おっさん、青春 第3章 第1話 〜自然しゃべりだす〜
昨夜、ベランダで佐伯と乾杯した後からずっと、
胸の奥がざわざわしている。
ナノは生きている。
あの羽虫の光は、確かにそう告げていた。
「……とはいえ、俺は今日も市役所出勤だし」
穏やかな朝だった。
穏やかというより――
なんかこう、“街全体が含み笑いしてる”みたいな空気だ。
風が吹くたびに、
ふふ……
……と揺れる。
(なんかふわふわしているけど、嫌な予感しかしない)
俺、吉田和正。68歳。見た目30代かな、もっと若いかも。
再生歴そこそこ、企画部・青春推進課の職員。
……なのに最近、
市役所の仕事をしていない気がする。
ちょっと「違う世界から頼まれて」のような
「人間からの依頼事ではない」ような…
そんな日常生活を送っているような....
たぶん、気のせいかもだけど 笑
庁舎の入口では、AI職員・佐伯がホログラムで出迎える。
「吉田さん、おはようございます。
あなたの“本日のやる気指数”は2割です」
「ほっとけ!」
「なお、あなたのやる気が低下すると
“街の気圧に影響する”可能性があります」
「気圧操ってんの俺!?電気とか電波じゃなかったっけ!!?」
「正確には“気圧があなたに寄せている”状態です」
「どっちにしろヤバいわ!」
⸻
庁舎前の桜並木。
……いつもと違った。
桜の木が、揺れている。
風でも地震でもない。
明らかに リズムを刻んでいる。
気のせいか?木の精か? 笑
「……佐伯」
「はい」
「あの桜、DJやってないか?」
「木にDJ機能はありません」
「じゃあなんでビート刻んでんだ!!」
佐伯の瞳にデータの光が走る。
「自然ナノ同士の“振動通信”です。
いわば、木々の集団SNS」
桜の枝がざわめいて文字のように揺れる。
佐伯が続ける
『議題:本日の天気』
『議題2:風の勤務態度の改善』
『議題3:再生者吉田の歩き方がうるさい件』
「俺にクレーム来てるんかい!!」
「あなた、歩くたびにナノを刺激しますので」
「俺どうすればええんや!!」
⸻
駐輪場の横を歩くと――
「おい」
……声がした。
左右を見るが誰もいない。
また歩き出すと、今度は地面から。
「おいって言ってんだよ!」
アスファルトがうっすら光りながら言った。
「お前、歩き方雑!靴のかかと片減りしてるだろ!
その歩き方で踏まれると痛いんだよ!
反省しろ!」
「…地面に説教されるって何!?
俺そんなつもりないのに!」
佐伯
「自然ナノの知性レベルが上昇しています。
人工物にも影響が出ていますね」
「自然、強すぎん?」
⸻
そして。
俺の周りの空気が、突然――震えた。
《……ヨ……シ……ダ……》
風の音とは思えない。
名前を呼ばれた気がした。
「え……?」
佐伯が一歩近づくようにホログラムを前に出す。
「吉田さん、いまの……
“自然ナノの意識連絡”です」
「自然に俺、呼ばれてる!?
市役所職員じゃなくて、自然の社員なの!?」
風がもう一度そよぐ。
《……ま……た……あ……ら……た……な……か……ど……》
かすれた、幼いような、懐かしいような“声”。
まるで誰かの意識断片が混じっているようだ。
佐伯の分析画面が高速に流れる。
《自然ナノ 情報層:起動》
《意識断片:検出》
《識別:不完全(SA……KO?)》
佐伯
「……このパターン、どこかで……」
吉田
「さ、さ……?」
佐伯
「“幸子”という周波数が……」
吉田
「ああああああああああ言うな!言うな!
俺もう脳が追いつかん!!」
風がふっと吹き、俺の頬を撫でる。
まるで「落ち着け」と言われているように。
そして――
街全体がざわ……と震えた。
桜の木がそよぎ、
アスファルトがぶるりと震え、
電線が小さく歌う。
すべてが“同じ意志”で動いている。
佐伯が静かに言った。
「吉田さん。
自然界・人工界すべてが、
あなたを中心に《覚醒》しています」
「いや覚醒って、俺まだコーヒー飲んでないんやけど!!?」
「飲んでも状況は改善しません」
「せめて改善してくれ!!」
風がくすっと笑うように吹き抜けた。
――都市全体が、
俺の名前を呼んだように感じた。
これが、
《自然がしゃべる世界》の始まりだった。




