第27話 行方不明の妖精たち
ヴィンセントとマヌスは旧市街の喫茶店で休憩していた。
そこは貴族の寄り付かない店だが、旅の者や流れ者の出入りが頻繁であり、二人を不審がる者はいない。
ときおり、マヌスの体に染みついた無水エタノールのにおいに鼻をひくつかせて、くしゃみをする老人がいるくらいだ。
「なんというか、いい子たちでしたね」
運ばれてきたコーヒーをすすり一息つくと、マヌスはそう言った。
「ああ、まったくな」
ヴィンセントは神妙な表情でコーヒーを一口飲んだ。
「浮かない顔ですねえ、ヴィンセントさんはそうは思ってないんですか」
「……わからん」
「わからないって、まさか、彼らを疑ってるんですか? 謂われないのない罪だと言っていたのは、ヴィンセントさんじゃないですか」
「貴族でもなければ、彼らを罪人と呼ぶことはできないだろう。兄を慕う妹に、妹想いな兄の二人暮らし、それだけだ。だが完璧すぎる」
「完璧すぎる?」
「キリアム・ハイドゥイン、彼には隠す気がない、だがそれが反って正直すぎるような気もした。彼は人の機微をよく見ているみたいだった、俺が妹の様子に注意していたことも気づいていた。彼女に思わしくない表情の理由を聞こうとした直前に、彼はディーグル夫人の粗相について話したんだ」
「それは考えすぎですよ、ただ彼が妹想いなだけです。妹さんが少し緊張気味なのは私も気づいていましたし、あれに気付けた程度では機微を見ていたとは言えません。それと彼が正直に話したのは、単純に助けてほしかったからではないですか?」
「助けてほしかった?」
「はい、つまり彼は別に、私たちを敵だとは思っていなかった訳です。彼の言動は、その心理状態の表れですよ」
「なるほど……。そうだな、どちらにしろ、平民では貴族に勝てない。マリア・ディーグルとウェスタン・ディーグルは、共に騎士学校の卒業生だ。リトルバースと剣技に優れている。老いていようがバースは健在のはずだ。ハーフリヴには驚いたが、薬をガラス瓶に詰める以外、彼らに能力はない。かつて俺もそうだったからわかる、彼らは典型的な平民だ」
「わかる、とは、。気になる言い方ですねえ」
「俺の五感は相手の嘘を見抜く。彼らの心音は一定だった、嘘をついていればすぐにわかったはずだ。彼らは正直だった。行方不明の原因が仮に彼らにあったのだとすれば、俺の感覚を刺激する何かがあったはずだ」
「はぁ、なるほど。じゃあ、結局、ヴィンセントさんとして疑う余地はないってことじゃないですか」
「まあ、そうなるな。彼らは極めて一般的な平民だった。まったく、ファイブリース家も勝手なことをしてくれる」
「勝手なこと、どういうことですか?」
「ん、マヌス、君は知らないのか。ディーグル家と言えば、貴族の中でもファイブリース家の執事だった一族じゃないか」
「え、そうなんですか!」
「解剖以外は興味なしか。奴ら、俺を雇っておきながら信用していないらしい。勝手に保険など用意しやがって。およそ監視を頼まれたあと、ファイブリースに愛想を尽かしウォールハーデンを去ったのだろう。それを行方不明などと、よく言ったものだ」
「そういえば、サーカスでの一件についても話されていましたけど、あれは何故だったんですか」
「ああ、あれは……」
「まさか、彼らがやったと考えたんですか、サーカスを見に行っていたから?」
「あれは……」
ヴィンセントはつい数日前のことを思い出していた。
それはマヌスと昼食を終えたあと、気分転換に城下町を二人で歩いていた時のことだ――。
〇
城下町に、中央広場など比ではない開けた場所がある。
サーカスの際、あの巨大なテントが設置されていた公園だ。
ヴィンセントとマヌスは不審なものでも見たかのように視線を止め、足を止めた。
「なんですかね、あれ」
「あれは……団長だ」
「団長?」
ヴィンセントは「なにか困っているようだ」と声を落とし歩を進めた。
普段、特に自ら人と関わろうとはしないヴィンセントのその行動に、マヌスは違和感を覚えた。
ヴィンセントの歩幅は広く、それまでよりも少し早いようにも思えた。
芝と砂の入り混じった大公園の真ん中で、旅行鞄片手に薄毛の男が落ち込んでいる。
その堕落した姿勢と俯いた頭を見れば、誰もがそう思うだろう。
マヌスも「落ち込んでおられますねえ」と観察日記をつけるような口調で言った。
「アーキンス」とヴィンセントは男に声をかけた。
俯く頭を起こした男の視線は定まっていない。
宙を浮遊したあとヴィンセントを見て止まったが、彼がゆっくりと優し気に微笑むまでには数秒かかった。
「おや、ヴィンセントさんじゃないですか、お久しぶりです」
アーキンスは懐かしそうに、弱々しく言った。
そのしみったれた姿が痛々しく、ヴィンセントは目を細めた。
「なにがあった」
「なにが、とは……はて、どういうことですか、なにかあったんですか?」
アーキンスが惚けていることに、ヴィンセントは「見ればわかる」と訳を話すよう促した。
徐々に正直な表情になると、アーキンスは「みんな、いなくなってしまいました」と呟いた。
どうやら気づかれたくなかったらしい。
「何年ぶりですかね、こうしてあなたとお話しするのは……」
「いなくなったとはどういうことだ」
アーキンスは目を合わせたくないのか、俯いて芝を見た。
「……みんなです。あの晩、最後の公演を終える時までは確かにいたんですがね。夜中に物音が聞こえて、それで……。みんな、いなくなっていました」
「まさか、妖精たちのことか」
「はい。覚えておられますか、彼女たちのことを」
マヌスはヴィンセントのその問に「妖精?」と不審がった。
「ああ、覚えているとも」
「ヴィンセントさん、いま妖精と言いましたか?」
話しに割り込む形でマヌスは訊ねた。
「アーキンスは妖精のサーカス団を経営している団長だ。君も知っているだろ」
「サーカスというのは、つい数日前に最終公演を終えた、貴族御用達のあれのことですよねえ」
「ああ」
「妖精のサーカスという呼び名は初耳です。巷では幻想のサーカスとか、ただサーカスとだけ言ったりはしますが」
アーキンスは弱々しい笑みを浮かべ、「昔は、妖精のサーカス団なんて名前でやってたんですよ。彼女たちも喜ぶから、自分たちが注目されてるって……みんな、人間が好きだから」としんみりした。
「彼女たち?」
「妖精のことです、ご存じでしょ」
「はい、もちろんそれは知っています。絵本に出てくる幻惑の妖精のことですよねえ」
「あ、そうか、そういえば……そうでした。彼女たちとの日常が当たり前すぎて、すっかり忘れてしまっていました、そうか、私も幻惑にかかっていたんだな、そうか……」
「あの……」
放っておくと独り言で小一時間しゃべりそうなアーキンスに、マヌスは苦笑いをした。
「アーキンス、妖精たちがどうかしたのか言ってくれ」
「え、ああ、ヴィンセントさん、それがね……そうなんです。妖精たちが、彼女たちが、いなくなったんです」
言葉をすべて言い切る前に、アーキンスは泣き崩れてしまった。
顔をふせ、自身の腕と膝を濡らしている。
ひそひそとぐずり泣き、必死に堪えている様子に、ヴィンセントは眉間をせばめた。
「アーキンス、いなくなったとはどういうことだ、それを説明してくれ。でないと俺も助けてやれない」
「……助けて、くださるんですか?」
アーキンスは顔を上げた。
「もちろんだ」
「ちょっと待ってください。ヴィンセントさん、妖精とはどういうことですか。彼らは空想上のものであって……」
「空想ではない」
「え」
「妖精は実在する」
あまりにはっきりと言い切るヴィンセントに、マヌスは「実在するって、何かの冗談ですか、そんなはず……」と軽く動揺する。
「冗談ではない。世間的には、彼らは観測されていない種族だが、その存在は嘘偽りなく本物だ。空想の産物ではない。彼らは手の平ほどの小さな人間だ、背中に虹色の、半透明の虫の羽が生えている。君の言うように、絵本には幻惑の妖精として登場し、人間を惑わし悪戯をするとある。が、それは個々によって異なる。すべての妖精が背中の羽を揺らし、鱗粉を放つことができる、だが鱗粉が及ぼす効果は色々だ。人に催眠術をかけ惑わす者もいれば、生き物の傷を癒やすような、治癒能力に優れた鱗粉を扱う者もいる」
「まるで魔法ですね」
真剣な表情ではあるが、マヌスは今一つ信じていなかった。
「そうだな、だが魔法とは違う。妖精は鱗粉生成に、人間でいうところの魔力を必要としない」
「ええと、つまり消費するものがないということですか?」
「理解が早いな、そういうことだ。今のところ、彼らは鱗粉を無限に出すことができるとされている」
「されている?」
「解明されていないんだ、妖精の存在を認知している学者たちでさえ、明らかにできていない。妖精を捕まえるのは困難を極めるからなあ」
ヴィンセントの言葉に続けるように、アーキンスは言った。
「知らぬ者は見ることもできない、信じる者の前に彼らは現れる……」
「そういうことだ」
「どういうことですか?」
マヌスの問にヴィンセントは答える。
「つまり妖精は、妖精が実在すると知っている者にしか見えず、また妖精の存在を信じている者にしか見えない」
マヌスは「信じる者にしか……」と呟くように小声で言葉をなぞり、「あれ、でも、存在していると知っているなら、信じる必要なんてあるんですか、知っている訳ですよねえ」と解釈を述べる。
「マヌス、君は賢いな、そういうことだ。この文面はかつてある学者が記したものだが、意味はその一つしかない。つまり信じる者には見え、あるいは信じていないとしても、知っているなら否定しようがなく、見える」
「変な話ですね」
「単純な話だ」
「変な話ですよ」アーキンスが言った。「だって、信じるもなにも、僕にとっては当たり前のことなんですから。彼らは家族も同然で……」
感極まり、アーキンスはまた泣き崩れた。
「いなくなったのはいつだ」
ヴィンセントは同情する素振りもなく、落ち着いた声色で訊ねた。
「……最終日です、最終日のあと。これが、彼らの部屋に落ちてました」
そう言ってアーキンスが差し出したのは、千切れた一枚の羽だった。
虫の羽だ。
ヴィンセントは崩さないように手の平にのせ、マヌスは横から覗き込む。
「ほおほお、これが妖精の羽ですか」
マヌスは感心しながらふざけた。
まだ信じ切れていないな、とヴィンセントは思った。
「微かに鱗粉が残っている。妖精は怒ったとき反射的に鱗粉を発するが、自発的にも扱うことができる。粉の濃度なんかを色々とコントロールできるんだ。だが反射的に、とっさに発した場合は、このように余分な無害の鱗粉が羽に残ることがある」
ヴィンセントは羽についた鱗粉をそっと人差し指で触れ、親指との間でこすって、ぱらぱらと下に落ちる鱗粉を観察した。
マヌスはそれを興味深そうに見ている。
「つまりこの羽の持ち主である妖精は、何らかの理由で怒っていたということですね?」
「可能性の問題だ。怒るといっても些細なことでそうはならない。彼らも成長と共に自制できるようになるからなあ。アーキンスの元に戻っていないことからして、何かあったのだろう」
「今までそんなことはありませんでした」
ヴィンセントは大事そうに羽を小瓶に戻すアーキンスを見て、信仰の欠如が原因ではないと察した。
記憶喪失や深い信仰の欠如が原因で、妖精が見えなくなることがあるからだ。
「元気を出せ、アーキンス。これまでなかったことがあっただけだ、彼らは不可思議な存在だ、こんなこともある」
「ヴィンセントさん、あなたはその羽を見て、なにか思うことはないんですか」
「なにか?」
「それは根元から千切れてる、肉の破片がついているのが見えるでしょ」
ヴィンセントにはわかっていた。
もちろん、羽の根本についている破片も見えていた。
だが言い出せなかったのだ。
そしてアーキンスは思ったよりも正気なのだと知った。
「なにも言わずにいなくなることなんてない、彼女たちは僕らと同じ意識ある生き物です、クリーチャーとは違うんです」
「ああ、アーキンス、わかっている、わかっているさ」
ヴィンセントは理解していることを訴え、少し興奮気味なアーキンスをなだめた。
「みんな、どこへ行ってしまったんでしょうか」
ヴィンセントはしばらくの間、無言でその場に立ち止っていた。
そんな彼をマヌスは不可思議な様子で観察していた。
〇
「アーキンスさんとは、どういったご関係なんですか。親密なように思えました」
「学友だ」
「あ、なるほど」
「騎士学校の頃の話だ。俺が二回生のころ、アーキンスは一回生だった」
「後輩ですか」
「そんなところだ」
「あの、ヴィンセントさん。アーキンスさんは、妖精を檻か何かに閉じ込めていたんじゃないですか、それが嫌で逃げ出したとか」
マヌスの言葉に、ヴィンセントは「それはない」と鼻で笑った。
「どうしてですか?」
「君はまだ信じ切れていないんだな。わかるように言えば、アーキンスにとって妖精は人も同然だ。だが人と関わることが得意でない彼にとっては、人間以上だとも言える。そして妖精たちの方はそんな彼を慕っている。もともと瀕死のところを彼が助けたのが始まりだった」
「助けた……」
「アーキンスが森で見つけた時、妖精たちは酷く弱っていたんだ。中には助からなかったものもいたと聞いている」
「ヴィンセントさんは、なぜアーキンスさんと友達になることができたんですか。話を伺っていると、後輩というよりは友人ですよねえ」
「俺に妖精が見えたからだ」
「あ、なるほど」
マヌスにとっては理解しやすい答えだった。
「当時、アーキンスの肩にのっている妖精や、頭のまわりで飛んでいる妖精を見ることができたのは、俺だけだった。だから聞いたんだ、それはなんだって」
「なるほど、それが出会いという訳ですね」
「そんなところだ」
ヴィンセントはそのタイミングで席を立った。
「私たち、ファイブリース家に振り回されちゃってるんですかねえ」
「どうだろうな」
マヌスも続いて席を立つ。
コーヒーカップは共に空だ。
「結局、ファイブリース家のお坊ちゃまが嫌っている平民を殺したいだけって感じですね」
ヴィンセントは無言のまま、代金をテーブルの上に置いた。
そこにはマヌスの分も含まれている。
そんなさり気ない手際に、マヌスは恥ずかし気な笑みを浮かべ、気づいたヴィンセントは「なんだ」と相変わらずの不愛想な声色で訊ねる。
「いえ、ありがとう、ごさいます。ごちそうさまです」
マヌスは目線を下げ、そう言った。




