おっさん、青春はじめます。 第20話 ~青春はじめます〜
あれから数週間が経った。
あの時山を包んだ光の嵐が過ぎたあと、国のネットワークは一時的に麻痺した。
政府の広報は「落雷による通信障害」と発表したが、
俺は知っていた。
――あれは、“新プラン75”の崩壊だった。
幸子が消えたその夜
地下施設の“光と水”は、世界中のネットに拡散した。
人間が管理できるはずのデータではなかった。
自然が持つ「再生のコード」。
それを、彼女は“解放”したのだ。
いま、俺は町のはずれの畑にいる。
あの若草町の田んぼ。
泥の感触が、あの頃より少し柔らかく感じた。
「腰は治ったか?」
後ろから声をかけてきたのは山本だった。
相変わらず若い顔に、渋い笑い皺が浮かんでいる。
「まぁな。若返った体でも、心が老けてるから無理はしない」
「それが一番の健康法だ」
二人で笑った。
ここにいる“若返り組”の多くは、もう国には戻らなかった。
フェスの会場だった校舎は、今では“リバース・センター”と呼ばれ、
地域の誰でも訪ねられる場所になっていた。
テレビのニュースでは、日本人のノーベル賞受賞者を発表していた。
『京東大学の北川豪教授が、王阪大学の坂勝教授に引き続き今年お二人目の受賞となりました。北川先生は、金属有機構造体をはじめとする多孔性材料の研究でノーベル化学賞を受賞しました。』
そしてニュースの最後に、国は新プラン75を「一時凍結」したことをアナウンサーは伝えていた。
一時凍結…
だが、裏では、“再構築”の議論が進んでいたらしい。
ある日、旧自治会長が分厚い資料を俺に渡した。
タイトルにはこう書かれていた。
> 「Next Plan75 (新長寿循環社会モデル) 内閣府試案」
ページをめくると、新しいプラン75のロゴ。
しかし中身は――
前書き(案)
「高齢者を支える社会」から
「高齢者が再び支える社会」へ。
若返り技術が普及し、75歳を超えても心身ともに“労働可能”な人々が増加することにより旧来の「引退」や「老後」概念が消滅することとなる。
75歳到達日において再生が選択として与えられ、再生したものは社会貢献参加をすることにより、その後の生活・医療・福祉などの権利を継承できる仕組みとします。
1. 基本理念
「老い」は終わりではなく、次の“青春期”への入口とする。
75歳到達時に「再生措置」を選択可能とし、
10年間、若返った身体と成熟した精神を社会へ還元する。
2. 制度概要
対象者は希望制。処置後10年間、地域・教育・農業・介護など
公共分野での参加を推奨。
期間終了後は、徐々に自然な加齢プロセスへ復帰。
3. 目的
・高齢者の社会参加の拡大
・労働力不足の補填
・地域と世代の融合促進
・個人の“第二の青春”の制度化
・人口の増加
4. 注意事項
・若返りは永続ではなく、再生期間は個人差あり。
・社会的義務ではなく、自由意志に基づくものとする。
……信じられなかった。
あの“命のリサイクル”だった制度が、
“命の循環”として再定義されていた。
しかも、文書の末尾には手書きの一文。
> 「この提案の一部は、“光と水の分子レベルのデータ”を参考にした」
> ――技術監修: 北川 幸子
その名前を見た瞬間、心の奥が熱くなった。
彼女のデータが、まだ生きている。
午後になると、田んぼに子どもたちが集まってきた。
小学生から高校生まで、夏休みの“地域ボランティア”らしい。
そして、この何年間のあいだに――新たに赤ん坊が生まれ、また新しい声が町に増えていた。
「おじさん、これどうやって植えるの?」
「おじさんって言うな。見た目はお兄さんだろ」
笑いながら指導する俺に、子どもたちがケラケラ笑う。
「でも動きが“おじさん”だよ!」
「うるせぇ、腰に気を使ってんだよ!」
笑い声が田んぼに響いた。
胸の奥がじんわり温かくなる。
あの日、国が作ろうとしたのは“効率的な社会”。
でも、幸子が解放したのは“面倒くさい人間”たちの自由だった。
泥にまみれながら、俺は思う。
この世界は、便利で効率的になりすぎた。
老いも若さも、削ぎ落とされてきた。
けれど――人間は、面倒くさいから面白い。
青春なんて、いちいち転んで、立ち上がって、笑って、
また泥にまみれるもんなんだ。
夕暮れ。
田んぼの上を白いドローンが静かに飛んでいく。
もう監視機ではない。
今は農業支援型AI
――つまり、“働く相棒”だ。
俺は空に向かって軽く手を振った。
スマホ画面に、通知が浮かぶ。
> 【気象データ:光量安定。水分子振動率:正常】
「……ああ、ありがとよ」
思わず呟く。
まるで、あのドローンの中に幸子の意識が残っているような気がして。
夜。
集落の集会所で、俺たちは小さな宴を開いていた。
焼きそば、とうもろこし、瓶ビール。
祭りの準備で忙しかった仲間たちが、笑顔で集まっている。
「乾杯! 第二の青春に!」
「おう!」
笑い声が響いた。
俺は静かに杯を置く。
そして、心の中でもうひとりにも乾杯をした。
――幸子。
お前が作ったこの“面倒くさい世界”は、最高だよ。
外に出ると、夜空に星が瞬いていた。
空気が冷たく、ため池の水面に星が映る。
俺はスマホを取り出し、博子にメッセージを送る。
> 《少しは落ち着いた。
> 農作業ボランティア、まだ続いてる。
> 泥だらけだけど、楽しい。
> 次の祭り、今度は一緒に来いよ。》
すぐに既読が付いた。
返信は短かった。
> 《りょ、年金で夫婦割引よろしく》
……笑った。
確かに、旅行は夫婦割引だ...年金くれるかな?
老いも、若さも、青春も――全部ごちゃ混ぜでいい。
蛍が飛んでる。
その淡い光はまるで、幸子が残した“光と水”の記憶のようだった。
俺は空に向かって、深く息を吸い込む。
身体が、心が、すべてが新しくなる気がした。
(俺は、もう若返りなんかしなくていい。
今、この瞬間が青春だから。
いろんな事柄があったけれど)
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《NEXT プラン75 最終記録資料》
内閣府・高齢化社会総合対策本部/抜粋
【制度名】NEXT Plan75
【概要】
人生を「幼年期」「成年期」「再青春期」「老年期」の4段階に再構築。
高齢者が“再青春期”を通じて、次世代への知識と経験を伝えることを目的とする。
【特記事項】
若返り技術は、環境依存型光水再生プロセス(通称:リバース・リーフ)を基盤とする。
プロセス発見/開発者 S.kitagawa
被験者No.008(本名:吉田 和正)
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――俺はそのページを閉じた。
夜空を見上げた。
星の瞬きと蛍の光が田んぼの水面に反射して、ゆらゆらと揺れる。
泥の温もり。風の匂い。
そして、心の中に響く幸子の声。
――「青春は、年齢じゃない。選択よ。」
俺は笑った。
――おっさん、青春はじめます。
終わりじゃない。
ここからが、はじまりだ。
シーズン1 完
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
おかげさまで、私も無事に完走することができました。
お読みいただいた方は、お手数ではございますが感想などいただけると嬉しいです。
無味乾燥でも、歓送でも、換装でもなんでも結構です。
どうぞお気軽にお寄せください。
次章では、「再生社会のその後」を描く予定です。
少し時間をいただきますが、どうぞ楽しみにお待ちください。
この度は、本当にありがとうございました。




