第21話 サーカスの妖精
会場内は静まり返っていた。
それはステージ上の妖精が芸を見せることなく静止しているからだ。
貴族たちの期待は高まった。
次はどうなるんだ、何かとんでもないものを見せてくれるのではないか。
普段、横柄に生きているあの貴族たちが「待つ」ということを実行している。
そんな彼らの中に、その女の子のように「あれはなに?」と戸惑う者がちらほらといた。
彼女の父親の場合は「妖精」だと答えたが、それは冗談だろう。
女の子の方も小さいとはいえ、鵜呑みにしていない。
納得しているのは、なにもそれが妖精であると理解してのことではない。
他の貴族たちにしてみてもそうだ。
炎は蛇の形をとった、水はライオンの形をとった、その前に会場内を飛び回っていた雷は、鳥の形をとった。
それだけのことだ。
それ以上の意味はない。
なぜなら妖精は、誰かの空想が生み出したものであり、世界には実在しないから、というのが彼らにとっての常識だからだ。
「お兄ちゃん、あれはなんでしょうか」
「ミーナ、あれは多分、妖精だよ。ほら、人の形をしていて、背中に蝶のような虫の羽が生えているだろ。きっと妖精を模してるんだよ」
「あ、なるほど。久しくそんなものを見ていなかったので、わかりませんでした」
絵本はそもそも高級品で、我が家にはもちろん無い。
いつか図書館でミーナと呼んだ絵本に、妖精が出てきたことがあったが、ミーナはそれ以来かもしれない。
僕にとっては……。
「つい昨日のことのようだ、間違いない……」
「どうされましたか?」
「なんでもないよ……綺麗だな」
「……はい。綺麗です」
ミーナは目を輝かせていた。
僕はその横顔を見た時、いつものミーナに戻ったと心からそう思えた。
ミーナの笑顔は魔法だ。
僕は妖精に魅せられてはいなかった。
むしろ僕が気になって見ているのは、周囲にいる魅せられた貴族だ。
貴族たちが何やらぶつぶつと呟き始めた。
表情はみっともないほどの笑顔で、読唇術でよんでみると、口元は「母さん」や「父さん」となっている。
サーカスの見せる魔法の類は、発光現象を生き物の形に変え、会場の中を飛び回った。
それは歓声を呼び、奮い立つ貴族は幸福における絶頂を迎え、幸福であることも忘れる。
妖精はそれぞれの記憶の深層に落ちた「故郷」を拾い上げ、ノスタルジアを誘発したのだ。
赤、青、黄、緑、紫。
五匹の妖精は会場中を飛び回り、それぞれの色で光る粉を散布した。
妖精の粉には「幻惑」の効果がある、というのは空想上の話だが、真実であったことは今の貴族の面を見ればわかる。
妖精の粉を一身に浴びる彼ら貴族の中には、今や大人も子供もなく、かつて母親に読んでもらった絵本の世界が、視界と脳裏を駆け抜けているのだろうか。
貴族たちは過剰に脳内麻薬でも分泌していそうなほどの、嬉々とした狂った表情を妖精たちに見せびらかしていた。
過去になにかを求めるのは、今に満足していないか不満を抱いているからだ、というのは自論だが、貴族が自分たちの暮らしぶりに不満を抱いている訳がない。
抱いていたとして天秤にかければ、それは僕ら平民たちの苦とは比較にならない些細なものであるはずだ。
つまり、彼らは満足し過ぎているんだ。
満足してもう自分たちを今以上に満足させるものがないから、幼少期という美化された記憶に酔っている。
「綺麗ですね……」
ミーナが言った。
普段に比べれば、ミーナはひときわ喜んでいるように思う。
だが僕が港町の孤児なら、ミーナは捨て子だった。
親の顔さえ知らないのだから、らりった貴族の表情の意味などわかるはずもない。
図書館で、初めてミーナに妖精の絵本を読みきかせた時、ミーナは言った。「綺麗ですね」と……。
そう言って目を輝かせていた。
五、六歳の頃だったかと思う。
その歳になれば、貴族の子供はそれぞれの中で趣味の選別を始める。
妖精の絵本など、いつまでも読んではいない。
だがミーナにとっては、絵本は特別だった。
紙の上に描かれる世界。
ミーナは心から目を輝かせていたのだ。
僕は周囲の貴族たちに苛立ちを感じていた。
激しい苛立ちだが、それは仮面の下に隠れていて誰にも見えない。
貴族たちもミーナと同じように「綺麗だ」とつぶやく。
だがミーナの言葉とは意味が違う。
奴らはこれまでにも似たような、この程度の幸福など幾度となく味わってきたのだ。
だから誘発されたノスタルジアの中で「母さん、父さん」「ママ、パパ」などと言って目の奥を赤くしているんだ。
不思議そうに自身を見上げる娘や息子の視線にも気づかず、気づいていても「今だけは」とか思っているんだ。
つまり意味が違うとは、彼らにとって妖精は、その感動とはまた別のものだということだ。
「故郷」に感動しているのであって、目の前の妖精ではない。
本物だと気づいていないこととは関係がない。
奴らは純粋ではない。
だがミーナは目の前のものを純粋に受け止め、感動している。
澄み切った感受性だ。
だが奴らはそんなミーナをさしおいて、淫らなまでの表情で幸せを浮かべている。
それが腹立たしい。
表現力が際立っていれば、より幸せだとでもいうのか。
いや、なにもミーナの幸せを奴らの醜い幸福と比べる必要はない。
だが僕は割り切れない。
そんな感情を抱いてしまう自分が許せず、罪悪感が襲う。
ミーナの幸せやその感受性は、貧しさゆえのものではないはずだ。
そんなことはわかり切っている。
ならば僕は、心の深層でミーナを見下しているということなのか……。
あるいは、ミーナには「思い出」と呼べるような、価値のあるものがない。
多分、僕はそう思っているのかもしれない。




