おっさん、青春 第3章 第3話 〜熊、街に〜
最近、全国ニュースをにぎわせている。
今年の公益財団法人日本漢字能力検定協会の発表した漢字一文字にもなったやつ。
―「熊、住宅街に出没」
―「熊、スーパーに侵入、自動ドア開ける」
―「熊、通学路付近で逆走」
……逆走ってなんや逆走て。
世の中が騒がしくなる中、
ついに浦東市にも“その熊”が来た。
いや、普通は“来ただけ”でも危険なニュースのはずなんだが――
俺の場合は違った。
⸻
その日の朝。
市庁舎へ向かう途中、道の向こうで――
キャー!という悲鳴があがった
声の方向を見ると、
黒い影が動いている。
「……ん?」
裏山のある民家の生垣から、巨大な熊が顔を出した。
近所の奥さま達の悲鳴が炸裂する。
「きゃああああ!!」
「熊よ!!熊!!」
「警察に通報して!!」
俺は川を渡って、その庭に近づいた。
熊はこっちを向いてる。
そして、熊と目が合った。
すると、熊はボソッと言った。
『……腹減った……』
「……腹へったー!?!?」
俺は叫んでしまった。
周りの人には、俺も悲鳴をあげたと勘違いされたのだろう。
「吉田さん、逃げてください!」
私の方に向かって、誰か叫んでる。パトカーのサイレンが近づいている。
「……いや、あいつ俺見て手ぇ振ってるけど!!?」
熊が両手(前足?)を振りながら近づいてくる。
熊が俺に近づくのが見えている人は、
俺が襲われる!
って住民が固まる中、
熊は俺の目の前でピタッと止まり、
『ヨシダ〜、ヨシダ〜!久しぶりやな』
「……俺、熊に名前呼ばれとるし、“久しぶり”って!
…なにそれ!!」
『ここ、安全。』
「いや、お前がおる時点で安全じゃないわ!!」
警察がパトカーで駆けつける。
「下がってください!!危険です!!」
熊は警察の方を一切見向きもせず、俺にだけ話す。
『……ここにきた理由、聞きたい?』
「聞きたくない!
…けど、聞かないと、いけない気はする。」
熊は深く息を吐いた。
『山がもう……壊れとる。
木を切られ、地面は掘られ、
川は泥で埋まって……
餌も水も無い』
「……」
『最近のニュースの熊たちも同じや。
山から降りてきたんやない。
“逃げてきた”んやで』
逃げてきた。
その一言は、いろいろ頭の中で駆け巡る
警官
「危険です!危険です。後ろに下がってください。
あなた、あなたですよ!
ひれ伏して顔を守ってください。
大丈夫ですか?」
「……なんとか、大丈夫です」
振り向いて警官に話すが、警官は銃を構えている。
猟銃を構えている猟師風な人も来ている。
そっちの方が怖いけど・・・
熊は続ける。
『人間のこと、嫌いじゃない。
でも……わからん、なんで、木々を切る?山をあんなに削る?
食べるもの無くなった。
だから仲間達は里へ降りてきて食べもの探したりする。
ワシら、助けてくれって、言えんし』
……胸が痛い。
しかしその直後。
熊が俺の肩をガシッと掴んだ。
『だからヨシダ、言いに来た』
「ちょ、近い近い近い!!」
俺の肩が今、“熊に掴まれとる!!
「きゃー‼️危ない‼️」
警官は銃を構えている。猟銃もこちらを向いている。
「ひとまず!熊を刺激しないでください!!」
『刺激されとるのはワシらの方や!!』
「そうだな、すみません!!」
俺が熊に謝って、済むのか、わからんけど、
それでも謝った。
⸻
熊は真顔で言う。
『ヨシダ。
お前しか話せん。
ワシらの声、人間に届けてくれや』
「いや無理無理無理!!
俺、市役所職員だし!?
動物相談所じゃないし!!」
『相談じゃない。“依頼”』
「それ同じ!!」
熊は静かに言った。
『……山が、死ぬで』
「死ぬ⁉️」
その言葉が刺さる。
自然界が俺を必要としている――
頭では判かっていたけど、
本気で、逃げられない段階に来たのか。
⸻
その時。
風がふっと吹いた。
《……ヨシダ……》
名前を呼ばれた気がした。
さらに微かな、別の声が混じる。
《……タ……ス……ケ……テ……》
佐伯が震える声で報告する。
「吉田さん……
いまの声、自然ナノ内部に浮上した “意識の断片” です」
「誰の声……?」
佐伯のホログラムが揺らめく。
「脳波パターン……非常に近いです。
“幸子さん”に」
熊がうなずく。
『その人も山の苦しさを知っとる。
……だからお前が選ばれたんやろ』
(俺が……選ばれた?)
いやいや、俺はただの市役所のおっさんだけど……
熊は続けた。
『ヨシダ。
お前、人間やのに“山の匂い”しとる。
ワシら、…お前なら伝えてくれると思っとる』
熊は最後にもう一度だけ言った。
『……助けてくれや、ヨシダ。
ワシら、もう限界なんや』
そして山の方へと歩き出す。
振り返りざまに。
『あとで来てくれ。話の続きするから』
「・・・・・・」
熊が後ずさりして、そして山の方に帰っていくところを見て、
猟師と警官が銃をおろして、無線で報告していた。
「熊は、山へ帰りました。状況が全く理解できません!!」
俺の方があんたより理解できんわ…
佐伯が静かに言う。
「吉田さん……
本格的に始まりました。
“自然からの公式依頼”です」
「勘弁してくれ!!
俺、普通の朝を取り戻したい!!」
風が微笑むように揺れた。
《……ム-……リ-……》
「無理って言うな!!」
こうして俺の生活は、
自然界との“交渉担当”
になってしまったようだ。
ひどい。俺の青春は・・・
若返った青春はどこにいったのだろう。
――逃げ場は、もう無かった。




