第7話 鼻尖の裏側に刺さる虚勢
「しかしここは危険地帯であり、これだけの人数で入るのですから無理もないんですねえ。教員の数はあなた方よりも圧倒的に少ないですし、あなた方が今、心の中で頼りにした教員でさえ、死体で見つかった例が過去にあります。まあ原型を留めていただけましだったと言えますが」
ワルドナー先生は僕らをひたすらに煽った。
だが見た限り、工房校の中には信用していない生徒の方が多いように思う。
みんな飄々としていたし、「やべー」と笑っていた。
つまり遠足気分なのだ。
各校は半分ずつに分かれた。
計六つのグループができ、一グループにつき教員は一人。
僕らのグループにはミシェル・アンダーソンという、ブロンドヘアーの綺麗な女の教員がついた。
先導され、僕らは大森林へと踏み込んだ。
〇
「アンダーソン先生、これはどこに向かっているんですか」
目的地などの詳しい説明もなく、一時間以上は森の中を歩かされただろう。
訊ねたのはヘムズという小太りの男子だった。
彼は贅肉のはみ出た見かけによらず、体力はある方だった。
平民のくせに頭髪がオールバックに整えられ光沢をおびているのは、ラノリンのせいだろう。
ラノリンは羊から取れる動物性油であり、蝋のことだ。
ときに貴族でありながら工房校の門をくぐらざるを得なくなる者がいる。
そいつは落ちた貴族と呼ばれ、貴族には嘲笑と侮蔑の敬礼で見送られ、平民には癒やしのサンドバックとして凌辱の限りで迎えられる。
ヘムズのラノリンの光沢とにおいは、虚勢と自己防衛の意味が込められている。
俺はまだ落ちぶれてない、お前ら平民とは格が違う、そう言いたいのだろう。
そして怯えている。
「森の中ですよ」
アンダーソン先生は答えた。
出発の際、自己紹介は騎士学校のワルドナー先生が済ませたこともあり、この人の声は初めて聞いた。
先生はヘムズの問いに瞬時に反応し、切れ長の横目で密かに見下ろした。
視線を進行方向に戻し、答えるまで数秒を要した。
さらに最初の一文字を答える一拍前、小鼻が小さく痙攣した。
どうやらアンダーソン先生は神経質な女性らしい。
ヘムズに対し悪い印象を抱いているふしが見受けられる。
「でも、もう随分と森の中を歩いてますよ」
その些細な苛立ちに勘づいたように、戸惑いながらもヘムズは言った。
「……これはまだ序の口です。森というのは奥が深いのです。あなたが想像している森とはウォールハーデン近郊の公園のことでしょう。近場で木々に囲まれた地域はあの公園以外ウォールハーデンにはありませんから」
旧市街のことは知識に留めておく価値もないということだろうか。
が僕の自宅の裏にも森はあるというのに。
「そ、それはそうかもしれませんが、そうではなくて、ここは既に森の中ですよねえ?」
先生は三拍ほどおいて答えた。
「ここはまだ玄関口です」
「げ、玄関口?」
「そうです。わかったら口ではなく足を――」
先生の足が突然止まった。
腕を上げ、生徒に止まるようにうながした。
「ど、どうされましたか?」
「全員、武器を取りなさい!」
先生の耳障りな声が響いた。
僕ら工房生に与えられているのは自分で打った銀剣だけだ。
だが入学して早々に剣を鍛えられるわけがない。
だから過去の生徒が打った失敗作を代わりに持たされる。
それを生で使って、どこが悪くて失敗作になったのかということを実地で学ぶわけだ。
先生も銀剣を構えた。
おそらく優秀な銀描士が鍛えたものだろう。
教員は衛兵とは違い、どれも元銀騎士であると聞く。
生徒一同は意味もわからず静まり返った。
だが幼少期より森で育った僕には、その気配の方角がわかっていた。
「右だ!」
僕が叫んだ瞬間、森の中よりそいつは現れていた。
エドワードだ。
アンダーソン先生を含め、生徒は体に力が入り動かなくなった。
硬直し、じっとエドワードの様子をうかがった。
だがその時、最後尾にいた一人の生徒が悲鳴を上げた。
エドワードの井戸のように暗い二つ目がそちらへ向く。
その目に抑えきれない恐怖を感じた大勢の生徒たちは、最初の悲鳴の彼に続き、背中を向けてその場から逃げ出した。
「止まりなさい!」
先生が緊迫した声で叫んだ。
僕にはその声の「意味」がわかっている。
だが意味に気付く間もなく、逃げた生徒のうちの最初の一人が殺された。
不意に女子生徒の背中からおびただしい量の血が吹き上げた。
気づくと目の前にいたエドワードの姿は、その生徒の背後に移動していた。
生徒は地に倒れると痙攣し、小刻みな揺れは数秒後に止まっていた。
「全員武器を構えその場から動くな! エドワードは動く者を追う習性があります!」
それはエドワードだけでない。
およそほとんどのクリーチャーがそうだ。
動くものに気を取られないクリーチャーはいない。
だが逃げまどう生徒たちに声は聞こえなかった。
次々と唾液に塗れたエドワードの木の枝で、生徒たちは刺殺された。
木の枝はエドワードが好む道具だ。
それはこのように獲物をしとめる道具になれば、人間でいうところのフォークや箸にもなる。
エドワードは刺したあと身をほじくりまわす。
それはカニの身を甲羅から剥がすようなもので、掻き分け集めて中の身を食べるのだ。
生徒を追うエドワード。
エドワードの背を追うアンダーソン先生。
逃げることなく残った生徒の大半は、何も賢かったわけではない。
ただ怯えて足がすくんでいただけだ。
握りしめているその剣が、がちゃがちゃと震えているが証拠だ。
だがさらに事態が悪化したことで、僕の手も震えだした。
木々の間から、さらに三匹のエドワードが姿を現したのだ。




