表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第一章 優しい国王と翼を失った天使


 ぱたり、と本を閉じる。分厚く、古い本。そのページを捲っていた色白な手で青年はそっと、その本の埃を払う。

何度も読んだ、古い書物。その文章はもう、一字一句間違わずに暗唱することができる。この世界に降りてきた天使の話。地上の危機に王国の危機に天から舞い降り、国を救う救世主……それが、聖なる存在、天使。この本に描かれた挿し絵が、青年は好きだった。幼い頃から何度も読んだ本。気に入りの挿し絵があるページはもう癖がついてしまっている。それは国王の隣に天使が立つ絵。美しい純白の翼を持った天使が国王の前に跪く姿はまるで宗教画のようで。

 この国……ミラジェリオ王国には天使の加護があるという。国を治める人間……国王や王女は天使の声を聞くことができるという、そんなお伽噺……――


「あれは強ち嘘ではなかったのかもしれないな」


 青年はそう呟いて微笑む。そして閉じた本を本棚に戻して息を吐き出した。視線を窓の外に向ければ既に夕焼けに染まった景色が見える。そろそろ愛しい彼らが帰ってくるだろう。そう思いながら、青年は目を細めた。


***


 大陸の一角にある、小国……ミラジェリオ王国。裕福な国で、街は栄えている。行き交う人々は華やかな衣装を纏い、夜会や茶会を開くのが好きだ。……尤も、それは国民の一部。所謂貴族の話なのだけれど。

 そんな貴族たちの護衛等を請け負うこともあるのが、この国の専属騎士……クヴァリーテーツヴァイン城に集う騎士たちである。ミラジェリオ王国騎士団。隣国でありこの国の国王の親族が治めるイリュジア王国のディアロ城騎士団より小規模で少数の騎士団ではあるが、その実力はたしかなもの。国内の治安維持や貴族王族の守護等を請け負っている。


 この国の国王はアズル・フィオーレ。三十歳手前にして国を治める若き王はさぞかし威厳ある人物と思われることだろう。しかしその実、その青年は"少年"と呼んでも遜色ないような、可愛らしい青年であった。

 先代の王……アズルの父親、メディスは勇ましく凛々しい王だった。彼が国を治めていたならば、この国は安泰であろうと言われていたほどに。しかし、彼は健康を害した訳でもその権威が失墜した訳でもないのに、息子に王位を譲ったのだ。その理由は次代の国王、アズルをより強い王に育てるためと実しやかに囁かれていた。というのも、アズルはミラジェリオ王国の国王にしては珍しい性格だったからで。


 この国は貴族が強い力を持っているために国王は威厳ある存在である必要がある。隙を見せれば、国王が貴族の傀儡となりかねないからだ。しかし当の本人……アズルは穏やかで争いを嫌う性格だ。戦闘技能も低く、魔術も補助や治癒向き。そんな彼を自分が生きている間に教育しつつ、王としての自覚を持たせようと思ったらしい。

 とはいえ、生まれ持った気質は変えられない。穏やかで優しい気質のアズルは父王とは異なる性質の国王として、ミラジェリオ王国の顔となっているのだった。


***


 本を片付けたアズルは広間に向かった。その道中、長い青髪の少年が歩いてくるのを見つけ、アズルはぱっと顔を輝かせる。まるで、幼い子供のように。


「イオ!」


 アズルがそう呼べば、少年は顔を上げる。そして彼は嬉しそうに微笑みを浮かべた。


「アズル様。ただいま帰還いたしました」


 そう言って恭しく頭を下げる少年。さらりと、長い青髪が揺れる。アズルはそんな彼に歩み寄りながら、唇を尖らせた。


「そんなに畏まらなくて良いと言ってるのに……おかえりなさい、僕の騎士」


 慈しむようにそう言い、少年に微笑みかけるアズル。その笑みに、少年も緩く表情を綻ばせた。

 彼の名前はイオ・ウォルヴェリア。ミラジェリオ王国騎士団の騎士の一人。アズルは自分を、この国を守ってくれる騎士たちのことを大切に思っているのだけれど、その中でもイオは特別な存在だった。


***


 アズルとイオが出会ったのは、今から十年前。城から少し離れた、森の中だった。

 剣術の訓練を嫌って城を離れたまだ王子であったアズルが聞いたのは、小さな呻き声。初めは手負いの獣でも居るのかと警戒したのだが、すぐにそれが人の声だと気付き、驚いたのは今でもはっきりと思い出せる。

 声の出所を探せば、すぐに見つかった。薄暗い茂みの中、一人のまだ幼い子供が倒れ、弱弱しく呻いていたのである。


「だ、大丈夫?!」


 慌てて駆け寄ったアズルはその小さな体を抱き上げた。一体何が起きたのかと問えども、瀕死の子供が答えられるはずもなく、動揺しながらアズルは彼の苦痛の原因を探った。傷も負ってはいるが、深いものではない。少なくとも、こんな風に苦しむような傷ではない。そうなれば、考えられるのは魔術による影響か。幼いながら冴えた思考でそう思い至ったアズルはぼろぼろの子供の体を観察し、見つけた。―― 背に刻まれた、逆十字架の痣を。

 一目見ただけで、ぞわりと全身が粟立つような心地だった。逆十字は悪魔の証。つまりこれは、この子供が苦しんでいる理由は悪魔がかけた呪いなのだと、そう理解して。

 動揺し、竦んだのは一瞬。アズルの心は"彼を助けなければ"という想いで一杯だった。剣術も苦手、攻撃魔術も苦手、戦うことでは全く役に立たない自分が民の役に立つとしたら、医術くらいだ、と。


 アズルは他者と争うこと、戦うことが苦手だった。他者を傷つけることが嫌いだった。人を癒し、守ることが出来る魔術を好み、学ぼうとした。

 それを先王……アズルの父は馬鹿なことだといった。そんなことを考える暇があるならば剣術の稽古でもしろ、と。国王としては、父の言う通りにすることが正しいかもしれないと何度も思った。医術や魔術ならば、城にも城下町にも専門家が居るのだから、国という大きなものを背負うことになる自分は、戦う力を身に着けることが必要なのかもしれない、と。

 しかし、その時ばかりは医術や魔術を学んでいたことを誇れる気がした。目の前で苦しむ彼を見殺しにしないで済むかもしれない。自分が剣を握り、振るうことしかできない存在であったなら、この子供は自分の腕の中で冷たくなるのを待つばかりだったかもしれない、と。


 とはいえ、今まで呪術の類を解いたことはなかった。本の中で読んだだけ。実際に呪いをかけられた人間は自分の傍には居なかったし、王子である彼自身が呪いをかけられることもなかった。呪いを解くことは簡単ではない。場合によっては自分が影響を受けるかもしれない。そうした不安がなかったといえば嘘になる。しかしそれ以上に、守ることが出来るかもしれない命を自分の迷いの所為で喪うことが怖かった。

 ただ必死で、その呪いに対抗するための魔術をかけた。助かってほしい、生き残ってほしいと、ただ必死に……――

 その結果、子供は一命を取り留めた。剣術の授業を抜け出し、挙句護衛もつけずに行動したことを叱られはしたが、そうしたことで子供を一人助けることが出来たことに、アズルは安堵していた。

 アズルが助け、城で保護された子供は目を覚ますと、アズルに深々と頭を下げ、自らの身分を明かした。


「私は、イオ・ウォルヴェリアと申します」


 幼いながらにしっかりとした口調で、態度で告げられた名に、アズルは少なからず驚いた。鮮やかな緑の瞳を見開いて、彼はイオに問いかけた。


「ウォルヴェリア? あの有名な貴族の……?」


 ウォルヴェリア家と言えば、ミラジェリオの中でも有数の貴族の名だった。城への出入りもあるような家。父王……メディスの時代は勿論、そのずっと前から、何代も続く大きな家だ。商いが上手く、他国との取引もあるような優秀な家である。

 アズルがそう言うのを聞いて、イオと名乗ったその子供は何故か、至極複雑そうな顔をした後、頷いた。


「……えぇ」


 歯切れの悪い返答。どうしてそんな顔をするのだろうかと思いながら、アズルは彼に質問を重ねた。


「どうしてそんな家の子が悪魔に……?」


 悪魔が人間の子供を攫うことは珍しくはない。しかしそれが貴族の子供となると話は別になってくる。悪魔とて、警備の厳しい子供を攫おうとは思わないだろう。普通、真っ先に被害に遭うのは、路頭に迷い、庇護してくれる者も居ない少年少女たちだ。それなのに、何故イオのように大きな家の子供が襲われていたのだろう?

 アズルの問いにイオは少し迷うように視線を逃がした後、口を開いた。


「それは、恐らく……私が、天使族の血を引いているからでしょう」

「え?」


 イオの言葉にアズルは驚いた顔をした。

 天使族と言う存在があることは、アズルも知っている。しかし、ウォルヴェリア家が天使族の血を引いているという話は噂でさえも聞いたことはない。否、そもそも天使と言えば地上の人間にあまり干渉しないのではなかったか。古い文献を思い出しながら、アズルは怪訝そうな顔をする。そんなアズルの表情を見て少し微笑んだイオは、自分の身の上の話をした。


「ウォルヴェリア家は、私を拾ってくれた家というだけで、私はあの家の実子ではありません」


 彼は少しの迷いを瞳に滲ませながら、しかし誠実に説明した。自分はウォルヴェリア家の実子ではないこと。天使族にはある掟……種族が全滅することを防ぐために第二子以降の子を地上に下ろし、人間に育てさせることがあるらしいこと。そんな自分を拾ってくれたのが子供のできなかったウォルヴェリア夫妻であり、自分の生い立ちや力については両親から聞いているということを。

 そこまで語ったイオはそっと自分の髪に触れる。深い海のように鮮やかな青い髪。それを指先で撫で付けながら、彼は呟くような声で言った。


「今でこそ青いこの髪も、あの悪魔に攫われる前は亜麻色でした……だから、皆私がウォルヴェリア家の子供であると気付かなかったのでしょう」


 確かに、アズルが瀕死の彼を抱いて城に戻ってから、彼がウォルヴェリア家の子供であることに気づいた者は居なかった。城に出入りしていた貴族の子息だというのに誰も気が付かないというのは、確かにおかしい。しかし、容姿の特徴が異なっているというなら、確かに納得できる話だった。

 無論悪魔にとって天使は天敵。まだ幼いとはいえ天使の力を持つイオを見つけた悪魔が、幼いうちにその芽を摘もうと攫ったものの、イオも幼いながらに魔術を使って応戦したのだそうだ。その結果、苦しみながら死ぬが良い、とじわじわとその身を侵食する呪いをかけて、悪魔はその場を立ち去ったのだという。唯一の誤算はイオが力尽きる前にアズルが見つけたことか。


「信じるか否かは、王子にお任せいたしますが……私は断じて、嘘は申しておりません」


 真剣な表情で、イオはそう言った。幼くも凛とした目をして。アズルはそれを聞いて、眉を下げた。


「そうか。そうだったんだね。……辛いことを話させてしまったかな」


 幼い子供が、自分が両親の本当の子でないことを語るのは、決して愉快なことではないだろうに。それも、身分や家系を重視するこの国の、貴族の子がそんなことを語るのはリスクしかあるまい。アズルはそう思った。そして、そっとイオの髪に触れながら、言葉を紡いだ。


「僕の魔術では、呪術の効力を弱めるので精一杯で……ごめんね、君を元の姿に戻してあげることはできなかった」


 アズルはそうイオに詫びた。流石に、ただの人間……それも呪術の専門家でもない少年であるアズルが悪魔の呪術を完全に解くことはできなかった。命を蝕む呪いを相殺することはできたが、悪魔が憎む力……イオが持つ天使の力は封じられたままとなっているようだった。

 イオはその言葉を聞いて、魔術を使おうとしてみた。しかし、悪魔に抵抗するために使った天使の魔力は発動せず、体内をただ魔力が巡るのを感じるばかりだった。


「ごめんね、イオ」


 不思議そうな顔をしているイオを見て、すまなそうにそう詫びるアズル。しかしイオは顔を上げると、穏やかに微笑んで、首を振った。そして、アズルの足元に跪き、まだ幼く小さな手でアズルの華奢な手を取りながら言ったのだ。


「アズル王子が居なければ私は命を落としていました。貴方様のお陰で、私は今も生きていられるのです。本当に、ありがとうございました。いつか、この御恩は必ずお返し致します……!」


 そんな言葉通り、あの日助けた少年は騎士となり、アズルが治める国を守っていた。国を守るための魔獣討伐は勿論、国王として国内を回るアズル自身の護衛をすることもある。

 アズルは純粋に嬉しかった。あの日助けた少年が、こうして元気になって騎士として自分の傍に来てくれたことが。相変わらずに天使の力は封じられたままであるが、それでも頼もしい騎士として活躍してくれていること、それを見守ることが出来ていることが……――


***


「それじゃあ、今日の報告を聞こうか。変わったことはないかい?」


 そう訊ねるアズル。イオはそれを聞いて頷いた。凛とした蒼い瞳でアズルを見つめ、口を開く。


「特に変わったことは御座いません。騎士たちも皆城に戻り、休んでおります」


 各々に、騎士としての仕事をこなして皆戻ってきている。魔獣討伐に出ていた者も、街の見回りに出ていた者も皆無事に戻ってきている。イオがそう報告をすると、アズルは安堵したように微笑んだ。


「そうか、それは良かった」


 アズルは愛しい騎士の報告に安堵の表情を浮かべる。彼にとって騎士は大切な存在。戦うことが苦手な自分の代わりに国を守り、支えてくれる存在なのだ。そんな彼らが傷つけられるのをアズルは殊の外嫌うのである。

 イオは優しい国王に目を細める。彼が天使の証であるサファイアブルーの瞳。アズルはそれを見つめて、ふわりと微笑みながら言った。


「イオもゆっくり休んでね。明日も頑張って」


 無理はしないようにね。そういって穏やかに微笑む国王。イオはその言葉に笑みを返し、頷いた。その表情が、ほんの一瞬だけ翳る。

 ……本当は一つ、耳に入れておこうかと思ったことがあったのだが、穏やかな国王の顔を見ていると、ついその気が削がれてしまう。自分が告げようとした案件を耳にすれば、この優しい国王はきっと、悲しむだろうから。


―― 今日は、この話はしないでおこう。


 決して急ぎの案件ではないのだから。そう思いながらイオは優しい国王に微笑みかけていたのだった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ