おっさん、青春はじめます。 第13話 〜 奥様は魔女~
のどかな山あいの町でのボランティア体験を終え、
俺は自宅へ戻ってきた。
農作業で泥だらけになり、
自治会では「地域おこし協力隊」として自己紹介までさせられた。
冷たい視線を投げかけてきた佐伯
――あの国家計画の男が、今も脳裏に焼きついて離れない。
幸子からは、「次は林業よ」とLINEで連絡がきた。
体は不思議なほど軽い。
港湾バイトやジムで鍛えた上に、
田植えやらなんやら、
肉体労働をしたので、筋肉は締まっている。
だが心は、確実に重かった。
国の実験に巻き込まれている現実と、博子にどう説明するかという新たな試練
―― 胃に悪い。
玄関を開けた瞬間、いつもの声が響いた。
「おかえりなさい。……なんか泥?土?のような匂いがするわね」
近くにきて、匂いを嗅がれた。
胸の鼓動が一気に跳ね上がる。
博子の鼻と目は、まるで警察犬か監視カメラのように鋭い。
ここからが試練の時間だった。
「ちょっと田舎のボランティア活動でね。田んぼの匂いかな。すぐシャワー浴びるから」
言葉を濁して答える。
だが博子の目はまったく笑っていなかった。
「待ちなさい」
タブレットをバタンと閉じる音。
コーヒーカップの置かれるカチャリという音。
俺の心臓がまた一段階跳ね上がる。
この家に戻ってきた途端、裁判でも始まるのかと思うくらいの緊張感だ。
「最近、帰りが遅いわね。前は時間を持て余してたのに。夜の仕事でもしているの?」
俺は言い訳を探す。
“地域おこし協力隊”――田舎でボランティアをしていることだから問題無い。
だが、博子にちゃんと通じるかどうか……。
今まであまり、通じたためしが無い。
(俺の普段の生活が悪かったかもしれない・・・)
しかし、中身は65歳、見た目は20代の俺だ。
青春のためにやっている活動でボランティアだと説明ができるし、活動そのものだ。
「ち、違う! 過疎地の農業を手伝ってるんだよ。俺たちの力が必要なんだ!」
声が少し震えた。
ちゃんと、そして必死に説明した。
理解させるには、それしかなかった。
「ふーん。それにしては・・・夜が遅いわね。酔ってるようでも無いし・・・。」
……完全に“疑惑モード”
「ほ、ほら、ジム通いと港湾バイトとボランティアなので、・・・」
確かに前はビールばっかり飲んでいたな。
「だって、前までは、どんなことがあっても飲んでたでしょ?」
ぐはっ。急所を突かれた。まるで頭の中を読まれているかのようだ。
違うんだ、いろいろあって、飲むのを忘れていたんだ。
忙しくて、面白くって、不思議で、そして、青春も、年金問題も・・・。
「楽しくってさ、ボランティアとか! 田舎のおばあちゃんたちが期待してくれてるんだ!」
「おばあちゃん……ね」
その「ね」の響きが、氷のように冷たい。
まるで「若くて可愛い女の子」というルビが頭の中に浮かぶときの、恐怖の声。
博子の目が俺のスマホに向き、
「最近、"幸子”って名前から通知がよく来るわよ?」
心臓が跳ね上がった。
(・・知ってる? 俺の奥様は魔女?)
「な、なんで??」
多分、声になって無い。
「リビングで充電してたでしょ。通知で光ったのが見えただけ。中身は見てないけど」
中身は見てない……? 本当に?
「地域活動の相談役の幸子さん? それとも、ジムの幸子ちゃん?」
中身を見ていなくても、俺の全てを察知しているかのような鋭さだ。
ポケットのスマホが震える。
幸子からのメッセージだ。
《次は林業。あと、重要な情報が。佐伯に気づかれないように》
……地獄だ。
国家の策略に追われる俺、そして魔女のような妻の監視システムに見張られる俺。