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第三章 夢と単独任務

 久しぶりに夢を見た。幼い頃の夢、幼い頃の記憶を。

 最初の記憶は、大きな屋敷で綺麗な服を着せられているところだ。母と思しき女性に、"大人しくしていなさいね"と声をかけられて、会場に連れて行かれる。沢山の綺麗な恰好をした大人と子供とが行き交い、笑い合う場所……それが、イオの最初の記憶だった。当時の自分は柔らかな亜麻色の髪をしていた。瞳は今と変わらない鮮やかなサファイアブルー。そんな自分の姿を今でも覚えている。

 幾度も連れて行かれた社交界。賑やかな大人たちの笑い声、話し声。その中に居るのは落ち着かなかったけれど、自分を育ててくれる両親には感謝していたし、"ウォルヴェリア家の子供"としてちゃんとしていなくてはならない、と幼いながらにイオは思っていた。


 それが変わったのは今からおよそ十年前。あの日、イオは一人で屋敷の外に出掛けていた。その日はどうにも虫の居所が悪く、習い事嫌さに外に逃げていて……その時、不意に悪魔に攫われたのだ。醜悪な容貌をした力の強い悪魔だった。魔力の使い方も知らない、けれど確かに天使の子であるイオを捕らえ、我らの敵だと罵り、呪いをかけた。


―― 忌々しい天使よ、苦しみながら死ぬがいい。


 悪魔がそう言って笑っていたのを、幼いながらの記憶に覚えている。体を蝕んでいく悪魔の魔力。一度に命を奪うものではない、長い苦痛を与える呪いは、幼い子供を容赦なく喰らっていった。

 体が痺れ、言うことを聞かなくなっていく。助けを呼ぼうにも声が出ない。一歩も、体を動かすことは出来ない。もう駄目だ、死ぬんだ。そう思って意識を手放して……――

 目が覚めた時には、柔らかいベッドに寝かされていた。目が覚めた時、心配そうに覗き込んでいた少年の綺麗な緑の瞳を覚えている。あれがこの国の王子だと気づいた時には、流石に驚いたけれど……あれが今、こうして騎士になったきっかけだと思うと、運命さえ感じる。


 そんな頃の夢を見る。天使であったころの夢、天使ではなくなった時の夢、そしてその後の夢……――それを、繰り返し、繰り返し、何度も見てきた。


 と、その時。夢の画面が切り替わる。あれ、と思った。いつも見ている夢ならば、此処で夢は終わって、目が覚める。しかし今日は、何だか少し違っていた。目の前の景色が揺らぐ。どうして、とイオが思うと同時、目の前にぼんやりとした姿をした少年が現れた。

 柔らかい緑の髪に、淡い紫色の瞳。真っ黒の、鴉のような装束を着た、見たことのない少年だった。騎士の制服すら着ていないため、この国の騎士ではなさそうだ、と冷静に分析する。


「お前は?」


 そう思いつつ、唐突に自分の夢に現れた少年にイオはそう問いかけていた。夢なのだから、何を聞いてもしょうがないだろうに。

 少年はイオの問いかけにゆっくりと首を振った。


「今は、まだ。そのうちに、会えるから、その時に」


 呟くような声。柔らかくて、幼い声だ。イオは自分より少し年下の子供……だろうか。何度記憶を探ってみても、見たこともない人物だった。……見たこともない人間が夢に出てくるなんて、奇妙ではあるけれど、魔力に満ちたこの国では、決して珍しいことではない。


「そのうち、会える、ね」


 そう呟いてイオは軽く肩を竦めた。自分の記憶にはない不思議な少年の名が気になったのは事実だが、もうそろそろ夢も覚めるだろう。どうせ夢の記憶は消えてしまうのだろうし、少年の名前を聞いたところで意味もないはずだ。ただ何処かで見かけた子供の姿が脳内で勝手に再現されているだけなのだろうし。


 イオがそう思った、その時。


「気を付けて、天使の子。これから、君は……――」


 聞こえた声に、イオは振り向く。そこに立っていた少年の淡い紫色の瞳が、ぼうっと光っていた。不気味、というよりは神秘的に、鮮やかに。


「え……」


 お前は今、何を言ったんだ。上手く聞き取れなかった言葉を聞き返そうと思うのと同時。意識が浮上した。


***


「……何だったんだ」


 目が覚めても、夢の記憶はしっかりと残っていた。それも、一番最後に見たあの少年の姿が、何よりくっきりと記憶に残っている。気を付けて、という少し硬い声も……彼が自分を、"天使の子"と呼んだのも。

 一体何だったのだろう。ぼうっとした頭でそう考えるが……どれだけ考えても思い当たる節はない。当然友人でもないし、おそらく騎士団の騎士でもない。親戚か、あるいは……パーティーとかで出会ったか? 否、あの時立っていた少年はそんな高貴な存在には見えなかった。どちらかといえば、聖職者のような……否、どちらかといえば占い師のような容姿だったか。そう思いながら、イオはふぅっと息を吐き出して、首を振る。


「……気にしていても仕方ないか」


 所詮は夢だ。予知夢なんてものを見たことはなかったし、あの少年だって初めて見たもの。もしかしたら何かを警告するような夢だったのかもしれないけれど……一体何だったのかと悩んだところでどうせ答えは出ない。


―― とりあえず、任務の時には十分に気を付けるようにしよう。


 イオはそう思いながら、制服に腕を通した。


 ブラウスを着て、クラヴァットを巻く。白色を基調とした制服はこの国の騎士であることを示すものだ。制服の襟のバッジの数と袖章で階級がわかる。それは、イオにとって誇りだった。初めてこの制服を身に付けた時には、とても緊張した。ずっと憧れていた、王国を守る騎士。それに自分がなるのだと思うと怖くもあり、楽しみでもあった。最初は着るのにも不慣れだった制服も、今ではすっかり着慣れた。制服をもらったばかりの時にはなかったバッジもいつの間にか増えていて……


「……御恩返しが出来ているだろうか」


 イオはそう思いながら息を吐き出す。想いを馳せるのは、大切な存在。この国のトップである青年、アズルのことだ。優しい国王。あの日、死を待つばかりであった自分を助けてくれた彼への恩返しのために自分は騎士になった。あの時は助けられるだけだった自分だが、今は彼の力になれているだろうか? 

 イオがそんなことを考えていた時、軽いノックの音が部屋に響いた。


「イオ、起きてるか?そろそろ行かないと遅れるぞ」


 聞こえたのは、親友の声。時計を見れば、いつもならばとっくに仕事の確認をしに、集会室に集まっている時間だった。


「ごめんレキ、すぐに行く」


 先に行ってて、といって、イオは身支度を整える。そして急いで部屋を飛び出していった。その時にはすっかり、あの夢のことも、夢の中で見た少年のことも、すっかり忘れてしまっていたのだった。


***


「珍しいな、イオが遅刻するの」


 集会室に行くと、彼の言葉に従って先に集会室に向かっていたレキがそう言った。イオは苦笑を漏らしつつ、彼の隣に立つ。


「ちょっと寝坊してな……ぼうっとしていた。起こしに来てくれて助かったよ」


 イオはそう言って頬を掻く。レキはそれを聞いて、気にするな、というように笑った。そして、不思議そうに首を傾げる。


「でもそれも珍しいよ、イオが寝坊な……昨日眠れなかったのか? 大丈夫か?」


 眉を下げ、様子を窺うように問いかけるレキ。元々やや心配性な性格の彼は、イオとの付き合いも長い。心配をしてくれているのだろう。そう思いながら、イオはそんな彼に微笑みかけて、軽く手を振った。


「大丈夫だ、ちょっと気にかかることがあってな」

「気にかかること?」


 レキはイオの発言に首を傾げる。そして質問を重ねようとした、その時。


「イオ、何してんのさ、こんなとこで油売ってる場合?」


 聞こえたのは幼げな少年の声。ぱたぱたと駆けてきた白髪の少年……ルガルは目を吊り上げながら、イオを見上げる。今日初めての会話だというのに唐突に怒られたイオは蒼の瞳を瞬かせた。


「な、なんだ、ルガル……一体どうした?」


 イオがそう問いかけると、ルガルはびしっと掲示板の方を指さして、言った。


「まだ確認してないの? 陛下からお呼びがかかってるよ。何したのさ?」


 わざと三角にしていた目を細め、揶揄うようにくすっと笑ってそういうルガル。どうやら彼は怒っている"ふり"をしてイオを揶揄おうとしたらしい。イオは彼の発言に苦笑しつつ、首を振った。


「何もしてないよ……おそらく、何か任務だろう。こういった場所で公に話せないような任務だってあるんだし」


 基本的にはこの場所で任務内容を告げられるのだが、時折国王直々に、或いは依頼者から直々に依頼内容を告げられることもある。あまり多くの人間に知られてはならない内容であったり、依頼者の要望であったり、理由は様々だが、決して珍しいことでもない。イオがそういうのを聞いて、ルガルは緩く口角を上げ、肩を竦めた。


「ま、そうだろうね。イオはアズル様のお気に入りだしぃ……痛っ、叩かないでよアルマ!」


 意地悪な声でイオを揶揄っていたルガルが唐突に悲鳴じみた声を上げた。その原因は、彼の後ろに立っている。


「貴方がそういうことばかり言うからですよ。教育的指導です」


 やれやれと溜息を吐き出すのはルガルを叩いた本人……アルマで。ルガルの相棒的な立ち位置であり、昔から何かと面倒を見てやっているアルマはルガルが乱暴な発言をしたりするとこうして指導しているのだった。彼に叩かれたところを擦りながら、ルガルはむくれたような顔をする。


「もう……そんなにぽかぽか殴らないでよね。痛いし背が縮んじゃう」


 そう言いながら不服そうな顔をするルガル。それを聞いてアルマはふわりと笑みを浮かべながら言った。


「痛くない程度に叩いてますよ」

「暴力反対。アルマだっていつも暴力は良くないっていう癖に」


 ルガルは拗ねたように唇を尖らせたまま、呟く。じとりとした視線を向けられつつも、アルマは涼しい表情を浮かべたままだ。


「暴力と指導は違いますよ。今のはどう考えても、ルガルが悪いでしょう」


 あっさりとそう言ってのけたアルマにイオとレキはくすくすと笑った。

 一頻り笑った後、イオは時計を見上げた。気が付けば、大分時間が経っている。そろそろ行かなければ、と一つ息を吐いた彼は、レキにひらりと手を振った。


「じゃあ、俺は陛下のところに行ってくる。レキ、また後でな」

「ん、おう。行ってらっしゃい」


 レキはイオを見送る。真っ直ぐ歩いていく彼の姿に違和感は特段ない。至極いつも通りだ。しかしそんな彼を見送るレキの表情は少し、心配そうなものだった。


「……どうしたのさレキ、イオがどうかした?」


 そんな彼の様子を見て、怪訝そうな顔をしながらルガルは問いかける。レキは少しだけ迷う顔をしてから、口を開いた。


「いや……大した事じゃないんだけど」

「何だよ、歯切れ悪いな」


 ルガルは少し苛ついたような顔をした。彼ははきはきとした性格で、言葉を濁されることを嫌う。そんな彼の性格も良く知っているレキは苦笑を漏らしつつ、軽く首を振った。


「ほんとに、ちょっとしたことなんだよ、大丈夫……だと思う」


 不安、というにはあまりに漠然としている。かといって何でもないかと言われれば、そうでもない。言語化するのは難しい感情にレキは困ったように眉を下げる。そんな彼を見て、アルマは小さく首を傾げた。


「心配事ですか?」

「……ん、本当に何でもないんだ。俺が勝手に気にしてるだけだから。話ややこしくしてごめん」


 レキはそう詫びた。やはり、この漠然とした不安を口にして、仲間まで不安にさせたくはない、と自分の中で飲み込むことにしたのだった。アルマは暫し心配そうな顔をしてレキを見つめていたが……無理に聞き出すことはせず、穏やかに微笑んで見せた。


「何かあったら相談してくださいね」


 そう言って笑うアルマの声音は優しい。


「紛らわしい顔しないでよね」


 ルガルもそう言って、ぷいとそっぽを向く。しかしそんな彼もまた、"何かあったならちゃんと言ってよね"と言うのだ。それを聞いて、レキはふっと微笑んだ。


―― イオのこと、大事に思ってくれてるんだな。


 昔から、イオのことをよく知っているレキだからこそ、イオにあまり友人がいないこともよく知っている。イオは決して人嫌いという訳ではないはずなのだが、少し不器用な彼は人との関係を作るのがあまり上手くない。だからどうしても組織の中では浮いてしまいがちでレキも心配していたのだが……共に過ごす時間が多い仲間たちは、きちんとそんなイオのことも大切に思ってくれているらしい。それを理解することが出来て、レキは安堵したように目を細める。


 レキが気にしていたのは先程のイオの発言……気にかかることがあった、という発言だ。結局レキ自身も聞き出すことが出来なかったのだけれど、イオが普段ああいったことを口にすることはないものだから、余程何かあったのではないかとレキは不安に思ったのである。

 しかし、おそらく自分の杞憂だろう。もし本当に何か拙いことならば、彼はきちんと口に出して、相談してくれるはずだ。レキはそう思いながら、自分の任務の内容を確認しに向かったのだった。


***


 最近では大分通いなれた、国王の部屋。初めて赴いた時にはがちがちに緊張していて、アズルに笑われたものである。そんなことを考えながら、イオは国王……アズルの部屋の前に立つと、軽くドアをノックした。


「アズル様、イオ・ウォルヴェリア、ただいま参上いたしました」


 どうしてもこの瞬間は少し、緊張する。やや硬くなった声で名乗るとすぐに、部屋の中から返答があった。


「あぁイオか。どうぞ、入って」


 鍵は開いているよ。そんな声が室内から聞こえてくる。全く警戒心のない声を聞いてイオはふっと笑みを零した。彼……アズルは、相変わらず警戒心というものが薄い。それは問題であると同時に、彼の良さでもあるとイオは思っていた。

 普通、国王という地位にもなれば、部屋に入る人間に危険がないか確認するべきだろう。こうしてあっさり入室を許すこと自体が、間違っているといえば間違っている。例え聞こえた声が、名が、自分の良く知る騎士のそれなのだとしても、警戒はすべきだろう。けれど、そうして人を疑うことを知らない純粋さが、イオは好きだった。


「失礼致します」


 そう声をかけて部屋に入れば、アズルは机に向かって本を読んでいた様子だった。ぱたり、と本を閉じた彼はイオを見て、すまなそうに眉を下げた。


「ごめんね、朝から呼び出してしまって」

「いえ、私の方こそ遅くなってしまって申し訳ありません、陛下」


 そう言ってイオは頭を下げる。アズルはそんな彼の言葉に緩く微笑んだ。


「早く、要件を話しちゃおうか。今日君を呼んだのは、ある任務を君に任せたくて、ね」


 そこで一度言葉を切ったアズルはそっと溜息を吐き出す。何処となく愁いを帯びた表情で。イオはそれを見て、背筋を伸ばす。……きっと、良い話ではないのだろうと予感しながら。


「君にとっては、嫌な仕事かもしれないんだけど……パーティの、潜入捜査なんだよ。最近武器の違法取引が目立っていてね。ウォルヴェリア家の子である君ならば違和感なく紛れ込めるだろう。君に頼みたいんだ。君はしっかり者で、由緒正しい家柄の子だから」


 イオはその言葉にほんの少しだけ、眉を寄せた。イオは貴族が苦手である。嫌っている、といっても可笑しくないほどに。故に、表情を歪めてしまったのだ。しかし、同時にイオはアズルの優しさも理解して、すぐにその表情は緩んだ。アズルの表情が暗い理由は、そんな仕事をイオに任せるのを少し躊躇っていたためだろう。しかも、"家名が有名だから"と言う理由で任務を命じられるところを他の騎士に見られれば余計なやっかみを受けるかもしれないという懸念もあるために、こうして呼び出して個別に任務命令を下したのだろう。


「ごめんね、気が進まないよね」


 それでも、イオが顔を歪めたのはわかったようで、アズルはすまなそうに詫びた。今にも、"嫌ならば他の子に"と言い出しそうな彼に向かって微笑んで見せながら、イオは首を振った。


「……お気遣い、有り難う御座いますアズル様。でも、私は大丈夫です」


 確かに貴族は苦手だ。出来得ることならば、あまり関わりたくない。アズルに告げられた任務は確かに気が進まないものだ。しかし、国王(アズル)のためならば遂行してみせる。イオがそう言うと、アズルはふわりと表情を綻ばせた。


「有り難う、イオ。とても頼もしいよ。……ごめんね、お願いね」


 そう言って微笑むアズルを見つめ、イオはサファイアの瞳を細めながら、力強く頷いて見せた。

 この優しい国王を守るため、彼の憂いを払うためならば、どんな仕事でもこなしてみせる。心の底から、そう思いながら。


 

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