第四章 仮面を被って夜会へ
賑やかな音楽と話し声が響く広間。奏でられる音楽に乗って、男女が手を取り合って笑い合いながら踊っている。豪華な調度品に彩られた部屋。煌めくシャンデリアの下で交わされる噂話……――
至って普通の、貴族たちの夜会。その光景を見つめながら、イオは少し服装を整えた。
こういった場所に来るのは初めてではない。彼の家……ウォルヴェリア家は名家であるために、こういった場所……パーティーなどに行くことはしばしばあった。昔から親によく連れられて行っていたし、何より騎士になってからも仕事で行くことがある。もうとっくにこういった場には慣れていた。
しかし今日は特別な仕事で訪れている。国王直々の依頼……それをこなすために、こうして夜会の会場に来ているのだ。その自覚はしっかりと持ち続けなければならない。そう思いながら、イオは顔を上げた。
ある程度の家柄の者であれば誰でも出入りできるオープンな夜会。自由に交流を交わせると言えば聞こえはいいが、実際はどんな人間が出入りしていても怪訝に思われないような夜会であるということだ。こうした環境であるために一層、武器の違法取引が蔓延ることとなったのだろう。
その主犯を特定し、捕らえることが今日の自分の任務なのだ。国王に命じられたことを思い出しながら、イオは一つ深呼吸をした。
「おや、君は……」
不意に声をかけられて、イオは視線をそちらへ向ける。そこでにこやかに微笑んでいるのは、この夜会の主宰である男性だった。ミラジェリオ王国内でも有名な、レーシス家の当主、エリル・レーシス。ウォルヴェリア家とも交流がある家であり、今回の任務での、重要参考人であると報告を受けている。
「こんばんは、エリル様」
イオは挨拶を返すと、穏やかな微笑みを浮かべながら恭しく礼をした。普段は表情の変化があまりない彼なのだが、家柄的にも仕事的にも、表向きの笑顔くらいは浮かべることができる。殊更、騎士である自分を警戒させないために、"貴族として"の表情を浮かべることを意識しているのだった。
「驚いたな、まさかウォルヴェリア家の御曹司である君がこんな非公式の夜会に来てくれるとは」
そう言いながら、エリル・レーシスは握手を求める。その手を握り返しながら、イオは緩く笑って、首を振った。
「そんな大した存在ではありませんよ。俺は正当な跡継ぎではありませんから」
肩を竦めながらそういうイオを見て、エリルは幾度か瞬いた。そして顎に手をやりながら、呟くように言う。
「ふむ、そういえばそうだったか……跡継ぎは弟君の方だったか。気を悪くさせてしまっていたら、申し訳ない」
そんなエリルの言葉にイオは微笑んだまま首を振った。
「気にしませんよ。事実ですから」
そう、その言葉は事実なのだ。
イオはウォルヴェリア家の跡継ぎではない。元々ウォルヴェリア家の当主とその妻はイオを跡継ぎにするつもりで家の前に捨てられていたイオを拾い育てたらしいのだが、その後夫妻の間に子供が生まれたのである。
生まれたのは男女の双子。幸い童話によくあるような継子虐めはなく、寧ろ本当の兄弟のように育ててくれた。何より初めは義両親もそのままイオを跡継ぎにしようと話を進めていたのだが、年下とはいえ実際に血が繋がった子供の方が良いだろうとイオが言い、自ら跡継ぎとしての地位を弟のリクソスに譲った形である。
結果的にイオが実子ではないことも知れ渡ったが、ウォルヴェリア家の評判が落ちることはなかった。イオはウォルヴェリア家の子ではないが、とても生真面目で勤勉である事で有名であった。そればかりか、国のトップである国王を守る仕事をしている。そんな彼は名を上げる要因になれども評判を下げるようなことにはならなかったのである。
「君の評判は聞いているよ。この間も、犯罪者を捕まえたらしいね。頼もしい騎士様だ」
イオの機嫌を取ろうと思ったのか、エリルはそう言って微笑んだ。
「えぇ。でもあれは私だけの功績ではなく、仲間の功績でもありますから」
彼はそう応対して、笑う。そんな謙虚さも評判をよくする要因の一つだった。
貴族の世界は厄介なものだ。噂一つで家の名が上がりも下がりもする。場合によっては何気ない当主やその家族の言動一つ、行動一つで家が没落してしまうことすらあるのである。それを理解しているイオはきちんと自分の立場を弁えて振舞うようにしていた。
正当な跡継ぎではないが大きな家の子息としての威厳を忘れず、周囲との関係に気遣い……人当たりが良く、聡明な少年騎士として、上手く振舞う。しかし今はただ、"礼儀正しい騎士"でいるだけではいけない。"釣り"をしなくては。そう思いながらイオはふっと息を吐き出して、言った。
「しかし城で支給されている剣がなかなか扱いにくくて……別の武器を持てれば良いのですが、それが許可されないのです」
そういってイオは困ったような顔をして見せた。蒼い瞳の奥でで相手の様子を窺いながら。
彼の発言に、エリルはすぅっと目を細めた。そして小さな声で"そうなのか"と呟くように言う。その表情が少し思案するものに変わるのを、イオは見逃さなかった。
―― あと一押しか。
そう思いながら、イオはもう一度口を開く。
「事実、今日も武器は置いてきているのですよ。このような華やかな夜会では無粋でしょうし、あんな大きな武器では目立ってしまって、邪魔にもなりますしね」
そう言いながら、イオは自分の腰元……普段騎士としての武器、魔術剣を提げているあたりを軽く叩いた。そして、肩を竦めながら、言葉を紡ぐ。
「もっと小型で扱いやすい武器が欲しいものです。例えば、銃とか短剣とか」
イオはそう言って、わざとらしく溜息を吐きだした。そして、サファイアの瞳で警戒対象の様子を窺う。
「そうか……うん、そうだろうな」
そんなイオの言葉に、ずっと悩むような表情だったエリルが笑みを浮かべた。その瞳はまるで、獲物を見つけた獣のように煌めく。イオは不思議そうに首を傾げて見せた。
「エリル様?」
無邪気を装ったイオにそう問われたエリルは生真面目な騎士を見つめながら、緩く口角を上げた。そして視線を周囲にさっと走らせてから、声を低くして、言った。
「いや、君に良い話があるんだが……ここでは少し人が多い。このパーティーの後に少し時間を取れるかい? ……あぁもし、明日の任務に差し障りがあるならば、構わないのだけれど」
騎士様は忙しいものなぁとエリルは言う。
「話ですか。大丈夫ですよ。シンデレラではありませんから」
そう冗談めかして言うイオにエリルは満足げに笑って、頷いた。
「そうか。それならば良かった。ゆっくり話したいことがあるんだ。パーティーが終わったら地下室に来てくれるかい? ……あぁ、これを持ってきてほしい」
そういいながらエリルが差し出したのは一枚の紙きれだった。真っ白なメモ用紙のような……しかしそれには魔術がかけられていたらしく、手にした瞬間にその紙がぱぁっと一瞬光った。それを見てイオは目を細める。
「これは……?」
「通行証だ。これがないものは"深夜のパーティー"には出られないんだ。招待状のようなものだと思ってくれれば良い」
意味ありげにそういったエリルは軽くウィンクをした後、ひらりとイオに手を振る。
「では、また後程。まだ挨拶ができていない方も多いのでね」
そう言って彼は離れていく。その背を見送った後、イオは手に残された小さな紙切れに視線を向けた。魔力を纏った紙。それを指先でなぞりながら、彼は小さく呟いた。
「……通行証、招待状、ね」
渡された"招待状"をポケットにしまったイオは一度会場を出ると、魔術でその身を浮かせ、高い木の枝に腰かけた。そのまま周囲を見渡しながら、魔力で気配を探る。一応騎士としての振る舞いは抑え、一貴族としての動きをしたつもりではあるが、盗聴されたり、後を尾けられたりしている恐れもある。そう思いながら気配を探ったが……どうやら誰も近くには居ないようだ。安堵の表情を浮かべながら、イオは通信機を手にした。
「どうかした? イオ」
幾度かの呼び出しの後、通信機越しに聞き慣れた声が聞こえた。心配そうに問うそれはイオにこの任務を託した国王……アズルの声だ。イオが持っている通信機は、任務の際に何か必要なことがあればこれを使って連絡をしてほしい、とアズルに渡されたものである。イオはアズルの声を聞くと、押し殺した声で主人に告げた。
「アズル様、恐らくですが任務は達成できそうです」
通信機越し、彼がはっと息を呑んだのがわかる。
「本当かい? 良かった……もう戻れそうかな」
安堵したような声色。一騎士でしかない自分を案じてくれる優しい国王の声にイオは目を細める。そしてゆっくりと首を振って、言った。
「いえ……ほぼ確定とは思いますが、決定的な証拠は押さえられていませんので。接触が可能になりましたので、今日このまま現場を押さえようと思います」
先刻の反応や渡された怪しい紙を持ち帰れば、恐らく追及は出来る。しかし、決定的な証拠とは言い難いのも事実だ。ただの余興のための紙であっただとか、イオの早とちりだと言って逃げられることも想像に容易い。上手く信用を得ることができた以上、きちんと現場を押さえ、主犯であると思われるエリルは勿論、関係している者を把握し、捕らえるべきだろうとイオは言った。
「それは、その方が良いだろうけれど……大丈夫かい? その場にいるのは、愉快なことではないだろう」
通信機の向こうで、アズルが心配そうに言う。イオの実力を疑っている訳ではなく、単にイオの感情面を心配している様子の彼。そんな彼の優しさは、イオもよくよく知っている。
本当に、優しくて不思議な国王だ。国王である彼が一言命じれば、自分たち騎士はその通りに動くというのに。そうして"使われる"ことだって、自分は嬉しく思うのに。……否、そうしない彼だからこそ自分たちは、愛しく思うのだろうけれど。そう思いながらイオは口を開いた。
「大丈夫です、アズル様。ただ、私単独で動いている以上、万が一ということが考えられますので……」
そこでイオは言葉を切った。万が一、というのは正直考えたくないのだが、事実自分一人ではどうしようもない事態が起きないとも言い切れない。そうなった時の保険として、誰かが傍に居てくれたら、とイオは思ったのである。
そんな彼の想いを悟ったように、通信機の向こうでアズルは頷いたようだった。
「あぁ、わかったよ。念のためそちらに誰かを送っておこう。レキが良いかな」
彼ならば、君との連携も取りやすいだろう。優しいアズルの気遣いにふっと表情を緩めながら、イオは返答した。
「ありがとうございます、アズル様。必ず、貴方の信頼に応えて見せます」
そう答えながら、彼は表情を引き締める。此処まで来た以上、現場は必ず押さえて見せる。逃がすつもりはない。大切な人間……アズルが命じた任務を必ず遂行するつもりだ。そんな想いを込めて、イオは言った。
「うん、頼りにしているよ。……でも、無理はしないで、気を付けて」
アズルはそういうと、通信を切った。それを確認したイオは通信機をしまうと、ふぅっと息を吐き出して、呟く。
「……さぁ、行くか」
貴族たちが集う夜会という場所に正直少なからず気疲れはしているのだけれど、まだ気を抜くことはできないのだから。改めてそう思いながら、イオは強く拳を握りしめたのだった。