第8話 達磨、絶頂に煮え立ちあぶく立つ。
僕は絶句した。
エドワードは基本的に単独で生息するクリーチャーのはずだ。
なぜ群れをなしているのか。
先生の背中が遠ざかる中、残った生徒は耐え切れなくなり悲鳴を上げた。
未完成な銀剣を地面に落とし、自分が発してる叫び声に耳を塞いでいる。
「ナニユエナンダロウ……ナニユエ……」
エドワードは習性の一つとして、獲物をみつけるとこのような独り言を話す。
僕もじかに見るのは初めてだ。
その複数の声が混ざったような気味の悪い声に足がすくんだ。
「先生! なんか来た、なんか来たよ!」
さきほどのヘムズがアンダーソン先生の言いつけを破り、必死になって逃げだしている。
だ足がもつれ、地面に膝と手をつくようにしてずっこけた。
「ヘムズくん!」
顔見知りの生徒がヘムズを心配して手を差し伸べる。女子生徒だ。
彼女は怯えつつも冷静な目をしている。
だが怯えていようがいまいが時間の問題だろう。
エドワードと対峙するのは初めてだが、クリーチャーは人間を嫌う特徴があり必ず殺そうとする。
僕はとっさの判断で腰のポーチから煙幕を取り出した。
手の平サイズの黒い球で入学式の際にも使ったものだ。
それをエドワードたちの足元に投げ、「今だ、みんな逃げろ」と叫んだ。
直後、灰色の煙が視界を埋め尽くし、僕もその場から避難した。
〇
常に背後や音に注意を向けながら、僕は木々をかきわけ狭い森の中を走った。
上手くいったと安堵しかけた時、一体のエドワードの姿が後方の遠くに見えた。
僕よりも早く木々をかきわけ迫っている。
顔がひきつり筋肉が強張った。
それでも逃げることしかできず、僕は息切れしながらも走った。
森に入ってすぐ銀剣を落とした。
落としていなかったとしても対抗手段なんてないようなものだが、持っているだけましだったろう。
重みの増した足は限界をすぐに迎えた。
それでも走るしかない。
背後に、エドワードの迫る感触が肥大していく。
想像が膨らみ、今にも背中からあの箸みたいな枝でぶっ刺されるんじゃないか、と恐怖のあまり涙が一粒だけ頬を伝った。
「誰か……誰か助けて……」
情けない声を上げてすぐのことだった。
そこで森を抜けた――。
「キリアム!?」
森が途切れ開けた場所に出たと思ったら、目の前にレアーナの姿が見えた。
僕は安堵した。
新学期が始まり一週間して、突然教室に現れた生徒に抱く感情など、違和感以外ないだろう。
貴族様のように育ちのいい連中が集まる所でもないんだ。
皆、満足のいかない生活の捌け口としてサンドバックを求めている。
一週間の無断欠席に、先日の貴族校への不法侵入と式の妨害という汚点を加えれば、彼らにとってはヘムズ以上の遊び道具だろう。
僕に快く話しかける者はいない。
僕は、この森に来てから心のどこかでずっと、唯一の友人であるレアーナを求めていたのかもしれない。
周囲には騎士学校の貴族どもが屯していた。
呑気に休憩でもしていたのか、地べたに座り込み水筒で水を飲んだり雑談したりしてる。
「エドワードが!」
僕は呼吸を整えながら、レアーナに伝えた。
「え?」
レアーナは事態がわからず首を傾げ、「どうしたの、なんでここにキリアムがいるの?」と少し笑顔になりながら戸惑っていた。
その笑顔に少しだけ癒やされた。
「レアーナ逃げろ、すぐにエドワードがくる!」
そして僕がそう叫んだ時には、もう遅かった。
初めに、傍にいた騎士生の首が宙を舞った。
頭の付け根から流れる血が放物線を描いている。
ふと地面に落ちた首と目が合った――。
「あ、お前この間の、式に乱入してきた平民だろ? あれ……俺、どうなってるんだ」
ぼと、と音がして首は地面に落ちた。小さく一回跳ね返る。
ころころと転がり徐々に移動距離を狭め、同じところを小さく転がったあと安定を求めてゆらゆらと揺れる。
揺れが収まり止まった。
ふと今の今まで生きていたはずの人の首が、物のように見えた。
まるで達磨だ。
絶頂を迎えたような半開きの白目。
黒目は上を向き裏返りそうになっており、口元から血があぶくのように流れている。
絶命だ。
エドワードの姿に絶叫する貴族たち。
数人が恐怖を押し殺し、即座にリトルバースを発動し動きを止めた。
波動に押さえつけられながら、エドワードは右手の木の枝に唾液を垂らす。
その唾液は空気に触れると硬化し、強度は鋼を越えるという。
つまり、今エドワードの持っている木の枝は、雑多な刃物より硬いということだ。
唾液のノリ具合で鋭利なものにもなる。
「下がって!」
レアーナに促され、僕はレアーナの背に隠れた。
だが剣を握るレアーナの手は震えている。
危機感を覚えた僕は周囲へ目を向けた。
一瞬、心臓の止まるような感覚がした。
右隣に、つい先日僕の左腕を切り落とした、トーマス・ファイブリースの姿があったからだ。
僕はトーマスが自分に気づく前に目を背けた。
「キリアム……その腕、どうしたの」
レアーナが背中越しに訊ねた。
金色の髪が風になびくと、ふわりと甘い匂いが香った。
「……なんでもない。それより、今はエドワードだ」
僕は落ち着いて言った。冷静さは伝わっているはずだ。
レアーナは「なんでもっ……そうね」と納得していない声色で、淡泊に答えた。
「バースで動きは押さえているし、あいつは動けないわ。大丈夫」
まるで自分に言い聞かせているように聞こえた。
レアーナは目の前のことでいっぱいいっぱいだった。
僕の無い左腕のことなど、今はどうでもいい。
リトルバースの使えない僕には「大丈夫」というその信用の質がわからない。
質量のないようなもので物質を押さえつけるなんて、そんな感覚は僕にはない。
「それより、どうしてこんなところに……他のみんなはどうしたの? 一緒だったんでしょ?」
「わからない。みんな散り散りになったんだ。先生はエドワードに襲われているみんなを助けにいった」
レアーナが僕に気を向けている間、何人かの騎士生は銀剣でエドワードを斬りつけていた。
だがその表皮は刃を通さず、容易く弾かれていた。
「みなさん、よく見ていてください」
そこにワルドナー先生が現れた。




