第26話 二つの事件と二人の訪問
広告は無理そうだという悲報と、また金が手に入ったという朗報を土産に旧市街へと戻って来ると、家の前に見知らぬ二人組の姿があった。
一人は大柄で、白髪を後ろでまとめている中年男性だ。
その隣には小柄な若年の女性がいる。
男性の方にどこか見覚えがあるような気がして、僕は家に向かって歩を進めながらその顔を凝視した。
見当がついた瞬間、サーカスの日のことを思い出していた。
それはあのメンソールの、軟膏のにおいを漂わせていた銀縁丸眼鏡の男だった。
いまは眼鏡はしていないようだ。
その鋭い爬虫類のような黄色い瞳でわかった。
「お兄ちゃん、おかえりなさい」
玄関から顔を出し、ミーナがこちらに手を振っていた。
「ミーナ、ただいま。そちらは?」
僕はミーナに詳細を求めた。
「君がキリアム・ハイドゥインか」
「……はい、そうですが」
家の前まで来ると、白髪の男が話しかけてきた。
向かい合ってみると、なんだろうか、少し寒気がするようなおかしな感覚に襲われた。
「俺の名はヴィンセント、こっちは助手のマヌスだ」
「はじめまして、助手をやっていますマヌスと言います」
「はぁ……」
僕は曖昧な返事をして、お辞儀をした。
ヴィンセント――僕はその名をどこかで聞いたことがあると思い、記憶の片隅を探った。
「……ヴィンセントって、まさか、あの吸血鬼狩りのヴィンセントですか?」
「なんだ、俺のことを知っているのか、珍しいな。ウォールハーデンの者はどれも平和ボケしているものとばかり思っていた。流石は平民だ。ああ、失礼、悪気はない、俺もかつて平民だったものでな」
「そう、なんですか」
初対面でよく喋る人だ。
「妹さんに話を聞いていたところだが、君にも聞きたいことがある。向かいに住んでいるディーグル夫妻のことは知っているな」
「はい。あの人たちがどうかしたんですか?」
「一週間ほど前から行方がわからなくなっている」
「え、行方が?」
「妹さんと同じ反応をするんだな、知らなかったのか」
僕はゆっくりと頷き「はい」と答えた。
表情に疑問を残す感じで。
「五日おきに薬の補充をしに来られるんですが、ここ最近は姿を見ていません。どうされたんだろうとは思っていたのですが、まさか行方不明だったとは……」
「薬というのは何のことだ、彼らは持病かなにかもっていたのか?」
「回復薬のことです」
「なるほど。その回復薬だが、少し見せてもらってもいいか」
「構いませんよ」
僕はヴィンセントさんとマヌスさんを居間に招き入れた。
テーブルをはさみ回復薬を渡すと、蓋を開け、ヴィンセントさんは液体のにおいを嗅ぎ、指ですくい一舐めした。
「これは、ハーフリヴか」
「はい」
「ん、ああ、悪い悪い、味見した分の代金はちゃんと払う」
「構いませんよ」
「そうか、悪いな」
「いえ」
「ヴィンセントさん、ハーフリヴってなんですか?」
助手のマヌスさんが訊ねながら、液体の入った小瓶を横から覗き込んでいた。
「知らないか、森に自生している木の葉っぱのことだ」
「珍しいものなんですか?」
「珍しくはない、どこにでも生えているさ。ただ見分け方の知らない者には見つけることができない、なんせ他の木や葉っぱと同じ形とにおいをしているからなあ」
「でもヴィンセントさん、今においと味を確かめてましたよねえ」
「俺の五感は特別だ」
そういったヴィンセントさんの眼が光ったように見えた。
「よく作り方を知っているなあ」
「おばあちゃんに教えてもらったんです」
「なるほど、博識な方だったのだろうな」
「いえ、おばあちゃんが教えてくれたのはこれだけです。薬草学のほとんどは本を読んで知りました」
「だがハーフリヴの知識は、一般に出回っているような雑多な本には載っていないはずだ。これは古代の療法に基ずくものであり、廃れた調合術の類とは訳が違う」
「お詳しいんですね」
「まあな、俺の専門分野に近い。と、本題に入るが、ディーグル夫妻はなぜこの薬を?」
「旦那さんが使われていたそうです、薪割りの際に手が裂けるんだとか。補充には夫人が来られていました」
僕は色々とディーグルさんとの会話や出来事、知っていることを説明した。
余計なことは言わず、表面的な事実だけを告げた。
だが僕が話し終わるまでの間、ヴィンセントさんの横目はミーナの方を向いていて、その俯く横顔がどうも気になるようだった。
説明を終えると、ヴィンセントさんは神妙な声色で「大丈夫か」とミーナに声をかけた。
「実は、ディーグル夫人には迷惑していたんです」
僕はミーナに話させまいと説明する流れを作ることにした。
できればこれは黙っていたかったが、どうも黙っていられる感じではないと思った。
「迷惑?」
「あの人……回復薬の代金を、払わないんです、いつも」
「なるほど、彼女はつい先月まで貴族だったからなあ」
「ちょっと、ヴィンセントさん、そういったことは口外厳禁ですよ」とマヌスさん。
「構わないさ、漏れたところで彼らは行方不明だ。つまり、平民を下に見ていたのだろうな」
「そう思ってました。いつも、払われる気配がありませんでしたから」
「いなくなって良かったじゃないか、だろ?」
「いえ、そんな! そこまでは思いません……でも、せめて補充した分の代金は払っていただきたかったです」
「気の毒な話だ、死体でも上がって現金が出てきた際は、君たちに支払われるように努力しよう」
「いえ、もういいです。僕らはもう、諦めてますから」
沈黙が流れた。
ヴィンセントさんは「邪魔をしたな」と立ち上がると、マヌスさんを連れて玄関まで歩いた。
やっと終わりかと安堵しかけた時、「ところで……」とヴィンセントさんが振り返る。
「サーカスでの騒動について、なにか知っていることはないか」
「え」
「サーカスだ、知らないか?」
「すいませんが、質問の意味がよくわかりません。サーカスとは、先日、城下町で行われていたあのサーカスのことですよねえ」
「そうだ、貴族御用達のサーカスショー。毎年多数の貴族で溢れ返る。では、アーキンスという名に聞き覚えはないか」
「いえ……多分、ないと思います。どなたかのお名前ですか」
「よくわかったな、人の名前だと」
「珍しい名前ですよね、いつか本で見たことがあります」
「なるほど、本か。君も博識のようだ」
「いえ、それほどでは」
「アーキンスはサーカス団の団長の名だ」
ヴィンセントさんの言葉がどこか沈んだもののように聞こえた。
「そうなんですか。その、あまり言いたくない話なんですか、実は僕らもショーを見に行ったんです、最終日に」
「そうだったのか……。どうだった、ショーは楽しかったか」
「はい、とても幻想的でした。またいつか、もう一度二人で見に行ければなんて思ってるんですけどね」
「サーカスはもう二度と見られないだろう」
冷淡な口調だった。
あまりに流れるように言うもので、僕は一瞬聞き逃しそうになった。
「え……見られない?」
「……ああ。おそらく、ショーは今年で最後だ。来年はない」
「そう、なんですか……。そういえば、なにか騒動があったという話でしたよね。何があったんですか」
僕がそう訊ねると、ヴィンセントさんは少し間をおいて黙った。
「……団長が妖精をなくしたそうだ」
「妖精をなくした? え、それってどういう……」
「話が聞けて良かった。時間を取って済まなかったな、これで失礼する」
ヴィンセントさんはそう言って背中を向けた。
まるで話したくないかのように、マヌスさんと共に逃げるように帰っていった。
「妖精をなくしたって、どういう意味でしょうか」
扉から顔だけを出し、ヴィンセントさんたちの背中を見送るミーナ。
不思議そうに首を傾げている。
「さあ、どういう意味だろう」
「お兄ちゃん、ディーグルさんのことは知っていましたか、ミーナは気づきませんでした」
「僕もだ、全然知らなかったよ。でも、良かったじゃないか、これで搾取されずに済む。それよりいい知らせがあるんだ」
玄関の扉を閉め居間についたあと、僕はリブレさんから受け取ったお金を見せ、広告のことをミーナに話した。




