第二章 大切な仲間達
「ふぅ……」
イオは溜息を吐き出して、そっと髪を掻き揚げた。
国王であるアズルの前ではいつも通りに振舞って見せたが、今の彼の顔には色濃く疲れが浮かんでいる。ゆっくりと歩きながら、イオは無意識に自分の腕に触れていた。そっとそこを擦った、その時。
「どうした、イオ」
不意に声をかけられて、イオは驚いたように視線を上げる。そこには長い緑髪の少年の姿。それを見てイオは安堵したような表情を浮かべた。
「ちょっとな……」
そう言って、イオは曖昧に笑う。そんな彼の反応に、緑髪の少年は眉を寄せた。
「何だよイオ……俺に言えないようなことか? 浮かない顔をしてるお前を放っておくことが出来るほど俺は薄情じゃないぞ」
少し拗ねたような顔をして、少年は言う。イオはそれを聞いて青い瞳を細めた。優しい彼に、無暗に心配をかける訳にはいかない。そう思いながら、彼は軽く肩を竦めた。
「いや、大丈夫だよレキ……いつものことだ」
そう言って苦笑するイオ。彼の発言にレキと呼ばれた緑髪の彼は一瞬大きく目を見開いて……溜息を吐き出した。
「……また絡まれたのか」
乱暴に髪を掻き揚げ、うんざりしたような声音で言うレキに、イオは小さく頷いた。そして溜息混じりに言葉を紡ぐ。
「あぁ……帰り際に腕を掴まれてな。城勤めなど辞めてうちに来い、だと。お貴族様たちからしたら俺たちはお人形さんなんだろう。護衛として、騎士としての価値なんて見ちゃくれない」
そういって溜息を吐き出すイオもまた心底うんざり、といった表情だ。先刻も無意識にそうしていたようにそっと自分の腕に触れている。恐らく、下世話なことを言ったその相手に掴まれた部分だろう。レキはそれを見ると少し眉を寄せて、そっと彼の腕を撫でた。
レキ・サンディアス。彼はイオの親友だ。アズルへの恩返しで騎士団に入るといったイオについて来た形で、一緒に騎士になった。優しく穏やかな性格で友人も多いが、彼の見た目を避ける者もいる。レキは前髪を長くのばし、顔の右側を隠していた。髪が風で乱れること、それ故に瞳が見えるようになることは意地でも避けようとする。騎士含め彼の周囲の人間は色々な噂をした。顔の半分に酷い火傷を負っているとか、右目が無いだとか。真実は、イオを含めた一部の人間だけが知っている。
「レキは……そういう目に遭ったことがないのか。家に来い、とか」
イオは少し躊躇いつつそう訊ねる。するとレキは面白がるようにくすりと笑った。そして少しだけ前髪を払って、言う。
「多少はあるけど、俺はイオとはまた違う目的かな……こういう目の人間は珍しいから、見世物にでもするんだろう」
そう言ってレキが晒すのは、彼の瞳。それは赤色だったかと思えば緑色に変わり、そうかと思えば赤に戻る。彼が顔の右半分を隠しているのは、これが理由だった。光の加減や彼の魔力の状態などによって色が変わる、不思議な瞳。オッドアイともまた少し違う特殊な瞳は、人目を惹くと同時に、疎まれもする。気味が悪いと言われたことも少なくはない、とレキ自身が苦笑混じりに話していたのを覚えている。
「愛玩用というよりは見世物用だろうな。……どっちが良いかは、わからないけど」
肩を竦めながらやや自嘲気味に言うレキ。イオは眉を寄せて、彼を窘めた。
「そういう言い方をするものではない。俺は、お前のその瞳が好きだ」
燃える炎のような鮮やかな赤。萌える木々の芽のような緑。そのどちらの色も好きだ。まるで宝石、アレキサンドライトのようなその瞳は美しいと思う。不思議な色彩だと思うことはあれど、不気味だなどと思ったことはない。迷いない声音でイオがそう言うと、レキは少し面食らったような表情を浮かべた。赤の瞳が揺れる。しかしすぐ、照れたように表情を緩めた。
「……ありがとう。イオにそういわれると、何だか嬉しいよ」
そう言いながらレキはそっとイオの頬に触れる。そして細い指先でそっと彼の眼の下をなぞって、笑った。
「俺はイオの綺麗な青い目好きだけどな。海みたいで、綺麗だ」
まるで先刻のお返しのようにレキは言う。それを聞いたイオは大きく目を見開いた後、少しはにかんだ表情を浮かべた。
「……有り難う。……嗚呼、確かに真っ向からそういわれると照れるな」
そう呟きながら視線を逸らすイオの頬は赤い。昔から変わらない照れ屋なイオに目を細めて、レキは彼から手を離した。それから、真剣な表情を浮かべ、彼に言う。
「……でも、アズル様に伝えて早い所対応してもらった方が良いんじゃないか。騎士に手を出そうとする貴族が増えているって……」
眉を寄せながら、レキは言葉を紡いだ。イオは彼の言葉に目を伏せ、そして溜息を吐き出しつつ、頷く。
「言おうと思った。……でも、今日のアズル様は穏やかに笑っておられたから口に出せなくて」
そう。先程アズルに今日の任務報告に行ったとき、彼が伝えるのをやめたのは、そのことだった。
最近城下町で騎士が暴行の被害に遭う事件が相次いでいるのだ。路地裏に連れ込まれかけたり、それを拒んだことで生意気だと殴られたりした者も少なからずいる。それだけではなく、その家お抱えの"男娼"にならないかという誘いもあるのだ。事実、イオも誘われた。彼は天使の血を引いているだけあって可愛らしい顔立ちをしているし、何よりステータスとして見目の良い、尚且つ護衛として使うことも出来る騎士を傍に置きたいと貴族たちは思うようだった。
「随分となめられたものだ。自分よりも地位が低いものを他者に見せびらかすための所有品とでも思っているんだろう」
吐き捨てるように言うイオ。彼の瞳には強い怒りの光が点っていた。レキはそれを見て苦笑する。
「お前の貴族嫌いも大概だな」
「当たり前だ。この国の貴族の多くはその身分を笠に着て……っ」
そこまで勢いで口に出したイオは一度落ち着こうとするように息を吐き出す。そして呟くように言った。
「……まぁ俺自身もそうだが、な。貴族という身分はどうしても、周囲を見る事が出来なくなるようだな」
哀しいことだよな、とそう呟くように言うイオ。その青の瞳にはやるせなさが滲んでいた。
「……そうだな」
レキもまたそう言って溜息を吐き出した。彼の親友であるイオは、ウォルヴェリア家の子息。有名貴族の子だ。しかしそんな彼は誰よりも貴族の横暴に怒り、悲しんでいるのだ。彼の家であるウォルヴェリア家は目立った悪行などは行っていないが……この国の貴族の多くは誘拐や少年少女に対する暴行、金の横領などを平然と行うものが多い。傷害事件を起こしたりする者もいる。しかし、"権力"がある者ならば、その罪をほかの人間に押し付けたり、罰を受けずに済んだりしてしまうような世界なのだ。
勿論騎士たちはそれを許さない。国王も許したくはないのだけれど……貴族の中には相当の力を持つ家も多く、下手なことをすれば騎士団が、国が潰されかねない。アズルはまだそんな貴族たちに対する最適な対処法を見つけることが出来ずにいるのだった。
それを指摘すれば、国王は悩む。自分がもう少し力があれば、と。それはイオやレキ達も、よく知っていた。
「……向いていない、んだろうな。国王という地位自体が」
レキは呟くようにそう言った。イオはそれを聞いて少し眉を顰める。彼の表情を見てはっと息を呑んだレキはひらひらと手を振って、慌てて言葉を付け足した。
「……あぁ、勿論貶してるわけじゃないよ」
そして少し困ったように頭を掻いて、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「アズル様は優しすぎるんだよ、もう少し厳しくないと……傷つくのはアズル様ばかりだろうな、って。貴族相手にせよ騎士相手にせよ民衆相手にせよ、強いことは言えないだろう? しかもそれは気が弱いからじゃなくて、相手のことを気遣ったが故、なんだよなぁ……」
だから、向いてないと思うんだ。レキは言葉を選びながらそう言った。
彼……アズルは、国王に向いていない。彼はあまりに優しすぎるのだ。時に冷酷にならなくてはならない状況も在り得る国王という地位はきっと彼には重た過ぎるだろう。そう思いながら、レキは悲しげに息を吐き出した。
イオは彼の発言に納得したように頷いた。そして愁いを帯びたような表情を浮かべて、呟く。
「確かにそうだな……あの方は優しすぎるんだ、その点では確かに……」
その先は口に出さない。理解してはいても、彼を貶すつもりが無くても、"向いていない"という発言をしたくないのだろう。そんなイオを見て微笑むと、レキは言った。
「でも、だからこそ……俺たちがいるんだよな。アズル様が悲しんだり苦しんだりすることが無いように……少しでも、危ない人間を取り締まるんだよな」
それが俺たち騎士の仕事だ、とレキは言う。優しすぎる国王のため、その代わりにというと誤解があるかもしれないが……そんな彼の心を守るために、彼を悲しませないようにするために、国を脅かす存在を捕らえる。そのために自分たちが居るのだとレキは少し誇らしげに言う。
「……あぁ、そうだな」
確かにそうだ。確かにそれが、自分たちの務めだ。そう思いながらイオも小さく頷いた。
もう既に真っ暗になっている外。ちらちらと星が煌めいている。それを見上げたイオはふっと表情を緩めて、言った。
「そろそろ夕食だな。食べそびれると大変だし、行こう、レキ」
イオは友人にそう声をかける。レキは彼の言葉に微笑みながら頷いたのだった。
***
二人はそのまま食堂に向かう。賑やかな食堂には既に騎士たちが集まっていた。席は少しずつ埋まってきており、その様を見てレキはぱちぱちと瞬く。
「あちゃ、少し出遅れたかなぁ」
「そうかもな」
そう言って、二人は苦笑する。仕事を終えた騎士たちが戻ってくる時間はどうしても重なる。そのため今は丁度食堂が混雑し始める時間なのだ。体を使う仕事も多い彼らだ、仕事が終わって帰ってくれば当然空腹にだってなる。そんな騎士たちが集まっていて座れない、なんてこともしばしばあることだった。
一旦部屋に戻って、時間をずらそうか。そう思いながらイオが息を吐き出した、その時。後ろからどん、と誰かに軽く小突かれた。
「っ、何……」
「そんなところで突っ立ってたら邪魔になるよ」
少年にしてはやや甲高く、つっけんどんな口調。振り向いたイオの視線の先に居たのは、声の主である少年だった。ふわふわとした白髪に鮮やかな紅色の瞳は兎を想起させる。その姿を見て、イオは蒼の目を細めた。
「ルガル、お前もこの時間だったのか。珍しいな」
イオは言う。彼の発言に白髪の少年はきゅっと眉根を寄せて、言った。
「失礼だなぁ……この見た目だからって、帰りが早い任務ばっかり任せられるわけじゃないんだよ?」
ナメないでよね、と憤慨したように言う少年。拗ねたように唇を尖らせる姿を見て、イオは苦笑混じりに呟いた。
「馬鹿にしたつもりはないんだが……すまない、ルガル」
彼の名前はルガル・ニアス。この騎士団でイオやレキ達と一緒に入団した、同期生だ。見た目こそまだ十歳そこそこの子供に見えるが、実際はイオたちと同い年。しかも戦闘能力も人並み以上。甘い顔立ちとお得意の猫かぶりで潜入捜査のようなことも出来る有能な騎士だった。
「とりあえず邪魔だよ、それ位想像出来るでしょ?」
……少々口の悪さが目立つのが玉に瑕だが。愛らしい顔に似合わず、彼は言うことがキツい。流石に仕事中は控えているようだが、仲間への当たりが強いことで有名な彼は他の騎士と衝突することもなかなかに多いのである。
そんなことをイオが思っていれば、ルガルの後ろにすっと大きな影が立った。そしてそのまま、ルガルの頭をぽかり、と叩く。
「痛いっ」
小さく悲鳴を上げたルガルはむっとして振り向いた。そして、自分を叩いた人物に言う。
「痛いよアルマ、何するの」
「ルゥ、いい加減にしなさいな。貴方はすぐにそういう振る舞いをするんですから」
赤髪の青年は聞き分けのない子供を叱るように言う。ルガルはそんな彼の言葉を聞いてもなお鬱陶しそうな顔をしていた。見慣れた光景に、レキは苦笑を漏らす。
「大丈夫だよアルマ、俺たちもわかってるから」
ルガルの口の悪さも、つっけんどんな態度が彼なりの信頼の証だということもわかっている。しばしばその言葉が刺さることもあるが、それもご愛敬だ。そんなことを想いながらレキはひらひらと手を振って見せた。
「……なんかその言い方腹立つんだけど」
レキの言葉に一層むくれるルガル。じとりとした視線をレキに向けている。そんな彼を見て、アルマと呼ばれた青年は"ルゥ"とまたルガルを窘めた。
この落ち着きある青年の名はアルマ・オルフィーナ。ルガル同様イオたちの同期生だが、彼はイオ達より少し年上だ。長い赤髪を背に流し、鮮やかな葡萄酒色の瞳を持つ彼は華奢で見た目こそ頼りないが、彼はこの騎士団でも有数の剣士であったりする。また、騎士でありながら宗教家でもある彼は人々からの信頼も篤い。騎士として、人として尊敬されることの多い人物で、イオ達からしても頼れる仲間だった。
「喧嘩をしてはいけませんよルゥ」
溜息まじりにアルマはそういう。ルガルはその言葉に、唇を尖らせる。しかしアルマをこれ以上怒らせたくなかったのか、イオやレキに何か言うことなく歩き出した。
「……入るなら早く入りなよ、邪魔になるしどんどん入れなくなるよ」
付け足すようにそういうと、彼はアルマと一緒にさっさと食堂の奥に入っていった。どうやら、一緒に食べるつもりはないらしい。時々この四人で一緒に食事をとることもあるのだけれど……今日は、どうにも機嫌が悪いようだ。
「まぁ、ルガルにも色々あるだろうし、虫の居所が悪い時もあるさ……イオもあんまり気にすんなよ」
レキは笑いながらそういう。そんな言葉にイオは小さく溜息を吐いて、レキの頭を小突いた。
「気にするな、は俺の台詞だ。お前の方がよほど落ち込んだ顔をしている」
ルガルがどう思っているかはわからない部分があるが、レキ自身は彼のことを大切な友人であると思っている。だからこそ、ああいった態度を取られるのには少し落ち込んでいるのだろう。軽口だとわかっているといっても、全く落ち込まないかと言われれば、そうでもない。
そんなイオの言葉にレキは少し驚いたように瞬きをする。それからくすりと笑って、レキは肩を竦めた。
「ありがとな。気にしないようにするよ。とりあえず、飯にしようか」
レキはそういって、食堂の中を指さす。少しずつ賑やかさが増している。早く行かないと、ルガルの言う通り、本格的に中に入れなくなるかもしれない。そう思いながら、イオはレキと一緒に食堂に入っていったのだった。
***
―― 静かな、城の中庭。
そこに佇むのは、柔らかな緑髪の少年。淡い紫色をした瞳で、賑やかな城の中を見つめている。真っ黒い服を身に付けた彼は、まるで鴉のようだった。ぼうっと一瞬、そんな少年の瞳が光る。そしてその少年は愁いを湛えた表情を浮かべた。ふ、と小さく溜息を吐き出し、呟く。
「ああ、始まってしまう……な。何処まで、伝えられるだろうか」
静かな独り言。それを聞く者はなく、暗い中庭の中に吸い込まれていくばかり。暫しその場所から賑やかな城を見つめていた少年は、宵闇に溶けるように姿を眩ませたのだった。