
レアーナはわかってないんだ。
強者は弱者の気持ちがわからない。
僕にはこんなもの、授業になりえないんだよ。
勇気を持てとか、そんな根性論でどうにかできるものじゃないんだ。
僕はただ、気づくと振り返ってにやにやしている貴族のたちの後ろを、反抗の気配も見せずについて歩くしかなかった。
〇
一人場違いに紛れ込んでいる平民に気づいたあとも、ワルドナー先生は特になにか訊ねてくることはなかった。
周囲の森を目視でうかがい「こっちですねえ」と言って躊躇いなく生徒を誘導して進んでいった。
しばらくして、先ほど僕らが襲われた森の細道に辿り着いた。
山道にたくさんの林檎の実が落ちていた。
だが遠目に見えていたそれらは林檎ではなかった。
そこには大勢の工房生が横たわっていた。
「生存者がいないか確かめてください」と言ったあと、ワルドナー先生は「これも授業の一環です」と死体漁りを始めた。
結果、転がる死体は見た目通り生きていなかった。
足跡が屋敷へ引き返すように小道のさきへ続いていた。
気付いたワルドナー先生は神妙な表情で歩いていく。
だがいくら辿っても力尽きた生徒の列が続いているだけだ。
いったいどれだけの生徒が死んだのか……。
辺りは極度に鉄臭く、加えて汚物の臭いがした。糞尿だ。
こんなに臭いものたちと林檎を見間違うだなんて、僕はどうしてしまったのだろうか。
僕は劣等感に打ちのめされていた。
そして怒りを覚えるほどに悔しくもあった。
今すぐにでもトーマスの頭をたたき割ってやりたい想いでいっぱいだった。
レアーナの後に続きながら、斜め前方に浮かぶ奴の後頭部をずっと見ていた。
〇
「ミシェル!」
しばらくして、エドワードの死体を物色しているアンダーソン先生と合流できた。
少数ではあるが、生きている工房生もいた。
よく見るとヘムズたちの姿もあり、端に二体のエドワードが転がっている。
まさかアンダーソン先生は、一人で三体も殺したのか?
みんな疲れ切っていた。
貴族たちはそれを見てにたにた笑っていたが、先生たちは特に注意することはなかった。
「ワルドナー先生、どうやら森に何かが起きているようです」
「そう思いますか」
「はい」
「……確かに。不自然ではありますねえ、この数は」
ワルドナー先生はたそがれるように遠くの山肌を見つめた。
「羽織校の生徒や他の方々を見ましたか?」
「いえ」とアンダーソン先生。
「そうですか……。少し早いですが、今日はもう切り上げましょう。彼らと合流しなければいけませんが、この数の生徒を連れて森の中を歩くのは、騎士生だけならまだしも荷が重い。エドワードだけとは限りませんからねえ」
さらっと聞こえた言葉に、数少ない工房生の委縮する表情がみえた。
皆、申し訳なさそうに俯いている。
先生たちは僕らに自分たちだけで来た道を戻り、屋敷へ戻るように告げた。
「キリアム、行きましょう」
「……ああ」
気を遣っているのか、レアーナは手招いた。
しばらくして先生たちは森の中へと姿を消した。
貴族たちの後ろについて歩く僕ら――工房生の顔色は暗い。
見下されている臭いがぷんぷん伝ってくるからだ。




